半透明記録

もやもや日記

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むくんでます

2007年02月28日 | もやもや日記
朝起きたら、脛のあたりに人の手形がついていました。まるでそのあたりをガシっと掴まれたような……。なんて、まあ、これは私が自分でつけた跡なんですが。おそらく脛のあたりに手をやって(やや苦しい体勢で)寝ていたせいです。しかし、その跡が、いつまでもいつまでも消えません。

むくんでます。


今週は残業ばかりです。全然本を読んでいません。テレビも見ないし、何の情報もインプットされていません。ある意味純粋な状態と言えるでしょうか。でも、経済的な貧しさのみならず、精神的な貧しさをも獲得してしまわないように気をつけたいと思います。そいつは深刻です。

というわけで、忙しいけれども今週の目標は、アナトール・フランスの『ペンギンの島』を買うこと。古本で良いのが手に入りそうな気配です。うふふ。
フランス小説と言えば、この間、ジュール・バルベー ドールヴィイの『悪魔のような女たち』を途中まで読みましたが、すっごく面白かったのでした。私はこの人が好きですね。いいです、とっても。
ドイツもロシアも好きだけど、やっぱりフランス小説は私のオアシスです。そこには純粋に愉しい読書があります。こんなときにはゴーチェなんかが読みたい。あー、美しい。クラリモンド(『死霊の恋』の登場人物)の美しさを思い出すと、やたらと気持ちがたかぶります。頭もすっきりしてきた。

よっしゃ、週末までがんばるぞ。

『島の果て』

2007年02月25日 | 読書日記ー日本
島尾敏雄 (ちくま日本文学全集 所収)

《あらすじ》
《この一文》
”むかし、世界中が戦争をしていた頃のお話なのですが―――


 トエは薔薇の中に住んでいたと言ってもよかったのです。  ”




《あらすじ》をどのように書こうかと悩みましたが、《この一文》を選んでみると、これでもう説明がつくような気がします。こういうお話でした。これは、冒頭の2つの文章ですが、私はこの最初の部分ですでに大変な衝撃を受けています。これは、すごい。この書き出しは、凄い。

総天然色という言葉を私は好きなのですが(要するにカラーということなんですけど)、このお話はとにかく色とりどりで美しいです。美しい南の島に軍隊が駐屯していて、その若い頭目の朔中尉とトエは出会います。あまりに美しい。

もう一方で、この物語があまりに悲しいのは、この島に滞在している軍人たちが、小さな船ごと体当たりして敵を攻撃するということを目的にしているということです。美しい生が輝く世界に置かれた死の集団。彼らはただひたすら死に向かって、その命令が下るのを待って生きています。

主人公の朔中尉という人は、とても孤独な人です。島尾敏雄の作品の主人公は、私が今のところ読んだところではいつも孤独な人ばかりです。いつも周囲になじむことが出来ない孤独で悲しい人物なのですが、とてつもなく美しく魅力的でもあります。独りでいると、悲しいこともあるけれども、世の中の美しいこともより鮮明に目に映るようになるのでしょうか。


この「島の果て」の前に、「格子の眼」「春の日のかげり」というのを読みました。私はこの先に収められた作品も読もうと思いましたが、「島の果て」でもう満腹です。どうしても読めません。今は。

『六の宮の姫君』

2007年02月24日 | 読書日記ー日本
北村 薫 (創元推理文庫)


《あらすじ》
最終学年を迎えた《私》は卒論のテーマ「芥川龍之介」を掘り下げていく一方、田崎信全集の編集作業に追われる出版社で初めてのアルバイトを経験する。その縁あって、図らずも文壇の長老から芥川の謎めいた言葉を聞くことに。《あれは玉突きだね。……いや、というよりはキャッチボールだ》―――王朝物の短編「六の宮の姫君」に寄せられた言辞を巡って、《私》の探偵が始まった……。


