半透明記録

もやもや日記

お知らせ

『ツルバミ』YUKIDOKE vol.2 始めました /【詳しくはこちらからどうぞ!】→→*『ツルバミ』参加者募集のお知らせ(9/13) / *業務連絡用 掲示板をつくりました(9/21)→→ yukidoke_BBS/

『ピンポン』(全5巻)

2006年05月31日 | 読書日記ー漫画
松本大洋 (小学館)


《この一文》
”理想を掲げる事はたやすいのです。
 ただ理想の追求を許された人間は少ない。

 限りなくゼロに近いのであります。ーーー第1巻より”


言わずと知れた卓球漫画の傑作です。
何度読んでも面白い。というか、読めば読む程面白くなるような……。

主な登場人物は、片瀬高校の月本と星野、卓球部顧問の小泉先生、月本と星野が幼い頃から通う卓球教室のオババ、名門海王高校の風間(ドラゴン)、佐久間(月本と星野とは幼なじみ)、中国からやってきた孔(コン)。
独特の絵柄にスピード感のある独特の構図、キメ台詞の的確さと美しさ(というか全ての台詞に無駄がない。会話が抜群に上手い。必要最低限の文字数。それでいて、いやむしろそのために、とても印象的。「あつがなついぜ」とか)、あるいは言葉を全く用いない絵のみの場面にめった打ちにされます。私があらためて言うまでもなく、この作者は他とは隔絶した独自の世界を表すことの出来る人のようです。大体、主人公の名前からして上手い。月本と星野。うっ、泣かせます。そう言えば、この人はネーミングセンスも最高だな。笑わない月本のあだ名がスマイルとか。佐久間(アクマ)とか。ムー子とか。バタフライ・ジョーとか。やっぱ卓球だから「バタフライ」なのかしら…。

お読みになった方の多数の同意を得られると思いますが、月本が無茶苦茶かっこいい。でも見た目は地味(←重要なポイント)で眼鏡をかけているなんて、反則ですよ。もう…だめだ……。

物語は、あまりに良く出来ていて私などが説明するにはもったいないので、興味のある方は是非お読みになってくださいませ。絵にはもしかしたら好き嫌いが分かれるかもしれませんが、そんなことはさほど問題にならない、というかむしろあの絵でなければならないことが確信できるくらい絶対に面白いでしょう。

『黒い蜘蛛』

2006年05月29日 | 読書日記ーその他の文学
ゴットヘルフ作 山崎章甫訳(岩波文庫)

《あらすじ》
初孫の洗礼の日、招待客から柱に汚い黒い木が使われている理由を問われた祖父は、ここだけの話だといって、奇想天外な物語をかたりはじめる。スイスのエンメンタール地方に伝わる民話を素材に、人間の邪悪を蜘蛛に象徴させて描いた中篇小説(1842)。作者(1797-1854)は、ケラー、マイアーとならびスイスを代表する国民作家。


《この一文》
”誰もが、罪のある者に罰が下るのは仕方のないことだが、自分と自分の家族は罰をまぬかれたいと思った。そしてこうした恐ろしい危惧と争いのなかにあっても、彼らは、新しい、罪のない犠牲が見つかりさえすれば、自分だけは救われることを期待して、その犠牲にたいしてまた罪を犯したことであろう。”

”思い上がりと金のあるところでは、自分の欲望を知恵と思い、この知恵を神の英知よりも高いと考える妄想が生まれがちなものなのだ。以前彼らが騎士に苦しめられたのと同じように、今度は彼らが召使いをきびしく扱い苦しめた。自分で働くことが少なくなればなるほど、召使いにたいする要求は大きくなった。そして下男、下女にたいする要求が大きくなればなるほど、ますます彼らを分別のない家畜のように扱い、彼らにも守らるべき魂のあることを考えなかった。”


