半透明記録

もやもや日記

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1歳5ヶ月(3)

2014年07月31日 | もやもや日記

すっかり夏!





あつい、あつすぎる。月曜日が少し過ごしやすかったのみで、今週もやはり暑いです。気張っていこう、おー!

暑くても、息子が外へ出たいと言う限りは散歩へ連れて行っています。どういうわけか昼の暑いさなかに出たがるので困ります。それなのに、外へ出てしばらく歩行を促すと、やっぱり暑いのかすぐに「だー、だー!(抱っこしろ)」と要求してくるのでした…ひどいときには50メートルも歩きやしない…。仕方がないので私が息子を抱っこして、炎天下を汗だくになってハーハー言いながら歩き回っています。すぐに帰宅しようとすると怒るので、ひとしきりその辺を歩く。し、死ぬ…!

でも今日は久しぶりに結構歩いてくれました。

 ベビーカーを押して歩く。

あんまり暑い時には室内に冷房をかけていますが、冷房に弱い私は28、9度に設定しているにもかかわらず、やや冷房病気味。胃腸の具合が微妙。うっ…これだから夏は苦手だ。あー、はやく秋にならないかな。



しかし秋の前に夏を楽しまねばなりません。先日私の実家の両親が果物や野菜をたくさん送ってくれたので、今週はフルーツ&野菜パラダイスです。

自家製の桃と小玉スイカ。
 父の育てた桃。

 母の植えた小玉スイカ。

息子は果物に目がないので、「もももっ!」と喜んでガツガツ食べました。ご飯をあまり食べない時にも「桃たべる?」と聞くと走り寄ってくる。





 最後は汁まで飲む勢い。

毎日たくさんの果物と野菜を食べています。おかげでそれほどバテてはいません。ご飯がおいしい。



【その他の最近の出来事】

*「いただきます」と「ごちそうさま」ができるようになった。
 食事の前と後に私が「いただきます」「ごちそうさま」と声をかけると、手を合わせるように^^かわいい。


*最近の遊びは、相変わらずの「モップがけ」と、「ワゴンをコロコロ」。







 あっちへ行ったりこっちへ来たりしています。その他には、絵本やぬいぐるみなどをA地点からB地点へ移動させるのを、ひたすら繰り返したりとか。


*「バウンサー」の復活。


 静かにしているな、と思ったら自分からバウンサーに乗ってゆらゆらしたりすることも。1歳前後の頃には乗るのを嫌がっていたのでそのままお蔵入りになるかと思われましたが、再び活用できて嬉しいです。


*「おんぶ」を要求してくる。
 私が座ってぼんやりしていると、背中によじ登って来ておんぶしろと言ってきます。抱っこやおんぶの時に、ちゃんと私の肩や首にしがみつくようになったので、紐などがなくても持ち上げやすくなってきましたね。



また、言葉はまだ出ないながらも意思の疎通ができるようになるにつれて、息子の可愛さが日に日にうなぎのぼりです。かわいいよう。気がつくとトコトコと歩いて隣の部屋までひとりで歩いて行って遊んでいたりする息子。私の横を素通りしたりするのが新鮮です。生まれてからずっと、文字通り片時も目も手も離せなかったことを思うと、感慨深いものがありますね。息子は今でも私にべったりではありますが、こうやって少しずつ自立への道を歩んでいるんだなあ。少しずつ離れて行くことが喜びとなり可愛さを生み出すという、親子関係の不思議。ちょっとずつ離れようとしながらしがみついてくるのが、今は可愛い。いつかはどこへでも好きなところへお行き!














1歳5ヶ月(2)

2014年07月24日 | もやもや日記







あついー。朝は涼しかったのに、昼から異常な暑さ。K氏は体調不良で欠勤、息子もだるいのか眠たそう。夜になるとだいぶ暑さも落ち着いてきましたが、念のため、今晩はエアコンのある部屋へ移動して寝ることにしました。寝室には扇風機しかないので…。というわけで、いつもと違う部屋に布団を敷いたら、息子はお泊まり気分なのかちょっとはしゃいでいました。かーわいーいーー。ま。最後はいつも通り眠いのに寝たくなくてキレてましたけど…(でも寝た。他愛ないのう^^;)


さて、息子の二足歩行も順調に進歩しています。しゃがんだ状態から自分で立ち上がることもできるようになりました。さらに、家中にたくさんある段差も柱に掴まったりして自分で上り下りできるように。すごい、すごいよ!

