半透明記録

もやもや日記

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ベルギー王立美術館展

2007年04月30日 | 学習
大阪・中之島の国立国際美術館で開催中の『ベルギー王立美術館展』へいってきました。


天保山のサントリー・ミュージアムの『ダリ展』に行くつもりが、なぜか辿り着いたのは中之島。場所が全然違う。電車の乗換が面倒だったのですもの。あー、でもやっぱ『ダリ展』も行ってこようかな。もう終わっちゃうし。



さて、『ベルギー王立美術館展』です。
目玉は、ピーテル・ブリューゲル(父?)の「イカロスの墜落」などなど。
私のお目当ては、ブリューゲルとマグリットとデルヴォーです。

まだ午前中ということもあるのか、館内は比較的空いていて楽に見て廻れます。しかし、照明が暗く設定してあるのは良いですが、作品名や作者、解説文を書いたプレートの文字が小さく、プレート自体も小さいので、視力の良い私でも時々読めません。でかい虫眼鏡を持ったおじいさんが、一生懸命に読もうとなさっていますが、ときどきプレートが遠くに設置してあったりするので、うまく眼鏡をかざすこともできずに気の毒でした。こういうところは、この美術館は改善すべきではないですかね。いったん外に出たら再入場不可というところも気に入らないし。『ゴッホ展』のときもひどかった。

この美術館の問題はさておき、じっくりと見てみると全体的に薄暗い色調の作品が多いという印象でしたが、そのなかで私がとくに気に入った作品と一言感想文は以下のとおりです。


*イカロスの墜落 ピーテル・ブリューゲル(父)?*
手前の赤い服の農夫が、あまりに前面に押し出されてくるような錯覚にとらわれます。小高い丘の上の畑の向うには海があり、大きな船が幾艘も浮かんでいます。
で、イカロスは……? どこ……?
と思ったら、右下の端に、海面から突き出た2本の足が!!(犬神家)
そのすぐ近くでは、おじさんが呑気に釣りをしています。
同行のK氏は、これが妙に気に入ったらしいです。

*婚礼の踊り ピーテル・ブリューゲル(子)*
鮮やかな色彩と、ユーモラスな人物。色々な意味で印象的でした。
上の美術展のチケットに使われているのがこの絵。

*欲望 アブラハム・ヤンセン・ファン・ヌイッセン*
欲望を沸き起こすヴィーナス像です。
大柄な裸のヴィーナスが、つがいの小鳥を左手に乗せ、鏡を見ています。
私は、これがとても好きになりました。

*鶏と七面鳥 ヤン・フェイト*
戦う鶏と七面鳥。薄暗い背景にきっぱりと浮き出す鮮やかな鳥の羽根。

*アントウェルペンのシント・カロルス・ボロメウス教会内部
   ヴィルヘルム・シューベルト・フォン・エーレンベルク*
細かい。とにかく細かい。
どういう動機でこんな細かい絵を描こうと思ったのだろう。
落ち着いた画面からは激しい情熱を感じます。

*口論 フェリシアン・ロップス*
「その鼻っ柱をへし折ってくれるわ!」
「ホホホ、やれるもんならやってご覧なさい!」
と言っているのが聞こえてきそうな華やかな女性ふたり。
絵とタイトルの一体感がすごい。

*怒れる仮面 ジェームズ・アンソール*
棍棒(か何か)を持ってドア口に立ち塞がる黒眼鏡の老婆。
それを椅子に座って見上げる大きな鼻の男。
どういう意味かは分からないですが、妙な迫力。

*燻製ニシンを奪い合う骸骨たち ジェームズ・アンソール*
さっきの「怒れる仮面」と同じ人。
この人は、作品によって随分と雰囲気が違います。マンガ風のもあれば、とても正統的なものもあるし。面白いです。「自画像」はとても挑発的です。指を立てているじゃないですか。

