半透明記録

もやもや日記

お知らせ

『ツルバミ』YUKIDOKE vol.2 始めました /【詳しくはこちらからどうぞ!】→→*『ツルバミ』参加者募集のお知らせ(9/13) / *業務連絡用 掲示板をつくりました(9/21)→→ yukidoke_BBS/

『ツルバミ』冊子版について

2009年01月31日 | 同人誌をつくろう!

 ※内容一部修正しました(2/1)


同人のみなさま、こんにちは!

さて、しばらくさぼっていましたが、そろそろ『ツルバミ』冊子版の製作に入ろうと思います。
2月中に仕上げたいと考えています。目次や表紙のデザインなど、随時ご報告しつつ進めたいと計画中です。

つきましては、こちらのコメント欄もしくは掲示板の方にみなさまのご意見、ご要望などをお寄せ頂けると助かります(^^) 私としては、今回は「並製本」に統一しようかと考え中ですが(作るのが簡単なので;)、いかがでしょう?

また、前回同様、参加下さった方には1冊進呈するつもりですが、さらにご希望の場合は今のうちに教えていただけるといいですね。「今回は要らない」ということでも遠慮なくどうぞ☆(すでにウェブ版を公開してますしね)

何でもよいので、ご意見お願いします!  →→ 掲示板 : yukidoke_BBS


 *同人に参加してないけど冊子が欲しいという方へ*
 あまり大部数には対応できませんが、そして私の手製本になりますが、
 手作りの醍醐味を味わいたいという奇特な方がおいででしたら、どうぞ
 おっしゃってくださいませ!
 尚、同人誌の内容は、ウェブ版でも御覧いただけますので、よろしければ
 そちらをどうぞ!
           →→ 『ツルバミ』web版




成功者は語る

2009年01月30日 | 手作り日記

ラッコの紳士。ウーノ氏。



今日は1月にしては暖かだったので、なにか春めいた絵を描こうと思いましたが、ぜんぜんうまくいかず、結局ラッコのウーノ氏の何も春めいていない絵になりました。うーむ。しかし、発想の転換ですよ、君!これはこれで成果には違いないですよ。うむ。


「発想の転換ですよ、君!」

というのは、このウーノ氏(実業家)の信条で、彼はこれでウニを売りさばいて大儲けしたのです。街のはずれには立派なウニ御殿が建ちました。完成記念のパーティーが盛大に催され、街中の人々が招待され、喜びに包まれた華やかな宴の最中に、まさかの悲劇が……!!

というネタをかれこれ2年くらい前から温存しています。温め過ぎです。いやしかし、発想の転換ですよ! この2年で、すっかりウーノ氏を上手に描けるようになったじゃないか! ワハハ、ワハハ!

「発想の転換ですよ、君!」

というのを気に入っています。どうにも転換できそうになくても、なんとかなるかもって気になりますね。たぶん。


『ドストエフスキイ後期短篇集』

2009年01月29日 | 読書日記ーロシア/ソヴィエト

米川正夫訳(福武文庫)



《内容》
マイナスをすべて集めればプラスに転化しうる――思索に思索を重ねた末に辿りついた、後年のドストエフスキイの逆説の世界観がちりばめられた後期傑作8短篇。

《収録作品》
*おとなしい女 空想的な物語
*ボボーク
*キリストのヨルカに召されし少年
*百姓マレイ
*百歳の老婆
*宣告
*現代生活から取った暴露小説のプラン
*おかしな人間の夢 空想的な物語