歩けるようになる前は膝をついてゴシゴシしていたモップも--


今ではすっくと立ってゴシゴシしています!


最近はこのお掃除モップがお気に入りで、よく持ち歩いてゴシゴシやってます。遊びながらお掃除してくれるので助かるわー(もちろんきっちりモップをかけてくれるわけではないので、後で私が拭き直すんですけどね;)。

また、このモップがあるとバランスが取れるのか、私と手を繋がなくても家中を立って歩くことができるみたいです。両手でモップを胸の前に握って、あちらからこちらへと行進しています。かーわいーい! それにしても、やっぱり一人で歩けたんだな…自信がなくていつまでも私の手を離さなかったのですが、とにかく何か握ってさえいれば歩けることが判明。もうちょっとすれば何も持たなくても自由に歩き回れるようになりそうですね^^



【最近のその他の出来事】

*歯を磨いても怒らなくなった。
 これまでは私が息子の口を無理矢理開けて歯ブラシでシャカシャカしようとすると「自分でやる!」と言いたげにブラシを奪い取り、憎々しげに自分でブラシを口に入れて噛みまくっていたのですが、このところはようやくおとなしく磨かせてくれるようになりました。よかった…どうしようかと悩んで色々な方法を試したりしていたのですが、やっと息子もブラッシングの心地よさを理解してくれたか;


*おしゃぶり依存症がなおらない。
 一時は卒業できそうになっていたおしゃぶりも、なんだかんだで未だに卒業できない。2歳までにはなんとしても終わらせたいところだが、なにか不安でもあるのか、日中でも時々おしゃぶりが見当たらないとキレることがあります。ちょっとずつ遠ざかれるようにがんばろう。


*昼間の行水を楽しめるように。
 汗がすごいので、夜のお風呂とは別に日中も1、2回ほどシャワーを浴びせています。最初は微妙に嫌がっていましたが、最近は「ジャージャーしてくる?」と訊くと自分から風呂場へ入ろうとしたりもします。かーわいーい!


*動作が荒いのは変わらず。
 だいぶ意思の疎通が出来るようになってきて、物を乱暴に取り扱ったりした時に注意すると聞いてくれることも増えましたが、基本的には乱暴者のままです。とりあえず投げる、叩く。
 お盆は静岡へ帰省することになりましたが、おじいちゃんおばあちゃん相手にも人見知りすること必至の息子は、向こうでもまた暴れそうで不安…。5月に帰った時も散々だったし(あの時は体調不良のせいもあったけど)、今回も苦労しそうですね。いや、でも、だいぶお利口さんになってきたしな……(一縷の望み)。



明日も暑いらしいです。でも、奈良は大阪に比べるとやはり朝晩がだいぶ過ごしやすいですね。風がピューピューと吹き抜けていったりして、明け方はかなり涼しいこともあります。あとは近くに水遊びできる場所さえあればなあ。ともあれ、引き続き熱中症には注意したいと思います!









『たんぽぽ娘』

2014年07月21日 | 読書日記ーSF

ロバート・F・ヤング 伊藤典夫編(河出書房新社)



《収録作品》
 *特別急行がおくれた日
 *河を下る旅
 *エミリーと不滅の詩人たち
 *神風
 *たんぽぽ娘
 *荒寥の地より
 *主従問題
 *第一次火星ミッション
 *失われし時のかたみ
 *最後の地球人、愛を求めて彷徨す
 *11世紀エネルギー補給ステーションのロマンス
 *スターファインダー
 *ジャンヌの弓


《この一文》
“ 妙だな、こんなにも平静に死を受け入れられるとは--ふとそんなことに気づいた。ことによるとそれは、自分がついに一度もほんとうに生きたことがなかったからなのかもしれない。”
  「失われし時のかたみ」より




