そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

憲法25条を考える

2009-05-05 | 市場経済

憲法記念日の3日の新聞に「9条、25条の実現を”戦争を止め人間らしく生きたい”」という、一面の意見広告が出たのをご覧になったであろうか。全国一斉に、9条の会などが中心になって、改憲派へのけん制の意見広告でもある。

憲法9条ばかりが目立つが、我が国の憲法の優れたもう一つが“生存権”をうたった、25条である。即ち、「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」とするものである。憲法25条は、人間の生存権を大きく取り上げた条文である。

新しい憲法制定に伴い、生存権の明文化を強く主張したのが、憲法学者の森戸辰男である。ワイマール憲法を学んでいた森戸は、生存権こそ必要であると、ほとんど彼の主張だけで25条ができたほどである。こうした意味でも、25条は純粋に日本人が作ったものである。

25条を受けて、生活保護法が作られた。生存権を危うくされた国民を救うために作られた法律である。今流行りのセフティーネットと言われるものの一つであろうか。

この生存権がいま、規制緩和を受けて存在が危うくなっている。非正規雇用を大量に生み出す構造を作り上げた小泉改革は、生活保護法も聖域なき改革と大ナタをふるい、結果としてこの国の国民の生存権を危うくしたのである。

貧困を個人的な“怠惰”の枠の中に閉じ込め、個人の問題にしてしまう風潮が、この国の素地としてある。小泉改革は、巧みにそれを利用したのである。貧困を、個人の中に閉じ込めることで、リストカットや秋葉原事件のような噴出部分が露呈するのである。それでは社会の持つ欠点を、閉ざすことになってしまうのである。

貧困を生みだすことは、ひいては社会的に大きな負担を負うことになる。効率優先の市場原理主義あるいは新自由主義は、中長期的に見ると極めて非効率なシステムである。様々な社会保険や税負担を偏在し、国民から労働を奪うからである。更にその人たちを支えなければならないからである。小泉はそれをも外したのである。

新自由主義は、極めて一部の成功者が、社会的な負担を負うことになる。成功者は、その負担すら拒むべく自らに有利は税体系や法律を作り上げようと画策する。それがさらなる貧困を生み、生存権を奪うことになる。格差がさらに広がる。

日本の失業者の70%は雇用(失業)保険も受給していないし、生活保護すら受けていないないのである。世界第2位の経済大国の国民は、貧困であるが故の生存権すら補償されていない状況にある。憲法25条が生かされていないのである。

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