ぶらぶら人生

心の呟き

『遺言のつもりで』

2020-02-05 | 身辺雑記
 前回、家に帰り、留守中にたまった新聞を読んだとき、1月23日の『折々のことば』(鷲田清一)に、岡部伊都子著『遺言のつもりで』が採り上げられていた。

 <ほんまに、八十歳になって初めてのこと、ぎょうさんありまっせ。>

 という題字で。
 そして、一生を貫かれた志が紹介されていた。

 私自身も、年齢を重ねつつ感じる「初めてのこと」は沢山ある。
 が、岡部伊都子さんは、どんな体験を書いておられるのだろう? と思った途端に、Amazonで検索し、紹介された本を注文した。
 ついでに、『弱いから折れないのさ』と、『美を求める心』の2冊も。
 いずれの本も、発行から歳月が経っているので、全て古書店からの取り寄せである。

 『遺言のつもりで』は、416ページの分厚い本であった。(写真)

  

 
 左(裏カバー・作者の写真と履歴)
 右(新聞の切り抜き「折々のことば」)

 日々刻々に誕生し続けるという作者の志や生き方に感動した。
 私には、日々の暮らし方に、いい加減なところがありすぎる。

 作者は、1923(大正12)年生まれ。
 私は、 1933(昭和 8)年生まれ。

 10年差など、時代によっては大きな違いとならない場合もある。
 が、激動する時代においては、体験そのがかなり異なり、その後の人生やものの考え方に、ずいぶん異なる影を落とすこともあるのだと、つくづく感じた。

 同じ戦争体験をしていても、22歳で終戦を迎えられた作者と、12歳で戦後を生き始めた私とでは、体験そのものがかなり違い、その違いが、その後の生き方やものの考え方にも、かなり影響を及ぼすものである、と。

 作者は、婚約者から、「この戦争は間違っている」と言われながら、日の丸の小旗を振って送り出した体験をお持ちである。そして、婚約者は戦地で亡くなられ、弟も若くして戦死されている。戦争の悲惨さを身近な人の死を通して体験され、戦争がいかに非人道的なものであるかを他人事としてでなく、自らの思考の根底において、その後を生きてこられた岡部伊都子さんには、考え方、生き方に、真(芯)がある。
 それが、読ませる力ともなっている。

 一方、私はと言えば、幼い国民学校時代の軍国化と戦後の食糧難の悲惨さを通して戦争を記憶しているけれど、岡部伊都子さんのような強烈な体験はない。
 戦後すぐのころ、『民主主義』と表紙に書かれた本を配布され、新しい思想に触れたり、年を重ねる過程でいろいろ学んだり、思考したりして身につけてきた考えを私なりには持っているつもりである。

 岡部伊都子さんは、実体験から、どうしても訴え続けなばならないという確固たる信念をお持ちである。そして、なかなかの行動派でいらっしゃる。表に立つことを拒まれないばかりか、むしろ積極的でいらっしゃる。
 考え方において、私は岡部さんとそう変わらない(つもりである)。しかし、主張の志にひ弱さがあり、徹底さを欠くところがある。私は決して活動する人間とは言えない。信念は貫くが、活動は人に任せておきたいという消極性は、ついに子供の時から変わることがなかった。(それを肯定しようとも思わないけれど……。)

 この本を読了した今、(鷲田清一さんのコラムには書かれていなかったことを付け加えるとすれば)若い未来のある人たちに、ぜひ読んでほしい! ということである。
 岡部伊都子さんが遺言のつもりで書かれた、語り下ろしの一冊を読んで、心の糧にしてほしい、と思う。
 学校の教科書では学べない、大切なことが多く語られた本である、と考えるから。

 『遺言のつもりで』は、たくさんの随筆を書き続けられた岡部伊都子さんにとって、最後の出版物である。
 病弱な作者でありながら、この本を出版されたのは83歳のとき。
 年譜によると、81歳から車椅子生活になっておられる。
 永眠されたのは、最後の本を出版された2年後の85歳である。
 最晩年をどのように生きられたのか、それを知ることができないのは残念である。

 私は、岡部伊都子さんの年齢を超えて、なお生きている。
 この本を読みつつ、一番恥ずかしく思ったことは、私自身の考え方の不徹底さ、強く主張できないひ弱さ、自信のなさであった。

 が、岡部伊都子さんが、心に抱き続けておられた
 <最期の瞬間まで人としての自分を育てたい>
 という志を私もいただいて、一日一日、自らを育てつつ生きられたら、と思っている。
 先は、もう長くないと思いながらも……。
コメント
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