《この一文》
” 私のような弱い人間に、時代に拠らない不変の正義を見つめることが出来るだろうか。それは誰にも、おそろしく難しいことに違いない。ただ、そのような意志を、人生の総ての時に忘れるようにはなるまい。また素晴らしい人達と出会い自らを成長させたい。内なるもの、自分が自分であったことを、何らかの形で残したい。
 思いを、そう表に出せば、くすぐったく羞ずかしい。嘘にさえなりそうだ。だからそれは、実は、言葉に出来ないものなのだ。
 それは一瞬に私を捉えた、大きな感情の波なのだ。   ”



この間、芥川の『六の宮の姫君』を読んだということをお友達のKさんに話したら、この本を勧められたので読んでみました。勧められてはみたものの、私は日本の現代作家の小説はまるで呪いがかかっているかごとくに苦手なので、実を言うと読了できるかどうか不安でした。案の定、始まりの方で主人公の女の子(大学生。国文学専攻の4年生)が、短い段落ごとに何かにつけてキメの言葉を持ってくるのに、いささかついていけない感じがして仕方がありませんでした(というより、もしかしたら同族嫌悪というやつかもしれません。私にも何かにつけて文学的に表現したがる傾向があるので。はたから見るとちょっと鬱陶しいですね、反省)。しかし、それをいつの間にか乗り切ると、あとはスラスラと読めました。つまり、途中からはとても面白かったのです。よく出来ています。読みやすい。

物語は、《あらすじ》にある通り、ある大学生が卒論を書くために芥川の「六の宮の姫君」という作品が書かれた背景に迫ってゆくという、なかなか地味な内容です。しかし、こういう卒論が書けたら面白いだろうなあと思います(今も昔もほとんど海外文学にしか興味を示さない私も実は国文科でしたが、残念なことにこんな熱心で優秀な学生ではあり得ませんでした。ほんとうに残念だなあ)。

卒論がどうこうということを除いても、なかなかドラマチックな謎解きに仕上がっていたので、とても感心します。謎解きというのは、どうしてこんなにもハラハラするのでしょう。そして、この人の説にはなんだかとても説得力があって、つい納得してしまいました。泣きそうになるほど感動的に締めくくっています。これはちょっと、ずるいなあ。というくらいです。

実際のところはどうだったのでしょう。あらゆる証拠を集め、歪みのない論理を組み立てたとしても、「これで絶対に間違いない。こうだったのだ」と言い切ることはできないでしょう。より確からしいところの周辺をうろうろするしかなさそうなのが、過去を扱う学問の難しいところです。実に虚しい学問です。しかし、無駄であるか――いいえ、無駄ではありません。

物語が生まれてくる背景には、人と人との繋がりがあって、その繋がりは、時間や空間を遠く隔てた者の間にも発生し得る。それだけは、どうも確からしい。我々にはそれぞれに、肉体的な血族のみならず、精神の血族というものを持っている。誰から何か精神の断片のようなものを受け継ぎ、それをまた別の誰かに伝える。そうしようとする意志を持つことによっても人間は生かされているに違いありません。

私の思考はもはや私自身のものであるだけでなく、かつてそれはあなたの思考であり、いつかは彼らの思考となるでしょう。と、始まりも終わりもないようなことに憧れる私は、こんな風にこの作品を読んで、自らの理想を補強することになったのでした。まさか、ここでこんなことになるとは………面白いな。



 *余談*
夜中に目が覚めてこれを読み始めたら、最初のほうのバイトの面接で、資料をコピーする仕事に対しての「自給は900円」と説明を受けている場面があり、大衝撃。なんてこった、今の私よりも高給取りです(ひたすらコピーをとるという仕事に比べて私の今の仕事の方が高級であるというわけでは決してないですが)。ワーキング・プアという問題は、もはや他人事ではありませぬ。自分を安売りする私は奴隷です、物乞いです、屑です、ダストです。と、ネガティブ・パワーが久しぶりに炸裂したおかげで、明け方までふたたび寝られませんでした。こんな思わぬ落とし穴もありました。こんなところでハマるのは私くらいかもしれませんが。

観測

2007年02月20日 | もやもや日記
朝の寒さは戻っていますが、ご覧の通り、春はきちゃってます。


近所の田んぼにはこの時期、菜の花が咲き乱れています。この辺りはけっこう町中なのに、田んぼがあちこちにあって驚きます。のどかでよいですね~。
写真の枠いっぱいに撮ると、菜の花はずっと遠くまで咲き続いているかのようです。