理由は分かりませんが、実際に読んでみるまではもっと幻想的な物語なのかと思い込んでいました。表書きの「奇想天外」という文句にだまされたのかもしれません。いえ、確かに奇想天外でしたけど。
爽やかな一日の始まりと、めでたいその日を祝うための山盛りのご馳走、これから洗礼を受けるべく美しい着物に包まれた美しい男の赤ちゃん。物語は実にほのぼのと始まりますが、男の子の洗礼が無事に終わり、新たなご馳走がお客にふるまわれるまでの空いた時間に祖父から語られる物語はとても壮絶なものでした。かつてその地に起こったとされる伝承は、城主の圧政に耐えかねて悪魔と取り引きする羽目に陥った農民たちが、いずれそのために村人のほぼ全員が滅び去ることになったという、恐ろしい物語です。黒い蜘蛛が農民たちを次々と殺してゆくさまは、残忍極まりません。物語の中では、神に対する信仰がない、もしくは忘れ去っている者はもちろんのこと、信仰篤い教会の司祭や敬虔な信者も、悪魔の使いである黒い蜘蛛の犠牲になります。しかし、その死に際しては、信仰を掲げて死に望むものには、それなりの平安がもたらされます。ここでは信仰の有り無しを問われてはいますが、単にそれだけでなく、富や力を得て傲慢になった人間の限りない欲望の醜さを非難しているように感じます。たとえ個人の欲望や傲慢が直接的に災厄をひき起こすものではないにしろ(黒い蜘蛛は、あとがきにもありましたが、例えばペストなどの疫病を暗示しているとも考えられます)、「自分が恵まれているのは自身の力量のたまものに他ならないが、都合の悪いことは全て自分以外の誰かに責任がある」と考えがちなのは今も変わらないのかもしれないと、はっとさせられました。

まだまだ人間の手に負えない事柄は山のようにあるのに、ちょっとの財産を築いたからといって何もかも支配できるつもりになるのは実に愚かしいということ、どのような富にも死から身を遠ざける力がないとするならば、問題はそれにどう向き合うか、つまり人間は人間としてどのように生きるべきかということを、この物語は描いていたのでしょうか。私はどうにも反省せずにはいられないのでした。

Nintendo-DS 『NEW スーパーマリオブラザーズ』

2006年05月27日 | もやもや日記




K氏が「Nintendo-DS-Lite」と「Newスーパーマリオ」を買って来たので、ちょっと遊ばせてもらいました。とりあえず1面(今どきは「○面」とか言わないというのは本当ですか?)の途中まで。相変らず操作も簡単だし、コインやキノコを取るのは快感だし、マリオは高く飛び上がれたり、巨大化したりもします。うおーッ! 楽しい!

さて、私の世代はもろにファミコン世代なので、スーパーマリオと言われると、ほとんど無条件で欲しくなってしまいます。K氏もその例に漏れず、CMを見るなり速攻で買いにいったようです。
私は、話題の「脳を鍛える大人のDSトレーニング」とか「えいご漬け」とかもやってみたいところなのですが、さすがにマリオは面白い。初代「スーパーマリオ」をプレイした時は、世の中がひっくりかえるほど驚きました。もう信じられないくらいによく出来ていたので。クリボーを踏んだ時の効果音と感触のリアルさとか、急停止しようとするとスリップしちゃうところとか、海のステージの音楽とかゲッソーの動きとか、裏面や近道があったりとか、無限増殖(私は結局出来なかったのだが)とか、とか、とか………キリがありません。あのゲームは今やってもまだ面白いだろうなー。ゲームボーイミクロのファミコン風レトロデザイン版とか本気で買おうかと悩んだくらいです。

他には「アイスクライマー」も思い出深い1本です。初めて買ってもらったソフトがこれでした。「けっきょく南極大冒険」なんかも面白かったよなー。「チャレンジャー」も良かったけど、難しくて3面までしか行けなかったな。「魔界村」はもっと難しかった……。当時のファミコンは、シンプルだけど綺麗なゲームが多かったですよね。「ファイナル・ファンタジー3」ではあのドットキャラにも関わらずストーリーの良さに泣いちゃいましたよ。懐かしいのう。振り返ってみると、かれこれ20年は軽度ゲーマー(時々はまる程度)なんだなあ、私は。

ニンテンドーで最近やったゲームと言えば、「ゼルダの冒険ー風のタクト」(このためにゲームキューブを買った……でもその価値はあったかな。キャラクターが激かわいい)とか「ピクミン」(これは見た目の可愛らしさとは裏腹に、かなり難しかったのでクリアならず……私だけだろうか、情けないー)ですね。結構昔のばっかだな。今はPS2の「ファイナル・ファンタジー12」が途中です。なかなか終わんねーです。寄り道し過ぎ。だって、クランランクをもっと上げたいんですもの。他に気になることも色々あるしー。でも、そろそろ本気になるかな…。いや、でも、終わっちゃうのはさみしいんだよなぁ。クリアしちゃうのは、もったいないんだよなぁ………。

そう言って、20年のゲーム人生でクリアしたのは数える程……それでいいのか?

