半透明記録

もやもや日記

お知らせ

『ツルバミ』YUKIDOKE vol.2 始めました /【詳しくはこちらからどうぞ!】→→*『ツルバミ』参加者募集のお知らせ(9/13) / *業務連絡用 掲示板をつくりました(9/21)→→ yukidoke_BBS/

10月28日(土) 高野山

2006年10月30日 | 旅の記録
高野山へ行ってきた。

10:00 南海難波駅 発 特急こうや

南海電鉄は、海へ向かうのと、山へ向かうのがあるらしい。難波でKさんと待ち合わせ、高野山を目指して特急に乗った。車内はほぼ満席。90分の乗車で到着する。空は晴れているが、車内の電光掲示ニュースによると、関西は「晴れのち雨」らしい。傘を持ってきていないので不安になる。

11:25 極楽橋駅 着 ケーブルカーに乗換 高野山駅へ

極楽橋というありがたい名前の駅に到着。ここからケーブルカーに乗換えて、5分で何百メートルだかを登ってしまう。難波では脱いでいた上着を着る。ちょっと寒い。やはり山だった。

11:30 高野山駅 着 バスに乗換

今回は、「高野山フリーサービック」というチケットを購入してあった。南海の往復乗車券と特急券に、ケーブルカー、バスのフリー乗車券がセットになったお得チケットだ。バスに乗ろうとすると、空はなんだか曇り始めていることに気が付く。駅からぐねぐねした山道をバスで上がる。道端にはアザミと小さい白い菊のような花が咲いていた。
お昼が近いので、奥の院に行く前に昼食を摂ることにして、苅萱(かるかや)堂前で下車した。もう少し手前で降りた方が、町並みが栄えていたような気もするが、とりあえず定食屋に入ることができた。ちょうどお昼だが、お店にはまだ誰もお客がいなかった。
湯豆腐定食(胡麻豆腐付き)と精進料理定食(胡麻豆腐付き)のどちらにするかで悩むが、精進料理にした。デザートに「笹巻あんぷ」なるものが付いてくるというのが決め手となった。運ばれてきた料理は、まさに精進料理だった。胡麻豆腐はここらあたりの名物らしい。私が思っている胡麻豆腐とは違って、色が真っ白で、口当たりもかなり柔らかくふわふわしている。胡麻豆腐のほかに揚だし豆腐も付いている。これもかなり美味しい。それからたけのこや椎茸などの煮物。お麩のお椀。ご飯は小盛りである。
問題の「笹巻あんぷ」というのは、生麩のなかに餡が入った菓子だった。おそらくよもぎ入りの緑色の生麩にはもっちりと歯ごたえがあるが、なかの餡は非常に柔らかくて驚いた。美味しい。
私たちが食べ終えるころには、小さなお店のなかはいつのまにか満席になっていた。

12:25 参道 奥の院を目指す

一の橋から参道に入って、奥の院まで歩く。参道の入口には大きな杉が何本も立ち並んでいる。真っ直ぐで太い幹は、まるで柱のよう。
道沿いにはずらずらとお墓が並んでいる。有名な人の墓もたくさんあった。伊達政宗とか武田信玄とか豊臣秀吉とか。ほかにもいろいろ。お墓の形もいろいろ。石造りの家のようなものもあれば、小さなお地蔵さんが、杉の太い幹の根元あたりに埋まるようにあったりもする。
さっきから寒かったが、ここはさらに寒さを感じる。カラスと、なにか分からない鳥が鳴いている。霧のような小雨が降り出した。
2キロほど歩くと、奥の院まで来る。灯籠堂に入ると、なかは暗く、お経の声が響いている。堂の天井からは、いくつもいくつも灯籠がさがっている。周りをぐるっとまわって、ふたたび墓地のあいだを通り、休憩所で休んだ。
休憩所の奥には湯呑みと釜が置かれていて、自由にお茶を飲むことができる。温かいお茶を飲んで、しばらく休憩した。