今年の2月に読んだ本の感想を7月に書く…。正直言って、どんなお話だったか覚えていないものもいくつかあります。あらすじを覚えている面白かったという記憶が残る作品についても、どこがどのように面白かったのか、最初の印象はすでにことごとく消え失せてしまっています。こういう状態で感想を書く意味があるのか? ふむ、あまり意味はないでしょうね。でも、せっかくだから書いておきます。2月に読んで以来、「感想を書かなくては」という思いはずっと消えはしなかったのですから。

ロバート・F・ヤングの作品は、これ以前にもいくつかのアンソロジーで読んだことがありました。それが面白かったので、この人の代表作で、有名な『たんぽぽ娘』も読んでみようと思ったのです。この本に収録された作品の雰囲気は様々で、ある場所で出会った男女のシリアスなドラマ「河を下る旅」、「たんぽぽ娘」のようにロマンチックなものもあれば、郷愁のようなものがわきおこる「第一次火星ミッション」、「スターファインダー」のように実験的というのか理解が難しいものもあります。一貫している印象としては、描写がとても鮮やかで、特に色彩が非常に美しいということでしょうか。「たんぽぽ娘」に登場する少女の着ているワンピースの色や素材感「海の泡と綿菓子と雪を混ぜて織りなしたような布」という表現は実に印象的です。

「主従問題」も洒落ていてユーモラスで気に入りましたが、やはり「たんぽぽ娘」は有名作だけあってとりわけ面白かったです。私はこの人の「時があたらしかったころ」(創元SF文庫『時の娘 ロマンティック時間SF傑作選』所収)という作品を先に別のアンソロジーで読んでいたのですが、どうやらこの人のロマンチックSF作品にはひとつの傾向がありますね。素敵な女の子との時空を超えたロマンス。ネタバレになるので詳しくは書きませんが、主人公と女の子が出会って恋が成就するまでのいきさつの意外性とスピード感が、この人の作品の魅力なのでしょうか。まあ、なんていうか、夢もしくは妄想みたいな展開です。こんな素敵な展開があったらいいなあ! という展開です。そんな都合のいい話があるかよ! って、いいんです、それだからいいんです! あー、私もこんな女の子と恋愛がしたいわ!!

上に引用したのは「失われし時のかたみ」からの一文。「たんぽぽ娘」などに見られるほんわかした雰囲気は影を潜め、ある種の人々の人生に対する態度を皮肉を込めて描いているように感じられました。「河を下る旅」も、結末はまったく違いますが、人生をもっとほんとうに生きるべきだというメッセージを含んでいたのではないかと記憶しています(おぼろげ)。こういうシリアスな作品もなかなかいいですね。

でも、やっぱりロマンチックな作品が読みたい私は、次は「時があたらしかったころ」の長編版が創元SF文庫から出ているそうなので、そっちを読んでみたいと思います!(で、無事に読むことが出来たら、次はそのままの勢いですぐに感想を書いてしまいたい…)








少しずつのさよなら

2014年07月19日 | もやもや日記





少しずつ、しかし確実に別れのその時に向かって突き進んでいるのだということを思いながら日々を過ごすのは、なかなか胸が痛むものです。たいていはそのことを忘れて過ごすことができますが、ふとした瞬間にグッと迫ってくる。毎日少しずつさよならを意識する。今はまだかろうじて私と繋がっているけれども、いずれ確実に別れることになるだろう。悲しい。まだその時に至っていないのに、ふとした瞬間がちょうど訪れて、私はすでにこの世の終わりのように落ち込んでいます。

  ヴァルモーデンが家を出る用意にとりかかったとき、今回の別れは
 かなり大きな意味をもつものだというような気がしてならなかった。
 ことわるまでもなく、愛する人や物に対する人間の感情はたえずそれ
 らを失うのではないかという恐れと一緒になっている。だから本当の
 ことを言えば、我々は恋人や故郷からたえずすこしずつ別れを告げて
 いるわけでーーその結果、本当の別離の瞬間がきても、それまですこ
 しずつの別離をうんと積み重ねているために、結局、かえって気が楽
 になったように感じるものだ。
       ホレーニア『白羊宮の火星』より



少しずつ別れるよりも、いっそ一息に別れてしまった方がすっとすることも確かにあります。そう言えば私は親知らずを全部抜いた時も卵巣を片方取ってしまった時も、済んでしまえばさほど落ち込みはしなかったっけ。いっそひと思いにさよならを告げた方が良いんだろうか? いや、今度のことではそういうわけにもいかないからな。

