先日、倉嶋厚著『日本の空をみつめて』を読んでいて、若山牧水の歌に出合った。
過日のブログ<寸感>に、その歌を引用した。
久しぶりに若山牧水の歌を口ずさみたくなって、蔵書中から牧水関係の本を取り出して読んだ。
若山牧水の歌集に『山桜の歌』(大正12年5月刊)がある。その中の<山ざくら>の項には、若き日に諳んじた歌が収められている。
うすべにに葉はいちはやく萌えいでて咲かんとすなり山桜花
うらうらと照れる光にけぶりあひて咲きしづもれる山ざくら花
山ざくら散りのこりゐてうす色にくれなゐふふむ葉のいろぞよき
上記の歌を含む<山ざくら>の歌23首は、<三月末より四月始めにかけ天城山の北麓なる湯ヶ島温泉に遊ぶ。附近の渓より山に山桜甚だ多し。日毎に詠みいでたるを此処にまとめつ>と詞書にあるとおり、湯ヶ島温泉の周辺で詠まれたものである。
今日、もう一度、山桜の木の下に行ってみた。
4月6日に見たときには、葉も艶やかで、花も生気に満ちて輝いていた。
今日見ると、大方の花は散って、<うす色にくれなゐふふむ>葉となっていた。
無数の花びらにより、地面には点描画が描かれていた。
4月6日
4月10日
4月10日 落花模様
私は、山桜といえば、<うすべにに葉はいちはやく萌えいで>るものとのみ思っていた。
若山牧水の歌が、私の山桜像を作り上げていたのだ。
ところが、昨日、立原正秋の随想「山桜の頃」(日本の名随筆65『桜』所載)に、次の文章があって、私の思い込みの間違いに気づかされた。
<四月初旬が山桜のさかりである。山桜の葉は赤っぽいのもあれば緑色のもある。花も白、うすくれない、とある。>
パソコンでも確認して、立原正秋の言葉どおり、山桜には種類がたくさんあることを知った。
私は添付写真の桜木のみが山桜だと、この年になるまで信じ込んでいたようだ。
これと類似の信じ込みは、他にもたくさんあるのだろう。
過日のブログ<寸感>に、その歌を引用した。
久しぶりに若山牧水の歌を口ずさみたくなって、蔵書中から牧水関係の本を取り出して読んだ。
若山牧水の歌集に『山桜の歌』(大正12年5月刊)がある。その中の<山ざくら>の項には、若き日に諳んじた歌が収められている。
うすべにに葉はいちはやく萌えいでて咲かんとすなり山桜花
うらうらと照れる光にけぶりあひて咲きしづもれる山ざくら花
山ざくら散りのこりゐてうす色にくれなゐふふむ葉のいろぞよき
上記の歌を含む<山ざくら>の歌23首は、<三月末より四月始めにかけ天城山の北麓なる湯ヶ島温泉に遊ぶ。附近の渓より山に山桜甚だ多し。日毎に詠みいでたるを此処にまとめつ>と詞書にあるとおり、湯ヶ島温泉の周辺で詠まれたものである。
今日、もう一度、山桜の木の下に行ってみた。
4月6日に見たときには、葉も艶やかで、花も生気に満ちて輝いていた。
今日見ると、大方の花は散って、<うす色にくれなゐふふむ>葉となっていた。
無数の花びらにより、地面には点描画が描かれていた。
4月6日
4月10日
4月10日 落花模様
私は、山桜といえば、<うすべにに葉はいちはやく萌えいで>るものとのみ思っていた。
若山牧水の歌が、私の山桜像を作り上げていたのだ。
ところが、昨日、立原正秋の随想「山桜の頃」(日本の名随筆65『桜』所載)に、次の文章があって、私の思い込みの間違いに気づかされた。
<四月初旬が山桜のさかりである。山桜の葉は赤っぽいのもあれば緑色のもある。花も白、うすくれない、とある。>
パソコンでも確認して、立原正秋の言葉どおり、山桜には種類がたくさんあることを知った。
私は添付写真の桜木のみが山桜だと、この年になるまで信じ込んでいたようだ。
これと類似の信じ込みは、他にもたくさんあるのだろう。