14:00 ふたたび一の橋


雨がすこし強くなってきた。公園墓地のあたりでは、モミジが赤や黄色になっている。
もう一度霊園の杉木立のあいだを通って、来た道を帰る。大きな木のおかげで、すこしは雨を避けられた。一の橋からバスで帰ろうと思うが、バス停がどこだか分からなかったので、さっき昼食をとったあたりの苅萱堂前まで戻る。
土産に「笹巻あんぷ」(5個入り)を買った。
バスに飛び乗って、高野山駅に向かう。結局、奥の院まで歩いただけで、手前の金剛峯寺や西塔、東塔などは見ていないが、雨なのでもう帰ることにする。帰りの特急券は16時台の予約をしているが、変更してもらうことにした。

14:45 高野山駅

14時の特急が出たところだった。次の15時半のに乗ることになった。ケーブルカーで下りて、特急に乗ると、また雨が強くなった。でも、乗っているうちに雨が上がった。降っていたのは山だけだったのかもしれない。もやもやした雲がかかっていて、いかにも深山幽谷という感じのする山間にも民家が点々とある。学校らしき建物も見えた。柿が名産らしい。車窓から大きな川が見えたので、紀ノ川というのは、ここを流れていたのだということを知った。

17:00 南海難波 着

難波まで来ると、やはりそんなに寒くなかった。
おつかれさまでした。今度は熊野に行きたい。

『黒衣の花嫁』

2006年10月27日 | 映像
監督・脚本:フランソワ・トリュフォー
原作:ウィリアム・アイリッシュ(コーネル・ウールリッチ)
出演:ジャンヌ・モロー、ジャン・クロード・ブリアリ、ミチェル・ブーケ
(1968年・フランス/イタリア)


《あらすじ》
男の前に現れたのは、謎の美女。彼女によって次々と殺されてゆく5人の男たちの隠された関係が明らかになってゆく。



BS2でやってたのを観ました。60年代の衣装はいつみても素敵です。ジャンヌ・モローは顔がちょっと怖いですが、やはり美しいです。黒か白の服しか着ないので、よけいに迫力があるような…。
彼女は最初の登場シーンで、黒いノースリーブのワンピースを着ているのですが、腕とか腰とかがすごくガッシリしてるなーと感心しました。60年代フランス女性はこうありたいものだ、という感じです。何を着ても似合う。ところが、途中で、彼女とすれ違った男が友人に話している場面で、「あの小柄でキャシャな女……」というようなことを言っていたので、びっくり。華奢だったんですね、まあ、そういわれるとそうか…な……たしかに太ってはいないけど。


そんなどうでもいいところばかり気にしてしまいましたが、物語は、とても悲しいサスペンス・ミステリーでした。次第に謎が明らかにされていきますが、その展開が緊迫感に満ちていて、とてもよく出来ています。終わり方が、すごい。バッサリ。「ギャーーッ!」
おー、なんときっぱりしているのだ。いいですね。

『トラストDE ヨーロッパ滅亡史』

2006年10月24日 | 読書日記―エレンブルグ
イリヤ・エレンブルグ 小笠原豊樹・三木卓訳(河出書房新社)


《あらすじ》
モナコ王子の放心によってこの世に送り出された男エンス・ボート。もしアフリカへ行っていたならば、ダチョウの卵集めやライオン狩りをしただろう冒険家の彼は、しかし老いさらばえたヨーロッパでは何もすることがなかった。やがてアメリカへと渡った彼は3人のアメリカ人富豪とともに《トラストDE》(Trust for the Destruction of Europe)を結成する。この組織の目的は、ヨーロッパ撲滅。
単なる空想小説ではなく、歴史の必然性と著者のヨーロッパ生活の体験に基づいた物語。


《この一文》
” 三億五千万以上の人間が住んでいた一大陸を滅ぼすための十二年という歳月は、かなり長いものだった。だが、その歳月もエンス・ボートの心の中の偉大な愛を滅ぼしてしまうことはできなかった。もしわれわれの著作が一部の立派な学者先生に読まれずに終る恐れさえなければ、われわれは『ヨーロッパ滅亡史』という副題を抹消して、事件の真の本質によりふさわしい別の題に改めたであろう。すなわち『不滅の愛の物語』と。  ”