歯です。奥歯が沁みるので歯医者に行ったら、削られて詰め物をされました。ここ10年以上は定期的に検診に通って常に問題なしで通して来た私ですが、出産を境に転げ落ちるように歯のトラブルに巻き込まれています。悪阻が激しくて嘔吐を繰り返して歯の表面がところどころ酸で溶けていたのと、全体的に歯が脆くもなっていて、何本かは表面から少しずつ剥がれ落ちてゆく。そこそこ気を遣って手入れはしていますがなかなか改善しません。気が重い。

そもそも奈良で新しい歯科医を探すのも滅入る作業で、勇気を奮って予約したところはまずまずの雰囲気でしたが、初回でいきなり削られて詰められたのは衝撃でした。座って15分で削られて、削られた箇所を鏡で見せられた時の私の受けたショックと言ったらもう。いや、「治してください」とお願いした以上はどうなってもしかたがないし、まあいずれそうなるだろうことは以前のかかりつけ歯科医からも予告されてはいたんですけどね。実際にそうなってみるとやっぱり落ち込む訳でして…。

歯はいったん削り出すと、そこからはもうさらに削られる一方ですから。詰め物は永久でも完璧でもなく、数年で劣化して脱落したり、酷い時にはそこから別のトラブルを引き起こしたりもしますし。こういうことをつらつらと考えるにつけ、私の心は底なし沼に引きずり込まれて行くのでした。


歯を削ったくらいで大げさな。ええ、そうですよね。分かってはいるのです。人間は歯を削ったり失ったりしたくらいではへこたれないってことを。人間の魂はもっとずっと偉大だということを。でも…実は治療はまだ終わってなくて、あと数本削られて詰め直される予定の歯が控えているんですよ。また行かなきゃならない。憂鬱だ…もうだめだ、終わりだ。こんなにあちこち削られたら、この歯どもはあと何年私の口の中に腰を据えていられることだろう? 私に出来ることといったら、今となっては出来るだけその終わりを引き延ばすことだけだ。なんだかんだで私は長生きしてしまいそうな気がしているのに、なんてこった。人間は偉大かもしれないが、私はそのレベルにはいない。とめどなく落ち込むだけですよ。

大体どうして人間は大人になるともう歯が生えかわらないのだろう? おかしいじゃないか。こんなに大事な器官なのに傷ついたらそれっきりだなんて、あんまりだ! もう21世紀なんだからそろそろ歯の世界も再生医療の技術が進んでいるべきじゃないだろうか? 現段階はどのくらいにいるんだ? 早く自前の新しい歯を口の中で培養しようぜ! そんな夢の技術が今世紀末くらいには実現するかしら? それじゃ私にはちょっと遅すぎるんだけど、でもいずれそんな世の中が来るといいのにな……


そんなわけで、私はいまメチャクチャに落ち込んでいます。詰め物が取れた、沁みる、ちょっと削られたといっては毎度大騒ぎをする私です。この心の弱さには我ながらびっくりです。今回も治療のおかげで沁みなくはなったけど、そのためにずっとさよならに近づいた。歯だけでなくって、その他のものたちとも。さよならを意識し続けながら、でもきっとその時が来たら、「さよなら」と言う間も伝わる間もなく、唐突に永久に別れることになるだろう。それならば、まだ繋がっている今のうちから毎日少しずつ「さよなら」と言っておくべきかしら。さよなら、削られた私の歯(の一部分)、さよなら、いつかはもう出会えないかもしれないものたちよ。








『深海のリトルクライ』

2014年07月18日 | 音楽


【sasakure.UK- 深海のリトルクライ feat.土岐麻子】






ガガガガガ、なんだこの素敵な曲は!!
というわけで上に貼ったのは youtube ですが、私は目下ニコニコ動画にてこれを無限ループ中、2晩目。30回くらいループしたところで歌詞とメロディは頭に入りました。今はたぶん5、60回目あたり。完全脳内再生できるところまで行くつもり。素敵過ぎて久しぶりに震えが止まらない…!


