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もやもや日記

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『秒速5センチメートル』

2009年02月27日 | 映像(アニメーション)
監督:新海誠
製作総指揮:新海誠
脚本:新海誠
出演者:水橋研二/近藤好美/尾上綾華/花村怜美
音楽:天門
配給:コミックス・ウェーブ・フィルム(2007年)

《あらすじ》
小学校の卒業と同時に離ればなれになった遠野貴樹と篠原明里。二人だけの間に存在していた特別な想いをよそに、時だけが過ぎていった。そんなある日、大雪の降るなか、ついに貴樹は明里に会いに行く……。
貴樹と明里の再会の日を描いた「桜花抄」、その後の貴樹を別の人物の視点から描いた「コスモナウト」、そして彼らの魂の彷徨を切り取った表題作「秒速5センチメートル」。3本の連作アニメーション作品。





どんな風に解釈するべきなのか、私には分かりません。私には遠野君が追いかけているものが本当は何なのかがよく分からなかったし、彼はなぜ自ら孤独であり続けるのかも分からなかったし、ほかにもいろいろなことが分かりませんでした。
分からないことだらけではありますが、しかし、激しく伝わってくるものがあったのは事実です。私は最後まで我慢できると思っていたのに、最後でどうしても我慢できずにぽろぽろと涙がこぼれました。私はこの作品を正しく理解できないかもしれませんが、ここにたくさん盛り込まれたイメージの美しさを正しく感じることはできたと思います。美しいイメージが折り重なっています。痛いほどに美しい。

種子島から、宇宙を目指して探査機が打ちあがる。白煙を上げて上昇する光の塊を見上げる二人。探査機はこのあと、誰とも出会わない孤独な空間を、目的のためにただ真っすぐに、長い時間を進んでいく。

ロケットはその行く末への期待と恐れを抱きながらも上昇するが、ふとこれまで来た軌道を振り返ると、あとに残された白い煙ははじめはそれで影を作るほどに確かな存在に感じられたのに、たちまちその形を崩して消え去ってしまう。この心細さはどうだろう。

いつからか私も、ただ闇雲に遠くへ、もっと遠くへと願いつづけているのだけれど、ふと振り返ると、あの日あの時あの人たちがあまりに遠ざかってしまっていることに気が付いて、立ち尽くしてしまう。取り返しがつかないほどの隔たり。この心細さはどうだろう。もはや、たった一言さえ、彼らには届くことがない。私たちの接触はいつだって瞬間のものだった、それっきりのものだったと思い知る。今はまだ思い出のなかにある温もりも、いつかは、やはり煙のように消えてしまうだろう。

このことの心細さに、私はもうここから一歩も進みたくないと思ってしまう。でも、うずくまって目を閉じると、依然として猛スピードで運ばれている自分を感じる。進行方向には、ずっと見えていた目印がまだ小さく光っている。そうだ、いずれにせよ、私は進まなければならないし、立ち止まることは不可能だ。

あとに、何も残らなくてもいいのです。
突進する私たちがそれぞれに抱えるものが、孤独であれ、ほかのなにかであれ、ひたすらに突進するその姿にいくらかの美しさがあるのなら、それでいい。これを美しいと思えるのなら、それでいい。



距離とか速度とかいうことを、考えさせられます。少しずつ遠ざかっていくもののことを。はじめから交わりさえしないもののことを。目指したとしても決して手に入れることができないもののことを。

『秒速5センチメートル』。
恐ろしいほどに広大なこの世界にあって、言葉はいつも、それが届かないことを前提に発せられているのではないかと思えてきました。すれ違い、遠ざかり、途絶えてしまう。
いや。言葉も、想いも、それが到達することよりも、湧きあがって発せられること自体にすでに美しさがあるのかもしれない。向かっていく、ただそれだけの美しさを、私は美しいと思う。自力で飛び出すにしろ、否応なく押し出されるにしろ、動き始めたものが動き続けようとするならば、どこへ向かったとしてもその軌道は、誰かがつい見上げるほどに美しいものとなりはしないだろうか。




秒速5センチメートル。
桜の花びらが舞い落ちる速度だそうです。あの美しさをこんなふうに切り取ることができるだなんて、私は知らなかった。もうすぐその季節が、やってきますね。





『年刊SF傑作選 4』

2009年02月26日 | 読書日記ーSF
ジュディス・メリル編 宇野利泰訳(創元推理文庫)



《収録作品》
*「新ファウスト・バーニー」ウィリアム・テン
*「ジープを走らせる娘」アルフレッド・ベスター
*「二百三十七個の肖像」フリッツ・ライバー
*「とむらいの唄」チャールズ・ボーモント
*「ユダヤ鳥」バーナード・マラマッド
*「二つの規範」フレドリック・ブラウン
*「明朝の壷」 E・C・タブ
*「カシェルとの契約」ジェラルド・カーシュ
*「酔いどれ船」コードウェイナー・スミス


