○雪はその後すぐ溶けたのであるが、案外寒波が暖かい日と交代でくりかえし、そしてとにかく平日の会議と作業量が異常だ。季節的に繁忙期ということもあるのだが、大体朝9時から、夜10時11時くらいまでかかっても終わらない。睡眠時間確保のためもあって、しばらく掲載を休んでいる。
日曜はようやく半日ほど時間がとれたから、東宝なら天神か久山か、と考えていて、天気が久しぶりに回復したことと、しばらく雪や雨で買い物に出られずストックの切れた野菜等の食料の仕入れもしたいと思い、農協や産直市場をはしごで買物しながら田舎道のルートをとって久山へ。トリアスについた。キイロイトリ「マダ サムイネ」


モバチケは記念に一つ申し込み、直接映画館でその場で席を決めて入場。帰りには、「しまむら」より庶民度の高さを感じる謎の「やまだい」や百均やスーパーに寄ったりとか、この田舎生活のそのすぐ延長上に映画館があるのだ(爆) ※たれぱんだたちの下にあるのがモバチケと、やまだいカード(^^;;)

本日のBGM
堂本剛「平安結祈」 (2011年9月4日、平安神宮) (監督:堤幸彦、東宝、2012)
つよしのライブは正直2010年8月の福岡の生の以来しばらく、その後の奈良や京都はとても行けないままであった。このLIVEもこう見るとかなり雨降ってますね。時々止んで、虫の音が聞こえるのがなかなか興趣あふれるけれど。多分2011年9月のこの時は広島にいて、確かに出張先でも「前日の台風の影響で関西以東の欠席者懸念」という動向を聞きながら「平安神宮は大丈夫かな」と思っていた日である。
このライブ映像をじっと見て聴いていて、妙に蘇った体感的記憶があった。最近、L'Arcのkenちゃんの「えんえんとひたすら快感が突き抜ける」「ぽろぽろぽろん」な音色のギターソロにすら時々10年以上前のPat Metheny先生の郵便貯金会館か厚生年金会館的なノリの体感的記憶を呼び覚ましてしまう自分なのだが、同様の比喩で言うなら、キーボードに向かうつよしの(今テレビに出ているイメージで言えば新堂本兄弟での物腰、みたいなのとは全く違う)神妙な「演奏者」の表情にせよ、えんえんと「うねる」インプロビゼーションぽい音にせよ、そして特に、最後のメンバー各ソロの総出演のファンク・セッションの圧巻の渦の中での音で、何か既視感のごとく思い出したものがある。それは不思議なことに、実は大元にファンクや黒っぽいノリがある中にマーク・アイシャムやホルガー・シューカイや坂本龍一教授も入ってた(もちろんその後のロバート・フリップ先生が入っててもいいのだが)、ちと環境音楽系にも入り込んでた頃のDavid Sylvianの中野サンプラザとかの、あの感じを、である。確かにつよしを囲むメンバーがそのへんの頃からの「手だれ」集団だから、というのもあるが、リズム体といい、その上に平岡恵子さんのセッションのあの「謡のようなvocal」で、脳裏にJapanのStill Life in Mobile Homes の間奏がふっと蘇ってひらめいた瞬間に、やはりそう思ったのである。ま、Steve Jansenじゃなくて、そこはスティーヴ・エトウだったりするんだけどね(笑)。そして、曇りのち雨時々ジミヘンとか(笑)。だが。ううむ。自分はKinKi Kidsを知る10年前には確かに実はこういう系統の音楽を聴いてたぞ(笑)というか、あの2002年頃にReAとかで太宰治だの椎名林檎リスペクトだの言ってたつよしが、KinKiから約15年後、180度回転どころか270度ぐらいぐるっと回って、今こういう方面に遍歴して来てたのかあ、という感慨が改めて、じわじわくるというか、面白いと思った。 (※おお、それで言ったら、1980年代前半で既にJapanは「和ファンク」だったのか!(←※そんなん言ったら怒られるか・笑)他に、確かにロキシー・ミュージックみたいだったPINKとかね。思い返してそれにつけてもしみじみとMick Karn先生の一周忌が2ヶ月も過ぎたことを悼むのであった)
しかしこの手の音楽は、長くうねってうねる音楽の、時々瞬間的にPOPなフレーズがすっと入る、というようなところがあり、かなり「息の長い」快感で味わう性質のところがある。すなわち、4~5分で決めるコマーシャルなPOPとは対極的なところにあるのだ。交感神経系よりも副交感神経系で。しかし欧風や英風の音楽とは違い、90年代からさらに10年20年たってますますコマーシャルなものが瞬間湯沸器レッドカーペット(=それすら古語か?)的に瞬間芸で求められてる風の感じられる現代世俗音楽文化とオリコンコマーシャリズムの日本の昨今の中にあって、つよしとかはこれから「手仕事日本」のごとくこのJazzyな?方面をさらに極めていくのだろうか?と思ったり。難しい話ははっきり言って自分にはよくわからないが、ここに、たまにどこか、みんなの心にそらんじられるようなPOPなmelody makingがひとすじ、加わると頼もしいんだろうけどなあ。と美我空とか聴きながら思った。売れ線になれとは言わない、Sylvianで喩えるならSilver Moonみたいなやつで。どうだろうか。
そんな2010年8月のLIVEでも「つよしっていうより、このメンバーだから見に来なくちゃ、って奴がいるはずで、そこんとこ知らないともったいないよ!」的なことを書いた確信がまちがいでなく、映画館で再び味わえて再確認できたのは、よかったと思う。という、あくまでも極私的解釈で失礼。(20120226)