*情念の輪 ジャン・デルヴィル*
画材は、紙と黒チョーク。それだけなのに、描き出されたものは、もう既にそれだけではありません。絵って、不思議で凄いなあと思わされた1枚。

*孔雀 ウィリアム・ドグーヴ・ド・ヌンク*
青と緑の木立に佇む3羽のオスの孔雀。2羽は木の上にとまっています。もう1羽は羽根を広げ、木の上の2羽を見上げています。この見上げる孔雀が猛烈に可愛い。目が間抜け。足はクロスしています。「え? なんですか?」という顔をしています。ぷぷ。
色がとてもきれいで落ち着きます。

*ノクターン ポール・デルヴォー*
女のひとの目がでかい。でも、なんだか魅力的。
夢の中のような世界にはとても惹き付けられます。

*光の帝国 ルネ・マグリット*
私の大好きな作品。
よもや生で見られる日が来るとは思いませんでした。
思っていたよりもかなり大きな作品でした。壁いっぱいに、これは凄い。
やはりこれが目玉の展示物であるのか、ここだけ照明が明るい。しかし、額の内側にはガラスが嵌められていて、光を反射して、作品の暗い部分がよく見えない……国立国際美術館め~~。
目を凝らして眺めると、木の影は意外とのっぺりと塗られています。
空の色はあまりに鮮やかでくらくらするので、あまり見ないでおこうと思います。
私は、この人の表現のありかたはもちろんのこと、こののっぺりと塗りましたという感じも好きなのかもしれません。

これは私の持っている画集から。これを見た。



というわけで、楽しかったです。絵を描きたくなりました。なにかでかい絵を。


今年は31

2007年04月28日 | もやもや日記
ユニクロで、今年もデザインTシャツが売られています。去年は荒木飛呂彦先生のTシャツを1種類買い損ね、ひどく落胆したものでした。が、草間彌生Tシャツはどうにか購入して大事に着ていました。

そんな去年に引き続き、草間さんのTシャツは買いました。ご覧ください、光ってます。水玉なんです。
残念なことに、今年は荒木先生のは無さそうですが、かわりに(というのもなんですが)天野喜孝さんのがありました。おお! ファイナル・ファンタジーをやりたくなるわ。と思いつつ、サイズが合わなかったので買いませんでしたけど。


ところで、私は昨日から31歳です。
30代もそろそろ慣れてきたので、一層充実するだろうことが期待されます。そうともさ。


個人的には、歳をひとつとったからといって別にめでたくもなんともありませんが、友人はそれを祝って、花の写真とか素敵なカードとかをくれました。どうもありがとう!
それから、「保管用に…」と言って、K氏は草間Tシャツ(写真と同じ柄)と天野Tシャツ(白・黒2色。サイズもちょうど)をくれました。ありがとう!

祝ってもらうと、やはり、ちょっとはありがたいと思えてきます。私には本当にもったいないことなのですが。
去年よりも良い1年になるようにしようという気持ちは沸いてきました。
(待てよ。この調子で毎年盛り上げていけば、120歳くらいになったら充実度はどえらいことになってるな……めらめら。新たな野望に着火)


今日はケーキも食べた。


入荷

2007年04月26日 | もやもや日記
取り寄せていた、アルフォンス・アレの『悪戯の愉しみ』が届きました。ヤッホー!(しかし、すごい装丁だ)

これと一緒にもう一冊頼んだのは、シュトルムの『三色菫・溺死』です。タイトルは恐ろしげですが、こちらも読むのが楽しみです。むふ。

さらに、図書館には、前回借りたものの途中までしか読めなかったラーゲルクヴィストの『こびと』を予約しておきました。

ついでに、久しぶりにランサムのツバメ号シリーズも再開したいと思っています。


ゴールデン・ウィークまであと一歩。着々と準備は整ってきたぜ!
忙しくなりそう。


潮時

2007年04月24日 | もやもや日記
レンゲと一緒に咲く春のコスモス
しかし以下の記事は、これとは全く関係のない薄暗さです。
ご注意を!