《この一文》
“悪行にたいして、人の受ける罪は、その結果を見つめ、苦しまなければならぬことだ。
  ――「二百三十七個の肖像」(フリッツ・ライバー)より ”



『年刊SF傑作選』の4巻です。
編者のジュディス・メリル氏が6巻の前書きでも書いていましたが、この「SF傑作集」に収められた作品は、いわゆる「SF小説」だけでなく「幻想小説」「怪奇小説」とも分類できそうなものも多いようです。どのように分類したらよいのか分からないけど、とにかく不思議な物語。第3巻に引き続き、どれもこれも奇妙な味わいです。面白かった。


*「新ファウスト・バーニー」(ウィリアム・テン)
これはとても奇妙な物語。果たして事件は本当に起こったのか……?
バーニーのオフィスに見知らぬうすぎたない小男がやってきて「二十ドルを五ドルで買わないか?」ともちかける。バーニーはいったん男を追い返すも、結局ふたりはおかしな取り引きを結ぶことになり……というお話。
取り引きの内容がずんずんと大きくなっていってハラハラします。バーニーは最後には地球を売り渡すところまでいってしまいます。彼の視点で語られる一切はしかし、あくまでも彼の推論に過ぎず、いったいどこまでが真相に行き当たっているのか分からないところが面白い。



*「ジープを走らせる娘」(アルフレッド・ベスター)
どうやらアメリカに核爆弾が落ち、街中の人間が瞬時に消滅したらしい。無人の街を、金髪の娘がジープで走り回っていると、ある日彼女はひとりの男と出会い……というお話。
核汚染ということに関してその認識はちょっとナメ過ぎではないかという疑念もわきますが、ともかく大惨事のあとに生き残った女と男の物語でした。無人の街での生活の様子は興味深く読むことができます。ショーウィンドーをぶち破って店に侵入し、サイズの合うスカートや食料品を持ち出すのですが、お金はちゃんと払う…みたいな。
かなり面白かったです。ただ、どう言っていいのか分かりません。そこはかとなく怖い物語でした。たまたま生き残ったふたり、互いのことをまったく知らないふたりは、どうやって相手のことを信用したらよいのでしょうか。


*「二百三十七個の肖像」(フリッツ・ライバー)
フリッツ・ライバーは、第3巻収録の「電気と仲よくした男」で初めて知ったのですが、どうやらこの人の作品は面白いようです。この「二百三十七個の肖像」もかなり面白かった。
名優フランシス・ルグランドは引退後、大量の肖像画を遺すことにした。彼の死後、一人息子のフランシス・ルグランド・ジュニアは酒に溺れ、屋敷に引きこもっていると、父の肖像が話しかけてきて……というお話。
うーん。面白い。どことなくとぼけた味わいがあって、私は好きです。妙に面白い。他のも読みたい。


*「とむらいの唄」(チャールズ・ボーモント)
これはたいそう不気味でした。
ロニーは子供のころ、ソロモンをはじめて見た。どこからともなくソロモンが現れると、村中の人々は彼のあとについて歩いた。彼の行く先を知りたかったからだ。なぜならソロモンには「人の死期が分かる」からであり、彼の訪問を受けた家からは必ず死者が出た。しかしロニーはそれを信じることができず……というお話。
こ、怖い!!
とにかく気持ちが悪かったです。あー、怖い。


*「ユダヤ鳥」(バーナード・マラマッド)
冷凍食料品のセールスマン、ハリー・コーエンの家の窓に、一羽の痩せた鳥が飛び込んできた。カラスに似たその鳥は「ユダヤ鳥」と名乗った。しゃべる「ユダヤ鳥」シュワルツとコーエン一家との生活が始まり……というお話。
「反ユダヤ主義者」というのがキーワードですね。マラマッドもユダヤ人ではなかったでしょうか。


*「二つの規範」(フレドリック・ブラウン)
フレドリック・ブラウンという人は、洒落た、遊び心のある人だったのでしょうか。第3巻収録の「人形芝居」も、人をおちょくったような展開のお話でしたが、この「二つの規範」もまた独特です。
スクリーンに男女が映っている。おれは彼らのあまりに大胆な行動に、思わず画面に目が釘づけになってしまうのだが……というお話。


*「明朝の壷」( E・C・タブ)
最初は盗まれた壷をめぐるミステリーかと思ったら、まさかの超能力ものでした。面白かった。
ある古美術商から高価な壷が盗まれた。犯人を追うCIAの特別捜査課員のグレグソンは、勘の鋭い男だったが、追っているのは未来を知る能力のある人間で……というお話。
状況が二転三転して、とても面白かった。未来を変えることは可能か? という大きなテーマを扱っていました。閉塞のなかにも希望の持てる短篇。