《この一文》
“ けれど、すべての人間は、同じものを目ざして進んでいるのではないか。少なくとも、すべての人間が、賢者から、しがない盗人風情にいたるまで、道こそ違え、同じものを目ざして行こうとしているのだ。これは月並みな真理ではあるが、この中に新しいところがある。というのはほかでもない、おれはあまりひどくはしどろもどろになり得ない。なぜなら、おれは真理を見たからだ。おれは見た。だから、知っているが、人間は地上に住む能力を失うことなしに、美しく幸福なものとなり得るのだ。悪が人間の常態であるなんて、おれはそんなことはいやだ、そんなことはほんとうにしない。ところで、彼らはみんな、ただおれのこうした信仰を笑うのだ。しかし、どうしてこれが信ぜずにいられよう、おれは真理を見たのだもの、――頭で考え出したものやなんかと違って、おれは見たのだ、しかと見たのだ。
  ――「おかしな人間の夢」より   ”



夢で見たことなんて、何の意味も、価値もない。私はそんなふうには思えない。その夢を見たことによって、それまでの人生が一変してしまうような体験は誰にでも起こり得る。私にも起こる。
世の中には、「夢解釈」とか「夢分析」というものがあって、夢で見たことをあれこれ考え直したりする人もいる。私もそういうのを面白いとは思うけれど、夢で得た幸福感や絶頂感が台無しになりそうな場合は信じないことにしている。
結局のところ、ある夢を見て、目覚めた時、それが自分にとって重大な意味と価値を持つという手応えがあった。それでいいじゃないか。だって、私は見たのだもの、たしかにそれを見たのだもの。
「おかしな人間の夢」という物語は、そういう私の考えを強く補強してくれました。

ここに収められた短篇はどれもすごく面白かったです。「ボボーク」は別のアンソロジーにも入っていたので、読むのは2度目ですが、最初に読んだときとは別の印象を受けました。墓場に横たわる死者たちの会話を盗み聞くという物語なのですが、終わりの方にさしかかって、エレンブルグの『フリオ・フレニト』を思い出しました。フレニト先生が言っていたことを思い出しました。しかし、これは多分逆で、『フリオ・フレニト』の中にドストエフスキイの存在を感じるべきところだったのかもしれません。違っているかもしれませんが、そんな気がしました。

また、別の短篇ではストルガツキイの『ストーカー』を思い出したりもしました。「おかしな人間の夢」ですが、この物語の上に引用した部分では、すごくレドリック・シュハルトを思わせます。人類に絶望しながら、でも愛しているのです。叫ばずにいられないのです。自分では何もそれらしいことは出来ないと分かっていても、せめてただ祈らずにいられないのです。信じずにはいられないのです。泣きそうです。

この「おかしな人間の夢」は、意外にもSFテイストな作品です。ユートピア小説ともいえるかもしれません。この作品の強い印象は、ほかの7作品の印象をことごとく吹き飛ばすほどの威力がありました。ここへきてようやくこの本の裏に書かれてあった説明書きの意味が理解できました。「マイナスをすべて集めればプラスに転化しうる」。なるほど。そういうことだったのか。

主人公は、自殺するつもりで装填済みのピストルも用意してあったのに、なぜかつい椅子に座ったままで眠ってしまう。そして夢を見るのだが、そこで信じられないくらいに幸福な「地球」の人々に出会う。幸福で善良な人々に囲まれて、魅力と美と真実に貫かれながら彼は目覚める。これが単なる夢に過ぎないとは言えそうもないことには、彼の人生はすっかり一変し、彼はもう決して死にたいとは思わなかったのだ。

私は本を持つ手が冷たく震えるのを抑えることができませんでした。血がすべて真ん中に集まってしまったのです。ほんの短い物語ですが、ここには私の探しているものがたしかに存在しています。

ただ、ひとつ不思議なのは、きっとこれまでにもこの「おかしな人間の夢」をはじめ数々の作品においてドストエフスキイの激しさに触れて感激し、世界を人類を新しい目を持って見つめ、実際の行動に移した人さえ多く存在したことでしょう。それにも関わらず、依然として人類も世界もさほど良くなったように思えないのはどうしたことなのでしょう。文学にそれを期待するのが間違っているのですか。そんな力はありませんか。私はナイーブ過ぎるのですか。そう思うと、ふいに虚ろな気持ちになってくる。

