半透明記録

もやもや日記

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2月の終わりとハードボイルド・ワンダーランド

2008年02月29日 | もやもや日記

タイトルに意味はないです!!


さて、2月も終わってしまいますね。今日は29日。そう言えば今年は2月が1日多かったのだった。オリムピックですものね。
それにしても忙しかったです。まだまだ忙しいです。むやみに忙しがっている私の楽しみは、目下制作中の同人誌をどのようにするかを考えることですが、なんというか、未だ妄想の域を脱せず、端的に言うとあまり進んでいません。……スミマセン!!

でも、表紙のデザインは大まかに決めてみました。はじめは群青色のような濃い青の地に白い模様を入れようかなんて考えておったのですが、春になってみるとやっぱりもっと明るい色を使いたくなってきました。タイトルも『YUKIDOKE』ですしねー。というわけで、地は白っぽい感じにしようと思います。汚れるのが気になるところですが、まあせっかく春ですから。さわやかに行こうじゃないですか。

誌面の構成については、どこか手作りを感じられるようなつくりにしようと計画中です。ノンブル(ページ数の表記)付近にちょっとこだわるとか。ロシアな感じにしたい。私は今回は最初からやたらとロシア風にこだわっているのですが、何があったんでしょう。いや、イリヤへの愛がそうさせるのだということは自覚しているのですが(「イリヤって誰だ?」という方は、ロシア文学カテゴリーをとくと御覧下さい)、公私混同じゃなかろうか。待て、同人誌は個人的な活動なのだから、混同ではないか。そっか、私の好きにしてもいいのだ。…だが、みなさんはそれで良いのかしら……。

こんな感じで迷いつつも、いい加減な私らしく勝手にどんどん決めています。みなさんのほうでも何かご意見がございましたら、遠慮なくおっしゃってくださいませ~。私にまかせておくと、どうなるか分からんですよ(“微妙なロシア風”になることでしょう)。私のほうからも具体的な進ちょく状況をあらためてお知らせしたいと思います(明後日あたり。ダメ出し 歓迎!)。

そして、いよいよみなさんからいただいた作品タイトルを発表したいと思います~!(明日あたり)
お楽しみに☆



というわけで、タイトルとは全く関係なく、しかもカテゴリー違いで「同人情報」な記事になってしまいましたが、今日はおまけの日なので、細かいことは気にしないことにしたいと思います。



『ラザロ』

2008年02月28日 | 読書日記ーロシア/ソヴィエト
レオニード・アンドレーエフ 金澤美知子訳(「バベルの図書館16」国書刊行会)

《あらすじ》
ラザロは3日間の死ののち、奇跡によって復活する。その甦りを祝って、知人たちは集まって彼に晴れ着を着せ、ごちそうと音楽を用意し、彼を祝福する。陽気だったラザロは、しかし復活のあとにはすっかり様子を変えていた。沈黙する彼のその目を覗き込んだものは、みな恐怖の、絶望のとりこになるのだった。

《この一文》
“「滅ぶ運命なのだ」と、帝は苦しい気持で考えました。「〈無限〉の暗闇の中の明るい影だ」と、恐怖の思いで考えられました。「沸々と滾り立つ血と、悲哀と大いなる歓喜を知る心臓とを盛った、脆い器だ」と、帝は優しい気持でお考えになりました。
 こうして、思いをめぐらし、秤を生の側に、或いは死の側に傾けながら、帝はおもむろに息を吹き返されました。生の苦痛と歓喜の中に果てしない空虚と恐怖の暗闇からの庇護を見出そうとして。   ”


ラーゲルクヴィストの『バラバ』に、奇跡によって死から甦った男が登場するのですが、この『ラザロ』も3日間の死から息を吹き返した男です。関係があるのだろうかと思い、読んでみました。相変わらずそのあたりの知識がまったくない私。結局読み終えてみても、関係があるのかどうかは分かりませんでした(とっとと調べたらいいだけの話なのですが)。しかし、この物語は面白かった。

