ぶらぶら人生

心の呟き

4月尽

2010-04-30 | 身辺雑記
 <4月尽>と書きながら、思わずカレンダーを確認した。
 4月が果てるという実感が乏しい。
 何となく肌寒い。ふと3月ではないかと、勘違いしそうなのだ。
 桜も終わったし、春の旅も楽しんだのに、4月下旬の日々は、とかく寒い日が多く、変化に乏しい生活をしていると、肌感覚だけで季節を考えてしまう。
 が、セーターが脱げなくても、暖房器具にサヨナラできなくても、確実に季節は巡っている。

 昨夜は、22時、戸外に出てみた。月が山の端を離れるところだった。スーザン邸のすぐ前方にある小山の頂から、十五夜の月は昇ろうとしていた。(写真 上)
 就寝前、もう一度外に出てみた。
 すでに24時を回って、今日になっていた。
 隣家の屋根の上に、満月はあって、ひとむらの雲に囲まれていた。(写真 下)
 屋根瓦は、月光に照らされ、鈍い光を放っていた。

      

              

  今日は、心の傷む日となった。
 昼前、郵便受けを確かめたところ、Nさんの訃を伝える葉書が入っていたのだ。かつて、同人誌の仲間だったNさんの死は、その子息から伝えられたのであった。
 4月20日死去、22日に葬儀も済ませた、と。
 Nさんからいただいた今年の賀状には、腹部疾患のため入院中と記してあった。
 見慣れた筆跡で、
 <私も73歳ですからオーバーホールの必要な年齢です>
 とも、書いてあった。
 
 私より若いし、一時的な入院なのだろうと勝手に思い込んでいたのがまずかった。
 見舞いに行かなかったばかりでなく、お見舞いの書状さえしたためなかったことが、訃報の葉書を手にして悔まれた。
 もう言葉を交わすこともないのだと思っているうちに、じわじわと悲しみが広がった。
 
 明日から郵便局のお休みが続くので、早速、子息に宛ててお悔やみの手紙を書き、午後局に出かけた。

 今年は、親しい人たちとのお別れが続く。
 2月には同級生と、3月には親交のあった同僚と、そして4月の終わろうとした今日は、40余年、文学を語り合った、大切な友達の訃に接したのだ。
 亡き三人の知己からは、今年も、年の始めの賀状が届いている。
 今年も続くはずだった交誼は、死去という悲しみにより、突如断ち切られてしまった。

 4月尽の今晩は、また戸外に出て満月を眺め、亡き人を偲ぶ夜となった。

      × × × × × × × × × × 

 今年も、4月の終わろうとする今日、牡丹が咲いた。(写真)
 ここにも、季節の巡りがあって…。
 10年以上前に、友達からもらった牡丹は、ほぼ同じ丈のまま、毎年二つの花を律儀に咲かせる。5月の到来を告げるかのように。
 今年も写真を添えて、送り主の友達に、メールを送ろう。 

     

 3年前に近所の人にもらったシロヤマブキも、今年は合計五つの花を咲かせた。(写真)
 寂しさの多い暮らしの中で、花は心の慰めとなる。
 人の悲しみとは関わりなく、時は確実に植物を育て、花を咲かせてくれる。
 ありがたいことだ。

              
コメント
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