いや、だがそうではないはずだ。私は信じる。多分100年や200年では足りないのだ。これは種子なんだ。いつかその日が来たら、爆発的に成長する可能性を秘めた、堅い殻に守られた種子なんだ。物語が人を惹き付ける間は、きっと眠ったままだろう。そうやって受け継がれていくだろう。でも、いつか芽吹くに違いない。こんなことを信じることができる。だって、ここで心が動いたことは事実なのです。なんの根拠もなく、何かに憧れたりすることは出来ないはずです。もしそれが決定的に無意味で無価値なものだとしたら。



私は恥ずかしながらドストエフスキイをあまり読んだことがなく、とくに主要な作品にはまったく触れたことがありませんが、この人の作品は思っているよりもずっと読みやすく、そこでこの人が伝えたいだろうことが直接的に伝わってきます。要するに、面白いということです。長編もひょっとしたら読めるかもしれないという希望がいよいよわいてきています。
今のところ私には、ドストエフスキイという人は気軽に手を出すにはあまりに巨大な人物ですが、思いきって読み進めたならば、その人の巨大さは思っていた以上であったということをさらに深く知ることになるのではないかと感じているのでした。






出張

2009年01月28日 | 夢の記録



どうにか毎日更新したいと思って、最近はわりとがんばっているのですが、そうそう毎日ネタは見つかりません。しかし、そこを絞り出してこそ、鍛錬というものです。

というわけで、今朝見た夢の話です。

私はどうやら会社勤めをしているらしく(しかしやはりバイトの身分)、その日も夕方6時過ぎまで仕事をしておりました。そこへ昔からの友人でもあり、職場の同僚でもある I氏(この人は正社員かつ私の上司)が私に、「君、明日から出張ね」と言う。急な話に(しかも私はバイトの身分なのに)驚いたけれど、どうやら誰でもいいからとにかくその場へ顔を出さねばならない重要度は低いが緊急の用事らしい。
「で、どこへ?」と私が聞くと、上司は「パキスタン」とこたえた。
はあ? 明日から急に海外出張って、ありえねえ! 荷物とか準備できないよ! と、一瞬憤慨した私だが、日頃の従順さを発揮して、つい承諾してしまった。まあパスポートもあることだし。

そして、夜通してんやわんやでどうにか支度して、夜も明けきらぬ早朝から空港へ向かった。眠くてたまらないが、飛行機に乗ってからいくらでも寝れるだろうと我慢した。
慌てていて朝食もとれなかったので、空港の売店で何か買って食べようと思うのだが、どれを買うか決められず、結局何も買えなかった。飛行機に乗ったら機内食が出るだろうと気が付いて、もう少し我慢することにした。

予定時刻の少し前、私が乗るはずの飛行機の搭乗口の手前で、ゲートが開くのを待っていたら、直前になってここは別の飛行機の乗り場であったことに気が付く。
どうしよう、もうすぐ離陸してしまう! というか、ここから正しい乗り場までどうやって行ったらいいんだろう? ゲートの番号は合ってたと思ったのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう? 私はなんでいつもこうなってしまうのだろう……


というような夢でした。起きた直後は味覚の記憶もかすかに残っていたので、この夢はほんとうはもっと盛りだくさんだったような気がします。大部分を忘れてしまっているようです。出張先がパキスタンだったかどうかもアヤフヤですが、どこかそのあたりだったような気はします。で、結局なんだかんだで私は出張先に辿り着けた気もする。もやもやして全然思い出せないですが、なんとなく感触は残っています。

それにしても、あまり楽しい夢ではないですね。いや、わりと楽しかったけど、なんか疲れた。
どうせならもっと素敵な夢が見たい。ああいうのとか、こういうのとか。しかし、なかなか夢を選んで見ることはできない。だからこそ楽しい。だからこそ、素敵な夢には価値がある。と、分かってはいるのですがね……




『ガリク・セコ短篇集』

2009年01月27日 | 映像(アニメーション)