昨夜はあんまり暑くて午前3時に目が覚めてしまい、眠くてむしゃくしゃして、久々にニコ動なんか行ってみたら【sasakure.UK】さん(私の好きなボカロ作曲者。『カムパネルラ』『ぼくらの16bit戦争』は傑作。正直天才だと思っている)のここ数年の作品が多忙のあまりノーチェックのままだと気づいて確認してみたら、とんでもないことになってしまいました。

いきなり遭遇、『深海のリトルクライ』。人魚姫を題材にした美しすぎる一曲。もう何もかもロマンチックかつお洒落過ぎて気絶すっかと思ったぜ。


sasakureさんと言うとVOCALOIDを用いた曲しか聴いたことのなかった私ですが、この『深海のリトルクライ』は土岐麻子さんという歌手の方が歌っておられます。土岐さんの歌声がまたとてもいい。そしてやっぱりsasakureさんのめくるめくような言葉とメロディ。ハマった。ハマってしまった。こんな暑さいっそ泡にでもなってしまえ、しまえ!


そして朝の5時。イヤホン装着し爆音でループする私のすぐ後ろに、やっぱり暑くて目が覚めたらしいK氏が黙って立っていました、ビビるわ…# さらに寝室から両親が消えたことに気づいたのか、あるいは単に暑くて寝苦しかったのか、息子まで目をしょぼつかせたまま廊下をペタペタと私の部屋まで這ってきました…夜明けの微妙な集会。それで私も諦めて寝ることに。



 幸せそうな夢よ、消えないで!

ほら、美しい夢の続きを見られるんじゃないかと思う。海よりも深いところで溺れるみたいに。








1歳5ヶ月(1)

2014年07月16日 | もやもや日記

7月8日の夜。

なかなか踏ん切りがつかない様子で
家の中でもずっと父母の手を繋がずには歩かなかった息子が
突如としてひとりで歩き始めた。

歩き出すと勢いづいて、部屋中をぐるぐるぐるぐる
キャッキャと笑いながら何周もするのであった。







7月7日で1歳と5ヶ月になりました。そういやこの日は七夕だったんだな。全然気づくことなくうっかりと過ごしてしまいましたが、翌8日になると息子はトコトコと、ようやく本格的に歩行を始めました。重い頭をフラフラと揺らしてバランスを取りながら、よちよちと歩いています。ペンギンみたいでくそ可愛い…!! あああ、可愛い。息子の方でも父母をよく慕ってくれて、それはそれでいいのですが、4月の末から始まった人見知りは目下ますます悪化の一途を辿っているようです。知らない人から話しかけられると怒って泣き出す息子…どうしてこうなった。そのうち治るんでしょうかね?


さて、いよいよ自分で好きなように歩けるようになって、ますます目が離せない息子の成長ぶりですが、「成長する」というのは意外にも一進一退しながら進むことだと分かりました。ひとつ出来るようになると、別のことが出来なくなったりすることもある。ふしぎ。

最近出来るようになったことは、まずはやはり「歩くこと」。ひとりで歩けるようになったはずが、日中は寂しいのか、ひたすら私と手を繋ぎながら家中をぐるぐる、外へ出かけても手を繋いでよちよち、歩く練習に余念がありません。夕食後がもっとも調子が良くて、帰宅したK氏を交えて丸いテーブルの周りをトットコ歩いています。



つきまとう息子から逃げる私、それを追う息子、さらにそれを追うK氏。
と、家族全員でバターになるまでグルグルまわっています。かくれんぼと追いかけっこが大好きな息子は、テンションMAXでキャーキャー喜んでいます。激しい団欒。


もうひとつ出来るようになったのは、「椅子にお座り」。食事時、特におやつの時間には、自分から食事用の椅子に座るようになりました。



なぜか正座。私も「とりあえず正座派」なのですが、息子も同じのようです。椅子の上でも床の上でも、座る時はとりあえず正座をしています。ご飯の時は、途中で椅子からおりて私の膝の上に乗ってきますが、ひとまず「座って食事」が出来るようになりつつあるので一安心です。


もうひとつは、「本の熟読」。これまでは絵本をパラパラとめくっているだけか、興味のある乗り物のページしか見ていませんでしたが、最近はその他のページにも関心がわいてきたようです。ひとつずつ絵を指差して私を見上げてくるので、ひとつずつ読み上げてやります。今までも読んでやっていて、ニワトリやバナナなどいくつかは認識していましたが、見開きページに描かれた全部のアイテムをランダムに指差すようになったのはここ1週間ほどくらいです。



