半透明記録

もやもや日記

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『最後の審判の巨匠』

2007年06月30日 | 読書日記ードイツ
レオ・ペルッツ 垂野創一郎訳(晶文社ミステリ)

《あらすじ》
1909年のウィーン、著名な俳優オイゲン・ビショーフの家では友人たちが楽器をもって集まり、演奏に興じていた。歓談中、余興として次の舞台で演じる新しい役を披露するよう求められたビショーフは、役づくりと称して庭の四阿にこもった。しかしその後、突如鳴り響いた銃声に駆けつけた一同が目にしたのは、拳銃を握りしめ、床に倒れたビショーフの瀕死の姿だった。現場は密室状況にあり、自殺に間違いないと思われたが、客のひとり、技師ゾルグループは「これは殺人だ」と断言する。俳優の最期の言葉「最後の審判」とは何を意味するのか。ゾルグループが真犯人だという「怪物」の正体とは? 折しもウィーンの街では不可解な「自殺」事件が頻発していた……。
「重要な先駆」とバウチャーが賞揚、ボルヘスが惚れ込み、鮎川哲也や都筑道夫の言及でも知られる伝説的作品がついにヴェールを脱ぐ。


《この一文》
”もはや変更し得ない運命への反逆! しかしそれは―――より高い見地から見るならば―――すでての芸術の起源ではないだろうか。身に受けた恥辱や体面の失墜や踏み躙られた自尊心から、こういった深淵から、すべての永遠なる行為は生まれるのではないだろうか。思慮のない大衆は芸術作品を嵐のような喝采で迎えるかもしれない―――しかし編者にはそこに、創造者の破壊された魂を見る。  ”



普通に歩いているつもりで角をひょいと曲がったら、そこには巨大な滑り台が設置してあった。それはステンレスのようにつべつべぴかぴか丈夫で強固な下り坂で、「あ!」と思う間も、這い上がるすべもなく、終わりまで滑り落ちてゆくほかはない。
このペルッツという人の作品への感想は、こんな感じです。異常な疾走感と幻想性、巧みな構成と豊かな表現力。私の心拍数は上がりまくりです。


さて、『第三の魔弾』に引き続き、ペルッツの『最後の審判の巨匠』を読んでみました。タイトルが格好良い。250頁ほどの小説です(ただ行間が空き空きなので、それほどの分量ではないです)が、読みの遅い私でも一息に数時間で読みました。読まざるを得ませんでした。だって、なんという面白さだろう。

この作品は一応「ミステリ」に分類されているようですが、うーむ、ミステリか。まあ、ミステリかもしれませんが謎解きがメインであるようで全然そうでもなさそうな筋からしても、どちらかと言うと私が普段から好んで読む「幻想怪奇小説」の感触でした。でもって、たいそう面白かった。あー、面白い。

私の最近の傾向として、その作品に触れることで「それはつまりどうしたらよいのだろう」とか「これこれとは、いったいどうあるべきだろうか」「生きるとは」「人類であるとは」というような突っ込んだ問題に直面させられるのを面白いと感じているのですが、ペルッツの面白さはそういうものではないようです。では、瞬間的な娯楽であるかと言えば、その要素はいくらかはありますが、それだけでは決してない。何について引っかかっているのか分からないまま、いつまでもしかし引きずってしまう。…なんだろう、この感じは。
確実に言えることは、とにかく面白い!ということですね。


ところで、この本は、訳者による「あとがき」も全く堅苦しくなくユーモラスに面白く、それでいて実のあることが書かれているので、私は普段の読書ではあまりお目にかかれないこの「つくり」に感心しました。「晶文社ミステリ」として出ているからでしょうかね。評論臭くないところに好感です。

エレンディラ

2007年06月29日 | もやもや日記
ガルシア=マルケスの『エレンディラ』が、蜷川幸雄さんの演出で舞台化されるそうです。うーむ。ちょっと観たい。大阪では9月に公演か。うーむ。チケットを買うべきだろうか(買うべきだろうな)。