《収録作品》
*「マイスター・ハーヌシュ」
*「ファウストの家」
*「本棚の世界」
*「シューズショー、あるいは自分勝手な靴」
*「サボテンさん、ちょっと」
*「僕の友達はチクタクいう」
*「卑怯者、出てこい」

《この一言》
“「怖くないの?」
「怖いさ。でも怖さを克服したほうが勝ちだよ」
   ―――「卑怯者、出てこい」より   ”




ペーチャさんに教えてもらったチェコのアニメ作家『ガリク・セコ短篇集』を観ました。すごく勉強になりました。

アニメーションと一口に言っても、種類はさまざまです。この人のアニメーションは、人形や本や靴を用いたアニメーションです。絵を動かすアニメーションと、このように実際の物を動かすアニメーションでは、はっきりとした印象の違いがあります。平面と立体の違いは、やはり決定的ですね。両者の違いはそれぞれの映像表現方法にも大きく影響しているのではないかと、もっと掘り下げて考えてみようと思いましたが、いまいちまとまらなかったので、また今度。


「マイスター・ハーヌシュ」は中世のプラハを舞台に、広場の大時計制作にまつわる伝説を描いた人形アニメ。物語の展開も、人形の表情も、すごく怖いです。

「ファウストの家」も同じくプラハが舞台、貧しい学生がほとんど廃墟となった無人の館で一夜を過ごそうとしたところ、テーブルの上に置かれてあった空の器の中に一枚の銀貨が入れられているのを見つけ……というお話。お金を得て贅沢を覚えた学生が、しだいに学問の道からはずれて破滅するという、それはそれはおそろしい物語。
アロイス・イラーセクの『ファウストの館』(『東欧怪談集』(河出文庫)所収)という小説があります。私はつい最近この小説を読んだばかりですが、残念ながら本が手もとにないので、内容の細かいところまでは思い出せませんが、大筋はアニメーションと同じものでした。ただ、すごく簡潔になっています。およそ10分程度の短い作品でありながら、要点をおさえた、メリハリのある展開になっています。人形の顔にも迫力があり、見応え十分でした。しかし、ひとつ気になるのは、食堂のテーブルに大きな丸い穴が掘ってあって、そこへシチューらしきものをそのまま流し入れる描写。ああいうのってリアルに存在したんですかね? ストーリーとは関係ありませんが、衝撃でした。

「本棚の世界」は、書棚の本が好き放題に動き回るという不思議なアニメ。動いているのは「本」なのですが、見ていると人格を感じてくるから不思議です。《マキャベリ》がなにか大きな本を書棚から突き落としたり、トルストイだかドストエフスキーだかが(どちらであったか失念しました;)折れた書棚の足の代わりに床と棚の間にさしこまれていたりと、もっと教養が高ければそのおかし味が分かったかもしれません。私はとりあえず、美術館らしき場面が面白かったです。逃げる本を追いかける本。

「シューズショー……」「サボテンさん、ちょっと」は、靴とサボテンが動くアニメ。誘拐事件が起こったり、サボテンのおやじが浮気したりします。

「僕の友達はチクタクいう」「卑怯者、出てこい」は、捨てられたクマのぬいぐるみ(片足が無く、木の義足を付けている。スーパーポジティブな性格)と、同じく捨てられた目覚まし時計(針が動かなくなったので廃棄された。ややネガティブ)との友情を描いています。この2作品は、やたら面白かったです。ストーリーはやはり簡潔で無駄のない展開なのですが、さり気なく心に訴えかけるものがあります。ユーモラスで可愛らしいお話ではあるのですが、どこかハッとするような。
このシリーズは、他にも作られたのでしょうか。もしあるなら、ぜひ見たい!