こちらは、田んぼの近くにあるどこかのマンションの玄関先で出会ったクロネコ氏。ほっそりとした体つきに、目は薄い緑色の美猫です。仕事に遅刻しそうで慌てていたら、ちゃんと写真におさめることができなくて残念。
「にゃー」と挨拶してくれたときに、息が白く流れていきました。寒かったんです。このへんでは珍しく友好的なネコ氏です。明日の朝も、行ってみようかな。

発掘

2007年02月19日 | もやもや日記
地層を掘り起こしたら、こんなのが出てきたので、壁に貼ってみました。写真はたいそうボケていますが、タルコフスキー版『惑星ソラリス』のDVD宣伝用のポスターです。私の自室には、猫とかペンギンとかゴッホの「夜のカフェテラス」とかリサとガスバールの絵などが貼ってありますが、そこへいきなり『ソラリス』ですよ。うーん、クリスってやっぱちょっとむさくるしいわね。


同時に『シベリア超特急』(下手だっていいんだ!情熱さえあれば! と言わんばかりに映画への愛が燃え盛っています。涙)のも出てきましたが、それはまあ、大事に保管しておくことにしました(別にマイク水野(水野春郎)氏のアップに耐えられないという訳でもないこともないです)。

これらは、昔、秋葉のビデオ屋さんで「ご自由にお持ちください」といって色々なポスターが置かれていたので、ご自由に持って帰ったものです。懐かしいなあ、秋葉原。私はドネルケバブの屋台が好きだったんだよなー。

ブログをカスタマイズしてみた

2007年02月17日 | 手作り日記
つ、つかれた……。
CSSって何だろか…。分かるような、分からないような(と言いつつ、実はさっぱり分かりませんでした。スミマセン)。

ともかく、むちゃくちゃに苦労して、どうにかオリジナルのテンプレートを作ってみました。今朝、4時くらいに目が覚めて、それっきり寝付けずにぼんやりしていたら、不意にブログの改造を思い立ちました。そんなわけで、明け方からほぼブッ通しで必死に作業をして、ようやく一段落ついた次第です。がんばったけど、これが限界……。

うっ……。

いいんです。分からないながらに、わずかばかりは勉強になりましたから。初めてにしては、よくやった! と思います。
まあでも考えてみると、よくやった! と言うのは、完全初心者の私でも半日あればどうにか体裁を整えることができるほどに分かりやすいこの仕組みを開発した人ですね。
うーむ。すごいなー、CSSって。



それにしても……もう春はすぐそこだと言うのに、なんだか寒い感じのデザインになってしまいました。当初の予定では、もっと春めいた雰囲気にするつもりだったのですがねえ。
ああー。タイトル画像は、近いうちに変えることにしましょう。

ヴァレンタイン・デーですね

2007年02月16日 | もやもや日記

そういえば、そろそろチョコの季節ではないですか。

え?
あれ?
今日って、もう16日? 過ぎてる? なんで?


このところ、なんだかやたらと忙しかったら、うっかりチョコの日のことを忘れていました。それと言うのも、私にチョコをくれる人が誰もいなかったからです。私も誰にもあげなかったので、文句は言えませんが。
日頃の感謝を表すことのできる貴重なイベントだったのに、感謝を表すゆとりさえない生活を送っていたとは、いやはや情けない。

と言う訳で、時機を逸した上に、美味しくもならないですが、せめてこんな絵でも受け取ってくださいまし。

みなさま、いつもありがとうございます。

という気持ちが込もっているのかどうなのか、この絵からはいまいち判断がつきませんが、まあ、まあ……。
とりあえず、木の実とチョコって合いますよね。

ついでに、もうひとつの「トリとネコ」

『鉄コン筋クリート』

2007年02月12日 | 読書日記ー漫画
松本大洋(『鉄コン筋クリートAll in One』小学館)


《この一文》
”暴力って好きよ、俺。
 それが絶対的な恐怖で戦慄なら なお、ステキ。
 違うか? オイ、小僧。
 
 暴力って 理に適ってたり、つじつまが合ってたり
 同情的である必要ないだろ。
 苦痛のみが全てを司る。

 傑作だせ、まったく ハハハハ。 ”



