そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

憲法を考える

2009-05-02 | 平和憲法

日本が戦争に負けた時に、連合軍が最も考えたのは、第1次世界大戦でのドイツへの対応であった。ヨーロッパを戦場にしたこの戦争から、大きな教訓を残そうと多くの国が真剣に取り組んだ。パリ不戦条約で戦争への反省を各国が行った。多くの国がこれに調印した。

ドイツはこれを無視し、ヒトラーがドイツ国民のナショナリズムを喚起し台頭し、日本も調印しながらも、中国各地への侵略を続けていった。かつてのドイツのように再軍備をしないためにも、日本には平和憲法を持たせたのである。日本に国家を蹂躙された国々でなる、極東委員会が日本の再軍備を最も恐れていた。この憲法はパリ不戦条約から学んでいる。

戦後60年を過ぎて急速に、この国の平和憲法を見直すような機運があちこちから上がっている。軍隊を持たないことによる危険性ばかりが論議される。平和を語るのではなく、安全保障を語り再軍備への足がかりを、北朝鮮の核開発などに求めようとしている。

戦争が、国家による殺人行為であり、侵略行為であり人権の侵害なのである。軍隊をもつことが、平和を保障するのであれば、世界で最も強大な軍事力をもつアメリカが最も平和な国家であるはずである。現実は、第2次世界大戦以降全ての戦いにアメリカは関与している。

軍隊は平和を保障するものではない。軍隊はあるいは兵器は、敵国が持つ以上のものを持つことがその本質である。軍隊は常に強大化することを本質として抱えている。敵国を下回る軍隊は存在意義がない。軍隊は常により強力な軍隊へと志向する。そのためには手段を選ぶことはない。

日本の平和憲法は、自主憲法の制定を目指す長年続いた自民党のおかげで、十分活用されていない。世界各地で起きる紛争へ自衛隊を派遣するのではなく、民間の産業支援などの技術協力などを主体にすべきなのである。紛争の原因の多くは、貧困あるいは格差によるものである。こうしたことへの積極的な支援は、自衛隊を軍隊に押し上げたい自民党には、発想そのものがない。

アメリカの軍事・核の傘の下に収まることで経済発展を遂げてきた国家には、アメリカを追従する以外、国際協力の選択はないのである。その時点から、安全保障を論じるから、日本国憲法の平和への理念は生まれてこない。パリ不戦条約の理念は戦争を二度と起こさないことであったが、改憲論議の中で国防論ばかりが先行する。

この国を守るのだという論理、敵国が攻めてきたらどうするのだという仮想から脱却しなければ、平和は語ることができない。

「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」の文言のどこに不満があるというのだろう。

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