あの幻想世界を舞台で演るってのは、どういうことになるのだか興味あります。だいぶ前にBS2で放送された、同じくマルケスの短篇「聖女」(『十二の遍歴の物語』所収)を映画化した『ローマの奇跡』というのを観たことがありますが、あれはかなり良かったです。私はこの原作も味わい深いので相当に好きなのですが、映画ではそれよりもさらに一歩突っ込んだ結末に至っており、ひじょうに感動的でした。お父さんがステンドグラスを背にして振り返るシーンが、あまりに美しいのです。


そのことを思い出すにつけても、この舞台のことはやっぱり気になるなあ。



公式ホームページ → http://hpot.jp/erendira/



不夜城サンショウウオ

2007年06月28日 | もやもや日記
ぼそぼそ。
ひそひそ。
ざわざわ。
夜の真ん中。
闇に沈みきっていた我等を掬いだすものがいる。

生温い手が、冷たく平たい体を締め上げる。
我等は小さな瞳にお前の姿を刻印した。
満足げなその微笑を忘れることはないだろう。
これは予感でもある。
暗い我等の復讐に、お前の大きな瞳はみひらかれ。
光は、縮小し、消える。
濡れた4本指のこの手でお前のまぶたを閉じてやろう。
冷たい感触に、お前のさいごの微笑。

そしてふたたび予感が来るのだ。
無数のお前たちは笑いながら果てしなく我等を掬いだす。
そのたびに復讐を遂げる我等も、ついには知るだろう。
お前たちの本当にのぞんだのが何であったかを。

さわさわ。
ぴしぴし。
ちろちろ。
冷たい我等のうえを温い欲望が流れていった。
夜明けまで。

*******************************


というわけで、「オオサンショウウオ捕獲大作戦」動画をYouTubeで発見したので、お知らせです。


http://www.youtube.com/watch?v=W4evQGaK_Sk&feature=dir
(画像をクリックで「飛びません」。スミマセン。コピペでどうぞ)

いいなあ。オオサンショウウオ。こんなのが日本に棲息しているなんて、すごく神秘。ときめき★

え?
上の幻想ハードボイルド風ポエムはオマケですよ。
支離滅裂、分裂万歳。


使いまわし劇場

2007年06月27日 | もやもや日記
ちょっと切ない……のか?



暑い。
大阪は、きっと今日も真夏日でした。蒸し暑い~。
これから地獄の3か月を耐え抜かなくてはなりません。

せめてもの気休めに、ちょっと涼しそうな絵を描いてみました。
お気付きの通り、ブログトップで使用している絵を少し加工しただけです。
エネルギーの節約。

海だと思ったら実は水槽の中だった、しかも泳いでいるアステリスクをモデュラスがガラスにへばりついて見ているという、なんだかもの悲しい感じもしますが、モデュラスは意外と「イワシ食いたい」と思っているだけかもしれません。

はたから見えるより、当人はたいしたことを考えていない。というようなことは、しばしばありますね。



ダイハードを観た

2007年06月25日 | もやもや日記

昨日は、テレビで「ダイハード」をやっていたので、つい観ました。
相変わらず面白かったです。

私が最初にこの映画をみたのは、小学生のころだったでしょうか。劇場で観終わったとき、「これは10年に1本あるかないかの傑作アクションだな」と思ったものです。なんて生意気な子供! そう言う自分はまだ12歳くらい。そんなお子さまに批評されたのでは、ブルース・ウィリスさんもかなわんですね。ちなみに当時の私はブルース・ウィリスのファンでした。テレビドラマの『こちらブルームーン探偵社』が大好きだったので。なつかしー!
昨日の「ダイハード」では、ブルースさんの髪がまだふさふさだったので、びっくり。そこは記憶とちょっと違ってましたが、物語はやはりすっごくよく出来ていて、やっぱ今観ても傑作だぜ、と感心しました。アルの上司の副本部長(?)だかのキャラクターが最高に面白かったです。敵のボス役は、「ギャラクシー・クエスト」(私の大好きなSF映画。超面白い)でトカゲヘッドの名にかけるドクター・ラザラス役のアラン・リックマンでした。あー、ダイハードに出てたのか!

