1957年7月8日、東京都砂川町(現立川市)の米軍立川基地拡張のための測量に反対するデモ隊の一部が基地に立ち入り、7人が刑事特別法違反罪で起訴された。東京地裁の伊達秋雄裁判長は59年3月30日、「米軍の駐留は戦力の保持に当たり、憲法9条に違反する」と全員に無罪を言い渡した(伊達判決)。検察側は高裁を経ずに最高裁の判断を求める「跳躍上告」をした。最高裁は同年12月16日、「安保条約は高度の政治性を有し、一見極めて明白に違憲無効と認められない限り司法審査の対象外」と一審判決を破棄。63年の差し戻し審で全員の有罪が確定した。<東京新聞Webより>
上記は砂川事件の伊達判決の概要である。最高裁判所は1959年12月に伊達判決を破棄した。日米安保条約改定を翌年に控えて、極めて迅速な対応であった。政府は条約提出を、翌年まで延ばすことになったのが、砂川事件の伊達判決である。
最高裁の田中裁判長は、マッカーサー駐日大使に伊達判決が安保反対派を勢いづかせることがないように12月に結審すると報告していた、アメリカの公文書が見つかったのである。実際そのスケジュール通り結審した。
政府はこれを受けて、60年1月に調印し、2月に批准案が強行採決されて、6月に発行した。砂川事件・伊達判決は極めて大きな戦後史の節目になっていた。
ここで大きな問題は、司法の頂点に位置する最高裁判所が、日米安保条約は高度の政治性を有するために、司法が立ち入らないとしたことである。立ち入らないということは憲法など、法的な司法判断を放棄したのである。ここには三権分立、司法の独立性などどこにもない。
しかも、それがアメリカからの圧力よっての判断なのである。日米安保条約は、国内法に優先するのである。これを機に日本の司法は、安保条約や米軍に関する、司法判断に距離を置くことになる。
安倍首相は、今年4・28式典を挙行するようであるが、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本が真の独立をした日を根拠にしている。しかし、実態は上記のように、安保条約を理由にアメリカの従属国になった日なのでもある。日本はアメリカの利益のためならんでもやる属国になった記念の日でもある。主権回復どころの問題ではない。