ダラダラと見飽きることもなく、NHKBS2で放映の、短歌日和? とかの番組を見た。
全国の人から寄せられた、素人の方の素朴な歌を耳にし、私の感想と選者の評を重ねて考えながら、大賞決定にいたる過程を楽しんだ。
何となく、心身が不活発なままに。
その番組が終了したのは、四時半頃であった。
さて、と掛け声をかけて立ち上がり、散歩に出かけた。
身体を動かすと、気持ちもほぐれる。
春の草花が、目を楽しませてくれる。草花だけでなく、目に触れるもの、耳に聞こえるものすべてが…。
東に向かって歩いていると、白い夕月が目に入った。
道路標識の上の遥かに、ほのかな白い月として。(写真 上)
歩く道々、幾度も、空に月を探した。
海を背にして帰るとき、月はわずかに白さを増し、存在を明らかにしていた。時の経過を告げるかのように。(写真 下)
(今宵、玄関に出てみると、夕方の白い月は衣替えし、お月様の色をして中天にあった。)
野には野の春がある。黄色い花のひとむらがあるかと思うと、小判草かと思える雑草が一区画を占めていた。
北浜に向かって歩いていると、三種類の躑躅の花が咲いていた。
躑躅は繊細さが乏しく、あまり好きになれない花だが、花の一つ一つには趣があるし、また、集団として眺めれば見栄えもする。
ただ、桜のように、嬉しいにつけ寂しいにつけ、その時々の感情に、そっと寄り添ってくれる花ではない。
荒地として、放置されているとばかり思っていた田圃に、水が張られていた。
私が、<鶯の径>と名づけている小径の片側に。
蛙が鳴いていた。決して美声ではないけれど、耳に季節を聞きながら歩く。
鶯も、しきりに鳴いていた。
同級生のY子さんに声をかけようかと、丘の上を見上げたが、夕方なのでお邪魔になってはと思い止まった。
と、前方から、手押し車を押した人の姿が目に入った。Y子さんだった。回覧板を届けに行ってきたのだと。
膝の怪我でふた月近く入院し、手押し車が必要な身にはなっても、Y子さんには、不満そうなそぶりも嘆きもなさそうであった。こうして歩けるから幸せだと。私も救われる思いであった。
畑に生長した麦の穂を、実に久しぶりに見た。子供のとき以来かなあ、と思いつつ、物珍しく眺めた。最近は、活け花として見かけるくらいだったのだが…。
一メートルの幅の狭い畑に植えられていた。
麦穂の色も、若やかで初々しく、春の色である。
矢車草の花も、畑に咲いていた。
花を多く知らなかった少女時代、一番好きな花を問われると、<矢車草>と答えていた時期がある。今でも、好きな花の一つである。
<花づくり名人>と私が勝手に呼んでいる、Sさん宅にも立ち寄ってみた。
クレマチスの花が咲いてはいないだろうかと。
アーチ型に、幾種類ものクレマチスが、見事に咲いていたのは、数年前、散歩を日課としていた頃のこと。
今日は、白い花がひとつ咲いていただけであった。
花庭に入り、下の花々を黙って撮らせてもらった。
ラナンキュラス?
ケマンソウ?
チューリップほか
全国の人から寄せられた、素人の方の素朴な歌を耳にし、私の感想と選者の評を重ねて考えながら、大賞決定にいたる過程を楽しんだ。
何となく、心身が不活発なままに。
その番組が終了したのは、四時半頃であった。
さて、と掛け声をかけて立ち上がり、散歩に出かけた。
身体を動かすと、気持ちもほぐれる。
春の草花が、目を楽しませてくれる。草花だけでなく、目に触れるもの、耳に聞こえるものすべてが…。
東に向かって歩いていると、白い夕月が目に入った。
道路標識の上の遥かに、ほのかな白い月として。(写真 上)
歩く道々、幾度も、空に月を探した。
海を背にして帰るとき、月はわずかに白さを増し、存在を明らかにしていた。時の経過を告げるかのように。(写真 下)
(今宵、玄関に出てみると、夕方の白い月は衣替えし、お月様の色をして中天にあった。)
野には野の春がある。黄色い花のひとむらがあるかと思うと、小判草かと思える雑草が一区画を占めていた。
北浜に向かって歩いていると、三種類の躑躅の花が咲いていた。
躑躅は繊細さが乏しく、あまり好きになれない花だが、花の一つ一つには趣があるし、また、集団として眺めれば見栄えもする。
ただ、桜のように、嬉しいにつけ寂しいにつけ、その時々の感情に、そっと寄り添ってくれる花ではない。
荒地として、放置されているとばかり思っていた田圃に、水が張られていた。
私が、<鶯の径>と名づけている小径の片側に。
蛙が鳴いていた。決して美声ではないけれど、耳に季節を聞きながら歩く。
鶯も、しきりに鳴いていた。
同級生のY子さんに声をかけようかと、丘の上を見上げたが、夕方なのでお邪魔になってはと思い止まった。
と、前方から、手押し車を押した人の姿が目に入った。Y子さんだった。回覧板を届けに行ってきたのだと。
膝の怪我でふた月近く入院し、手押し車が必要な身にはなっても、Y子さんには、不満そうなそぶりも嘆きもなさそうであった。こうして歩けるから幸せだと。私も救われる思いであった。
畑に生長した麦の穂を、実に久しぶりに見た。子供のとき以来かなあ、と思いつつ、物珍しく眺めた。最近は、活け花として見かけるくらいだったのだが…。
一メートルの幅の狭い畑に植えられていた。
麦穂の色も、若やかで初々しく、春の色である。
矢車草の花も、畑に咲いていた。
花を多く知らなかった少女時代、一番好きな花を問われると、<矢車草>と答えていた時期がある。今でも、好きな花の一つである。
<花づくり名人>と私が勝手に呼んでいる、Sさん宅にも立ち寄ってみた。
クレマチスの花が咲いてはいないだろうかと。
アーチ型に、幾種類ものクレマチスが、見事に咲いていたのは、数年前、散歩を日課としていた頃のこと。
今日は、白い花がひとつ咲いていただけであった。
花庭に入り、下の花々を黙って撮らせてもらった。
ラナンキュラス?
ケマンソウ?
チューリップほか