とにかく面白かった。うーむ。4.0も観たくなっちゃうじゃないか。


ところで私が小さかったころ、我が家では月2回くらいのペースで、土曜日の深夜にオールナイト上映の映画(当時は2本立て)を観にいく習慣がありました。ごく幼かったころから連れられていった記憶があるので、「007シリーズ」や「カナディアン・エクスプレス」、「インディ・ジョーンズ」に、マイナーなところでは「トレマーズ」、単独だったら連れていってもらえなかったかもしれない「スタートレック4 故郷への長い道」(超傑作)、さらには大人向けのややセクシャルな映画まで(同時上映ものに多かった気がする)、訳も分からず観ていたものです。「ラスト・エンペラー」も観たな。これも確か小6くらいの時だった。子供過ぎて内容はよく分からなかったけど、なんか凄いのは分かりました。今にして思うと、これを子供連れで観にいく親も凄いです。

だいたいいつも夜8時くらいから上映開始で、2本立てなので、終わると12時くらい。子供をそんな時間まで連れまわすなんて、なんて親! でも、おかげで私は映画好きの子供になりました。その点に関しては感謝しています(あえて限定することもないけど…)。

王道の娯楽作ばかりを観て育った私ですが、今はマイナー路線をまっしぐらです。ウェス・アンダーソン(つーか、なんでこの人がマイナーなのか…)のなんか新しいのがDVDで出てるみたいなので、観たい。とりあえずは「ロイヤル・テネンバウムス」を見直そうかな。せっかく買ったし。
K氏が買った「アリゾナ・ドリーム」も観たいなー。クストリッツァは「パパは出張中!」も「ライフ イズ ミラクル」もDVDはあるけど、まだ観てないし。
「未来世紀ブラジル」も見返したいし、ソクーロフの「太陽」も観てみたい。「V フォー・ヴェンデッタ」とか、「トゥモロー・ワールド」だかいう映画も面白そうだし、古いところでは「渚にて」が気になる(破滅的な映画ばかりを観たがる私の心理も気になる…)。

というわけで、観たい映画がたくさんあることを思い出してしまいました。


さらば、低気圧!

2007年06月23日 | もやもや日記
青い空



昨日は地獄のように湿っていました。
地獄のようだったので、私はまともでいられる訳もなく、
激しい頭痛と耳の痛みに悩まされ、それだけならまだしも、むしゃくしゃして
仕事で使っているA1サイズの紙を「びりびりびり~」と破ってしまいそうな
勢いだったので、クビになる前に午後休をとりました。
危なかったぜ………!
なんだか今月はまともに働いてないような気もしますが、仕方ない。
だって梅雨なんですもの。
私は低気圧とはなかなか分かりあえないのです。


さて、今日はうってかわって、御覧の通りの晴天です。
すがすがしい~!
風もからりとしていて心地よいです。
がんばるぞ! オー!


天候ひとつでこんなにも左右される私。
ネガティブに考えれば、だらしがない。
ポジティブに考えれば、感受性が豊か。

よし、ポジティブな方に一票。
こんな青い空を見ながらネガティブでいることなんて、無理というものですよ。

『第三の魔弾』

2007年06月20日 | 読書日記ードイツ
レオ・ペルッツ 前川道介訳 (世界幻想文学大系37 国書刊行会)


《あらすじ》
新世界制覇の野望に燃えるコルテス。
この国家権力そのもののような男をたおすべく
悪魔と契約して手に入れた三発の銃弾は、
次々に意外な結果を生んでゆく。―――

世紀末ウィーン話題の長篇。


《この一文》
”「神の呪いを受けるがいい。それはお前に苛立ちと惨苦をもたらすだろう。一発目がお前の異教の国王に命中するように、二発目が地獄の女に、そして三発目が――」
(中略)
吊るされた男の喉から笛を吹くような、窒息しかかった呻き声が、
 「それから、第―――三発目は―――お前―――自身に」と言ったのだった。 ”



痛い!
突き刺さるようなクライマックス。こんなに痛いのは物語が怒濤のごとく展開したためでしょう。特に後半の疾走感は異常です。あまりの動悸の激しさに、本を持つ手が震えたではないですか。
それにしても、こんなにザックリくるとは思いませんでした。まだ痛い。


さて、衝動買いしたレオ・ペルッツの『第三の魔弾』を読みました。
感想を一言で申しますならば、

 たいへんに面白かった!!
 そして、悪魔よりも恐ろしいのもの、それは人間かもしれぬ!