さて、『ガリク・セコ短篇集』で、私はなにを学んだのかと言えば、短篇アニメーションではストーリーの単純さがとても大事であるということです。また、台詞がなくともそのちょっとした仕草によって言いたいことを伝えられる、卓越した表現力には感心しました。
それにしても、こういうアニメーションは作るのにたいへんな時間がかかっているのだろうなぁ。凄い。




カプセルペンギン

2009年01月26日 | 手作り日記

ふ~む。なるほど、なるほど。
【第七海底トンネル】がとうとう開通か。




「カプセルペンギン」とか「筒型ペンギン」とか呼んでいましたが、「カプセルペンギン」に統一しようかな、と。って、独り言です。

私の描くアデリーペンギンには、既に、アステリスクとモデュラスというペンギンがいるのですが、新たにこういうコロコロしたペンギンがいてもいいような気がしてきました。名前はやっぱ「カプセル」かな。いえ、まだ決められません。「コロン」とかでもいいかも。でも、「コロン」は「セミコロン」という兄弟がいる設定(←脳内設定)なので、どうしようかな。

先にやることが沢山あるというのに、こんなどうでもいいことばかり考えていてよいのでしょうか?
まあ、よいのでしょう。ハハ!



『あのこにもらった音楽』/『かわたれの街』

2009年01月25日 | 読書日記ー漫画

勝田 文(白泉社)


お名前だけは知っていたけれども、読んだことはなかった勝田文(ぶん)さんの漫画を読んでみました。珍しくジャケ買い。でも、大当たりでした。面白い。

読んだのは、『あのこにもらった音楽』と『かわたれの街』の2冊。『あのこに~』の方は第2巻もあるそうですが、見当たらなかったので第1巻のみを購入してあります。でも、『あのこに~』は連作短編なので、1巻だけ読んでも大丈夫でした。続きが死ぬほど気になるということはない。もちろん面白かったので、2巻も買いますけどね。

第一印象としては、繊細かつ素朴、大きな事件などに頼らずともしっかり成立する落ち着いた日常生活を淡々と魅力的に描いている感じです。とくに「淡々と」しているところが目立つでしょうか。この感じはいかにも白泉社の漫画らしいと言えばそうですが、小林じんこさんの『風呂上がりの夜空に』の雰囲気もふと思い浮かびました。大筋のストーリー以外のところでも着実に別の脇役である人々の物語が進行しているあたりなどが、この人のセンスと力量を感じさせます。

『あのこにもらった音楽』は、幼い頃に母を亡くし、梅木旅館で育てられた主人公の少女 梅子と、旅館の一人息子でかつては将来有望のピアニストとうたわれたこともある蔵之介との、いちおうラブロマンス。でも、あまり恋愛要素はなく、どちらかというと音楽にまつわるエピソードが次々とほのぼのとくり出されるところが見どころです。

『かわたれの街』は、豆腐屋の娘 木菜(きな)は、地元の公民館で料理教室をひらいているノブオに想いを寄せるのだが、というお話。やはり恋愛要素は薄く、料理や食材などにまつわるエピソードがこれまたほのぼの淡々とくり出されます。

いずれの作品も、主人公である少女たちの揺るぎない健全さに清々しさを覚えます。私が白泉社らしいと感じるのも、こういうところです。
梅子も木菜も、大人しいんだけれど逞しい。刻々と移り変わっていく周囲の環境に、すっと入っていってキリっとしています。一方、彼女たちが好きになるのはなぜかちょっとダメな男なのですが、この世界ではちょっとダメでもいいみたいです。ダメなやつにも優しい空気があります。私はこの人の漫画のそういうところに惹かれました。


どちらかというと大袈裟なほどに激しく、愛か死か、君は光で僕は影、逆境とは! みたいな内容の漫画を好む私ですが、たまにはこういうのもいいなあと思いました。世の中は十分穏やかで幸福に溢れている、ように思えてくるのです。
こういう漫画もあるんだから、漫画ってほんとうに奥深いよなあとあらためてしみじみ感じました。

それにしても、また部屋に漫画が増える! ああ!