『交響詩篇エウレカセブン』

2006年05月24日 | 映像(アニメーション)
毎日放送で早朝に放送されていたTVアニメ『エウレカセブン』を(いまごろ)見てみました。10話くらいまでは見てあったのですが、11話から50話(最終話)までぶっ続けで見たら、さすがに疲れました…。何時間かかったんだ…? 感覚ねえー。まじーな。もうダメかも…。助けて「魂魄ドライブ!」いやさ「サトリプログラム!」……うぅ…やっぱ、だ、ダメだ…。
ということで、とりあえず教訓その1。

「続き物は途中で止められない、覚悟すべし」

はあはあ…。でも、がんばった。続き物の最終回は終わるのが悲しくてなかなか見るに至れない性格の私がよくやった。よし、教訓その2。

「波に乗っている時は、血の味がしても(かるく鼻血?)最後まで乗り切れ」

おおぉ、やりとげるって素晴らしい! でもあらすじとかを説明する気力がないので、興味のある方はこちらをどうぞ。(交響詩篇エウレカセブンーWikipedia
すみません、この記事も惰性で書いてます。支離滅裂かもしれませんが、ご容赦くださいませ。

さて、余談はこのくらいにしておいて、感想はと言いますと、非常によくできたなかなか面白いシリーズでありました。なんだかよく分からない点もいくつかありましたけど、最後まで飽きさせない展開で、登場人物も魅力的。最初の方は、主人公の男の子レントンのアホさ加減とレントンを導く美少女エウレカの暗さ、そしてレントンが乗り込んだ「ゲッコーステイト」という空賊(実は反政府組織)のリーダーであるホランドのヒステリーについていけませんでしたが、隠されていた過去や謎が少しずつ明らかにされていく物語についひきこまれて、最後までいってしまいました。アホなレントン少年が成長してゆく過程を中心に、生きるとは、戦いとは、家族とは何かというようなテーマを盛り込んで、やや説教臭いところもありますがこのくらいでもよいのかもしれません、結構スケールがでかい物語になっていました。お話はこうでなくちゃいかんですね。

(以下、ちょっとネタばれ注意報)
にしても、チャールズとレイさんがなあ…。私は好きだったのになあ。ああいう濃いキャラって、割と不幸になりがちですね。「ナルト」のリー君もいい奴なのにあんまり報われてないし(私が単行本で読んだ30巻くらいの段階の話ですが)…; 「ゲッコ-ステイト」のメンバーの中では、私はマシューが好きかも(と聞かれてもないのに答えてみる)。ノルブも印象的なキャラでしたねー。「科学と宗教は同じものの二つの端」とか(ヴォダラ宮を占拠するヴォダラクのある宗派に対して「愚か者」呼ばわりするティプトリーの言を受けて)「やつらだって、それなりに信じているんだぜ」(注:かなりうろ覚えですみません)みたいに、たまに鋭いことを言うので感動。そう言えば、レントンのおじさんはあれから結局どうなっちゃったんだろ…。それと、賢人のコーダは? あー、あと軍のイズモ艦の艦長ユルゲンスもいい奴だったなー。まさか最初はあんなだったおじさんが、最後はああなるとはねー。格好いいなあ。うーむ、ほんと脇役は粒ぞろいだったよなー。Wikiによると、人物やメカの名前には元ネタがあるようです。ティプトリーとかグレッグ・イーガンとかは気が付いたのですが、他にも色々。へー、そうだったのか。結構マニアックだねえ。


はー、こんなに真剣にTVアニメを見たのは『カウボーイ・ビバップ』以来です。なんか久々にそっちも見たくなってきたな。DVDは今、手もとにある……しかし…やっぱまた今度。あー疲れたー。

8輪の薔薇の花

2006年05月23日 | もやもや日記
去年から育てているミニ薔薇が、今年はなんだか勢いよく花を咲かせています。写真でご覧いただいている通り、一挙に8輪も摘みました。咲いたものからどんどん摘んだほうが蕾がつきやすいらしいので、咲き始めたら即座に摘むことにしています。現時点で、蕾の数は6個。まだまだ咲きそうであります。これだけあると、小さな花ではありますが、さすがに良い香りが漂います。