*「カシェルとの契約」(ジェラルド・カーシュ)
別記事でも書いたので、感想は省略。

*「酔いどれ船」(コードウェイナー・スミス)
これはまだ読んでいません。明日までに図書館へ返さないといけないので、間に合えば読みたいですが、どうも気が乗りません。



第3巻と第4巻を読んでみた感触では、どうも借りて読むよりも所有していた方が落ち着いて読めそうな感じです。うーん。持っておきたいなあ。しかし、また増えてしまうしなあ。
とりあえず、まだ第6巻も借りてあるので、それを読んでしまいたいと思います。



雨、雨、雨。

2009年02月24日 | もやもや日記

雨が続きます。今週はずっと雨なのでしょうか。
暖かくなってきているんだなあ。





昨日は、エスプレッソ用の豆をミルで粉砕する前に、ものの試しに一粒かじってみたところ、大変なことになりました。
まず、とっても苦い!!
そして、たちまち動悸がスゲーッ!!
ドキドキ!(というか、ズガッズガッ!という感じ)
やっぱカフェインて凄いなあ。と体感した次第です。
ついでに、私はコーヒーが好きな割にはカフェインには弱いのかもなあ。と実感した次第です。

今朝は挽きたての粉でコーヒーをいれたら、これが濃すぎたようで、一日中ドキッてます。うーむ、刺激物。気持ちいいね。たまらんね。


さて、そろそろやるべきことをやらねば……
コーヒー飲んで、がんばるぞー!



ツルバミ表紙サンプル

2009年02月23日 | 同人誌をつくろう!


同人のみなさま、こんにちは!
さて、実際に試し刷りしてからご報告すべきとは思いつつ、先走って表紙について一言申しあげたく。

今回の冊子は、並製本(ソフトカバー)にしようと考えています。それで、表紙には「レザック」という厚手の紙を使用。これは、しばしば製本用表紙に使用される丈夫な紙です。文集とか会社の資料の製本にも使われますよね。とにかく扱いやすいので、私としては出来ればこの紙にしたいところです。

問題は、「何色にするか?」ということですが、当初は茶系を考えていましたが、春が近付くにつれて明るいパステル系にも惹かれてきました。まだどの色が入手可能か調べていないのですが、大型の文具店へ行けば、かなりの色が用意されているような気がしています。あやふやなことを言ってて申し訳ないのですが、とりあえず何パターンかサンプルイメージを作りましたので、みなさまのお好みも伺いたいですね♪

前回が「白」だったので、今回も「白」に統一してもよいですし、ちょっと違う色にしてもよいですし。
まあ、入手可能なのは何色なのかとっとと調べてこい! っていう話なのですが、「目下私はこういうことを考えています」というご報告でした f^^; ふがいなくてスミマセン;

進展したらあらためてお知らせしますので、どうぞよろしくお願いします~!



荒行中……

2009年02月21日 | もやもや日記
ただいま……『ONE PIECE』を(こないだ47巻まで手に入ったので)読んでます。……まだ、今、17巻が終わったとこ……チョッパーのエピソードでは、涙をこらえるのが精いっぱいです、うぅうぅ。


えーとつまり、まだ残り30冊あんのか。ほかにもやらなきゃならないことがあるのは分かっていますが、しかし! おれはやるぜ! 漫喫で急ぎ読みをしたときはいまひとつ理解できなかったことも、ようやく理解できるというものだぜ! ちくしょーッ、待ってろよ!
とゆー勇ましい気持ちになるんですね、この漫画を読むと。なんですかね。いやしかし、せめてソゲキングが出てくるところまでは読みたいぜ! おー!!

それから、I氏には超感謝! 超サンキューです!


ではでは…私、まだ途中なので……



『年刊SF傑作選 3』

2009年02月20日 | 読書日記ーSF
ジュディス・メリル編 吉田誠一訳(創元推理文庫)


《収録作品》
*「不安全金庫」 ジェラルド・カーシュ
*「恐怖の七日間」 R・A・ラファティ
*「玩具店」 ハリー・ハリスン
*「木偶」 ジョン・ブラナー
*「電気と仲よくした男」 フリッツ・ライバー
*「生贄の王」 ポール・アンダーソン
*「クリスマスの反乱」 ジェイムズ・ホワイト
*「世にも稀なる趣向の奇跡」 レイ・ブラッドベリ
*「あのころ」 ウィリアム・F・ノーラン
*「狂気の人たち」 J・G・バラード
*「アンジェラのサチュロス」ブライアン・クリーヴ
*「人形芝居」フレドリック・ブラウン
*「地球人、ゴー・ホーム!」マック・レナルズ
*「分科委員会」 ゼナ・ヘンダースン


