イギリスの元首相の、マーガレット・サッチャー女史が死去した。87才とのことである。英国病と言われた、国頼りで生産をあげない社会体制を、彼女は大きく変えた。
アメリカではレーガン大統領が、サッチャーと政策の足並みをそろえていた。崩壊寸前のソビエトを強く非難し、社会主義体制を否定し、ゴルバチョフを支持していた。時代が彼女を強くした。一度選挙に落ちている間に、結婚して双子の子供を産み弁護士資格も取得した、努力家でもある。
彼女は鉄の女と呼ばれながらも、戦後最長の11年半も政権を担った。妥協を許さず小さな政府を目指し、レーガンと共に今日の新自由主義と呼ばれる、政治体制の見本となった。経済改革では、ガスや石油、鋼鉄、電話、空港、航空など国営独占企業の民営化を強力に推し進めた。競争、民間事業、倹約、自立が信条で「サッチャーリズム」で知られる政治哲学を生んだ。日本では中曽根がこれに追従して、国鉄の民営化など大きく日本を変えた。
その一方で、鉱物産業などを衰退させ、雇用不安などを増加させ、競争社会を作り上げたといえる。欧州統合の理念には一貫して距離を置いた。
しかし後に新自由主義と呼ばれる「小さな政府」とは、規制緩和と強者による収奪によって、格差社会の原因ともなって行くのである。国家や社会体制、企業の収益が人々の生活に優先する社会が、その後各国で出現するのである。
当初は、崩壊するソビエトや東欧の社会主義へのアンチとして登場したものであり、積極的な支援の結果とも思われなかった。
自由競争は、強者に有利に働く。自由競争は、都会にとって有利になる。日本でも国鉄の労働者が徹底した差別のもとで排除された、影の部分も忘れてはならない。
存在感の大きな政治家ではあったが、イギリスでは決して歓迎していたわけではない。サッチャーは、「愛されてはいないが信頼されている、好ましく思われてはいないが尊敬されている」と言われていた。よくも悪くも、時代の風を受けて、信念と存在感のある政治家であったが、格差を作った手法はいまだに世界各国で模倣されている。
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