このように、こちらの花弁の先がピンク色のミニ薔薇は元気いっぱいなのですが、ほぼ同じ頃から同じ鉢で育てている黄色のミニ薔薇の方は、いまひとつ勢いがありません。やはり同じ鉢はよくなかったのでしょうか。養分を吸い取られているのかもしれません。
同じ鉢と言えば、別の鉢の中では金のなる木とミントが何故か一緒に育っています。去年の末ころ私は、あの丈夫な金のなる木を枯らす寸前まで追いやってしまったのですが、K氏がまだ生きている枝を挿しておいてくれたおかげで、だいぶ復活しました。まったく丈夫だなあ。大きな1本の金のなる木は、6本の小さな金のなる木に分裂したわけです。で、その鉢にミントが育ってしまっているのは、金のなる木の隣の鉢に植えていたものの種がこぼれて、めでたく発芽→成長しているというわけなのです。ミントもまたほとんど雑草並みに繁殖力が強いのですねえ。植え替えるべきかどうかを悩んでいるうちに、ミントはだいぶ大きくなってしまい、なんとなくそのままに…。今のところは両者とも問題なく育っております。よかった、よかった。

うちのベランダは排気も多くて苛酷な環境であるにもかかわらず、植物はがんばって成長しています。去年は小さな蜂が5階の我が家まで飛んで来て蜜を取っていったので、一生懸命に世話をして、今年も蜂が来るのを待ちます。

模様替え中

2006年05月22日 | 手作り日記
椅子の座面を張り替え、クッションカバーも新しくしてみました。

3月の末のことですが、お気に入りの椅子の座面があまりに硬い(木に布が張ってあるだけのようだった)ので、中にウレタンシートを入れ、その上に元の布の色に近い深紅のインテリアファブリックを張ってみました。本当は緑色にしたかったのですが、良い布がなかったのですねー。残念。また今度。
座面の張り替えは以前からやってみたい事のひとつでしたが、これにはタッカーという道具が必要なので、それを入手するまでなかなか手がつけられませんでした。タッカーというのは、でかいホチキスの上半分のような(針を打ち込むだけで綴じない)大工道具です。ホームセンターでとりあえず最安値のものを購入しました。これさえあれば、あとは布がたるまないように気をつけながら、椅子本体から取り外した座面(大概はネジで留めてあるようですね)の裏側に打ち付けてゆくだけなのです。簡単。簡単。はっはっは。

さあ、椅子が生まれ変わりました。これでもう、まさかこの椅子が拾って来たものだなんて、誰もわかりませんね。懐かしいなあ、もう4年くらい前になるのかなあ。私の東京時代の住処は、周りがブルジョアばかりの普通の(ややボロい、いや結構…)アパートでした。ある日、隣の区画のお屋敷の方々が引っ越されたようで、まだまだ立派な家具が沢山表に棄てられていた中にこの椅子を見つけた私は、一目惚れしてつい失敬して来たわけです。悪い奴ですね~。粗大ゴミの有料シール(私が住んでた区ではこれが義務づけられていたのです)が貼ってあるのを、勝手に持って来ちゃいかんですよね。いやもうほんとに反省しています。罪滅ぼしにはならないと思いますが、せめて大事に使わせてもらいます。

そして、昨日作ったクッションカバーの方は、カラフルな壺柄プリントの厚手の綿に、緑色のパイピングをほどこしてあります。既製品ばりに良く出来ました(←おや、なんとなく情けない…‥)。そして実は、このクッションの中身は元もとは枕でした。綿入りの長々しい枕だったのですが、すっかり薄っぺらになっていたので、中綿を二つ折りにして、大きめのクッションに作り直しました。我ながら暇ですね。こんなことばっかやってるからお金持ちになれないんだろうな…。でも立派に生まれ変わって嬉しいですよ。

そしてさらに、部屋全体も模様替え中です。しかし、あれもこれも思ったように収まらず、大変なことになっています。どこで寝たらいいんだろうか……。呆然。最初はカーテンを作り替えるだけのつもりだったのになあ……。でもせっかくなので、今回は徹底的にやるぜ!