3日間死んでいて、そして甦った男 ラザロ。彼の復活は最初は祝福を、そして最後には恐怖と絶望を人々にもたらします。ラザロの噂を聞き付けて彼のもとを訪れる者たちは、ラザロによって大きな影響を受けることになります。この世界の美を追求し創造しようとする芸術家、愛と快楽によって幸福のうちに結びついた恋人たち、醒めることを知らぬかのように甘美な酒を味わい尽くそうとする酔っ払い、もはや恐れるものも知らぬものもないという賢者。彼等はいずれも自分たちが持っているものを誇らしげにラザロに示しますが、彼の目を覗き込んだ途端に全ては一変してしまいます。無意味と絶望とに一息にのまれてしまうのでした。

ラザロとは何者でしょうか。「死」ではないかとはじめは思いました。ですが、彼は「死よりも恐ろしい」らしい。生と死をつなぐもの。向こう側を覗いて、そして帰ってきた者。彼という存在によってあらわされているのは、いったい何でしょうか。

虚無、だろうか。生も死も、意味も無意味も超えているもの。それというのは、あるいは真理、と言うべきだろうか。それにつながるものでしょうか。だとしたらどうしてこんなに恐ろしいのだろう。全てを統べるもののその端を見たとしたら、やはり恐ろしいものなのだろうか。そうかもしれない。だけど、それはどうしてだろう。だって、私という存在もそこへ繋がっているのだろうし、その一部であると言えるのではないか。それなのに恐ろしいというのは、いったいどういうことだろう。何が、そんなに恐ろしいのだろう。何が。

上に引用したのは、ラザロを召し出したローマ皇帝の言葉です。ここに何かヒントがあるような気がします。でも、私にははっきりと何か分かるとか言えるようなことは、まだありません。この先もあるような気がしません。ずっと気になるのだろうという予感がするだけです。

こんなふうに、ちっともまとまりません。優しい語り口のほんの短い物語だったのですが、なかなかに私を離してくれそうにないのでした。


収集家

2008年02月26日 | 読書日記ーストルガツキイ
きわめつきのレア本
ストルガツキー作品コンプリートまで あとわずか



コレクター。と呼んで下さい。

先日、ネットオークションを徘徊しておりましたら、まさかのレア本を発見! こ、これは、前から欲しかったロシアのSF作家 ストルガツキー兄弟の作品を収めているアレではないかー!
しかも開始価格は意外と安価! 買いだ! 買いだ! と勢い込んでいましたが、普段私が入札するような本は競争相手の影さえ見えぬまま楽勝で落札できますが、そこはさすがのストルガツキー。本のオークションでは私は初めて競り合いましたよ。

特に死闘を繰り広げたのは、『幽霊殺人』。まるで赤川次郎のミステリーみたいなタイトルですが、ストルガツキー兄弟の本のうちでもレア中のレア本ではないでしょうか。原題は「アルピニストという名のホテル」とかなんとからしいと、どこかで紹介されていた作品です(多分)。まさかここでお目にかかろうとは!! キテる、キテるな、これは! いよいよ運が向いてきたぜ!(と、どこまでもいいかげんな認識でここまで盛り上がれる私)

『幽霊殺人』の開始価格は、なんと500円。……おいおい、まさか、そんな、嘘だろ。我が目を疑いましたが、やはりそんなうまい話があるはずもなく(とは言え、ハヤカワにやる気があれば、こんな苦労もないはずなのに…)終了間際にはおよそ10倍まで跳ね上がりました。ええ、もちろん私がその高騰に一役買いましたとも。だって、全然諦めようとしない入札者がいたんだもの! まあ、相手にしてみれば「こいつ、しつこいよ!」という感じでしょうが。お互い様ですね。…ひょっとして、競争相手だった方はこのブログの読者の方ではないでしょうね……? そうだったらご一報を!

まあ、そんなこんなで激戦を制した私は、無事に幻の本を手に入れました。あー、これで面白くなかったらヘコムなあー、と心配しましたが、あらすじを読む限りでは面白そうです。良かったー。まあ、面白くなくてもいいんですけどね、別に。(←コレクター誕生)
それにしても、うれしい。もうこれで探しまわらなくて済みます。万歳!

結局、計4冊のロシアSF本を入手しました。
『幽霊殺人』のほかの3冊はロシアSF短篇集です(正確には『現代ソビエトSF短篇集』。「現代」「ソビエト」! 歴史を感じます)。てんこもりです。ドニエプロフの「カニが島を行く」も読みたかったんですよねー。わーい。ちら読みした限りでは、どれもなかなか面白いです。ストルガツキー作品は、「六本のマッチ」(←やっと読める!)「非常事態」「さすらいの旅を続ける者たちについて」が収録されています。
どれもわりと薄い文庫(しかもかなりの古さ。元の紙の色が分かりません。でも40年くらい前の本にしては美品か…?)なのですが、2段組で内容はびっちりだから、許す。かなりの資金を投入してしまったけど、後悔はありません。わっはっは!