『「ニッポン社会」入門』

2009年01月24日 | 読書日記ー実用

英国人記者の抱腹レポート
コリン・ジョイス 谷岡健彦訳(生活人新書 NHK出版)



《内容》
日本社会について手っ取り早く学びたければ、近くのプールに行ってみることだ。規則と清潔さを愛し、我慢強く、大きな集団の悪事に寛容な国民性が理解できるはずだから。過剰なまでに礼儀正しく親切な人々、思ったより簡単で奥深い日本語、ガイドブックには載っていない名所の数々……。14年間日本に暮らす英紙記者が無類のユーモアを交えて綴る、意外な発見に満ちた日本案内。

《この一文》
“ 電車の中でふたり連れが立っている。座席がひとつ空く。おたがい譲り合った後に、ようやくひとりが席につくと、必ずその人は立っている人の荷物を持ってやろうと手を差し出す。こんな心温まる小さな親切は、ぼくは日本以外のどの国でも見たことがない。
 ああ、これこそ日本。 
  ―――「日本以外では「決して」見られない光景」より ”


某所でしばしばおすすめの本として紹介されていたので、読んでみました。かなり面白かったです。2度ほど読み返しました。異常に読みやすくて、スラスラと小一時間ほどで読んでしまえます。おすすめです。

さて、私は以前から、日本語を話さない人の耳には日本語はどんなふうに響くのかというのが気になっていたのですが、コリンさんはそれについてちゃんと書いてくれていました。

「言葉が耳から「滑り落ちてゆく」ような感じがしたのを覚えている。頭の中にしっかり言葉をつなぎ止めておけないし、どこでひとつの単語が終わり、どこから次の単語が始まるのかもわからなかった」そうです。

なるほど。でもそう言えば、私には英語およびその他の言語もそんな感じに聞こえるな……。外国語を学ぶってそういうものなのかもしれないですね。
しかし日本語表記の難しさについては、やはり難しいらしいことがうかがえます。日本人の私ですら、時々読み書きが満足にできなくて硬直することがありますし。特に、咄嗟にごく簡単な漢字も書けないという局面がありすぎて、困っています。

コリン・ジョイスさんは『デイリー・テレグラフ』紙の東京特派員だそうで、1992年に日本語を学ぶために神戸へやってきたそうです。
この本の面白いところは、外国人から見た日本がどのくらい奇妙で、魅力的であるかという賞賛のみならず、理解しがたく抵抗感さえ感じる日本人の「和」という概念、巨悪に対する理不尽なほどの服従的態度などなど、批判的な意見もしっかりと述べられているところでしょう。
私が普段なにげなく日本で暮らしていると気が付かないような様々なことについて、率直にユーモラスに語られていて、興味深く読めました。


全体的にユーモアと日本への愛着が感じられて、楽しい気持ちになります。一方で厳しい意見も多々あって参考にもなりますが、日本人の私にはあまり理解できないイギリス人の考え方にも触れられて、逆にイギリス人というのがどういう人たちなのかに興味が湧いてきます。歩きながらものを食べることがなぜいけないのかなんてことは、私はついぞ考えたこともありませんでしたよ。
こういうのは面白い。

笑いどころはたくさんありましたが、私が特に爆笑したのはここ。

“(イギリスから友人がやってきたら)浅草に連れていって、黄金のオブジェを頂くアサヒビールの本部ビルを笑いながら指差し、「このビル、地元の子供たちに何と呼ばれていると思う?」と尋ねてみよう。その人が予想どおりの答えをしたら、表情を硬くして「みんな炎のビルと呼んでいるけどね」と言おう。
  ―――「イギリス人をからかおう」 より ”

このあたりは、私にはイギリス人らしいユーモアだなあと思いました(なんとなく)。アッハッハ、笑える!