息子の気が済むまで一日に何度もこの作業を繰り返す。ものの名前をちょっとずつ覚えてくれるといいなあ。
これに関連してか、ずっと「ブーブ」で統一されていた自動車と電車と飛行機や船が、次第に分類されてきた模様。機関車が「ポッポ」であるとようやく見分けられるように。おしゃべりしたそうな気配が感じられてきました。


最後に重要な変化としては、「あまり泣きわめかなくなった」。泣いても長引かず。説得すれば5回に1回は納得してくれる。喚いてもしばらく放っておくと、諦めたようにじっとするように。この反応はいいのか悪いのか分かりませんが、特に根に持つ風もなく、なんといっても我々は助かりますし、なんだかすごく成長したように感じています。一過性でないことを祈る;



一方、出来なくなったことは、「一人遊び」。息子は小さなクルマのおもちゃが大好きで、一日中床や棚の上などを手で滑らせて遊んでいましたが、気が立ってくるとあちこちに投げつけるので毎度K氏の怒りを買っていました。クルマだけでなく絵本などもあんまりポイポイ投げるので、先週の木曜の夜についにおもちゃと絵本を全撤去。普段からK氏は息子に「投げるとそのたびにひとつずつ無くなるよ! 何も無くなってもいいの? それがお前の望む世界なんだな?」と言い聞かせているのですが、試しにボールと布絵本以外を全て片付けてみました。
すると当然、遊びようがないので、一人で遊べなくなりました。私がご飯を作っている間は、台所の柵の前でうなだれて待っています。ほんとうにつまらなそう。あんまり可哀想なので本を一冊出してやりましたが、ひとりではそれほど読まない。うーん。。。でもご飯を作らなきゃしょうがないので、時々泣きわめいていますが、気にせず炊事; がんばれ、がんばれ!と声をかけたりしていると、そのうちリビングへ戻って、壁に張り付いて黙って横たわったりしています。うっ…;o;

K氏は、息子が物を投げることとクルマに執着しすぎることを嫌がっていましたが、そんな息子の様子をさすがにちょっと気の毒に思ったのか、休日は朝早くから散歩に連れて行ってくれるようになりました。また、息子は父母が近くにいる間はひたすら手を取って歩く練習をして、おもちゃがなくてもそれなりに過ごせるので、もうしばらく様子を見てみることにします。どうも彼は目の前に物が多すぎるとイライラするのか、おもちゃを箱ごと、絵本を棚に詰まっている全部まとめて投げるといった態度をしばしば取るので、一日ひとつふたつだけ出してあげるのがいいのかも。児童館でも詰まったおもちゃの箱をしばしばぶん投げているし…


もうひとつ出来なくなったことは、「自分で食べる」こと。パンやバナナ、キュウリなどは指でつまんで自分で食べていたのに、ここ数日、ついにそれすらやらなくなりました。どういう心境の変化なのか、いちいち私が口に運んでやらないと食べない。自分でできるのは、ストロー付きマグから牛乳を飲む、おやつの卵ボーロを食べるくらいですかね。スプーンやフォークを使って食事するなんて、夢のまた夢。お椅子に座って、お椀にむやみに手を突っ込まず、「次はアレ、それじゃなくてコレ」と指図して私を操作し、お行儀よく食べてくれるのはありがたいですが、自分で食べてくれるともっと助かるんだがなあ。あと、こんな有様なので私は息子と同時に食事することなどできず、息子の食事にかかりきり、やっと食べさせてさあ自分のご飯となると、今度は息子が早速歩く練習を始めようとしてまとわりついてくるのです。息子は、父母たちにも食事の必要があるということをまったく理解していない模様。足下でずっと騒ぐので、私は台所のカウンターに皿を置いたまま、歩きながら、すれちがいざまに少しずつ食べています。なんたる行儀の悪さ…。
メチャクチャな我が家の食事風景は、いつになったら正常化するのかしら? とほほ。




あれが出来るようになると、これが出来なくなったりもします。蒸し暑くてイライラしても、笑って過ごすことの方が多くなったような気がします。梅雨と夏が苦手な私ですが、このまま楽しく乗り切りたいですね!







