○めざましテレビで会心のリハ映像とインタビューを確認後出発。うーむ、(新大阪を中継点にして、発売日以降3日以内に)ついに東海道新幹線の東京~博多間をBGM:[si:]で全走破しちまいました♪(ちゃらっちゃらっちゃ♪ら~らら~、←※テーマ:世界の車窓から)2004年夏休みの(一応前半だけど)6日間の本州縦断周遊大冒険(笑)は、こうして[si:]とともに記憶に残りそうな勢いです^^。午後、もう間に合わないんで私服のまま会社に直行して(※入りがけに上司から「おお!(笑)いつもとちがう!」などと笑われる)、会議と作業に合流。夜9時頃になってもまだ帰れないんだけどそろそろ大阪の筋肉痛(爆)もきて、これが半分気持ちよくて眠い(笑)みたいな。今夜もハイパーに盛り上がった由、恐悦至極^^がんばっていただきたい。帰宅後どんなもんや(CBC)のJフレンズの頃はこっちも「電波」受信しながら^^かなり朦朧状態ですが明日は早朝から作業なので応援しながらZZZ(20040821 1:24a.m.)
○めざましテレビで会心のリハ映像とインタビューを確認後出発。うーむ、(新大阪を中継点にして、発売日以降3日以内に)ついに東海道新幹線の東京~博多間をBGM:[si:]で全走破しちまいました♪(ちゃらっちゃらっちゃ♪ら~らら~、←※テーマ:世界の車窓から)2004年夏休みの(一応前半だけど)6日間の本州縦断周遊大冒険(笑)は、こうして[si:]とともに記憶に残りそうな勢いです^^。午後、もう間に合わないんで私服のまま会社に直行して(※入りがけに上司から「おお!(笑)いつもとちがう!」などと笑われる)、会議と作業に合流。夜9時頃になってもまだ帰れないんだけどそろそろ大阪の筋肉痛(爆)もきて、これが半分気持ちよくて眠い(笑)みたいな。今夜もハイパーに盛り上がった由、恐悦至極^^がんばっていただきたい。帰宅後どんなもんや(CBC)のJフレンズの頃はこっちも「電波」受信しながら^^かなり朦朧状態ですが明日は早朝から作業なので応援しながらZZZ(20040821 1:24a.m.)
…自分はわりとメッセージ性とか発信者の思い入れとかよりも、そして誰が作ったか唄ってるかとかよりも、出来て届けられた音のクオリティがすべて、御機嫌ならOKな人間だったりするので(シニフィアンもろ戯れ戯れ主義^^)、別に社長が好きなわけぢゃないが(笑)社長の「音、いいね」て言ったらしい^^のは相当、かなり賛辞だと思うよ(大笑)。その「戦い」ってやつも、多分MCで言ってる以上の、言えないそれ以上のいろいろなことがあるんだろうと思うのだろうけど、全部真相暴露とかしなくってもそういうやつは行間の余情にエネルギーとして籠めて、それを「超えた」その「音」をentertainmentに換えていく(まさしく正統派Funky)、ていう、「方法論の止揚」みたいのの端っこをつかんだんじゃないか。ついに自覚的に。と感じるのです。(…今、君は、大人の領域に歩み入ろうとしてるよ。なあんて^^)
だから今回、つよしさんも楽しそうだし、こっちも楽しい。音を介した、てのが「目え見て言えへん^^」shyなつよしさんなりの交流でしょうが、その音が圧倒的なもんだから、巨大観衆に対して(※1998年に見たときに私が感じた)身構えるようなあの感じが、今回は、感じられないのでした(こういう力がある、ってことを、10代のつよしさん自身もまだ、確信していなかった頃だったのかもしれませんね、あの時は)。ReAよりも、それが著しく。
今回のつよしさんの「こういうものを、何らかの形で継続できたら」という言葉の意味は、わかるような気がするのです。お仕事、というのと違う、自己表現的な意欲は、多分人に見せる機会がなくても「したい」てのは。「確信に近づきつつある感触」を得つつあるんじゃないか。それって、「25歳」ていう年齢の成熟もあるよね多分。