雨の日をどう乗り切るか

2006年05月19日 | もやもや日記
なんだか早くも雨の季節が到来したようです。困る、実に困ります。

今日も雨の中を自転車で通勤しましたところ、レインコートを着ていたのに何故かずぶ濡れになってしまい、そのまま仕事をしていたので、こころなしか頭痛もします。このままではいけません。なんとか対策を講じなければ! まあ、歩いて行けばよいのかもしれませんが、片道2.5キロの距離を、しかも雨の中を2往復する気力がありません。(私の現在の仕事は、朝2時間→昼5時間空き→夜3時間という変則なのです…だるい)

そんなわけで、雨でもチャリ通勤をやりぬくための完全対策を考えてみました。
まずは、防水の帽子。レインコートに付いているようなフードは、視界が悪く危険なので不許可です。今日もかなり危なかった……。しっかりとしたビニールかなにかの帽子を用意することにします。乗馬をする人なんかにはそういう雨用の格好の良い帽子があるときいたことがあるような、ないような。
次にレインコート。これも雨を通さないしっかりとしたものを用意します。今日着ていたものは、レインコートなのに何故か水がしみ込んできて、おかげでずぶ濡れになりましたよ。防水スプレーをかけてみるのも手かもしれません。
そして、レインスカート。なんだそれ?って感じですが、レインコートを着ていても、膝から少し上の部分が届かずに濡れてしまうので、そこをカバーすべくビニールのスカートのようなものを用意したらよいのではとひらめきました。ズボンだと、脱ぎ着が面倒なので、エプロンとか巻きスカートのようなものだったら楽そうではないですか。やばい。すごい発明かも…。
最後にレインブーツ。最近はカラフルなものも沢山でているので、新しく花柄なんかのを欲しいところですが、私はオーストリアを旅行した時に、何故か長靴なんかを買ってきてしまった(しかも高かった。散財とはまさにこのこと)ので、それを履きます。ほとんどSF的に、もしくは衛生係的に真っ白な長靴です。なかなか履けなかったけれど、おお、ようやく役に立つわい。

さて、このように考えてみましたが、これだけの重装備になると、日頃はさほど格好など気にしない私もさすがにちょっと怖じ気づくようです。うーむ。悩ましい。本当は、チャリ自体も濡れなくて済むようなアイディアがあるといいのですけれども。あー、はやくモデュラス帽(ちょっと前の記事参照のこと)が発明されたらいいのになあ。

『たんていものがたりー甘味処は甘くない(その3)』

2006年05月18日 | 自作アニメーション
まずは(予告編)をどうぞ


kammi3yokoku ←見られない方はこちらからどうぞ 

(注:本編とは若干異なるところもございますのでご了承ください)

********

ようやく(その3)が出来上がりました。
物語もいよいよ中盤です。(まだ中盤ですよ。すみません)
今回はなるべく漫画っぽくなるように工夫してみました。
というわけで、もうちょっと続きますけれど
よろしければご覧下さいませ。

本編はこちらから → 「不透明記録

SFを考える

2006年05月17日 | もやもや日記
録画しておいたNHK-BS2の「名作平積み大作戦」という番組をみました。今回は、遠藤周作「深い河」とスタニスワフ・レム「ソラリスの陽のものに」の対決だったので。この番組は名作をそれぞれにプレゼンテーションし、観客と書店員によって、読みたくなったかどうか、書店に平積みで置きたくなったかどうかを判断してもらうという内容です。で、結論から申し上げますと、世間一般のSFに対する食い付きは極めて悪いようです。残念至極。ゲストの藤崎奈々子さんや生田智子さんなどは完全に引いてました。まあ、プレゼンもあまり読みたくなる感じではなかったので仕方ないと言えば仕方ないのですが。藤崎さんなどは、あの恐ろしい場面(ハリーをロケットに乗せて打ち上げるところ)の紹介で大受けだったようですし。う~む。

しかし、私が思うに、SFアレルギーの方々というのは何か奇妙な思い込みによって拒否反応を示しているのではないかという気もします。物語というのは物語であるという時点で、たとえSFだろうが恋愛ものだろうがサスペンスだろうがミステリーだろうが、それがフィクションであるという事実には変りがないのに、何故にSFだけそう区別されるのか(私が思う程されていないといいのですが)不思議です。多くの場合現実の世界とは違った世界を舞台として設定しているSF小説には「そんなことはあり得ない」という印象があるのでしょうか。私からすると、ある種の恋愛小説のほうがよっぽどあり得ないと思わざるを得ませんが。と、このようにひとりで勝手に想像していても埒があかないので、そのうち実際に話し合ってみることにします。嫌がられるんだろうなあ…。