『僕、トーキョーの味方です アメリカ人哲学者が日本に魅せられる理由』

2014年07月15日 | 読書日記ー実用

マイケル・プロンコ著 矢羽野薫訳(メディアファクトリー)



《この一文》
“ 僕が心から感動するのは、荷物が行くべき場所へ確実に届くことだ。東京の道路は迷路で、住所表記はまるでなぞなぞだ。それでも宅配便のドライバーは現代の侍のように、ひるむことなくきびきびと飛びまわる。
 毎日、数え切れないほどの荷物が出発地から目的地へ迷わず移動するなんて、ほとんど奇跡だ。”
  「生活一式、宅配いたします」より


“ 新宿駅は、変化が好きな東京のダイナミズムを体現しているといえるだろう。この街は、変化を求めて変化し続けるのだ。そして東京は、過去も愛してやまない。永続性と連続性をもたらす寺の修復工事には、過去とつながっていたいという思いがあふれている。
 新宿駅を冷笑し、寺に敬意を払うのはたやすい。だが僕は、どちらの変化も好きだ。二つの変化が同時に進んでいることが好きだともいえる。未来と過去を行きつ戻りつしながら、変化する街。それが東京なのだと思う。”
  「過去へ未来へ、工事中」より



ニューズウィーク日本語版のサイトに「TOKYO EYE」というページがあって、そこでは日本に暮らす外国人達によるコラムを読むことができます。面白いので私はちょくちょく読みに通っているわけですが、なかでもこのマイケル・プロンコさんのコラムがいつも楽しみなのです。

私は元々コラムやエッセーを読むのが好きで、小説にはまる前のずっと若い頃にはもっぱらそういうものばかり読んだものです。色々な人が色々なものを見て色々に感じたり考えたりしたのを読むのが10代の頃には面白かったし、もうすぐ40になろうかという今でもやはり面白い。物の考え方に納得させられたり、視点そのものが新しくて驚いたり、時にはまるで同意できない意見に遭遇したりすることもあるけれど、こういう文章というのはいつも刺激的で楽しいですよね。

マイケル・プロンコさんの文章は面白い。日本人が気づかずにやり過ごしてしまうような物事について、東京に暮らすひとりの外国人としての繊細で鋭い眼差しをもって、極端になりすぎず、適度なユーモアを加え、街や人を鮮やかに描写し、知的で時にはハッとするほど詩的に語ってくれます。私は、街を行き交う人々が提げている様々の紙袋を見ても何も思わなかったし、そこらじゅうに溢れる自販機が茶道に結びついたりなんて想像もしなければ、ビルとビルの隙間に少しの悲しみと安らぎを感じたりすることもなかった。プロンコさんの目を通して見直すと、東京は私の知っていたのとはちょっと違った街に見えてくるのでした。


私は東京には8年間住んで、東京を離れてからはもう10年ほどになります。去ってからの時間の方がとうとう長くなってしまったか。この本は2006年に出た本なので、私が東京を離れた頃の東京を描いているということになりますか。ひとつひとつの文章をゆっくり味わいながら、私は心の中の、思い出の東京を駆け巡りました。
今でも東京は変わらずに東京のままだろうか? 街並は変わったところもあるだろうけれど、きっと今でもあの巨大なエネルギーが東京を東京らしくしていることだろうなあ。






最近のこと

2014年07月09日 | もやもや日記





たまには自分の記録を。と思ったけど、書かなくてはならないようなことはあまりないのであった…

とりあえず、毎日立ったまま暮らしています。座る暇は夜にならないとやってきません。常に息子がまとわりついてくるので食事もカウンターに置いたのを立ったままでゴクゴク飲み込み、疲れてソファに座ろうとするとたちまち彼に手を引っ張られるのでそのまま手を繋いで家中を歩き回っています。息子はあまり私が休むのを許してくれない。朝から晩まで手を繋いで家の中をウロウロ。でもそんな息子が可愛いので私は許す。可愛い。ちょっと鬱陶しいが可愛くてたまらん。そうしてやっと座れる夜になっても、疲れて9時くらいに寝てしまったりして何も出来ない日々。どのみち暑くて何も手につかないんですけど。