昔、スピリッツで連載されていた当時、私はこの漫画の1頁をチラ見して、そのあまりに癖のある画面と暴力的な描写に恐れをなして、その後もずっと読まずにおこうと決意しました。しかし、『ピンポン』の評判の高さに屈して、ついにそれが私の読む初めての松本大洋作品となったのが去年か一昨年。『ピンポン』には血生臭い描写なんて出てこないのですが、私がかつて恐れた通りの衝撃は、やはりありました。というわけで、それ以外の作品は、やはり読めないでいました。
今回、『鉄コン筋クリート』の劇場版が気になったのと「おうちで漫画喫茶計画(つまり家で漫画を読みまくる)」の一環として、原作を買ってきたというわけです。
2作品を読んでみた結論として、私は、松本大洋という人がちょっと恐ろしい。


さて、『鉄コン』を読んでみてどうだったかと言うと、

どうしてこんなに悲しくなるんだ!

という感じです。いえ、この人のこの感じを私は好きなんですけど、でも、どうしようもなく悲しくもなる。なんでなんだろう。このままだとすっきりしないので、今回はがんばって、もうすこし掘り下げて考えてみることにします。

まず、『ピンポン』と『鉄コン』を読んで、すぐに気が付くのは、「対比」ということでしょうか。作品中に登場する人物たちは、それぞれの性質と対になる相手を持ってます。
『鉄コン』では、まず主人公のクロとシロが対。鈴木と藤村も対だと思う。木村は誰と対だろうか…と考えると、この人は、この人自身で対になっていると思う。クロとの遭遇「以前」と「以後」で対になっている。沢田はシロとの遭遇「以前」と「以後」で対に。そういう意味では木村と沢田も対でしょうか。ほかにも、もっと複雑にも対になり合ってます。

うむ、このあたりまではまあ、理解できる。私の理解を越えるのは、多分、主人公とか脇役とか、善とか悪とか、暴力とか愛とか、そういうのが全部同じトーンで語られているような気がするところかもしれません。全部に対して同じ距離感を感じると言うか。
全部とりだして並べてみた上で、そこから特定のものを作者は敢えて選び出している。それが衝撃的です。うまく言えませんけど。とにかくそのやり方が、無茶苦茶に上手い。と思う。やっぱうまく言えません。

それから、『ピンポン』の時にも思いましたが、この人の独特の言語感覚。詩にメロディーが付くと感動が倍増することがあるように(またはメロディーに詩が付くと感動が倍増することがあるように)、この人の言葉にこの人の絵が付くと衝撃が倍増しています。口数は、そんなに多くない。むしろ少ないと思う。いや、多くも少なくもない。ちょうどぴったりの言葉。なんてことだ。

このように、私は、松本大洋という人が恐ろしい。この力が。ぶちのめされますね。


あー、なんか痛いけど、これは悲しいんじゃないような気もしてきた。似てるけど、違う気がする。うん、とにかく好きですよ。面白かった。それは間違いないです。それにしても、この単行本3冊が一冊になってお得であるという「All in One」は、重い! 電話帳のよう。ポスターが付いてていいんだけれども。

『性的人間』

2007年02月11日 | 読書日記ー日本
大江健三郎 (新潮文庫)

《内容》
性に耽溺し、政治に陶酔する右翼少年の肖像『セヴンティーン』。痴漢をテーマに”厳粛な綱渡り”という嵐のような詩を書こうとする少年と青年Jを主人公に、男色、乱交などあらゆる反社会的な性を描き、人間存在の真実に迫る問題作『性的人間』。現代社会の恐るべき孤独感を描いた『共同生活』。政治的人間と性的人間の交錯の中に、60年安保闘争前後の状況を定着させた3編を収める。