(※及ばずながら自分も今の自分の仕事の中の「書くこと」の“生来性”を意識し始めたのは25歳くらいだったんだけど、「人に見せたい」かどうかってのと全く別の次元で「自分を確認し、自分の思考を展開し続けるために、書かずにいられない」ていう発動ってのは、WEBサイトなる表現手段以前に何十年も習慣としてずっとあるので…そのための方法は人によって様々あると思いますが、それが歌、音楽である人もあるでしょう…その考え方への共感は、ちと、あるな。なんかうまく言えないまま、わー長くなってしまった・大赤面)
そして自分の中で「確信」が得られると、人間なら当然、普通それは仕事にも自覚的にリンクしていきますよ(仕事の自分も、HNの自分も、結局全人格的に私の「思考の主体」がつながっているのと同じで)つよしさんも全人格的にすべての要素がつよしさんですからね。KinKiが先とかソロが先だとか、そういう低次元の言い争いが非常にお粗末に感じられる次元の精神に、遥かに彼は、立っているのではないでしょうか。(私も、自分が「書く」ことと、「仕事」とどっちが大事だ、なんて愚問だと思うもんな。どっちも大事に決まってるじゃないか。自分で生活して、思考して、生きてるんだから。…そういう愚昧を平気でいうやつは、生きてる意味のことを主体的に考えたことがないんだろう、と憐憫さえ覚える)
でも、それを本当に、こうしてentertainmentの実現に結びつける、てのは、凄まじくありえない幸運(つーか強運)ですよ、つよしさん!といいたい(笑)。しかもそれがスタッフやメンバーの協力とか賛同とかを得られて、その上で客を喜ばせちゃう、ていう物事の運び方を含めて、稀有な才能なんだろうな^^。圧倒的な「声」、そして客も、時にはしみじみと聴き打たれ、かと思えばしかもその場でノリノリで踊れる!という、出来上がったもののクオリティの高さを、私は客の仁義としてひたすら享受させていただきたい^^。
大阪2日目、これも、ざっとメモ程度に、覚書しようかと…テーマは“自分のため(笑)なんだけど、それがいずれ伝わるといいな”←おお、なんだかさっそく影響を受けてるのか??^^…と、思ったのですが、今、ちょうどめざましTVのつよしさんインタビューが流れてるので、いろいろ心に去来したものを書いちゃいました(照れ)
2回幸運にも見せていただいて総じて思いましたが、今回のつよし選手、ともかく楽器のバンドとコーラス衆^^のがっちりとした大波に身を任せ、バンドの中のvocalistとしての役割にすっきりと集中できるというか、その力が発揮されている、という感じがします。自分がsoundを一番楽しむことが、どんなメッセージよりも雄弁なメッセージ、どんなコミュニケーションよりも有効なコミュニケーション、というような勢いが、感じられるのです。
個人的な思い出が混じっちゃうのを言うと、自分が最初に「剛氏の声」の力に生で接したのは実は1998年夏初めて行ったKinKi Kidsコンサートの中の「花」だったんですけど(その時は特にKinKi Kidsの音楽活動がどうの、などということはそれほど興味や思い入れがあったわけではない)。正直言うと、(テレビでのイメージからすると意外に)そのときの「生のつよし」には“親しみ”は感じなかったんですね^^なんか「大量の観衆の前に立ち向かう」感じの「戦闘感」みたいのを感じたというか…ただ、非常にストレートに「こ、この人、こういう歌声の人なのか…実は、とんでもないんじゃないのか?」と、なにものかよくわからない“予感”のようなものに息を呑んだのでした。
どうもそのままなんだか6年もKinKiコンサートをちょこちょこ観て聴く機会を得てしまったわけですが^^6年前のその時感じた“予感”?のようなものが、この夏、実際に形になりつつ進展しているみたいなのです。おととしのReAもそうだったのかもしれないけど、ReAのLiveはともかく孤軍奮闘の緊張感が漲ってた感じ(これはこれでヒロイックな迫力がありますな)。今回の[si:]のLiveはその上に「楽しめる!」のが、凄いことだと思うのです。