毎月、ワーキング・プアという問題について深く考えています。
つまり、今日、給与明細をもらいました。
先月は身も滅びよと言わんばかりに働いたが、わおー、これっぽっちだ。
ぐらぐら。


まったく、資本家どもの要求に応えるのは、至難の業ですね。
なかなか《無料(ただ)の労働力》と成り得ない我が身が嘆かれます。
資本主義社会が輝かしい発展を遂げる妨げとなっているではないですか。
それなりに働ける程度の知性を備えた安い労働力が最善。
でもって、適当なところで使い捨てるのが望ましいのです。

誰にでもできるような仕事をする私は、所詮は消耗品です。
給料が安くたって当然なのです。
しかし実は、私はここのところが不思議でしょうがない。
パートやアルバイトという《身分》が、たとえフル・タイムで働こうとも
(フル・タイム労働をしながらパート・タイムとは、これいかに?)
普通並の給料を得ようとするその根性がそもそも間違っているのか。
身分制度がこんなにもしっかりと存在していたのですね。
まったく安心な世の中です。


…………………………………。


ふむ、しかし、経済ごときに滅ぼされるような私ではないぞ。
今に見ておれ。
私という人間が、経済性とは無関係の素晴らしい価値を備えていることは
疑う余地はありませんが、それでも、この問題に関してただ黙っているのは
やはり《悪》かもしれない。
愚痴は嫌だが、せっかくなので、この機にとことん考えてやるぜ。
知性は有効に使われるべきである(もし備わっているならば)。


とりあえず、もはや「転職したらいい」というレベルの話ではないようだ。
(多分、来月の今頃に つづく―――)

『ペンギンの島』

2007年04月23日 | 読書日記ーフランス
アナトール・フランス 近藤矩子訳
「新集 世界の文学23」(中央公論社)


《あらすじ》
悪魔に謀られて海を漂流した聖マエールは、辿り着いたある島で、小柄で大人しい人々に出会う。聖マエールは、その見たところ何の信仰も持たず素朴な未開の人々に洗礼を施す。しかし、聖マエールは老齢と疲労のために目がよく見えていなかった。彼が洗礼を施したのは、人ではなくペンギンであったのだ。
洗礼を受けたペンギン人の古代から未来までを描く。


《この一文》
” そこでオブニュビル(ぼんやり)博士は頭を抱え、苦々しく考えた。
 「結局、富と文明も、貧困や野蛮と同じだけ戦争の原因をはらんでいるのであってみれば、人間の狂気も悪意もついにいえることがないのであってみれば、遂行すべき正しい行為は、ただ一つあるのみだ。賢者はこの惑星を爆破するに足るだけのダイナマイトを積むがよい。この地球が粉微塵になって虚空に散るとき、宇宙はほんの少しばかり、ましなものとなり、宇宙の良心にはいささかの満足がもたらされるだろう。もっとも、宇宙の良心なんて、もともとありはしないのだが」
   ―――「第四の書 近代―――トランコ」 より   ”


”そしてまた、疑う能力は結局めったにないものだからである。きわめて少数の人間のみが、この能力の萌芽を蔵しているが、これは養い育てることなしには成長しない。この能力は独得であり、精妙であり、哲学的であり、反道徳的であり、超越的であり、怪物的であり、悪意にみちており、人格、財産にとって有害であり、国家の秩序、帝国の繁栄に反するものであり、人類に害毒を流すものであり、神々を毀つものであり、天においても地においても忌み嫌われるものであるのだ。
   ―――「第六の書 近代―――八万束の秣(まぐさ)事件」 より  ”