ということでしょうか(一言じゃない…)。とにかく勢いがあります。そして幻想的。さらには間が抜けているようでいて、どこまでも残虐で、恐怖に満ち、破滅的でした。この作者のことは名前さえ知りませんでしたが、まったくもって、私好みではないですか! やったー、大当たりです。


かつては《暴れ伯》と呼ばれ権勢を誇っていたグリムバッハは、母国ドイツを追われる。難破した彼は新大陸のインディオの王に助けられ、畑を耕やすのどかな生活を送っていたが―――そこへスペイン兵が新大陸制覇を掲げて乗り込んでくる。その一団を率いるのは、スペイン国王に忠誠を誓うコルテス。そして、グリムバッハの異母兄弟でもある美貌のメンドーサ公の姿もあった。
グリムバッハは、新大陸を救うため、また仲間の敵を討つために悪魔と契約を交わし三発の弾丸を手に入れる。


物語は、緊密によく練り上げられた構成を持ち、またそこへ無数の伏線が張り巡らされています。伏線はどれも、「あー、これはきっとこうなるな」と予想がつくのですが、予想できても面白いです。むしろ、その通りに展開して(その展開のしかたが圧倒的スピード感でもって)ゆくのが、気持ちがいいです。辻褄が合わされていくのですっきりします。
それでいて、もっとも肝心な予想は、当たらなかった!! というところが最高でした。おかげで非常に痛かったです。まさかそうなるとは。

というわけで、あー、面白かった。
私は特に、悪魔の登場シーンが気に入りました。
なんて間が抜けているんでしょう。最高に面白かったです。



こんな人が、今ではすっかり忘れ去られた作家となっている(戦争があったり、ユダヤ人であったり、さまざまな事情のもとで不当にしかしさっぱりと忘れられていったそうです)というのは、まったくもってやり切れない話ですね。
しかし私は、この人の他の作品も読んでみようと思います。とりあえず『最後の審判の巨匠』は、近所の図書館に置いてあるのをチェック済みですが、『悪魔(アンチ・クリスト)の誕生』とか『レオナルドのユダ』なども読んでみたいです(邦訳があるのかどうか分かりませんが)。
これ以上忘れられてしまうことがありませんように。

せり出しています

2007年06月19日 | もやもや日記




”私の買い度(た)いと思う、欲しい物は沢山あるに違いないが、しかし急に今考えてみると、なんにもない様な気もする。無慾恬淡になったわけではなく、欲しくて堪らない物が、何一つ思う通りに買えた試しがないので、長い間かかって、片っ端から、一先ずみんな諦めた為である。いよいよ買えると云う事になれば、到底納まりのつかぬ程無数の買いたい物が、一どきにせり出して来るだろう。
      ―――内田百間「蘭虫」より  ”


百間先生のこのお言葉が、いま身にしみてよく分かります。

貯金を切り崩して明日をも知れぬ日々を送っていたころは、欲しいものなんてそんなにないや!などと言っていましたが、あれは強がりだったのでしょうか。
最近、ごく微少とは言え収入を得られる身分となってみると、欲しいものが次から次へとせり出してきました。せり出しているんです。ほんとうに納まりがつなぬ程なんですねえ。

今月は古書1万円分を皮切りに、DVDやらなにやら、思い付く限りのものを買ってしまっています。働く以前より貧乏が加速しそうで恐ろしい。
特にDVDを大量に買ってしまいそうな予感がびしびしとします。既に「アードマンコレクション」と「ハウルの動く城」を買いました。これからさらに「時をかける少女」と「銀河鉄道の夜(ますむら版)」も購入予定。あ、「ノルシュテイン作品集」もだった。

まあ、これらは必要なものばかりなので幾ら注ぎ込もうとも惜しくもなんともありませんが、たいして必要でもないだろうというものまで欲しくなるのでたまりません。


↑ネコのポットが欲しいよう…と言ってずいぶん長いこと悩んでいるのですが、先日さらに私を悩ませるようなブツを発見してしまいました。

コレです。
ペンギンのポット

どわあー!
どうしてくれようか!


