今日、日本で初めて本格的な、LCC(格安航空会社)機が、関西空港から千歳に着いたと盛んに報道されている。格安だから、良いことだろうとばかり、メディアは持ち上げる。
かつてこの国には、「再販制度」という定価が常識であった。全国一律、定価で販売するというのが、当然であったのである。現在この再販制度を、頑なに守っているのが書籍と化粧品類など少数の商品である。
国鉄の時代の料金は距離によって、算出されていた。山手線のように一車200名乗っていようが、我々の根室線のように僅か数人乗っていようが、料金は距離によって算出されていたのである。
民営化によって、建設中の鉄路はもちろんのこと、赤字路線も切り捨てられてしまうようになってしまった。切り捨てられたのは、まぎれもなく僻地であり地方であり過疎地であり農漁村である。
LCCが乗り込む路線は、お客の多い路線である。搭乗率が運営に直接左右するからである。地方にも路線を持つ会社は、儲けの多い路線を、LCCにとってかわられる危険に晒されることになる。経営の危うい航空会社は、地方の空港を切り始める。
政治家が、次期空港建設の目的である利用税を用いて、自らの選挙区にふんだんに空港を建設したことも多いに関係するが、地方路線は青息吐息である。今後、LCCが普及するようであると、地方の空港は多少の黒字でも、次々と閉鎖されてゆくことになるだろう。
都会の人たちに比して、僻地の人たちの給与は、半額に近くなっている。土地などが安価であっても、生活には大きな差が生じる。物価の異なるからである。21世紀半ばには、100億人になると予測されているが、増えるのは都会の人たちだけである。誰が食料を作り、水を守るのだろう。
量販店や格安商品は、少人数の地域には適用できない経済論理である。都会の人たちが増えるのは、当然のことである。政治や社会のシステムは、富の再分配ではないのか。
再販制度は今や貴重な存在である。田舎の我々は、都会と同じ価格で書籍を購入できるからである。それも、書籍のLCCが出るのは時間の問題かもしれない。安ければそれでいいのかといいたい。