《この一文》
“「それで?」
 「それで、戦争が必要なのだ。――いや、待った! 〈死の商人〉とか〈独裁者は外敵を必要とする〉とか、宣伝文句めいたことを言っているんじゃない。闘争は文化に内在していると言いたいのだ。生活様式そのものによって民衆の中に醸成されている破壊欲にはけ口を与える必要がある。その生活様式は人間の進化の方向と合致していないのだ。」
  ―――「生贄の王」(ポール・アンダーソン)より ”




初めて知った作家の作品が多くありました。『SF傑作選』とありますが、これはSFだろうか? というものもあります。どちらにしても面白ければそれでいいのでありますが。


私は次から次へと夢のように読んだものの中身を忘れてしまうので、備忘録としてそれぞれの作品について一言ずつ書いておこうと思います。というわけで、以下に簡単なまとめ。


*「不安全金庫」(ジェラルド・カーシュ)
先日別の記事にも書きましたが、今私がもっとも気になっている作家のひとり ジェラルド・カーシュの短篇。タイトルの通り、「不安全」な「金庫」のお話。この場合、「不安全」なのは「金庫」の中身です。弗素八〇+(プラス)という危険な物質が、地球を吹き飛ばしてしまいそうになります。


*「恐怖の七日間」(R・A・ラファティ)
かなりユニークでユーモラスな短篇。意味はよく分からないのですが、物質を消失させることのできる魔術的な道具を使って、クラレンスという子供が街中の人や物を次々消し去ってゆき、人々は大混乱! というお話。


*「玩具店」(ハリー・ハリスン)
空中に浮かぶ模型ロケット船。それを持ち上げているのは実は目に見えにくい黒い糸、という詰まらない仕掛けの手品セットを売り歩く若者。しかし彼には実は狙いがあって……というお話。
せっかくの技術と知識を、なかなか自らの儲けにつなげられない技術者の切なる願い、といったものを感じさせられます。


*「木偶」(ジョン・ブラナー)
これはかなり怖かった。ある病院でウィルズはひとつの実験が行っていた。ベッドに眠る被験者達は、夢を見そうになるとそれを妨害されるようになっている。脱落者が続出する中、ひとりの男だけがずっとその実験に耐えている。しかし、同時にウィルズの周りでは奇妙なことが起こり始めて……というお話。
なんとも不気味。胸が悪くなるような読後感です。面白かった。


*「電気と仲よくした男」(フリッツ・ライバー)
とぼけたタイトルがいいですね。内容もわりかしとぼけていますが、ちょっと恐ろしい。高圧線の電柱のすぐそばの山荘を借りることになったレバレット氏は少し風変わりな人物で、彼は電気をこよなく愛しており、しかも電気と話ができると言う……というお話。世界中を駆け巡る電気と話せるレバレット氏が、ある日、電気から「電気の世界連邦が成立した」と告げられて、びっくり仰天するところが最高に面白かったです。


*「生贄の王」(ポール・アンダーソン)
びっくりするほど皮肉な結末。
人類はその争いの場所を地球上から宇宙へと移していた。地上での戦闘は無くなったが、宇宙での戦いは熾烈を極め、宇宙飛行士たちはいずれも悲惨な最期をとげる運命にあった……というお話。
短いですが、かなり深刻で、考えさせられる物語です。「生贄」であるのは敵、味方にかかわらずすべての宇宙飛行士であり、彼等は地上の平和のためにその命を犠牲にしなければならない。敵のユネシアン軍に捕らえられたアメリカ軍のディーアス中尉は、ユネシアン艦のロストック将軍とある取り引きをする。ロストックの驚くべき提案によって、宇宙飛行士たちは新たな、自分達の道を選択できるかもしれない……それなのに。うーむ。悲しい結末です。


*「クリスマスの反乱」(ジェイムズ・ホワイト)
クリスマスにサンタからプレゼントを貰うのを楽しみにしている子供たち。しかし、彼らはクリスマス当日を待ちきれない。サンタはどこにプレゼントを隠しているのだろう? そして、みんなでその秘密を探るのだか……というお話。子供たちにはそれぞれ特殊な能力があるらしく、子供らしい好奇心だけで危険な場所に寝間着のまま侵入してしまうので、ハラハラさせられます。とんでもない結末になるかと恐れましたが、意外とハッピーエンドでした。良かった。