また凄いものと出会ってしまいました。私の「不滅の物語」のリストに追加決定です。とにかく、激しい。猛烈な勢いで、ヨーロッパは滅んでいきました。恐るべき物語です。この衝撃は、クストリッツァ監督の映画『アンダーグラウンド』(超傑作。人類の宝)を思い起こさせるものがあります。つまり、喜劇と悲劇の甚だしいギャップ。爆発的エネルギー。なんてことだ。

主人公のエンス・ボートは、モナコ王子がオランダを訪れた際、転がったチーズを追いかける女の後を追いかけて、その先の4分間の放心のために、この世に生み出されることになった天才です。彼は、父親から博打の才能を受けつぎ、職を転々としながらも、ついには一財産を築きます。しかし、それをあっさり放棄してアメリカへ渡った彼は、新しい事業に乗り出すのでした。《トラストDE》。それは表向きは《デトロイト建設トラスト》とされているが、その奥ではエンスが赤と青の鉛筆を振っており、その動きに従って、ヨーロッパ各地に広がる《DE》の頭文字を持つあらゆる業種の会社が、ヨーロッパを滅亡させるべく働いているのでした。

一言で言って、物語の多くの部分はユーモアに満ちていて笑えます。しかし、それだけに一層悲劇的でもあります。とにかく哀れです。たまらなく悲しい。エンスはたしかにヨーロッパ撲滅のために働きますが、直接的に攻撃を仕掛けたわけではありません。結局のところ、ヨーロッパの国々は自分達の持つものによってお互いに滅ぼし合ったのです。それが恐ろしい。彼らが滅ぼし合ったそのやり方も、あまりにリアルで恐ろしい。全然笑えません。

この物語は1920年代から1940年までを舞台としているのですが、いま、私達がヨーロッパの滅亡を体験しないまま2000年代に突入したからと言って、「そんなことは起こらなかったじゃないか」と言って安穏としてはいられません。当時の作者の危機感と絶望が、いまでもなお新しさを失わず、押し寄せてくるようです。滅亡は、ささいなことがきっかけで起こるのではないだろうか、はじまってしまったらもはや誰にも止められないのではないだろうか、それはいつでもどこでも起こりうるのではないだろうか--。実に恐ろしい物語でした。

前世紀の始めに生きた人々のなかには、命がけでものを考えた人が多かったのだろうと思います。人類がどこへ向かうのかという問題に対して、個人の考えが影響力を持ち得た、あるいは持ち得ると考えられていた時代だったのでしょうか。そこで生み出されたものは、あまりに熱い。現代の我々は、そういう苛烈な時代に戻ることはできないでしょうし、戻りたくないと願う以上は、その時代の人と同じような必死さでものを考えることもできないかもしれません。だからこそ、先人が遺してくれたものには敬意を表さねばなりますまい。私はせめてそれをじっくりと吟味するくらいのことはしなければならないのです。


怒濤の物語にも関わらず途中でウトウトしてしまった私(夜だったので)の手からこの本を抜き取って、先に読了したK氏は、私以上に衝撃を受けていました。「ほいきた、ヨーロッパ!」があまりにショックだったらしいです(読めばわかりますが、たしかに衝撃的)。そして「かつてないほどに恐ろしい物語」であると評していました。私は他にも恐ろしかった物語は記憶にありますが(アストゥリアスの『大統領閣下』とかバルガス・リョサの『世界終末戦争』とか。でもまあ、ちょっとそれとは恐ろしさの種類が違う気もしますので)、おおむね同感であります。

そのK氏と、エンスを駆り立てたのは結局は何だったのかについて話し合ってみました。ヨーロッパに対する激しい愛と憎しみに引き裂かれながらも相手を滅ぼさずにいられなかったエンス。おそらく筆者エレンブルグの分身であるエンスは、とにもかくにも滅ぼしてみたかったんだろうというところで、われわれの意見は一致をみたのでした。


衝撃の一冊。必読です。

不滅の愛の物語

2006年10月23日 | もやもや日記
とてつもなく詰まらないことに落ち込んで数日を過ごしてしまいました。私はときどき、とてつもなく愚かになります。厳密に言うと、ときどき、ではなく、1か月のうちの3日間ほどでしょうか。しかし、いつも過ぎてしまわなければその時期に差し掛かっていたということに気が付くことができないのが、現状の悩ましさです。とりあえず、まあ、今月の危機は去った--。