消えたモデュラス

2008年02月24日 | もやもや日記
ありし日のモデュラス




モデュラスという名前の、帽子をかぶったアデリーペンギンがいます。このブログのあちこちにもその絵を貼ってあることからもお分かりのように、私は彼をたいへんに好きでいたのですが…。ところが最近、呼んでも出てこない。彼はどこかへ行ってしまって、私はいまごろになって「そう言えば、最後はいったいいつだっただろう」と別れたのがいつだったかもよく思い出せないことに気が付いたのでした。
別れ、というのはしかしそういうものなのかもしれません。まさかそれが最後だとは思わずにいつも別れ続けている。そしてずいぶん後になってから、あれがそのひとに会った最後であったということに気が付くのです。つまり、思い出した時にだけ、別れが発生する。思い出しもしない人や物とは、そもそも出会ってさえいないということでしょうか。そう考えると、別れはそうネガティブなものでもないように思えてきます。そもそも「出会った」という事実の方が、私には重く感じられます。何度も繰り返される同じ人との別れの感触よりも、出会った最初の、一度きりのその事実の方が、より決定的に思えるのです。いや待て、そういう出会いの衝撃があるからこそ別れの悲しみがあるのであり、そう考えると、やはり出会いは別れでもあり、どちらがどうとは切り離せないのかもしれません。いつも春にはこんなことばかり考えている気がします(もう春です)。


私のなかには小さな町があって、それは石造りのごく小さな町で、小さな港と大きな森を持つ町です。そこにはおとなしくてぼんやりとした動物たちがすんでいて、私もまたそこに日常を持っています。ネコやペンギンやキツネや犬、ときには穀物や野菜などまでが人格を持って、くだらないことをしたりしなかったりするのを見ています。
よくよく考えると、モデュラスは最初から「その町の外から来たひと(ペンギン)」でした。彼は定住地を持たず、南極で生まれましたが今は赤道直下で暮らしています。そこからまたさらに遠くへ行くつもりでいるようです。
そうだった。彼は「いつもそこにいるひと」ではなかった。そこを愛したのだった。私が近くばかりを見ている間は、彼のところにまで思いが届かないだけだ。また会えるだろう。「会いたい」という気持ちは、不思議と相手に通じることを、私は幸運にも幾度も経験させてもらって知っています。良かった、彼はまたここへやってくるに違いない。

そうか。会いたいと言って思い出すうちは、まだ別れたことにはならないのかもしれない。そのひとの思い出とともに肝心なことを思い出す私は、そのひとと別れ続けているのではなく、出会い続けているのかもしれない。
どちらも同じことかもしれなくても、やはり出会いの方が明るいよな。ならば私はできるだけ明るい方を採用したい。明るい方へ。このことを教えてくれるのがつまり、いつもモデュラスなのでした。


まとまりのない、春の雑感。



またやってしまった

2008年02月20日 | 読書ー雑記
文字禍 な ヒヨコたち



古書をたくさん購入してしまいました。
どわー、どうしよう(/o\)アカジダ!

うぅ。
またいたずらに本屋さんをもうけさせてしまった…。
今回はだいぶお得に入手できた本があって、そっちはシメシメという感じなのですが、一方で、1冊5000円もする本も買いました。定価の何倍だろう…だが絶版なので、背に腹はかえられません。喉から手が出まくってましたからね。とても自分を抑えることができなかったですよ。さすがに、ちょっとどうかしていると思いますが。ハハハ! 
さらに笑えることには、まだほかにも買うべき本がある! ということなのですね。うーむ。重なるなあ。なぜあれもこれも同時に現れるのか…不思議だわ。でも逃すと次はもうないような気がするし。しかし…なぜそんな絶版本ばかり読みたくなるのかしら。というか、あんなに面白そうな本がなぜ絶版なのかしら。そうだ、そこが問題だ。私は悪くない。そうともさ。