*「世にも稀なる趣向の奇跡」(レイ・ブラッドベリ)
ウィルとボブのふたりの生涯はどうもツキに見放されたみじめなものだったが、ある日、砂漠で不思議な蜃気楼の街に遭遇する……というお話。
幻想的です。ブラッドベリって、センチメンタルな物語が多いような気がしますね。


*「あのころ」(ウィリアム・F・ノーラン)
ある日、蝶が〈ラ・ボエーム〉をハミングし、赤ん坊を抱えた大きな斑猫が二本足で駆け抜けていき、ネズミとちょっとした会話をし、友達のウォリーはラクダになってしまった。わたしは急いで精神科医のメーローシン医師に会いに行こうと思うのだが……というお話。
妙に面白かった。こういうのは好きですね。気持ちの悪い夢みたいな、カラフルなイメージのお話です。


*「狂気の人たち」(J・G・バラード)
……バラードって!!
『結晶世界』を読んだことがありますが、バラードはこれで2作目。世界ではとうの昔に精神科医による医療行為は禁じられていた。彼はかつてそれを犯したために投獄され、今さっき出所してきたばかりだった。彼はもう仕事には関わりたくないと思っているのに、彼の前には次々と患者が現れて……というお話。
お? 面白くなってきたな……というところで終了! バラードって!!
私はどうもバラードとは相性が悪いようです……。


*「アンジェラのサチュロス」(ブライアン・クリーヴ)
おとぎ話のような不思議な短篇。
水浴びをしていたアンジェラは、ある日美しい少年と出会った。驚くほどに美しい彼はしかし〈半人半獣(サチュロス)〉で、彼らの恋はなかなか成就できなくて……というお話。
おとぎ話のようなのですが、ところどころが確かに現代社会らしくて、奇妙な味わいでした。面白かった。


*「人形芝居」(フレドリック・ブラウン)
非常にユーモラスな作品。
チェリーベルに恐ろしいものがやってきた。ロバにまたがったデイド・グランドという老人と、そのロバに引きずられて運ばれたガーヴェインという人間に見えなくもないが、真っ赤な皮膚と青緑色の髪や目を持つ無気味な人物。
オチに至るまでの二転三転が愉快です。


*「地球人、ゴー・ホーム!」(マック・レナルズ)
地球上のあらゆる旅行地に行き尽くした地球人におすすめする、火星旅行ガイド。ふざけた火星紹介には笑えます。地味に面白かったです。


*「分科委員会」(ゼナ・ヘンダースン)
こういう風にあっさりと他者と分かりあえたらいいのですが――。
当然空から降り立ったリンジェニの黒い大きな宇宙船。建設された壁を挟んで、戦闘と和平交渉が繰り返されるが、彼らの目的は不明なままだ。そんな折り、セリーナの5歳の息子スプリンターは、壁の下を掘って、向こう側へ忍び込み、そこで自分と同じくらいの毛だらけのドゥーヴィーと出会い……というお話。
男たちが始めから対立しあって交渉を続けるなか、セリーナとミセス・ピンクという、それぞれの種族の子供の母親の交流を通して和平に至る、という、こんなうまい具合にすべての紛争が解決すれば世話はないわなと思わざるを得ません。しかし、まるで道徳の教科書のような模範的な、未知の他者に対して楽観的・肯定的に過ぎる態度でもってあらゆる危機に有効に対応できるのか、というだけではとうてい反論になりません。どうしてこういうことの実現が難しいのか、そこを考えなくてはならないのでしょう。理想論だ、と無闇に反発するだけでは不足です。



さて、次は『傑作選』の4と6も読まないと。




『マノン・レスコー』

2009年02月18日 | 読書日記ーフランス
アベ・プレヴォ作 河盛好蔵訳(岩波文庫)



《あらすじ》
シュヴァリエ・デ・グリューがようやく17歳になったとき、マノンという美しい少女に会う。彼が犯した幾多の怖ろしい行為はただこの恋人の愛を捉えたいがためであった。マノンがカナダに追放される日、彼もまたその後を追い、怖ろしい冒険の数々を経て、ついにアメリカの大草原の中に愛する女の屍を埋める。
この小説はプレヴォ(1696-1763)の自叙伝ともいわれ、18世紀を代表するフランス文学の一つ。

《この一文》
“ところでもし想像を逞しうして、これらの不幸も、結局は望み通りの幸福な結果に至るのであるから、その不幸それ自体のうちによろこびがあるというのだね。それならどうして君は、これと全然同じ構造だのに、僕の場合では、矛盾とか無分別とかいうのであるか。僕はマノンを愛している。僕は無数の苦難をとおして、彼女の傍で幸福に、平和に暮らそうと志しているのだ。僕の歩いている道は嶮しいが、自分の目的に達するという希望で心はいつも楽しいのだ。 ”