私などが心配せずとも、名作はそれがSFだろうがなんだろうが、この先もずっと残ってゆくことでしょう。しかし、私はもっと沢山の本を読みたいので、売れないからという理由で出版されなくなるようなことがなければと願います。そのためにもどうにかSFブームを起こせないものだろうかと思案しておるわけです。やっぱり魅惑的なタイトルや帯をつけるなどの努力も必要かもしれません。ああ、しかしそれが難しい。「泣きながら 一気に読みました」なんていう文句でも、何故か本がバカ売れしましたものね。(あれは本の内容が本当に良かったからなのかどうかは、私は読んでないから何とも言えない訳ですが…←そのくせ否定的;いかんなあ。反省します) SFには下手な実用書よりもずっと直に精神を成長させてくれる要素があると私は思うのですがねえ。

と言う訳で、誰もがつい読みたくなるような紹介文を考え中。とりあえずはレムよりももっと冷遇されているような気のするストルガツキイの「ストーカー」について。「滅びの都」のがいいかな。…どっちにしろ、考えてみると結構難しく、全然思い付きません。「収容所惑星」なら、「手に汗握るサスペンス。青年マクシムの行方に待ち受ける謎と苦悩。ついにハリウッド映画化!(希望)」かな…。ほんとはハリウッドでなくて全然いいんですけど。一般受けを狙うならやはり…(あ、これも思い込みか?)。というか、そこが売りなのか?って感じですね; いえいえ、そんなことは決して。ただ「まるで映画のようなスペクタクル!」と言いたかったのですよ。なら、それでいいじゃないかって? ええまあ…ほんとだ。「月曜日は土曜日に始まる」だったら、「月月火水木金金、毎日でも通いたくなる職場 あります。プログラマーの愉快な冒険」って感じ? あれー、グッとこないなあ。つーか怒られそうだなあ…。

古本屋で考える

2006年05月14日 | もやもや日記
今日はちょっとブックオフへ行ってみました。
ずらずらと並べられた古い本を眺めてふとこんなことを思いました。

本というのは他の商品と違って、たとえ外装が古びていたとしても、中身は依然としてそれが世に送り出されたその時と同じ新しさを保っているのだ、頁が損なわれてでもいない限りは決してその本質は失われることがないのだ、なんと素晴らしい発明だろう!

と、一箇所に本が沢山並んでいるという状況にとても弱い私は、今日もまた感激にうちふるえたのでした。しかし、そんなにも沢山の本がありながら、私の欲しい本は一冊として見つからなかったのにはまた涙を禁じ得なかったのです。ああ、私に読まれるべき本達は今頃どこでどうしているのでしょうか。

このように古本屋へはちょくちょく通っていますが、実のところ私は古本は苦手です。中身さえ読むことが出来ればそれでいいとは言え、頁と頁がご飯粒でくっついていたり、飲み物をこぼしたような水濡れ跡があったりするのが、内容と同じように装丁をも愛する私には耐えきれないのです。そんなわけで、できれば新しい本を手にしたいのですが、出版された時点で速やかに手に入れて置かないばかりに、絶版になってから慌てて探し出すという己の愚かさを噛み締め反省しつつ古本屋巡りをしています。思わぬ良品が思わぬ値段で売られたりしていることも極稀にあるので、それは楽しみと言えますけれども。

いつか、何の苦労もなく欲しい書物が手に入るようになるでしょうか。これからは、電子化という可能性もありますね。どういう形態になってゆくにしろ、読みたいものがいつでも読めるという夢のような時代がやってくるまでは、地道な宝探しを続けるしかありません。そう、宝探しと思えば今の状況も楽しめるに違いありませんが、本が手に入りやすくても入りにくくても中身に変りはない(つまり名作は品薄でも平積みでも名作には違いないし、本が見つかった時の喜びはそれを読み終えた時の喜びに勝るものではない)わけですから、手軽に読める方が良いに決まっています。あー、はやく何とかならないかものか。切実。