社会生活にはどこであろうと、善いところと悪いところがあって当然だと私は考えます(悪いことが悪いままでいい、という意味ではありません)。しかしその内側に暮らしているとうっかり見逃してしまいそうな部分を、新しい目で少しばかり見つめ直せたような気がします。良書。



グリコ マカダミア・プレミオ

2009年01月23日 | もやもや日記

チョコレートのおいしい季節です。
まあ、私などは年中チョコレートばかり食べているのですが、この時期はとくに楽しい。バレンタインデー近し。お菓子業界の陰謀だろうがなんだろうが、豊富な種類のチョコレートが溢れるのはありがたいことです。

バレンタインとは直接関係はなさそうですが、グリコのマカダミア・プレミオというマカダミアナッツ入りのチョコレートのパッケージの美しさに感動しました。なにか妙にぐっときます。素敵だわ~(/o\)

それにしても、日本のお菓子というのはパッケージ技術が凄いですよね。明治かどこかのパイ菓子なども、パイなのにまったく崩れていなかったりして感心してしまいます。それに安くておいしい。

チョコといえば、近所の東急ハンズで恒例の「バレンタイン・フェア」が始まったので、近いうちに買いにいきます。いつも北海道名物 ロイズのナッティーバーを大量購入するのが習わしです。もちろん自分用です。うっふっふ。今年も売っているといいなあ。

寒いけど、チョコレートがおいしいから冬も我慢しますよ。

『石の幻影 短編集』

2009年01月22日 | 読書日記ーその他の文学


ディーノ・ブッツァーティ 大久保憲子訳(河出書房新社)


《あらすじ》
1972年4月、X大学の電子工学教授 エルマンノ・イスマーニは、国防省から1通の文書を受け取った。イスマーニはある国家的な、最高機密扱いの研究に参加することになるのだが……。
表題作他5つの短編を収録。

《収録作品》
石の幻影/海獣コロンブレ/一九八〇年の教訓/
誤報が招いた死/謙虚な司祭/拝啓 新聞社主幹殿

《この一文》
“私は、自分が破滅してしまったと思いこんでいたあの時期のことを、今は懐かしんでいます。
   ―――「石の幻影」より   ”


前から少し読んでみたかったイタリアの作家 ディーノ・ブッツァーティの短編集。
表題作「石の幻影」が思ったよりも長そうだったので、はじめにその他の短編から読みました。思ったよりもずっとあっさりとした雰囲気だったので、いささか拍子抜けしてしまったというのが正直な感想です。「誤報が招いた死」などは、そのあっさりとしたところが面白みを増幅していて良い感じではあったのですが。どの作品でも〈ちょっと不思議な話〉が語られていて、そこはとても魅力的で面白いのですが、描写があっさりし過ぎていて、私の好みからは少しはずれているかな、とそう思っていました。

それで、「石の幻影」を読む頃にはあまり期待もせずに、とにかく読みはじめてしまったのだから我慢して最後まで読もうかという態度でした。我ながらひどい。そして、結論から言えば、私は大きく誤っていました。このお話は、途中からすごく面白くなります。イスマーニが参加することになった謎の研究内容が明らかになるあたりから異常に興奮しました。これは面白い。

イスマーニは妻を連れて研究施設へと向かうのだが、研究内容をイスマーニ本人も知らず、同行する軍部の人間も知らず、ただその道の途中の不気味さがあおられていくあたりにどきどきします。
ようやく施設に着いてみれば、同僚は著名な科学者たちであるが、みな変人揃い。おそろしく閉じた世界で、奇妙な実験が行われていて……。

細かいことは結局ほとんど分からない、この放置っぷりが気に入りました。不思議だから良い。面白ければ良いのです。
ついでに、この物語の主人公はイスマーニなのかと思っていたのに、全然そうではなかったところも良かったです。意外と先の読めない展開、意外と複雑な人間関係などなど、なにかと意外に思わせられることが多くありました。さらに、クライマックスの勢いを保ったまま結末を迎えるあたりも良いです。なるほど人気があるわけだ。面白かった。

ひとつひとつの場面を思い浮かべると、じわじわ面白さがわいてきます。どことなく間抜けな感じがするところがあるので、なんだかんだで私はけっこう気に入ったのでした。