
トーベ・ヤンソン=作・絵 小野寺百合子=訳(「ムーミン童話全集7」 講談社)
《あらすじ》
ムーミンパパは、ある日、あたらしい生活をもとめ、一家をつれて海をわたり、小島の灯台もりになりますが……。
《この一文》
”「もちろん、わたしたち、いつでもピクニックをしているわけにはいかないわ。ピクニックはいつかはおえなければならないでしょ。あるときふいに、また月曜日みたいに感じるのじゃないかと、わたしはそれがこわいの。そうしたらわたし、いまの生活が現実だとは思わなくなりそうで……。」
こういってママはだまりこむと、そっとムーミンパパのほうを見ました。
「なに、もちろんこれが現実さ。いつでも日曜日だったら、すばらしいじゃないか。そういう気持ちこそ、われわれが見うしなっていたものなんだ。」
と、ムーミンパパはびっくりしていいました。
「いったい、なんの話をしているのさ。」
と、ちびのミイがききました。 ”
これまでのシリーズとは趣がやや異なるようです。
一家はムーミン谷を離れ、海の彼方の島にある灯台で暮し始めます。新しい生活に意欲を燃やすパパ、新しい生活を整えようと頑張りながらもムーミン谷を思いホームシックにかかるママ、美しい「うみうま」に憧れながらもモランのことも頭から離れないムーミントロール、いつでもどこでも変わらないちびのミイ。新しい環境は、ムーミン一家にこれまでとは違った関係をもたらします。少しずつ家族がすれ違っていく様は、少し悲しい感じがします。
先日、TV番組で見たのですが、この『ムーミンパパ海へいく』と『ムーミン谷の十一月』は、シリーズの中でも特に大人向けに書かれた作品であるそうです。時が流れて、家族も少しずつ変化していきます。
いつまでも一家の子供と思われていたムーミントロールも、パパとママにとっては確かに子供に違いないのですが、わずかながら青年になる兆しが表れ始めるのでした。彼は、美しく不可解な「うみうま」に恋焦がれる一方で「あまりその人のことを考えてはいけない」と言われている「モラン」とも密かに関わりをもつようになります。家族に対する反抗心も出てきます。
ムーミンパパは、一家のリーダーとして張り切りますが、島の生活は謎と困難に満ちていて、あれこれと上手くいかなくては怒り出し、また、父親らしくふるまうということの難しさを自覚したりします。
ムーミンママは、当初は島でも家族のためにムーミン谷いた頃と同じように生活を整えようと思いますが、そのうちに自分で描き上げたムーミン谷の庭の世界でひとりで過ごすようになるのでした。
あまり変わらないのはちびのミイだけで、彼女は島でもいつもの彼女のままでした。変わっていくことにとまどっているかのような家族を立ち直らせるのは、いつもミイの一言です。彼女のように強い独立心を持って生きていくならば、きっといつでもどこでも自分を見失ったりはしないんだろうなあと思います。ミイを変えることができるのは状況ではないのかもしれません。場合によって左右されない自分を持っているというのは素晴らしいことですね。
今回の物語はやはりどこか悲しいです。これまでのムーミンの物語は何度読んでも楽しめそうだと思ったのですが、今度のはどうも楽しめません。それでも、やっぱり何度でも読んでしまうだろうとも思います。まだよく分からなかったところが沢山あるので。いずれまた読む必然が生じるでしょう。
さて、最終作の『ムーミン谷の十一月』は今手許にあるのですが、読めるかどうか分かりません。この物語の結末については、このあいだ見たNHKの番組で放送されていたので知っているのですが(うっかり見てしまいました、くっ)、私は物語がそこでおしまいになってしまうことに耐えられません。うーむ、ムーミン一家がこれからどこへ向かうのかは気になるけれど、これはもうちょっとあとで読もうかな……。