そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

「わきまえる」とは政権の意向に沿い、コロナがどんな状況でも開催するということである

2021-02-18 | 石破茂

森喜朗の言う会の女性たちは「わきまえている」の意味するところは、既存のシステムに従えということである。
オリ・パラ組織委員会会長に、唐突に委員名は非公表の選考委員会というものが出現して、会長候補にはたった一人橋本聖子を推薦する、という情報をマスコミにリークしてみた。日本社会ではよくあるお試し情報リークである。三日かけてリーク結果に対する世間の反応を見て、まずまずだと言った反応を確認して決めたのである。外堀を埋められてたった一人を選んだという選考会の意向を受けてのことである。
別に民主的である必要でない選考であるが、非公開であるが透明性だけは担保すべきではあった。橋本は官邸、特に菅の意向に沿った人事である。多弁でなく笑顔のほとんどない人物として、何よりもわきまえている人物を選んだということである。自民党最大派閥の人物であり、わきまえる人物というのであろう。
島根県知事が、コロナ対策が特に東京などに対して不満があり、聖火リレーは受け付けないと発表した。併せて五輪開催に疑問を呈した。これに対して、地元の竹中亘が注意するなどと言っている。わきまえない知事というわけである。わきまえるとはそういう意味である。
この官邸主導人事、オリンピックの申し子をえらんだということで、どんな形であれオリンピック・パラリンピックは開催するということになる。国民の80%が中止か延期を望む中の強硬開催はあらぬ結果、不測の結果を招くことになる。
今や五輪開催の主軸となっている商業主義にとって、コロナ禍は開催以外に興味はない。そうした意味での開催の危険性は誰も担保しなくなった。
コメント (2)
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