ついに読了です。
このような壮絶な物語が埋もれてしまっているというのは、実に惜しいことです。絶版だなんて、あんまりですね。こんなにも面白いというのに。


さて、物語はペンギン人の歴史を語るという体裁をとって進みます。古代に洗礼を受けたところから始まり、中世、近代、そして未来という時代に、ペンギン人はいかにして生きたのかがユーモアを交えながら風刺的に描かれていました。正直なところ、アナトール・フランスがこんなに面白い人だったとは思いませんでした。どちらかと言うと真面目なイメージがあったので、驚かされました。実に面白い。
あとがきには、フランスはヴォルテールの流れを汲んでいるという解説がありましたが、なるほど納得です。ただ面白いだけではありません。


私が特に転げ回りたいほどに面白いと思ったのは、物語の始めの部分であるペンギンたちが洗礼を受けるところです。お年寄りの聖マエールがいちいち面白い。そして、ペンギンという「救われるべき魂を持たぬ存在」に対して、聖マエールが洗礼を授けてしまったことをめぐって、天界は大騒ぎになります。神様とそれを取り囲む聖人の面々の繰り広げる会議が、猛烈に面白い。ああ、面白い! 神様の人格(神格と言うべきか)がかなり大雑把な感じで最高でした。

そうやってペンギン人の歴史が始まり、それに続く神話的時代の物語もまた、かなり興味深かったです。後世に《聖女》として祀られている女の、その《聖女伝説》はいかにして仕組まれていったのかをとても魅力的に語っていました。伝説というのは、もともとはまあこんなものだったのだろうなあということを考えさせられます。

さらに時代は下り、ダンテを揶揄するがこときある僧侶の《冥界くだり》の章も、私には興味津々でした。かねてから私は、ヨーロッパのキリスト教世界の人々の間では、ギリシア・ローマ時代の神様とキリスト教の神とは、一体どういう関係になっていのかしらと疑問に思っていたのですが、この章を読むと少しなるほどと思わされました。そうだったのかー。ふうむ。


このように、物語の前半は皮肉のなかにも笑いが多く含まれているので、とても楽しく読むことができるのですが、後半になって時代が進めば進むほど、世界はどんどんと暗さを増していきます。

政治的策略と戦争の時代。そして、極度に工業化した資本主義社会における人間の暴力と崩壊に行き着かざるを得ない絶望的未来世界。人間の欲望の際限のなさ、果てもない愚かさ、哀しみが充ち溢れています。特に、未来の世の中の描写は、まさに我々の現代をかなりの部分で言い当てているので、それがまた悲しい。前から分かっていたことを、やはり避けられない人間というのは、単純で哀れな生き物であるように思えて仕方がありませんでした。滅入ります。しかし、物語の結末は単に暗い予感を表しているのみならず、そこには何か肯定的なものがないと言えないこともないようです。


読み終えて凄かったと思うのは、語られる時代ごとにその時代の雰囲気がぴったりと表現されていることでしょうか。それゆえに、章ごとにバラバラに読んだとしても、それぞれがひとつの物語としても十分に魅力的です。それでいて、もちろんそれぞれの物語は一続きにきちんと繋がってもいるのです。そんなのは当たり前のことかもしれませんが、凄い。圧倒的です。


「救われるべき魂を持たぬ存在」であるのは、ほんとうにペンギンだけであるのか。ペンギンとは何を指しているのか。考えなくても分かりそうなものですが、その問題のみならず、色々なことをもっと深く考えることを強いられるような深くて広い物語でありました。物語のところどころに、あまりに鋭い意見が述べられているので、私はいったいどこを引用しようかと迷いに迷いました。きっと将来、何度読み返してみてもその度に、「あ、これは」というような文章に出くわすだろう予感がきっぱりとあるのでした。




襟がレース

2007年04月21日 | 手作り日記
襟がレースのピンタック・ブラウス



スタンド・カラーがレースなものに久しく憧れていましたが、ようやくどうにか実現に漕ぎ着けました。いえ、まあ、そんな大袈裟なものでもないのですけれども。久しぶりの裁縫です。春です。着るものが無いのです。