これを単なる恋愛小説と読むことは可能ですが、本書の前書きにある作者の言葉にしたがって、それ以外の問題をはらんだ物語と読むこともできることに私は賛成します。それにしてもあまりに激しい急展開に、私はついていくのがやっとでした。恐るべき物語の前に久しぶりに絶句。

主人公の青年 シュヴァリエ・ド・グリューは、家柄にも恵まれ、学業も優秀、温和で誠実、おまけに大変な美男子でもあり、まったく非の打ち所のない将来有望な若者です。ところが、ある日マノンという絶世の美少女と出会って運命を一変させてしまいます。マノンが美しいだけの少女であれば、物語は別の展開もありえたかもしれませんが、残念ながら彼女は快楽と浪費を何よりも愛し、そのためには貞節などまったく問題としない女でした。彼女によって何度も裏切られ、傷付きながらも、シュヴァリエはマノンを愛さずにはいられず、そのために全てを失い、最後には彼女自身さえも永久に失うことになるのでした。

で、このシュヴァリエですが、ほんとうにどうしようもない男です。恋の熱狂に浮かされて、家族をも友人をも裏切り、マノンとともにどこまでも転落していきます。もう見ていられません。彼の愚かさには実に堪え難いものがあります。浮気なマノンから離れれば楽になると分かっていて、それができないのです。

しかし、しかしシュヴァリエの愚かさを、いったい誰に笑うことができるでしょう。私はただただ恐ろしさに震えるばかりで、とうてい笑う気になれません。恋に狂った若者が破滅するというひとつの例によって、人間が「こうしたほうが良いとは分かっているが、しかしどうしてもそのようにできない」という局面に立たされたとき、彼はそこでどうすべきか、その問題をどう考えるべきか、そもそも彼はなぜそんな局面に陥ってしまうのか、社会的通念と彼の信条が折り合わないとしたらそういった個人または社会の幸福は両立し得ないのか、といったことを考えさせられます。

シュヴァリエの幸福はマノンとともにやってきますが、同時に彼の苦悩もまたマノンによってもたらされます。彼女の愛を得るために彼自身の真心だけでは足りず、莫大な財産が必要であるものの彼にはその財産がない。金策のため、はじめは気が進まなかったけれど、次第に多少の悪事を厭わなくなっていくシュヴァリエ。父や友人を裏切ってでも、ひたすらにマノンを求めるシュヴァリエ。この激しさは私をたいへんに恐れさせるけれども、それは私のなかにもいくぶんシュヴァリエ的な性質が潜んでいるからでしょう。そして同時に、彼がどうしようもなく転落していくのをまのあたりにし、手を差し伸べずにいられない友人のチベルジュとしての私の姿をも見いだせます。二人の葛藤は、私の、読者の心の葛藤でもあると言えるでしょう。愛による幸福か、美徳による幸福か。私たちはどちらの道を選ぶべきなのでしょうか。人間の魂にとってどちらが、より正しい、あるいはより優れていると言えるのでしょうか。

社会に生きる人間として、なるべく周囲との摩擦を避け節制し他者を思いやる美徳のうちに暮らそうとするのが求められる正しい態度と言えるのかもしれませんが、それでも誰しもが、どこかしら他人に何かを強いているところもあるのではないでしょうか。程度に差はあれども、丸っきり一人でこの世界に存在しているのでないならば、自分の幸福を実現するために、誰かを利用したり押しやったりしているのではないだろうか。私はそのことに無自覚であるだけではないだろうか。無自覚でいたいだけではないだろうか。しかし、気付かないでいられるということをもって自分には非がないと言ってしまえるものだろうか。
「もっとこうしたほうがいい」と分かっていながら、いつもそのようにすることはできなかった。このためにたくさんの人を傷つけたし、またこれからも傷つけるだろう。私にはやはりシュヴァリエの愚かさと薄情さを責めることはできない。幸福の実現ということを、どう考えたらいいのだろう。幸福ということを、どう考えたらいいのだろう。


ずっと素通りしてきた本書ですが、一昨日になって急にものすごい存在感を発揮し、私は買う気になりました。これまで何度となくあらすじを読んでいたのに、どうして急に面白そうに思えたのか不思議でたまりません。そして読んでみると、予想を遥かに超えて面白かったので、これまでずっと素通りできていたことがまた不思議でたまらないのでした。


ツルバミもくじ案

2009年02月17日 | 同人誌をつくろう!


同人のみなさん、こんにちは!

