ぶらぶら人生

心の呟き

天にも地にも光があふれ

2010-02-07 | 身辺雑記
             

             Mさんが昇天し
             魂のゆくえの空は 晴れわたり
             大地には イヌフグリの花がもえ始めて

             春が 来たというのに
             Mさんは 釈上道 に名をかえて
             この世の 人ではなくなった

             ガンを病んで 胃を摘出し
             かぼそい食で 命をつなぎ
             人には やさしく

             大家族の 家長は
             威張りながらも 心優しく
             機知で 人を楽しませ 

             やせた体で 頼りなげに あゆみより
             元気? と尋ねてくれた Mさんが
             突如 さよなら してしまった
  
             わたしは とり残されて
             空しさを もてあまし
             天地に訪れた 春を いっそう哀しむ

             

 午後、Mさんの葬儀が行われた。自宅で。
 たくさんの参列者に見送られての旅立ちであった。
 
 Mさんの一家を、私はよく知っている。
 玄関でいきなり、夫人から、
 「同級生代表で焼香してね」
 と頼まれる。
 「私のようなよそ者でなくても、誰かこの地の人を…」
 と、言ってあたりを見渡したが、あまりにも参会者が多く、同級生が見つからない。
 「頼みます。主人が喜ぶから…」
 と、言われて、<代表>として適任ではないがと思いながら、引き受けた。
 久しぶりに会ったMさんの子女からは、
 「いつも父の話相手になってくださって、ありがとうございました」
 と、涙ながらにお礼を言われ、
 「私の方が、お世話になったの」
 と、言葉をつまらせた。

 Mさんは、独り暮らしの私を、陰からそっと案じてくれる人だった。
 同級生で、比較的近くに住というだけのよしみで。
 しかし、昨年は一度も姿を見ることなく、様子伺いの電話も少なく、魚や海草を持っての訪問もなかった。
 毎年、暮れにいただく、お正月用の水仙も届かなかった。
 電話で話した最後は、12月の20日ころだったであろうか。
 声に力がなかった。
 衰弱がひどいのだろうかと案じながら、お見舞いにも出かけなかったことが、今日のお別れをいっそう悲しませた。
 ガンのため、胃を摘出した後、余生があまり長くないだろうと、暗に医師から言われながら、17年を生きられたのは、単に運命だけでなく、Mさんの生に対する姿勢の賜物だろう。
 五年前、健康のために思い立った散歩を、私は一年ばかりでやめてしまったが、Mさんは可能な限り歩き続けられた。意気込みがまるで違っていた。

 葬儀の後、出棺を待つ間、小学生時代の仲間が、お互いの存在に気づいて寄り集まり、小さな塊ができた。
 遠くからお別れに来た同級生もあった。Mさんの人柄によるのだろう。
 こんなときしか会えないとはね、と言いつつ、Mさんを偲び、互いの老いを嘆きあうことにもなった。
 それにしても、春本番のような今日の青空は、偶然ばかりとは思えず、Mさんの魂が演出したもののようにさえ思えるのだった。 
コメント
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