身頃にはもちろんピンタックが入っています。ピンタック卿(狂)を名乗っても良いくらいに、私はピンタックに弱い。そして、袖口や襟にレースがついているものにも、極めて弱い。さらに、今年は刺繍にも激烈に執着しそうな予感があります。既に、刺繍入りのワンピースとブラウスを1着ずつ買ってしまいました。しかしそれらはあまりに素敵過ぎて日常的に着るのはいかがなものか…という訳で、なにかもっと当たり障りのないものも必要であろうとの動機で作ってみた次第です。

素材は、麻混の綿ですが、毎度のことながらもう少し柔らかい布でも良かったな…という感じです。次回こそはシワになりにくい素材を使うべし。なかなか技術が進歩しないのですが、失敗を地道に修正しつづけるのも、私はまあまあ楽しいのでした。





フランス文学に浸かる

2007年04月18日 | 読書日記ーフランス
5、6回は読み直しているルネ・ドーマルの『類推の山』をひとまず置いて、この間ようやく入手したアナトール・フランスの『ペンギンの島』を読み始めました。これが、非常に面白い!

このところ面白い文学作品にすっかり慣れてしまった私は、実のところそれほど期待はしていなかったのですが、それは大間違いでした。相手はあのアナトール・フランスですよ。面白くならない訳がなかったのです。あー、面白い、面白い。なんて面白いんだろう! もう最高です。

とにかく面白いので、はやく読み終わりたいのですが、今はちょうど真ん中あたり。昼休みも惜しんで読んでいます。どうにも興奮しすぎて、やたらとそわそわしているのですが、週末には読み終わりそうです。どきどき。


それから、アルフォンス・アレの短篇集も発見してしまいました。近いうちに手に入れるつもりです。うふふ。こんなのを見つけちゃうなんて、すっげーツイてるな。


そんな感じで、私の中では相変らずフランス小説が熱いです。どうしてこんなに刺激的なんでしょうねえ、フランス文学は。もっと浴びるほどに読みたいものです。あー、そう言えば、あれも読みたかったんだった………。


熱があるので

2007年04月16日 | もやもや日記
記事にしておきたいことはあるのですが、だるくて今日はダメですー。はー、眠い。やっぱり土曜にも働いてしまったのが祟ったか。

今日は仕事を休もうとちらっと思いましたが、先日、私は急用ができたと言って午後休を取ったので、なんとなく今日は休み辛くて出勤しました。なんで休み辛かったのかと言うと、このあいだ午後休を取った日は春の高校野球の決勝戦をやっていて、私は静岡にも岐阜にも特にゆかりはないのですが、静岡出身のK氏が「静岡が決勝までくるなんて、もう一生ないかもしれない。観に行く」と言うので、面白そうだと思った私も便乗して「午後から休みます!」と宣言して職場を後にしました(要するに、まあ、サボりですね)。急いで甲子園に向かうつもりの私へ、K氏は驚きの一言を発しました。「…急に…腹が……痛くなって…行けない………」

そ、そんな……!(せっかくサボったのに)

一人で行くのも何だったので、家のテレビで観戦しました。あまりにも爽やかな試合っぷりに感動が迸り出ました。常葉菊川も大垣もすがすがしかったです。負けても笑顔の大垣の森田君(投手)にはもうすっかり参りました。両者ともに激しく爽やかだったので、ついついどちらも応援してしまいます。いやはや、久しぶりに実に良いものをみました。サボった甲斐がありましたよ。(そろそろ時効だろうと思うので、告白)


ところで、本も読んでいます(何度読めば気が済むのか分かりませんが、ルネ・ドーマルの『類推の山』。多分、私はこれを生涯飽きることなく読み続けるに違いないでしょう)が、なかなか時間が取れず、進みません。他にもまだ読んでいなくて今すぐにでも読みたくて仕方ない本も、ここ(机の上にも棚の中にも)に山積みになっているというのに、ああ。ゴールデン・ウィークが待ち望まれます。ゴールデンな感じにしたいです。