さて、そんなほぼ自失状態からどうにか立ちなおりかけていた私に、さっそく激烈なパンチをくらわせたものがあります。それは、イリヤ・エレンブルグ著『トラストD.E.』であります。副題は『ヨーロッパ滅亡史』。分量としては中編とするのが適当かと思われるこの小説にはしかし、壮大な破壊と滅亡と愛などが描かれていました。不遇な作者のネガティブパワーが炸裂していました。詳しくは別に記録しておきますが、すごい物語でした。実にユーモラスであり、同時に救い難く残酷でもあります。この物語の前には、私の落胆など塵やほこりでさえありません。ああ、文学とはなんと偉大なものでしょう。すっかり目が覚めました。不滅の物語に乾杯。悲しむべきことに現在絶版ですが、古書で購入することが可決されました。


そして、突然話は変わりますが、写真は「きなこ入りヨーグルト ハチミツがけ」です。体に良いらしいので、このところは熱心に食べています。体の何に良かったのかは、例によって忘れてしまいました。味はどうなのか、と申しませば、きなこの粉っぽさとヨーグルトの酸味がハチミツの旨味によって辛うじて救済されているという感じでしょうか。できれば、ただハチミツをかけただけのヨーグルトを食べたいところです。しかし、もちろん不味いというほどではありません。良く言えば「和風」と言って済ますこともできそうです。

さあ、勢いをつけてどんどん進め。

大ニュース

2006年10月20日 | もやもや日記
えらいこっちゃ!
大変です!


白いオオサンショウウオ、5匹が群れ:asahi.comより


なんてこったーッ!
なんて白いんだ、しかも5匹!


ふう、つい取り乱してしまいました。あんまり驚いたので。私は好きなんです。オオサンショウウオが。どうしてだか分かりませんが、どうしようもなく。まったく黄村先生の気持ちもよく分かるというものです。だって、なにかただならぬ存在ですよ、彼らは。はあ。どきどき。

『リットル・マン』

2006年10月18日 | 読書日記ーストルガツキイ




ストルガツキイ兄弟作 深見弾訳(季刊ソヴェート文学 1973 SUMMER 通巻45号)



《あらすじ》
虚無と静寂の惑星で、作業をする地球人たち。コモフ、ワンデルフーゼ、マイカ、ポポフらは、絶滅の危機に瀕したパンタ人を移植させる目的で、この静寂の惑星を改造する『ノアの箱船』計画を実行中だった。彼らはある日、発見されて間もないと思われていたこの星で、地球のものである遭難船を発見する。そして--。

《この一文》
”私はコモフにたいする責任を探してみたが、ただ『俺にとって遍歴者とは何だ? 遍歴者だっって! 俺自身がある程度まで遍歴者じゃないか……』という言葉だけが頭の中を意味もなく駆けめぐっていた。
 突然コモフが言った。
「きみはどう思う、スタシ?」  ”



久しぶりのストルガツキイです。K氏が古本で買ってくれていたのをまだ読んでいませんでした。もうかった、もうかった。

さて、この物語は、時間的にはどうやら『収容所惑星』と『蟻塚の中のかぶと虫』もしくは『波が風を消す』のあいだに挟まれるお話のようです。コモフやゴルボフスキーが出て来ました。なつかしー。けど、ちょっとどういう役割の人だったのか、もううろ覚えですよ。またあのシリーズを読み返そう…。マクシムもちらっと登場してました。あと島帝国とか…。なので、やはり『収容所』と『蟻塚』のあいだなのかもしれませんね。

ある惑星で任務を実行中の地球人4人は、作業中に遭難船を発見する。しかも、それは地球のもので、遭難してから随分経っているらしい。静寂と虚無におおわれたこの星での作業は孤独との闘いでもあり、若いサイバー技師のポポフは、ひとりきりの仕事中に幻聴に悩まされるようになる。この場所では絶対にそれを聴くことなどあり得ない音、赤ちゃんの泣き声……。

地球人が宇宙へ出て、他の星々を訪れ、そこに文明が存在すればそれに接触し、ときには干渉する…。そのことをどう考えるか。というようなことが描かれています。…多分。実は、私はまだよく分かりません。いえ、たしかに物語はいつものようにとても面白かったのですが、正直なところ、理解しきれたとは言えません。また何度か読み直すつもりです。できれば、これに関連するほかの作品も読んでみたいですが、訳されてないんだろうなあ。ああ……!