そんなわけで、赤字がなんだ、そんなのは幻だ、蜃気楼だ!
と、息巻いてみるものの。はあ。
稼がなきゃ…。

発送してもらっているところなので、手もとに届くのが待ち遠しいです。
春になったら読むぞ~。


世界情勢あれこれ

2008年02月19日 | もやもや日記


フィデルが引退するらしい。
とうとう。半世紀は長かった。
このあとのキューバはどうなるのでしょうか。後任はおそらく弟のラウルになるでしょうが、どうなんでしょう。
フィデル・カストロの引き際には、個人的に清々しさを感じます。引退しても、しかし彼は休まないんだろうな。

もうひとつ。

コソボが独立を宣言するらしい。
これまた混乱を招きそうな事態ですね。
個人的には独立したいという人たちが独立するのを妨げる理由がどこにあるのか分からないので、好きにさせてあげたらいいと思いますが、こういう民族間の問題はなかなか簡単には解決しないらしいので難しいですね。

コソボと言えば、私はウィーンの空港で乗り換え待ちをしていたときに、出稼ぎ先のアメリカから数年ぶりに帰省するところだというコソボの人たちに会ったことがあります。買ったばかりのデジカメを持って「帰ったら家族の写真をたくさんとるんだ」と楽しそうに話してくれたのを思い出します。その新しいカメラで私を撮ってくれたり(試し撮り)、「食べろ、食べろ」とチョコを分けてくれたり、親切で明るい人たちでしたが、彼等はアルバニア系の人だったのでしょうか。やっぱりニコニコしながら、「国では戦争をやってるんだよ~」と、銃を構えるポーズをして話してくれたのを、私は忘れられないだろうな。
貧困とか、紛争とか、そういうのがはやく解決して、みんな穏やかに暮らせるようになるといいです。


時事問題には関心がないと思われているかもしれない私ですが、そうでもないこともあるのでした。

『魔女』

2008年02月17日 | 読書日記ー漫画
五十嵐大介(IKKI COMIX 小学館)


《内容》
かつて手に入れることの出来なかった青年への想いに固執し、強大な力を手に首都へと舞い戻ったニコラと、その首都を目指し旅をする遊牧民の少女 シラル(『SPINDLE』)。
開発の進む熱帯雨林で恋人を殺された呪術師クマリ(『KUARUPU』)。
北欧の山中に暮らす「大いなる魔女」ミラとアリシアに、宇宙空間での事故がもたらす運命(『PETRA GENITALIX』)。
がらんどうの日常から抜け出して、東へ向かう船へと飛び乗った女子高生ひなたが、不思議な女性 千足と過ごした時間(『うたぬすびと』)。


《この一文》
“星に生命が生まれ。
 星が死に塵となり。

 どこかで再び寄り集まって、
 混じり合い。
 新しい星に生まれ変わり。
 また、
 死んでいく。

 その、
 繰り返しの中で。
 全ての物質には。

 生命であった頃の記憶が、
 刻まれる。
   ―――第3抄『PETRA GENITALIX』より  ”



「松本大洋が好き」という私に、お友達がすすめてくださった漫画です。いやー、なるほど、面白かったです。絵柄は松本大洋とはずいぶん感触が違って、とても繊細な感じ。手で書かれたというのがすごくよく分かります。手書きの細い線が積み重なって、まっすぐにきっちりと引かれた線がひとつもないところがいいです。物語もそれに似合って非常に細やかで鋭敏な感性が溢れる感じでした。いいですね、とても。

本当はもうちょっとはやくに感想を書くつもりだったのですが、なんだかどうしても書けませんでした。沈黙を強いられるようなところがあって、「べつに話さなくても、ただ感じればいいじゃないか」と言われているような。まあ、そんな感じです。感じさせられるような世界がありました。

この人の作品はほかに『海獣の子供』も読みましたが、私が気に入ったのは、この人はいつも同じひとつのことをずっと語ろうとしているらしいということですね。
「目に見える、すでに分析され、分類されたものだけが、世界のすべてではない」というようなことを言いたいらしい。第3抄が特に私は好きなのですが、とても考えさせらるお話です。私好みの美しい絵と幻想的な物語の中にも、はっきりとした主張がなされていて、すこしたじろいでしまうようです。そのくらいのインパクトがある、読みごたえのある物語でした。

あと、物語のあちこちにちょっとした小さなエピソードが盛られているのですが、そういう細部が私はすごく面白かったです。
たとえば、第1抄で、街へ出かけた孫娘が帰るのを待って、いつ帰るのか知らないけれども毎日迎えに行くおじいさんとか、第3抄で、石の力でパニックに陥った街で、おいしいタルトのお店が相変わらず開店営業しているところとか。そういうところが、私はすごく楽しい! 