それと、昨日はお友達の梶谷さんのお芝居を観てきました。もっとちゃんと記事にした方がよいと思いつつも、忘れないうちにちょっとだけですが書いておきます。

昨日の催しは、『アイが降ってくる』というお芝居と、朗読ライブ『海が見たい』の2本立てでした。相変らず構成がとっても上手なので、クライマックスへ向かってどんどんと盛り上がっていき、私は危うく泣くところでした。我慢はしましたが。
鑑賞チケットにはドリンクが付いていて、いただいたマンゴージュースはうまかったです。次回も楽しみだわ。
こうやって、立派に活動を続けている人たちを目の当たりにすると、私もちょっとはがんばろうという気になりますね。


それから、NHK火曜の夜に放送されていた『サラリーマンNEO』が復活していました。「セクシー部長」に思わず悶絶しました。


というわけで、最近の出来事でした。だるいと言いつつ、結構書いてしまいましたね。なんか日記みたいだな。


今世紀最大の発見

2007年04月13日 | もやもや日記
ずっと昔から、私はそれを追いかけていたものです。
しかし、追いかけても追いかけてもそれとの距離はいっこうに縮まらず、きっと永久に辿り着くことはできまいとなかば諦めたりもしたものです。
それでも諦められない私は、無い知恵を絞って、誰か信頼できる友(その人は決してその場を離れない)が私のそれに向かって走るのを見ていてくれれば、その友の目には私がとうとうそれに到達したように見えるのではないかと思い付いたりもしたものです。当然、この思い付きも成功しませんでした。結局のところ、私のところからそれまでへはあまりに遠過ぎ、そして私自身が実感しない限りはやはり到達したことにはならないと気が付いたものですから。



それへの憧れと焦燥をきりもなく繰り返すと思われた私の生涯に、昨日、ささやかで大きな転機が訪れました。私はついに、私が憧れる対象そのものに比べるとごく小さなものに過ぎませんが、しかし確かにその小さなかけらをこの手に収めることに成功したのです。

汚れた手を洗いにいったら、そこにそれはありました。


それとは、つまり、これです。



    (それとは、つまり、虹)

このように、とうとう虹を手に入れてしまった。私の無能の象徴である左手に、それを載せてやった。こんなふうに実現するとは思わなかった。実現可能な望みだとは思っていなかった。

プリズム。
どうして私はこれまで、そのことに気が付かなかったのだろう。私の幻想は、科学とは折り合わないような気がしていたけれど、それは逆だった。もっと科学と出会わなければならないということを、今こそ心から実感した。

これは小さいけれど美しい鍵です。いつかあの空にかかる大きな虹を手にすることも、もはや不可能ではないような気がしてきました。ついに大いなる虹へと踏み込んだ私が喜びのあまり絶叫する姿が目に浮かぶ。気を失ってしまわないように、今から心構えをしておかなければならない。

「しかし、そうは言っても、虹の中に入れたとしても、そのときにはやはり君自身にはそのことが分からないだろう」という人もいるかもしれません。まあ、待て。私にもそのくらいは分かっている。だが、なにかをまだ見落としているような気がするのだ。

そもそも、望むことのできるすべては、実現不可能ではないが故に望むことができるのに違いない。さあ、考えろ、考えろ。もっとよく見ろ。鍵穴は、どこにあるんだ。


今世紀最大の発見に、わずかばかりですが近づきました。そこへ辿り着くその日までは、この小さな虹を楽しみたいと思います。気が付いてしまった私は、なにをもなし得ないと思われた左の手のひらにさえ、望むだけの虹を(小さいけれど)、日の当たるうちはいつでも映してみせることができるのです。