しかし、蒸し暑い。台風の影響でしょうか。何もしていないのに汗びっしょりです。嫌だなあ。蒸し暑いのは苦手です。はやく秋になってほしい。ここ3ヶ月ほど、同じ4、5冊の本を順番にちょっとずつ読んで、どれも少しも読み進められていないという悲しい事態。でも漫画なら大丈夫。それで漫画ばかり読んでいます。面白かった漫画の感想等も書きたいところですが、そのための余力が足りないのが悲しい。

暑くて頭はあまり働きませんが、毎日1、2時間は散歩しているので、この夏も元気に乗り越えるだけの体力はつきました。でも、ゆっくり食事をとることができないせいか日に日に痩せて来たので、今は手っ取り早くカロリーを摂取するべく、ピーナツバターなどをパンにごってりと塗って食べています。私は元々ピーナツバターが大好きなので久しぶりに食べると懐かしウマい、ウマすぎる。K氏はピーナツバターがあまり好きでないそうなのでいつも通りブルーベリージャムに徹しています。息子は何も付けず。朝はパン食の我が家。

明日も暑いかな?
ちょっとは涼しくなるといいなあ。せめて雨が降らないといい。今日は出がけに雨が降り出したので、マンションの玄関までベビーカーで降りたのをまた部屋に引き返したら、散歩に出られるとウキウキしていたらしい息子が怒り狂いましたし。


明日も早いのでそろそろ寝るか。うっ、今日もほとんど何も出来なかったな; もう少し要領よく生きたい…






平城京へ行ってきた

2014年07月05日 | 旅の記録

奈良へ越してきて3ヶ月と少し。
はじめて平城京まで行ってみた。





前々から行こうと思いつつ行かれなかった平城京へ行ってみました。わりと近所なので、はじめは家から歩いていこうかと思ったのですが、さすがに往復は疲れるかもしれないと自家用車で。我々もすっかり車社会の一員に。奈良に馴染んできたなあ。


さて、平城京です。奈良へ越してくるにあたってまず家を探しに来た時、近鉄線に乗って平城京の辺りを横切りました。近鉄線は平城京の敷地の中をガーッと豪快に横切るので、とても驚いたのを覚えています。今回平城京を散策してみても、やっぱり近鉄線の線路が横切っていました。


父子と平城京と近鉄電車。

この近鉄線ですが電車の本数は多く、普段からかなり頻繁に行き来しています。電車が大好きな息子は平城京などそっちのけで、電車が通る音が聞こえるたびに線路の方を眺めようと道を戻ろうとするので、説得して前進するのはなかなか大変でした。しかし平城京の跡地はなにしろだだっ広いので、どこからでも電車がよく見えました。そして、ちょうど朱雀門を通ったすぐの広場は整備中で、秋まで工事するらしい。囲われた立ち入り禁止区域の内部ではさまざまな働く車が作業しているので、これにも息子は釘付け。ダンプカーやらショベルカーやら、その横を通るたびに立ち止まって観察していました。息子にしてみれば、遺跡なんざどうでもいい。まあ、私たちも広いところで息子の歩く練習ができれば、別に平城京でなくてもよかったわけですが。


手前の広場は現在立ち入り禁止。

それでも、平城京はなかなか気持ちのよいところでした。観光地なのに全然人気がないところがいいですね。時々人や自転車とすれ違いますが、駐車場もガラガラでしたし(ちなみに駐車料金は無料)。周囲には草も生い茂っていて、さまざまな野の花も咲いていました。


ねじれた花の、これはなんと言う名だったか? 私は子供の頃これが好きだった。


この広々とした敷地内で、息子を歩かせます。舗装された道、草の上、砂利のところでも歩いてみます。ところどころで抱っこしましたが、だいぶがんばって歩きましたね。よしよし。

 ジャリジャリと音がするのが楽しそう。

 そう言えば砂利に触れるのも初めての息子。


あいにくの曇り空でしたが、空は広いし、草は生えてるし、砂利は敷かれているし、電車が通り、大型車が働き、鳥が飛び、と平城京は散策するには楽しい場所でした。今度はもうちょっとお天気の日にも来てみよう。