冊子版のもくじをデザインしてみたのですが、いかがでしょう?
我ながら、かなり手抜きな感じが否めません;

私はアールデコ風にしたかったのに、七転八倒するうちにいつの間にかアールヌーボー風になっていました。しかも背景の装飾枠は借り物ですし……(/o\;) うーむ。表紙とのバランスが悪すぎるような……(というか、表紙のデザインはアレで良かったですか? 葉っぱの……)
というわけで、若干煮詰まっています。誰か助けて下さい。なんでもいいので、みなさまからのご意見をお待ちしております。
大変にお忙しいところとは存じますが、出来れば一言お願いします!


それと、先日(2/4くらいに)お送りしたアンケートのお返事をいただけると助かります(^^) まだ急ぎませんが、ちょろっとお答えいただけると有り難いです。
「え? そんなメールは届いてない」という方は、ご一報下さいませ。あらためてお送りします。よろしくお願いします!

来週あたり、試し刷りが出来ればなあ、と考え中です。
しかし寒いですね。どうか風邪など引かれませんように!



ぶわっ

2009年02月16日 | もやもや日記
帽子が……




昨日まで暖かでしたが、今日からまた寒くなってきました。風も強いし、冬って感じですね。こんなに急激に気候が変わると、どっか具合が悪くなりそうな予感…。風邪には気をつけないと。

このごろは久しぶりにSFにハマっていて、あれこれとSF短篇集を読み漁っているのですが、同時に何冊も並行して読んでいるせいか、どれがどの本で、誰の作品だったかが曖昧です。でも、ラヴクラフトの「異次元の色彩」は面白かった。むちゃくちゃ怖かった。他のも読んでみたいところです。
SF以外では、夢野久作の『死後の恋』を読んだのですが、超絶鬱な展開に、もう何もかも投げ出したくなりました。暗黒! 私はああいうのはダメだ(/o\;)!

K氏が友達から借りてきた有野課長の『ゲームセンターCX』を見たら、無性に「スーパーマリオ3」をプレイしたくなりました。ああ~、懐かしい。久しぶりにやりたい。で、ゲームボーイアドバンスのソフトを買おうか思案中です。でもその前に、Wii の『マリオギャラクシー』が途中なので、そっちから終わらせないと; DS の『新スーパーマリオブラザーズ』は根性でクリアしたのですがね。でも7面だけは到達できなかったので(普通のやり方では第7ステージに進めないのです)、いずれコンプリートしたいな。

そう言えば、近所の行きつけの漫画喫茶が、このところしきりに「○○フェア」と言っては割引サービスを連発しているので、近いうちに行っておきたい。今月はまだ行ってないや。読みたい漫画がいくつかあるんだよなあ。このあいだ行った時のヒット作は、椎名軽穂さんの『君に届け』。ヤバ面白かったです。

ところで、ラッコの生態についてですが、ラッコは水面に浮かんでノンビリ暮らしているように思っていたのに、実は結構忙しいらしい。彼らは1日に10kg 近くの貝やウニを食べますが、食事をしていない時にはせっせと顔をグニグニ撫で回したり、体を擦ったりしています。これはラッコの毛皮のあいだに空気を入れるためなんだそうです。空気を含ませて断熱効果を生んでいるらしい。ついでに、鼻と手足の先には毛がないので、この部分は水に浸からないよう細心の注意を払っているとのこと。ふーん。
ラッコの子はおよそ半年で独り立ちしますが、「独り立ちする」というよりも「独り立ちさせられる」という感じでもありました。ラッコの子がだいぶ大きくなってきたある日、彼が寝ている間に母ラッコは黙って失踪。前置き一切なし。超クール。当然、子ラッコは大パニックですが、2、3日ですっかり立ち直るところは逞しいですね。素晴らしいですね。
巣立ちで面白いのは、アデリーペンギンも同様。両親に甘やかされて破裂寸前のラグビーボールみたいに肥え太った子アデリーペンギンですが、大海原の荒波にビビって何日も波打ち際に立ち尽くし、激ヤセ! しかし空腹に耐えかねてとうとう海に飛び込む、みたいな。感動ですね。



おお、こんな脈絡のないことに1000字も使ってしまいました。スミマセン。



ジェラルド・カーシュ 3つの短篇

2009年02月15日 | 読書日記ー英米

ジュディス・メリル編 吉田誠一訳(創元推理文庫)



*「不安全金庫」(『年刊SF傑作選3』所収)
*「カシェルとの契約」(『年刊SF傑作選4』所収)
*「遠からぬところ」(『年刊SF傑作選6』所収)