はあ、ますます悩みが深まります。
お金は使わないとまわってこないらしいんですよ…。
あー、でもできれば正しく使いたいものです。
もんもん。

mixiに入れなかった!

2007年06月17日 | もやもや日記
お友達に誘われて、私もとうとうmixiに入ってみようかと思い、登録してみました。

ところが!
携帯番号の入力が必須なので、携帯を持たない私はおもむろにPHS(今時ピッチかよ…とおっしゃらぬよう…)のメールアドレスを入力。さっそくmixiの方から登録メールが返ってきたので、アクセスしようとしたところ……

「 この画面は 携帯専用です 」!


ええッ!? そんな!

調べたら、ウィルコムのPHSでもmixiのサービスに対応している機種もあるそうですが、私のは古すぎて圏外。そう言えば、私の機種からは、そもそもネットに繋がらないし(最初から気付くべきですね)。やっぱ買ってからもう5、6年も経つと(もっとかも; 修理してまで使ってます)、世の中に全く追い付いていかないですねー。

それにしても、なんてこったー、まさかここでもこんな差別にあうとは!
世の中は携帯仕様に発展しすぎです。うえーん。恨。恨。


そんなわけで、登録を完了することができませんでした。
無念だ……。




以上、烏合さんへの私信です。
ごらんくださったかしら……。
連絡先が分からず、こんなところでご報告です。

久しぶりに烏合さんのとこへ遊びに行きたかったのに、こんな私をお許しくださいませね。
新機種に変更する予定はあるので、ご招待の期限が切れる前に再度チャレンジいたしますよ! いましばらくお待ちを!

シラトス現象

2007年06月16日 | もやもや日記
【シトラス】を【シラトス】と言う人がいます。
(つまり、はっきり誰と断定すると、K氏ですが)
(彼はここを見ていないのでバラしても平気さ。多分)

何度注意しても直らないのが面白いので、たまに正しく「シトラス」と言ったときも、「ぷ。 シラトスだよ」と騙します。これがまた面白いほどに騙されるんですねー。素直な人って好きですよ。

このように、文字の順序が曖昧になることを「シラトス現象」と私は名付けました。私の造語です。ここ数年間、愛用しています。許可なく使用してくださって結構ですよ。


さて、「シラトス現象」は意外とあちこちで見受けられます。

【贖う】。これをどうしても【あながう】と読んだりとか。そしてついでに【抗う】の読みまでも【あながう】と読んでしまったりとか(これはもう厳密には「シラトス現象」とも言えませんが)。面白い。
【あながう】という単語があるのかどうなのか、気になる。


そうやって人のことを笑っている私ですが、実はあまりそんな場合でもない状態がここしばらく続いています。恐ろしいですが、思いきって告白。


【カボチャ】と【ジャガイモ】を区別できない……のです。
ああ、言ってしまった…!


ジャガイモを見て「カボチャは…」とか、カボチャを指して「ジャガイモを…」とか言ってしまいます。完全に視覚情報と文字情報が混線しています。気をつけていても、これがどうにも直らない。恐ろしい!
間違いにハッと気が付くたびに「私はこんないい加減な人間だっただろうか……?(だったかもしれない)」と思って、憂鬱です。そのうち「右」と「左」の区別も付かなくなるぞ(それは、うちの父。遺伝? 恐!)。
記憶はきちんと整理されなければなりません。


そう言えば、レムの『ピルクス』シリーズを読んだとき、私は平然としかも最後まで【ピクルス】(酢漬け)と読んでいたっけ……今、思い出した。まだあった「シラトス現象」。まさかこの身にまで及んでいたとは。不覚。
ほんとにK氏のことを笑ってる場合じゃない。


「私はこんなに注意力のない人間だっただろうか……?(だったかもな)」
ああ……!