それにしても、なにかと《遍歴者》の名前を持つものが多く登場し過ぎます。今回も、あの《遍歴者》の他にも、遭難した船の名が「遍歴」号だし…。ややこしいんです。

これは何の色

2006年10月17日 | もやもや日記
スーパーで買い物をしていたら、こんな色をしたものが売られていました。おー、なんという美しい配色でしょう。そう、それは鮭の切り身。実においしそうなのであります。

ずいぶん前に、こういう配色のマフラーを人に贈ったことがありますが、どうしてあの色合いが私の気に入ったのだかが、ようやくわかりました。鮭の色だったんだ。なんだか素敵だなーとは思っていましたが、まさか食欲だったとは。いやー、気付かなかったです。



秋にはほかにも、綺麗な色の組み合わせがいっぱい。常緑樹の葉のように深い緑色と焦げ茶は、どうしてだかチョコレートを連想させるし、おなじく緑色と橙色は、柿を思い出すし。とにかく食べ物のことが頭から離れません。

秋なんですね。ほんとに。

栗むき

2006年10月16日 | もやもや日記
昨日は、熊本産の大きくて立派な栗が安く売られていたので、買ってきました。夕飯は栗ご飯です。やったー、秋だ、ばんざい。

というわけで、昨日は日曜の夕方を栗をむいて過ごしました。皮が硬い。なかなかむけません。必死で2粒むき終わるころには、K氏は4粒目を終了していました。どうにかこうにか頑張って、全部で12粒くらいをむきました。ひとつひとつがかなり大きいので、栗ご飯用にはこれで十分です。炊飯器が小さくて2.5合までしか炊けない(かわりご飯の場合)ので、むしろ、「ご飯付き炊き栗」になりそうな勢いです。贅沢ですね~。

それにしても、栗の皮をもっと楽にむく方法はないものか…。私は、右手親指の付け根を負傷、そして力を入れ過ぎたせいなのか、人さし指の先端も痺れています。しかし、栗はおいしい。このくらいの犠牲はやむを得んのかもしれません。

そして、ついに炊飯器に栗を投入、無事に炊きあがりました。わー、うまそー。今夜は「秋の味覚祭り」なので、おかずは鮭のムニエルです。一体私に何が起こったのでしょう。すごいご馳走です。その夜の食卓には、いつになく立派な品々が並べられました。いただきます。

がつがつ。

ふー、うまかった。あ! 出来上がった食卓の風景も写真におさめようと思っていたのに、すっかり忘れていました。まあ、仕方ないか…。それどころじゃなかった…。というわけで、写真はむき立てほやほやの栗です。かえるが狙ってます。が、守護神ニシモトがそれを防ごうとうかがっているところ。

歌川国芳

2006年10月14日 | 学習
今夜のテレビ東京系『美の巨人たち』で、歌川国芳を特集していました。私は、何人もの裸の男性が集まって、大きな男性の顔をかたちづくっている有名な「みかけはこわゐがとんだいゝひとだ」(タイトルもおもろい)くらいしか知りませんでした。しかし、この人は、猫の絵をたくさんのこしていたようです。しかも、すごく魅力的な猫ばかり。ああ! 顔が! 面白い! 着物を着てるし!

「猫の当て字-かつを」という作品は、猫が何匹か並んで、「か」「つ」「を」の文字をつくっています。かわいい~。変な顔をしてカツオをくわえてるのもいます。ぷぷ。猫好きにはたまりませんです。画集などを買ってもいいかもしれません。つーか、欲し~。

というわけで、やっぱ浮世絵っていいなーと再確認しました。なんといっても、線が美しい。色も美しい。すごい技術です。