《この一文》
“ひょっとすると、ぼくの仲間のうち一人ぐらいは、平和と静けさが訪れるまで生きのびられるかもしれない。平和な時代など、ぼくは知らない。だが、いつかそういう時代がやってきて、だれかがこんなことを言うかもしれない――「子供らよ。当時われわれは手榴弾を投げ合っていたのだ、今おまえたちがボールを投げ合っているようにね。そのころ、マーティンという少年がいて、勇敢に戦い……」
 そうなるかもしれない。そうなってほしいものだ。人がほんとうに存在するのは、思い出されるときだけだ。ぼくは全力を尽くして、みんなといっしょに戦ったのだ。死んだ仲間のもとへ行かなければならない。だが、暗闇のなかで、ぼくだと分かるだろうか。」
     ―――「遠からぬところ」より ”



ジェラルド・カーシュの短篇3本。
最近とっても気になっている英国の作家 ジェラルド・カーシュの作品を読みたくて、あれこれと探ってみました。どうやら、私がこれまでに読んだ短篇集に収められていた作品以外にも、いくつかの作品が古い本や雑誌に掲載されていたらしい。そこで早速、図書館で借りられるものから借りてきました。

『年刊SF傑作選』というアンソロジーのシリーズが、かつて創元推理文庫から出ていたようで、そちらにカーシュの3つの作品が収められています。カーシュという人は、作品によって随分と雰囲気が変わる人だなと漠然と感じていた私ですが、この3つの短篇もやはりそれぞれがだいぶ違った印象を与えてくれました。


まずは「不安全金庫」。
ピーター・パーフレメントはかつて原子物理学の分野でちょっとばかり名を馳せたこともあるが、老人となった現在は諜報部から目を付けられている。そんな身の上になったのは、彼がかつて「弗素八〇+(プラス)」という物質を作り上げたことによると言う。「弗素八〇+(プラス)」は寒天のような固い灰色の物質で、潜在的には、天体の衝突に匹敵するエネルギーを有している。潜在的には――。つまりほとんどあり得ないような「ある条件」が揃わなければ「弗素八〇+(プラス)」はその能力を発揮しないのであるが、ちょっとした手違いからその条件が整ってしまい………というお話。

パーフレメント卿が間抜けで可笑しいのですが、結末にはどことなく哀愁が漂います。地球が吹き飛んでしまうかもしれない危機を回避できるのかという焦燥感を煽らるのですが、思わぬ地味な結末が皮肉です。結構面白かった。


次に「カシェルとの契約」。
主人公アイラ・ノクスンは物書きで、金に困っている。原稿料を前借りしようと考えて、小型パルプ雑誌を刊行する経営者兼編集者であるモーン・カシェルに会いに行く。そこで、新しい小説用のネタを披露しながら、アイラはカシェルに「俺の5年分の時間を売ろう」と吹っかけ……というお話。

これは要約するのは難しいです。主人公はカシェルと「時間を切り売りする契約」を結びます。読んでいる間は「なるほど、なるほど」と楽しく読みましたが、落ち着いて考えるとサッパリ意味が分かりません。なんか騙されているような気がする……。詐欺的小説。でも、読んでいるうちはそれに気が付かないというか。繰り返し読むとカラクリが見えてくるかもしれません。いずれにせよ、カーシュらしい絶妙な語り口によって、ぐいぐいと引き込まれる一品。特に、アイラのネタのひとつとして披露される「未来を夢見る少女と過去に憧れる老婆の話」が面白かったです。


最後に「遠からぬところ」。
あとひと月で15歳になるマーティンには家もなにもない。その夜、彼はゲリラ部隊に加わっていて、彼は自由民のひとりだった。平和を知らず戦闘の中に生きる彼には、満15歳になる日は訪れず、あしたか、あさってには、名前も忘れ去られてしまうだろう……というお話。

初っ端から恐ろしく暗いです。どうやらこの世界では長らく戦争状態が続いているらしく、若者たちには家も家族も希望もなく、しかしそれでも果敢にゲリラの使命を果たそうと命を懸けている。この夜は、敵の弾薬倉庫からダイナマイトや導火線や雷管をとってこなければならない。最後までひとつの笑いどころもなく、夢も希望もないまま、しかし若者たちの切実さと優しさだけがほんの瞬間だけきらめく物語です。ただ死んでいくだけの世界にあっても。
こういう悲しすぎる物語をあっさりと語ってしまうところがジェラルド・カーシュの魅力です。何も大げさなことを言わなくても、その激しさは痛いほどに伝わってくるのでした。この人は愉快で軽妙でありながら、同時に深刻で誠実で、喜びと同じように悲しみを見透す目を持っているようです。不思議な人なのですね。


というわけで、『年刊SF傑作選』に収録のカーシュ短篇は、なかなかバランスのとれた品揃えだったかと思われます。私はさらに、昔のミステリマガジンに載った短篇も地道に探してみるつもりです。
ついでに、この『年刊SF傑作選』は、ほかの収録作品も面白いので、がんばって全部読みたい! 再版されないかなあ。