《この一文》
”「きみは明日にでもまた、あの自殺行為みたいな、逃げ道のない冒険をするつもりなのかい? もう、ぼくらみたいな救助者があらわれないだろうと見きわめて?」とJはいった。
「明日? とてもだめだよ、いまおれは疲れているし、また次の冒険を決心するまでにはずいぶん永い間、煩悶することだろうと思うよ。ああ、おれは自殺したつもりが、川底からひきあげられてプー、プーと呼吸を回復した間ぬけみたいな気持だよ。救助者は、その間ぬけが自殺を試みるまでにあじわったさまざまな辛い試練のことは考えてもくれないんだから、微笑して愉しげに救助するだけだからなあ。そしてこの世の地獄の火のなかへひき戻すんだから、ヒューマニズムの火掻き棒で」
      ―――「性的人間」より   ”

” ああ、おれはどうすればこの恐怖から逃れられるのだろう、とおれは考えた。おれが死んだあとも、おれは滅びず、大きな樹木の一分枝が枯れたというだけで、おれをふくむ大きな樹木はいつまでも存在しつづけるのだったらいいのだ、とおれは不意に気づいた。
      ―――「セヴンティーン」より  ”



分量の少ないものから読もうと思い、一番後ろに収められた「共同生活」から読みました。それから「セヴンティーン」を、最後に「性的人間」を読みました。

………うっ、どんどん気持ちが沈んでくる。

順応主義者…自己欺瞞…辛過ぎる。どうして3連休の最初のほうで読んでしまうのか。ほんとうはどれを読むか選ぶときに「これはないな」と思って避けるつもりだったのに、なぜかそのまま読んでしまった。ああー。

性的な問題のオンパレード。痴漢に男色、乱交、マスターベーションとしきりに語られますが、その描写はあまりに痛ましい。私個人としては、痴漢はともかく他のはそこまで悲痛な問題だっただろうかと思ってしまいましたが、まあそれは現代的な発想なのでしょうか。これらの作品は60年代を舞台にしていますし、そのころはそういう時代だったのかもしれません。
そういえば、このあいだ偶然テレビで見た60年代を振り返る映像のなかに、17歳の少年が議員を刺殺した事件を取り上げていましたが、まさか「セヴンティーン」がその少年をモデルにしていたとは驚きました。この作品の第二部にあたる「政治少年死す」というのもあるらしいです。出版はされていないらしいので、読めないのが残念です。「性的人間」も面白かったですが(面白いというのはちょっと違う気もしますが、読む前に聞いていたように「笑える」と思えば思えないこともないかもしれません)、今回は「セヴンティーン」が妙に印象的でした。

性的な表現はあいかわらず強烈ではありますが、もちろん問題はそれだけに止まらず、社会とも深く関わっていくようです。それでもって、とどめなく憂鬱になる。でも、なんでだろう。

読むごとに気が重くなってゆくようですが、しかしここでは止められない。次は『治療塔惑星』、その次は『万延元年のフットボール』を読むとしましょう。

買った

2007年02月09日 | 読書ー雑記
『悪魔のような女たち』ジュール・バルベー ドールヴィイ
『怪奇小説傑作集4<フランス編>【新版】』G・アポリネール 他
『東欧SF傑作集 (上)』カリンティ
『東欧SF傑作集 (下)』ネスヴァードバ


3連休前で気持ちが昂っていたためか、ついアマゾンで書籍を大量注文してしまいました。ああ、はやく、はやく届いて! 『怪奇小説~フランス編』はこないだ買ったばかりですが、これで2冊目。職場の女の子に貸したら、彼女はそのまま仕事をお辞めになったので。こんなことなら「差し上げます」と言っておくんだったー。

ガルシア=マルケスの『コレラの時代の愛』も買うつもりでしたが、それは次回に。来週あたり鳥類図鑑と一緒に買うことにしよう。……なぜ2回に分けるのか……。ほんとうは一気に全部注文したかったのですが、今日は昼休みに一度帰宅して注文していたので、冷静に考えている時間がなかったのですよ。いや、まあ、今からまた新たに注文してもいいんですがね…。


さて、興奮して4冊も買ってみたものの、3連休でどのくらい読めるのか。そもそも、まずは図書館から借りた本(やはり4冊くらいある)を読まねばならないし。それに、読書もいいけど、他にもしたいことがあるし(漫画喫茶に行く、とか)。


あー、そわそわ。