ぶらぶら人生

心の呟き

<めぐ>と<壊す>

2010-04-02 | 身辺雑記
 T医院に行き、定期検診を受けて、薬をもらってきた。
 先生は、私の血圧を計りながら、
 「お家は、団地の中にあるのですか。昨日、往診のとき、歩いていらっしゃるのを見かけたのですが…」
 と、話された。
 平素は、診察室で雑談することはめったにないのだが…。
 私は、団地の入り口、保育園の下の家に住んでいると話した。
 先生は、隣家のFさん宅のおばあちゃんを診に、ひと月に一回往診していらっしゃるのだそうだ。
 私自身、いつかは往診を依頼することがあるかもしれない。そんなことも考慮して、快く往診していただけそうな医院を選んだのだった。
 先生は、団地のIさん宅に往診したこともあると話された。
 若くして亡くなられたIさんである。
 「あの家を、スーザンさんが借りていらっしゃいます」
 と話す。
 Iさん逝去の後、夫人は再婚され、家はしばらく空き家になっていた。
 それをスーザンさんが借りて住まわれるようになったのは、一昨年の春でり、そのスーザンさんも、病気の折、T先生の診察を受けておられるのだ。
 
  
 今日の血圧の数値は、まずまずであった。
 4月から、医療制度が改まり、診療明細書と調剤明細書(いずれも点数を表示)が発行された。患者にとって、どんなふうに役立つのか、今のところよく分からない。

 支払いを待つ間、壁の展示物を眺めていて、面白いものを見つけた。(写真)
 
         

 <益田地方方言見立番附>表である。
 138個の方言が並んでいる。
 字面だけでは、方言の味を捉えることができにくい。
 方言の雰囲気を摑むには、発音の微妙なニュアンスやアクセントが大事である。
 
 私は、石見の方言にあまり詳しくない。上から順に、単語の一つ一つの音を確かめていると、受付に呼ばれた。
 支払いをした後、方言表の入手方法を尋ねた。
 「コピーして差し上げましょう」
 と、受付担当者は、こともなげに、A4二枚にコピーしてくださった。

 診察を終えて街に出た。
 喫茶店で食事し、食後のコーヒーを飲みながら、方言表をゆっくり見た。

 終わりから二番目に、<こわす=めぐ(方言)>が出ている。
 それを見た途端、私は、遠い昔を思い出した。
 13歳の少女時代。場所は、中学校の生物教室。

 「先生、試験管がめげました」
 と、私が、S先生に報告すると、
 「試験管を壊しました、だろう」
 と、即座に、私の言い方の誤りを正してくださったのだ。

 試験管はひとりでに壊れるはずもなく、壊したのは私だった。
 私は、それ以来、「めげる」や「めぐ」は、方言的な言い方だと思い込んで過ごしてきた。
 方言表を作った人も、<めぐ>は、<こわす>の方言として捉えておられる。
 
 しかし、今日になって、「本当に方言?」と、ふと疑心を抱いたのだった。私の確認癖が顔をのぞかせ、バッグから電子辞書を取り出して調べてみた。
 <めぐ>も<めげる>も、標準語として辞書に載っている。
 そこで、私は考えた。
 <めぐ>と<壊す>、<めげる>と<壊れる>は、それぞれの語を遣う対象が異なるのではないか、と。
  
 器物(形あるもの、有形のもの)が対象のときは、<めぐ><めげる>ではなくて、<壊す><壊れる>が、標準的な言い方なのだろう。
 気持など無形のものには、前者、あるいは両方が遣えるのではないだろうか。
 そう考えると、この方言表の取り上げ方も、一面では正しく、他面、正確とはいえないように思う。
 13歳の少女は、先生の前で、標準語で言えなかったことを恥じる思いだけが強かった。

 S先生は、エスペラント語も堪能な師だった。
 幼心に、憧れを抱き、尊敬の思いで仰ぎみた先生であった。
 生物の学習だけでなく、エスペラント語のアルファベットなど、初歩的なことも教えていただいた。当時はとにかく、未知のことを学ぶ喜びが、今よりはるかに大きかった。
 
 物故なさるまで、師として慕った先生の一人である。
 方言表の縁で、実験着の白衣の似合っていたS先生を久しぶりに思い出し、懐かしむひと時となったのだった。

 すっかり記憶から消えていたエスペラント語のことまで、今日は思い出した。
 ザメンホフによって創案された国際語は、現在、どんなふうに、世界や日本で活用されているのだろう? 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする