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「死期」

2010年11月30日 | 読書日記ーフランス

アベル・ユーゴ

P.-G.カステックス編 内田善孝訳
『ふらんす幻想短篇 精華集』(透土社)所収



《あらすじ》
野営のために立ち寄った打ち捨てられた教会で、軽騎兵連隊の若き将校アルベールは真夜中のミサに出くわす。思いがけずミサの手助けをしたアルベールは、長年にわたる苦行から解き放たれた司祭からお礼にひとつだけ願いを叶えてやると言われ――。


《この一文》
“ アルベールは身震いにとらわれたが、勇気をだして言った。(人間は知らないでおいた方が幸せなことを常に知りたがるものだ。)「神父さま。私の生命(いのち)はいつまでもつのか教えて下さい。」 ”



アベル・ユーゴはヴィクトル・ユーゴのお兄さんだそうです。この短いお話はとても幻想的で美しく、しかも興味深いものでした。

アルベールは司祭から「あときっかり3年で生命が尽きる」というお告げを受け、それ以後、死を怖れずに戦い、戦争が終わり、故郷へ帰る。まだまだ長く生きられると信じていた頃にあれほど愛した美しい婚約者と再会するが気持ちは晴れず、躊躇したままで結婚する。家庭を持ち、家族から愛され、武功を立ててめざましい昇進もし、アルベールが幸福になるための条件は揃っているように見えた。しかし、もうすぐあの夜からちょうど3年、自分の命が尽きる時が迫っているのだ……。


*** 以下、重大なネタバレ注意 ***

物語の結末を書いてしまうと、アルベールの3年間は実はすべて夢であり、教会のそばで眠ってしまった彼は、翌朝同僚に起こされて、まだ生きている自分を、これがすべて一夜の夢であったことを発見するのです。

目が覚めた時のアルベールの心境の複雑さが、このお話を非常に興味深いものにしています。3年が過ぎて家族に見守られながら目をつぶったところで目が覚める。全部夢だった、自分はまだ生きている、これからもまだまだ生きていけるという安堵とともに、夢の中の幸福が、美しい妻と優しい母親、そして可愛らしい我が子、出世の栄光も、それら全てがただ夢でしかなかったという喪失感。喜びのような、悲しみのような、どちらともつかない気持ち。

思い出すのはやはり「邯鄲の夢」ですね。あのお話では貧しい若者が夢の中で栄華を極めたもののそこで目が覚め、翁から「人生とはこういうものだ」と告げられるというものでした。この書生は人生もまた夢のようなものだということに納得して帰っていくのですが、「死期」のアルベールの胸中にあるのはそういうものではないようです。


人生と夢。人はどうして夢を見るのか。夢を見て、それをどうとらえるべきなのか。夢の中の幸福を現実へ持ち出すことができないのは何故? 目が覚めて、失ってしまったものを思って胸を痛めているのだけれども、ひょっとすると、これもまだ夢の中で、ここでどんなに幸福を得られたとしても私はまた目ざめて、すべてが夢だったと思うのではないかしら。あるいはそんな私の世界もまた夢で、本当の私の人生はまったく別のところに存在しているのではないかしら。

生きているということは、そのうちの何割かを睡眠にあてるということでもあり、そこで夢を見てそれを覚えているならば、やっぱり夢というのは気になるものですよね。夢ってなんだろう。人生とはなんだろう。どちらも幻のようなものなのでしょうか。それとも、どちらも何か確かなものであるのでしょうか。あるいは、どちらかが幻で、どちらかが実体なのかな。




美しい夢も、楽しい夢も、惨めな夢も、恐ろしい夢も、いつかは醒める。はじまったものには終わりがある。そこは人生と同じかもしれませんね。私にもいつかそれをはっきりと知る時が来るのでしょう。いやもう二度と目ざめることがないならば、知ることが出来ないのかな。それは心残りだ。いや、心なんて残らないのかもしれないけどさ。

それはさておき、私は夢の中で死んだことはないけれど、目ざめて、まだ生きていたら、いったいどんな気持ちがするんだろうなあ。夢から覚めるのはそれに似た感触でしょうか。アルベールのようにぽっかりと穴があいたような気分。あの素敵な人ともう少し一緒にいたかった。でもあの怖いことが現実でなくて良かった。それならあれもまた夢だったら良かったのに。
毎晩夢を見れば、毎朝人生を生き直すことになるのかもしれません。そう考えると一瞬爽快な気持ちもわいてきますが、しかし同時にそれがいつまで続くのかという不安もあります。いつまで生きるの? いつまで夢を見続けるの?

 そして、いつどこですべてが終わってしまうのだろう。
 どんなに生きようと思っても、どんな夢を見ようとも、終わる時が来る。


この恐怖感のようなものについて少し考えさせられるような短編小説でした。恐ろしくもあり、願わしくもあり。たしかにそれは複雑な感情ですね。面白かった!





謎の部品

2010年11月28日 | もやもや日記












なにこれ、カッコイイ。

K氏が日本橋(にっぽんばし。大阪の秋葉原的電気街)で、謎の電子部品を買ってきました。ハアハアするレベルの素敵なフォルム。特に裏面の恰好良さは異常。やばカッコイイ! 電子部品って、なんでこんなにカッコイイのでしょうかね。シンプルで無駄のないデザインが良いのかもしれません。私はそれがどういう役割の部品なのかが分からなくても、その美しさにはいつも胸を打たれてしまいます。



それにしても、これは何だろう? 表面の数字表示から察するに、何かの時計部分として利用されていたのでしょうか。日本製。50円で売られていたそうですが、K氏がこれを何に利用しようと思っているのかも不明。まあしかし、とにかく恰好良いね。見ているだけで、手に取るだけで癒される。はぁ~、久しぶりに興奮した!

足がぞろぞろと揃っているところはちょっぴりムカデっぽいのですが、私は電子部品が昆虫めいて見えるのは平気です。昆虫自体は死ぬほど苦手なのに、機械が虫っぽい形をしていることには何の抵抗も感じないどころか、むしろすげーイカス! とさえ思います。不思議だのう。

金属で作られた生き物と言えば、【自在置物(じざいおきもの)】と呼ばれる美術工芸があるそうですが、これは鉄や合金で海老や蟹、鳥や虫などをかなり写実的に模倣した、可動式の精巧な置物だそうで、一度実物を見てみたいところです。金属製の動物とかって、ロマンだわー。ああ~。



人間って器用なんだなぁ!
ああ、素晴らしい!
器用な人がいるって素晴らしい!

私は技術と技能を信奉します。楽しいもの、役に立つものを作れる人っていいなぁ。しかもそれが美しいものであるとしたら、最高ですよね。素晴らしいものが、これからももっと生み出されますように!




 *** 追記 ***

K氏によると、どうやらこの部品は Vacuum Fluorescent; Seven-Segment だとのことです。

……(/o\;)「??…」「ああ…真空蛍光?」「はあなるほど…(分からんけど)」


最近のこと

2010年11月26日 | もやもや日記

『王女メディア』のDVDが新たに出るらしい。
これは朗報!





ちょっと風邪を引いておりました。
熱とか鼻水とかいうものではなく、胃腸にきてました。ここ数年はこの傾向が強まっていますね。いやだわ、熱の方がマシだったわ…。

それにしても、腹の具合が悪いときのあの絶望感というのは、いったい何なんですかね? もうだめだ~~っ! と、のたうちまわっていました。原因はやはり「冷え」。足が氷のように冷たいな、と思ってはいたのですが、その一方で上半身は汗だくに「のぼせ」てました。もう自律神経がね、しっちゃかめっちゃかなんですかね。もう少しやる気を出してほしい(←そもそも私がやる気を出せという話ですが;)。

神経をリラックスさせるには、やっぱり温泉か――? と考えた私は、早速全国温泉巡りをすることにしました。初日は「道後温泉」、翌日は「下呂温泉」を楽しみました。もちろん入浴剤の話です。ふ…この場であんまり侘しい話をするのは控えたいと常々思ってはいるのですが、まあしょうがない! 日替わり入浴剤って結構楽しいですね☆


それはさておき、Amazonさんを見ていたら、パゾリーニの『王女メディア』のリマスター版DVDが出るらしい! 『アポロンの地獄』などは先行して出ていたので、『王女メディア』も出るんだろうかと、しばらく前から期待していたのですが、果して出るとのこと。これは朗報。とりあえず買っとこうかな。またすぐ廃盤になりそうだもんな。私はまだこれを観てないんだよな。観たい、観たい。
コスタ=ガブラス先生の『Z』とか『戒厳令』とか『告白』とか『ミュージック・ボックス』とかもDVDが出ないかなぁ。どうして廃盤になったままなの?? クストリッツァの『アンダーグラウンド』もまた出してほしいんだぜ!


それから、先日焼いた自家製パンはおいしゅうございました。クリームチーズにあらかじめ配合されていたガーリック風味は、焼いた後にも意外としっかり残っていてそのままでおいしかった。クリームチーズを入れたのは初めてでしたが、わりとしっとりと焼き上がってなかなか良かったです。今度はプレーンのクリームチーズでもやってみたい!


あとは、洋服のリメイクをしてこの冬をしのごうと思い(おや、またまた侘しい話に;)、かつてワンピースだったものを上と下に分断したものがあったのですが、そのスカート部分を別の上着にくっつけ直してみよう! と、せっせと裁縫したのですが、なんか思ったのと全然違う風になったので、これからまた縫い目をほどくところです。\(^o^)/ 徒労です!



さて、秋もそろそろ終わりでしょうか。
今のうちにもう少し楽しんでおかなくては!





パンを焼く

2010年11月23日 | 手作り日記



久しぶりにパンを焼いてみました。
ホームベーカリーを箱から出すのは、どのくらいぶりだろう。少なくとも横浜に居たときは一度も焼かなかったので、1年以上は触ってなかった。いつぞやは小麦も高かったですしねー。

というわけで、すごく久しぶりのことだったので、材料を計りながら釜に投入する段階で「スキムミルク」を買い忘れていたことが発覚し、急遽【食パン】から【チーズパン】へとコース変更、スキムミルクの代わりに「クリームチーズ」を使うことにしました。そのままで食べる予定だった kiri のハーブ&ガーリック味。



これをポイポイと3つばかし投入しました。うおー、なんか贅沢な感じ…(^_^;) 当初の予定ではレーズンパンにするつもりでレーズンを買ってあったのですが、ガーリック味とレーズンは合わないかなと思い、次回に見送り。自家製パンは味付けも好きなようにできるので楽しいですね。


全部の材料を入れてスタートボタンを押すと捏ね始め、上のようにまとまります。そしてあとはひたすら放置するのみ!

 発酵が進んで生地が膨らんでいる(中が写ってないけど;)。

作業開始から2時間半ほどで焼き上がり。
網の上でしばし冷ましたあと、新聞紙に載せてみた。

 焼けている。

 まだちょっと温かい。



中途半端な時間に焼き上がったので、まだ味見はしていません。明日の朝に食べることになりそう。焼き立てが旨いんだけどなぁ。うどん食って腹一杯なんだぜ。



今度はパン生地だけこの機械で作って、餡を包んであんパンを焼きたい!





落葉ざくざく

2010年11月22日 | もやもや日記

窓から見える紅葉。





現在私が住んでいる集合住宅の敷地は広く、中庭などもいくつか設けてあるのですが、部屋の窓からそのうちのひとつが見下ろせます。ソメイヨシノが植えられているので、今ちょうど紅葉が美しい。葉っぱのあの赤色は、なんだかついじっと見てしまうような色ですよね。

日に日に葉が落ちて、地面も色づいてきたので、その上を歩きたくなった。というわけで、ちょっと降りて行ってザクザクと落葉を踏みしめてきました。うーん、楽しい。ザクザク、ざくざく。




















『純潔のマリア』(第1巻)

2010年11月21日 | 読書日記ー漫画

石川雅之 (講談社アフタヌーンKC)




《あらすじ》
魔女マリアは争いを嫌い、毎夜サキュバスを遣わしては戦争をかき回す。しかしマリアの度重なる派手な行動により、大天使ミカエルに目をつけられ――。


《この一文》
“ヤハウエは6日でこの世界を創り 一日休んだ

 こんなに世界は美しいのに
 何故 人の心はこんなに愚かなのかしら

 あと一日も ヤハウエは休まず働けばよかったのよ ”




『もやしもん』の石川雅之さんの漫画。『もやしもん』は農大を舞台にしたためになる知識系の漫画であるのに比べ、こちらは魔女が主人公のファンタジーでした。中世フランスが舞台のようですが、平然とドラゴンなんかも出て来る。それだけでなく天使までさらっと登場する。……面白いではないか! いいよ、いいよ! 私はこういうのが好きですよ!

「人間の愚かさ」や「信仰と救い」といったことをテーマとしているようですが、石川さんらしく、あまり重くもならずおかしみに溢れていて気楽に読めます。とりあえず、今のところは。この先ものすごくドロドロした展開になるというなら、それはそれで楽しみ。
それにしても、サキュバスとしてマリアに使役されているフクロウがいちいち可愛い。石川さんの描く鳥キャラって見た目がすごく可愛いんですよね、雲みたいに丸々のっぺりとしていて。フクロウの姿は間抜けに可愛らしくても、そこはやはりサキュバスなので、仕事の時にはものすごい美女に変身する、というところがまたたまりません。インキュバスとしてスカウトされたオスのフクロウもいるのですが、そちらも美少年に変身するのでたまりません。ああ、変身ってロマンですねー。


第1巻ということで、まだあまり物語は進んではいませんが、非常に続きが気になる面白さでありました。第1巻は2010年の2月に発売となったようですが、うーん、2巻はいつ出るのだろう? 『もやしもん』もなかなか新刊が出ないような気がするので、これもまた待たされそうな予感……。






「炎の河」

2010年11月19日 | 読書日記ーロシア/ソヴィエト

ヴェショールイ 小笠原豊樹訳
(新潮社『現代ソヴェト文学18人集』所収)



《あらすじ》
蓄音機のワニカと鰐(わに)のミーシカは親友同士だ。二人は忘れられぬあの十七年に巡洋艦を下りて以来、内戦の間は海を見ることなく方々をさまよったが、ようやく懐かしの港へ戻ってきた。昔馴染みの兵曹長フェドーティチと再会し、再び船に乗り込むが、時代はすでに変わってしまっていた。


《この一文》
“そう、昔ならば、向う見ずなやり口が非難を受けることはなかった。何もかもが短銃で片がつき、焼き立てのパンのように素朴なことばで片がついた。この糞面白くもない時代になってからなのだ、仔牛のようなおとなしさが尊敬されるのは。現在、世間が尊ぶものといったら、一つの尺度、金、そして屑のようなことばだけだ。このことが、ミーシカとワニカにはどうしても理解できない。 ”




自由に生きるとはどういうことなのか分かりませんが、ミーシカとワニカは船乗りの剛胆さで数々の試練を冒険を乗り切り、気の向くまま、思うがままに生きてきましたが、しかしいつの間にか時代は変わり、彼らは再び同じ船に乗って大海原を進むことは出来ないらしいことを思い知らされるのでありました。

全く考え方の違う人間同士が同じ船の上で暮らしていくことは、どうやったって無理だろうと思いながら私は読み進めましたが、この物語は果してそのような結末を迎えました。
革命の前と後では、なにもかもが変わってしまった。
ミーシカとワニカはいざとなったら強盗だって厭わないというなかなか困った奴らなのですが、単純な魂を持ち、世界を稲妻のように駆け抜けていこうとする強靭な生命力の持主でもあります。時代が変わってしまっても、兵曹長のように年老いていればいくらか諦めもついたかもしれませんが、ミーシカもワニカもまだ若い。古い時代には彼らの生きるべき、生きる甲斐のある大いなる世界があったのに、いちいち規律だ同志だと言われる日々に耐え忍んで生きていくには先が長過ぎる。ほとほとうんざりしてしまう。それで結局、彼らはせっかく久しぶりに乗り込んだ船から下りる羽目になるのです。


人間は、人それぞれで考え方が違うという事態において、どう対処すればいいのでしょうか。たとえばそこに何か巨大な問題が持ち上がって、革命だ、ぶち壊せ、お祭りだ、と盛り上がっている最中にはまるで大勢がひとつの統一された意思を持っているかのように錯覚できますが、ひとたび祭りが終わってしまえば、人々は再びそれぞれの違いをあらわにしながら小さな衝突を繰り返すようにも見えます。この時にどうしたらよいのか。あらためてひとつにすべく思想を統制するのか(緩やかに教育するにしろ、手っ取り早く異分子を追放、抹殺するにしろ)、あるいは…えーと、他にどんな手段があるだろう。

船を下りざるを得なかったミーシカとワニカですが、彼らは他人の船に乗ろうとしたから駄目だったのかもしれません。彼らにも自分の船があれば、好きなところへどこまでも乗っていけたのではないでしょうか。同じ船に乗ろうとするから無理があるんだ。違う船、自分の船に乗ったらいい。そんな金はないだろうけれど、どうにかして。

いや、駄目だ。たとえ幸運にもそれが可能になったとして、はじめは悠々と広い海を渡っていけるかもしれないが、きっとまたどこかで別の船と衝突するに違いない。だいたい皆がそれぞれの考えによって個別に船を持ち始めたら、海は無数の船でぎゅうぎゅう詰めになって航行不能になってしまうではないか。もう船を持つ意味がない。

…海が狭すぎるんだろうか? では狭い海の上でぶつからずに暮らそうと思ったら、いったいどうしたらいいの? あ、はじめに戻った気がする。はぁ。



世の中の人にはそれぞれに違った考え方がある。部分的には思いを共有できるかもしれないけれど、違っているところをわざわざ同じくするというのは難しそうであります。私としては、人と人の考え方が違っているのは何も問題ないと思います。衝突は避けたいけれど、違っていること自体はしょうがないと思う。そこを無理矢理変えようとするのは、不可能だと思う。とりあえず、今のところは。
ちなみに、この本の解説に、第一巻は冷遇された作家をおもに集めてみたと書いてありました。ヴェショールイ氏の略歴をみると、この人は短命で粛正の犠牲となったらしい。おそろしい時代だったんだ……。大杉栄にしろ、このヴェショールイにしろ、ある考えを持っていたというだけのことで冷遇されたり抹殺されたりする必要はなかったのに、と私は思うのだがなぁ。
しかしまあ、私とあなたでは考えが違う、そのことを許せずにごく身近な人との衝突さえ避けられない私がこのようなことを言っても、何の説得力もありませんけれどもね……。どうやったら私たちは、ここで、誰をも虐げず誰にも虐げられずにうまくやっていけるのだろう。



ところで、ロシア(ソビエト)文学を読んでいると時々「鰐(わに)」という単語に行き当たりますが、これはあの暖かい地域に棲んでいる爬虫類のワニを指すんでしょうか、それとも邦訳すると他に当たる言葉がなくてそのように訳されているんでしょうか。ロシアの地にはワニってあまり関係がなさそうに思うのですが、そこがそもそも私の誤解なのでしょうか。以前から気になっているのに、前にも同じことを書いているのに、そのまま調べたりしていないものですからいまだに気になっています。どうなんだろう?





「奴隷根性論」

2010年11月18日 | 読書日記ー日本

大杉栄(青空文庫)


*以下より無料で読めます。↓
青空文庫: 大杉栄「奴隷根性論(HTML版)」





《この一文》
“勝利者が敗北者の上に有する権利は絶対無限である。主人は奴隷に対して生殺与奪の権を持っている。しかし奴隷には、あらゆる義務こそあれ、何等の権利のあろう筈がない。
 奴隷は常に駄獣や家畜と同じように取扱われる。仕事のできる間は食わしても置くが、病気か不具にでもなれば、容赦もなく捨てて顧みない。少しでも主人の気に触れれば、すぐさま殺されてしまう。金の代りに交易される。祭壇の前の犠牲となる。時としてはまた、酋長が客膳を飾る、皿の中の肉となる。
 けれども彼等奴隷は、この残酷な主人の行いをもあえて無理とは思わず、ただ自分はそう取扱わるべき運命のものとばかりあきらめている。そして社会がもっと違ったふうに組織されるものであるなどとは、主人も奴隷もさらに考えない。”




 “そして社会がもっと違ったふうに組織されるものであるなどとは、
  主人も奴隷もさらに考えない。”



違った風に組織される社会、あるいは真の自由とは何か? ということについて考えてみても、私にはまったくその手立てが、ほんの少しそれを想像してみることすらできないということに唖然となります。だが、待て。それではいけない。ちょっとは考えろよ。


 “一体人間が道徳的に完成せられるのは、これを消極的に言えば、
  他人を害するようなそして自分を堕落さすような行為を、ほとんど
  本能的に避ける徳性を得ることである。”


大杉先生によると、一般に上のようなものであるはずの人間社会の道徳律というものが、この「奴隷根性」によって歪められ腐敗した形で構築されているという。つまり、「強者に対する盲目の絶対の服従」。主人に対する恐怖の念により、奴隷は地べたに四這いになって平伏す。四這いになっているうちに、この屈辱的行為も苦痛でなくなってきて、かえってそこに愉快を見出すようになり、ついには宗教的崇拝ともいうべき尊敬の念に変わってしまう。このような道徳的要素を加えることで、奴隷根性はますます強化されていく。人間の脳髄は、生物学的にそうなる性質のあるものであると。

おなじようなことは短編小説「鎖工場」の中でも描かれていました。皆がみんな、鎖に縛り付けられている。どんどん締めつけてくる鎖をほどこうとするものもいるが、一方で自分の鎖の立派さを見せびらかすような者もいたりする。締めつけられることをかえって誇りに思ったりする。そしてそのような彼らは、鎖を生成する作業をさぼろうとする別の人間を鞭打ったりするのであった。



「奴隷根性論」。ここで求められていることは何だろう。人間が誰の奴隷でもなくなるということは、すっかり独りっきりに孤立するということではないと思う。人間が集団でこそ成し遂げられる物事がある。たとえ集団になったとしても、その構成員のひとりひとりが真に自由で、誰にも束縛されず、誰をも束縛しない社会。そんな社会を構築しなくてはならないということだろうか。
だが、どうやったらそんなことが可能になるだろう。この社会を支配する権力のもとで、この社会を支配しようと、支配し続けようとする権力欲そのものに対して、どうしたらよいのだろう。人間からこの手の欲望を失わせることは、いったい可能なんだろうか?

権力から力を奪うには、支配されようとする人間が支配されない自由を得たらよいということでしょうか。では、どうやったらその真の自由とやらを得られるでしょうか。私は自分自身を主人でないと思うからには、なにかの奴隷であるに違いありませんが、どうしたらその支配から脱却できるのか。あるいは脱却すべきなのか。私はそこでどんな社会を理想とすべきなのか。少しも何も思いつかない。
また、私は無邪気にも自分を何かの奴隷だと思っているが、自分の知らないところで誰かを虐遇していないだろうか。虐遇に慣れ過ぎて、そのことに気づきもしていないだけではないだろうか。私はただ盲目でいるだけではないのか。


こんなことを考えても、私にはどうせ分からないのだから無駄だと思う。鎖に繋がれていれば目をつぶっていたって、どこかへ引っ張っていってもらえるのだから、そのほうが楽だし安全だと思う。生まれてしまったから死ぬまで生きる。それだけだ。私が何に平伏そうが、私の知らぬ誰かが(あるいはよく知る誰かが)私の暴虐に苦しんでいようが、私が自分でそれに気づくことがないならば、屈辱も虐遇も存在していないのと同じではないだろうか。楽しく、楽に、生きたいじゃないか。

何も考えずに生きられるならそのままで、いざ窮地に立たされてからようやくはじめて泣き叫んだらいい。その時になってどんなに喚いたって、どのみち何も変わりはしないのだがね。

そうだ。私は何度も泣き叫んで、そのたびにうなだれてきたんだ。さまざまな事柄が何故そのようなのかを問うたって、どうせ何にもならないと思って。今もどこかで誰かが嘆き悲しんでいる、これから来る人もきっと涙に暮れるだろうその予感がありながら、「すべて無駄だ、無意味だ」と冷たく言い放ちその脇を通り過ぎようとする私に、良心はないのか? 人間として生きるということはこういうことだったのだろうか? こんなふうであるべきだろうか?


罪悪感とはまた違う。私は、私の何も無さに驚いている。











人形の夢と目ざめ

2010年11月17日 | ヒャクボルコと行く


*ヒャクボルコお嬢さんがお目ざめ*


…白い箱に入れられて、ずっと眠っていたようね。
あれからどのくらい経ったのかしら?

最後に林檎がどうとか言っていたのを
覚えているんだけれども……


長い長い夢のなかで、私は「ヨコハ…」なんとかという街にも
居たように思うわね。

ここは今、どこなのかしら?



電源タップから飛び出したあの日も、
そう言えばこんな季節だった。

あれからどのくらい…?







落葉がはらはら落ちてくるのを見ていたら、この人(ヒャクボルコ。電子部品。もとは電源タップの中で働いていましたが、ある日職務放棄によってタップを故障させたためリストラの憂き目に。その後、私の手で顔と名前を得、地味な旅を続けるお嬢さん)を思い出しました。

長いこと忘れててごめんよ。
あー、昔作ったアニメもリンク切れだしなぁ。うーむ。うーむ。






難波ぐるぐる

2010年11月16日 | 旅の記録

クローバーの輪とネコ。





昨日は難波でユキさんとご飯を食べてきました。昼と夜の2食! その合間にはものすごくおしゃべりをして、とても楽しかったです(^_^) 実はこの日ユキさんとお会いするのにはちゃんとした用事があったのですが、そのお話もそこそこに、大半はおびただしいおしゃべりに費やされました。私はとにかくひたすら爆笑していた気がします。


*9:40 朝の難波散策

待ち合わせは13時でしたが、私は張り切って朝から難波へ出かけていって、周辺をうろうろしてみました。しかし繁華街の朝は遅く、10時前の町中を歩いても、どこのお店も開いてない。当然ですね、ええ。まだがらんとしている日本橋(にっぽんばし)あたりの通称「おたロード」をてくてく歩く。
ともかく、「おたロード」の位置が分かって良かったです。漫画の同人誌、というものが欲しくなった時に(今はまだ欲しくなってないけど)、大阪ならどこへ行けばいいのかを知りたかったのです。最近私にも好きなBL作家さんというものが出来てきて、その方々は商業誌で出してた漫画の番外編みたいなものを同人誌で出してたりすることもあるっぽいんですよね。えっ!?って感じですよね。でも、だって、気になりますよね!? 東京でならきっと池袋へ行けばよかったんですけど、ここでは【とらのあな】を発見。いざとなったらここへ来たらよいのかな? 開店前だったので中を確認できなかったのが残念。

そのまま難波駅を中心にぐるりと周囲を散策しました。この日の朝は、空が少し暗い。寒い。でも雨は降らなくて良かったです。

で、ぐるぐると周辺の書店などを巡り歩いていたら、あっという間にお昼が過ぎてしまいました。せっかく街へ出て来たのだからと、私は吉本前のジュンク堂で目当ての漫画を買うつもりでしたが、どこをどう探しても見つからず…。ジュンク堂に置いてなかったらどこで買えばいいというの?? 結局、何の収穫もありませんでしたが、まあそれは今日の本題ではないからいいか。13時に待ち合わせ場所へ。ぴったりにユキさんはおいでになりました。


*13:00 スープのお店でランチ

ユキさんおすすめのスープ専門店でお昼を食べました。セットメニューのスープは何種類もある中から好きなものを選べる形式が楽しかった。私はトマトとエビのスープを。マカロニが入っていて美味しかったです(^_^)

ユキさんは非常に話術に優れた方で、私などは聞いているだけでもすごく楽しい。テンション上がりまくり。「宝くじが当たったら…」の話で、お互いの妄想を披露し合って笑い転げました(この話題は帰りの電車の中まで続いた)。いやー、可笑しかった!

おしゃべりの中で、「ノトさんて、黙ってるとクールに見えるのに、しゃべると意外と……」と、私の間抜けな正体が早速ユキさんに露見していて、よかった、これで安心して口を開けるというものです。へへへ、私は難しい顔をしているように見えても、実際は特に何も考えていないのですよ、うふふ。
で、私の方も調子に乗ってあれこれと話しつづけたところ、時々「ノトさんて、すっごくポジティブ!」みたいなことを言われるので、びっくりしました。あー、でも、私はここ数年は特に人と会っている時は自らのポジティブ成分の全てをその会話の中に発揮してしまうことがあるかもしれません。楽しければ、人は誰しもポジティブになるものです。私は人と会うのが楽しい。そして私が会いたいと思うのはその人自身楽しい人ばかりであり、そういう人と会って楽しくなっている私がポジティブなのは、至って当然の論理なのであります。ユキさん、みなさま、いつもありがとうございます!


*15:00 もう一軒のジュンク堂へ

わきゃわきゃと盛り上がっていたら、いつの間にか15時を回っていました。「あ、本屋へ行こう、本屋!」と言って、とりあえず(私は午前中にも徘徊していた→)近くのジュンク堂を目指します。ところがユキさんが「難波にはもう一軒ジュンク堂があるよ」とおっしゃるではないですか! その前にBICカメラの上階のユザワヤを一巡り。それからマルイのカルディで私はグリーンカレーのもとを買いに寄らせていただきました。

で、もう一軒のジュンク堂ですが、場所は地下鉄なんば駅の西側。そう遠くない場所にありました。というか、どうやらここが【難波店】らしい(吉本のところのお店はなんて言うのかしら…)。
ビルの地下1階と地上3階がジュンク堂【難波店】のスペースとなっていましたが、広い!! 特に地下1階はコミックコーナーで、もう! すごい量! 私は大興奮!! なにここ、すごい! 今度からはここへ来よう! あっ! さっきあっちのジュンク堂で無かった依田沙江美さんの『美しく燃える森』がある!(即買い) あっ! これまたどうしても見つからなかった『ウテナ(漫画版)』の3巻もある!!(即買い) と、ユキさんと共にフロアをぐるぐる巡りながら、内心私は大興奮でした。BLの充実度が半端ないですが、それ以外も凄いですね、漫画文庫がこんなに並んでいるのを初めて見た。そうか、そうか…この店は要チェックだぜ。。。

BLと言えば、私は先日の漫画合宿でいきなり耐性のないユキさんに水城せとなさんの傑作コミック『窮鼠』と『俎上の鯉』を読ませて(これは厳密にはBLではないのかもしれませんが)、ユキさんにトラウマを負わせてしまった鬼畜です。このジュンク堂【難波店】の膨大な漫画を前に、表紙にふたりの男の子が描かれていると「あっ、これも!?」「あっ、これもやろ??」と脅えなさるユキさんの後ろについて、「いや、それは普通の少女漫画です(^_^)」とか「あ、それはアレですね(/o\;)」「いえ、それはただのファンタジー系の漫画雑誌ですよ。大丈夫。大丈夫ですよ!(^o^;)」と解説してまわる私; よりによって突然あんなエロス的にも内容的にもハードなものを読ませてしまった私の罪は重かったなとあらためて反省(^_^;)…で、でも、あれ、面白いですよね?


それにしても、漫画、漫画、漫画。世の中にはこんなに漫画があるんですね、としみじみしました。そりゃ中にはものすごい傑作も生まれてくるというものですよ! 私は漫画についてまだまだ詳しくないので、地道に開拓していくつもりです。面白い漫画をもっと読みたいんだぜ!
見応えのあるジュンク堂【難波店】の漫画フロアはおすすめです。一周するだけでヘトヘトになりましたよ♪


上の階にも行ってみます。このフロアも広い! 見渡す限りの書棚です。ユキさんのお仕事関係の本を一緒に見て「やはり独りで立っている人は勉強熱心だよなー」といたく感心していたのですが、その合間にもユキさんが「ノトさんもこういうのやったらどう? こういうの、できると思うよ」とアドバイスしてくださるのが非常にありがたかったです。具体的なアドバイスというのがありがたいですよね。やってみようかしら、と思いますもの!(というわけで、今ちょっとやる気アリ)




*18:00 とんかつ

今日はもう何も買わないで帰るのかと意気消沈していたところから一転、私はユキさんに【難波店】を教えてもらったおかげで目当ての漫画を2冊も買うことができました。どうもありがとうございました!

来るときは地上の道を通ってきたので気がつきませんでしたが、ジュンク堂【難波店】は地下鉄のなんば駅と地下道で繋がっているらしい。さすが大阪。地下の発達がすごい。というわけで、地下道を通って駅方面へ。そのまま夕食もユキさんとご一緒することになり、私が「とんかつ! とんかつ!」と騒いだので、とんかつを食べに行くことに。「とんかつ」という平仮名で豚の姿を形成したロゴが可愛いKYKというお店に行きました。私はここでカツサンドを買ったことはありましたが、お店で食べるのは初めて!

 ←カツサンドを買った時の写真。ロゴが可愛い。

この夜は「季節の野菜なんとか」という数種類の野菜を肉で巻いて揚げてあるセットを頼みましたが、とても美味しかったです! 揚げ物、うめぇなぁ!

そしてここでもおしゃべりは続く。本当に色々なお話を伺いました。楽しかったです。もう無闇に楽しかったです。帰りは梅田まで地下鉄を同乗させていただいて、そこでもまだ爆笑しつつ、ユキさんとお別れしました。あー、面白かった! 躍るような心持ちで帰宅! さっそく漫画をループ読み! 満足!


というわけで、ユキさん、お疲れさまでした♪ 
どうもありがとうございました☆☆
また漫画巡りをしましょう~~!