「日本を孤立と軽蔑の対象におとしめ、絶対平和という非現実的な共同幻想を押しつけた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる」
もう一度上記の、日本維新の会綱領の冒頭の、石原慎太郎の文について、見直して見たいと思う。
「日本を孤立と軽蔑の対象におとしめ」 日本がどこと孤立しているというのであろうか?どの国が日本を軽蔑の対象にしてているのか? 現実を越えた石原の思い込み妄想である。
「絶対平和」 平和の実現には、困難な現実がいつも立ちはだかる。厄介なのは、紛争する国家のどちらにも正義があり理念があることである。平和を実現させるためには、極めて崇高な理念が求められる。日本国憲法の理念を、絶対平和と切り捨てる考えは、平和を求めないと同義語である。
「非現実的な共同幻想」 とは、むしろ紛争国家の双方がそれぞれが抱く”正義”であるといえる。紛争をなくすためには、こうした相互の無理解による対立こそなくすべきなのである。平和を希求することこそが、最も求められることなのである。
「国家、民族を真の自立に導き」 こうした理念は、あらゆる国家がもち、互いを認めないがために、紛争が絶えないのである。国家や民族に固執することが、”共同幻想”なのである。暴走老人の石原の脳細胞には、幼少時叩き込まれた軍国主義、大和民族の絶対思想が干からびて離れないだけである。
憲法は9条ばかりが目立つようであるが、前文こそ日本国憲法の神髄があると言える。「いずれの国家も、自国のことのみに専念して、他国を無視してはならないのであって・・・」とあるが、石原軍国少年のような考えを諌めているのである。
憲法制定時から60年以上の時が流れた。国家間の紛争は、質量とも当時を上回る。そうした現代であるからこそ、崇高な理念が必要であり、日本国憲法の考えこそが必要なのである。石原の思い込みは、時代錯誤も甚だしい。
その典型が、尖閣諸島の問題である。日中でせっかく棚上げになっている問題を、狭量なナショナリズムを鼓舞して、火を点けてしまった。いかほどの経済的、文化的損失が両国に起きたか、はかり知ることができない。
せっかく脳梗塞になったのである。80歳という年齢を考えても、もう引退するべきと石原に忠告するものである