とうわけで、今後も気になる作家がまたひとり増えました。



猫のシルエット

2008年02月15日 | もやもや日記
暗くて分からなかったけど、たぶん縞



つ、つかれた。
ちょっと一生懸命に残業をし過ぎました。反省。今日は金曜だから、朝まで漫画喫茶もいいなあと思っていたのに、疲れて行けなかったじゃないか! ああ!

夜9時くらいに職場を出たら、猫の鳴き声がしました。
「にゃー」

お! どこ、どこ?? と見渡すと、道の向こうに美しいシルエットが見えました。わー、可愛い。こっちを見てますよ。どきどき。
暗くて分からなかったけど、今日見たのはたぶん縞模様の猫。黒いのも、ときどき徘徊してるんだけどなー(ビルの隙間なんかを)。

猫多発地帯に住んでいるので助かっています。


好きです!

2008年02月14日 | もやもや日記


ロイズのナッティー・バー。




今日はバレンタイン・デーですね☆
この季節はそこら中にチョコレートが出回るので、私としては超嬉しい。くふふ。

画像は大人買いした「ロイズのナッティー・バー(18本入り)」5箱です。えへ。やってしまいました。おととしくらいにやってしまった「板チョコ32枚買い!」をさらに上回る贅沢ぶりです。わ~、散財~~。それにしても、なんという壮大な眺め!

え? これですか? 私が食べるんですよ。春までかけて。自分用です。というのは嘘で、3箱は私が購入し、2箱はK氏が購入したものなので、仲良く半分ずつ食べようじゃないか、ということで話がまとまりました。

18本 × 5箱 = 90本。

うーむ。微妙にキリの悪い数字じゃないか。あと1箱買えばよかったかも。そしたら108本。煩悩の数まであとちょっとだったのに~! なあんて、どこまでもバカバカしい私。今年はまあ、このくらいにしておきますよ。ふふ。

さあて、さっそく食べてみますかね!
パカッ。


 かえる「チョコで宮殿をつくるのもいいわね」

 キャ~~!(もう減ってる!)



と、テンションが上がりまくっている、チョコの日の私でした。




『イヴァン・イリイチの死』

2008年02月12日 | 読書日記ーロシア/ソヴィエト
レフ・トルストイ 川端香男里訳(「バベルの図書館16」国書刊行会)

《あらすじ》
イヴァン・イリイチはつねに具合良く愉快に生きてきたが、あるとき体調を崩し、3か月の苦しみの後、死んだ。


《この一文》
“結婚……幻滅は何とも思いがけないものだった、妻の発する口臭、肉欲、欺瞞的行為! そしてこの生気のない勤務、金銭についての苦労、そしてこうして一年、二年、十年、二十年とたったが、何もかも同じだった。先へ行けば行くほど生気が失せて行く。自分では山をのぼっていると思っているのに、実はきちんきちんと山をくだっていたのだ。事実はそうなのだ。世間の眼からすれば自分は山をのぼっていた。だがまさしくその分だけ生命が自分の足もとから逃げて行ったのだ……そして今や用意はできている、死ぬがいい!
 これはどうしたことなのか? 何のためなのか? こんなことってあるか。人生がそんなに無意味でけがらわしいなんてことがあり得るのか? 人生が本当にそんな汚らわしい無意味なものであっても、何ゆえに死なねばならないのか、苦しみながら死なねばならないのか? 何か理屈が合わない。  ”



本当は、読むつもりはなかったのですが、うっかりして読んでしまいました。読むべきではなかったと思えば思うほどに、それはつまりどうしても読まなければならなかったということを証明するに過ぎないということを、痛みをもって私に知らせるのでした。なんということだ。

虚無。という言葉があって、私はそれを震えるほど恐れているのですが、この物語はその虚無の真っ黒な大きな穴でした。あんまり恐ろしかったので、私は半日ほどすっかり言葉を失ってしまいました。今はどうにか浮上できましたが、作品について考えたいのに、心が真っ黒になるようで、うまくいきません。恐ろしい。

あの結末は救いだったのでしょうか。そうかもしれない。でも、私には。