半透明記録

もやもや日記

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桜が咲き始めた

2011年03月31日 | もやもや日記

ベランダから見える桜の木。
去年の秋には紅葉が美しかった。






そろそろ桜の花が開いてきました。春は着実にやってきていますね。上の写真は、ベランダからデジカメを構えて、ズーム! ズーム! とズームして、階下におりずして撮影した写真です。最近のデジカメの能力は高いなあ。普段は携帯電話の付属カメラしか使わないから、私はびっくりしたですよ。



桜の花の下で、これまではずっと過去のことを思い続けて来た私ですが、今は、ずっと未来のことを考えるようになりました。私は未来のことなんてこれまでちっとも考えたことがなかったせいか、未来というのは私にとっては以前からそうであったように今でもモヤモヤしたまるで実体の感じられないものでありつづけていますが、それでも未来を考えるようになりました。

この3週間というもの、さまざまな言葉の断片が切れ切れに、今まで読んできた物語の一節であったり、それを受けての私の感想文であったり、そういう言葉の断片が切れ切れに、私の頭の中を絶え間なく、まとまりも掴みどころもないままに、乱れ散っています。私はこれをどう集めていいのか分からない。舞い落ちる桜の花びらを掴み取ろうとするみたいに、細切れの言葉は私の手をすり抜けて、落ちていってしまいます。

でも、言葉の断片をつかまえることは今は出来ませんが、それは私の足もとに積もっているはずなので、そのうちにまとまって、今度は書くことができるでしょう。花びらは舞い落ちる。でもしばらくは足もとに留まっていてくれる。風に吹き散らされ、大地が分解してしまう前に、その前に掴むことができればどうにか間に合うかな。

かつて私が書いたひとつの文章が、ずっと脳内を反響しています。私はその言葉への責任を果たさなければならない。ああ、今日は明るいなあ。








「ビヤンフィラアトルの姉妹」

2011年03月29日 | 読書日記ーフランス


鈴木信太郎訳
『リイルアダン短篇集(上)』辰野隆選 所収
(岩波文庫)


《あらすじ》
貧しい門番夫婦の二人の娘、ビヤンフィラアトルの姉妹は、世間の偏見によれば穢らわしく困難な「夜の稼ぎ」に、真面目に慎ましく従事していた。心根が優しく、聡明で、堅実な姉妹であったが、あるとき妹のオランプが過ちをおかしてしまう。彼女は恋をしてしまったのだ…。

《この一文》
“されば、行為は形而下である限り無差別である。各人の意識のみ、ひとり、行為を善と為し或は悪と為すのである。この広大無辺の不統一の奥底に臥はる神秘的な点は、人間が、差別とか関心とかを勝手に拵へて、その国の風習が自分にこの行動或はあの行動と為させるに従つて、斯々(しかじか)の行動を寧ろ斯々の行動よりも自ら禁ずる、『人間』の閉ぢ籠められてゐるこの天賦の必然性にある。畢竟、全『人類』は、如何なる『法』が失はれたかはしらないが、その『法』を既に忘れてしまつて、しかもそれを手探りに思ひ起さうと努めてゐるのである、と言へるかもしれない。”



リラダンの短編はいつだって物悲しいなあ。灰色と、菫色の世界。美しいけれども悲しい。しかし、悲しいけれどもやはり美しいのであった。


この「ビヤンフィラアトルの姉妹」という物語の、結末をどう解釈したらよいのか私にはまだよく分からないのですが、お話のはじめの方の、この一文には強く心を惹き付けられるようです。

畢竟、全『人類』は、如何なる『法』が失はれたかはしらないが、その『法』を既に忘れてしまつて、しかもそれを手探りに思ひ起さうと努めてゐるのである、と言へるかもしれない。


うむ。
忘れてしまった何かを思い出したくて、手探りを続けているような気がします。以前からずっと、今も、これからも。思い出すためなのか、作り上げるためなのか、どちらなのか分からないけど、その「何か」のために私たちは前に進むのかもしれませんね。躓いたり、転げたり、そのたびに価値が転倒するのを恐れたりしながらも。


灰色と菫色の、静かで美しい世界。悲しいほどに美しい世界に、私を染み込ませたい。









よく眠る

2011年03月28日 | 夢の記録





K氏は昨日の日曜日、「なんか疲れた…寒いし…眠い……」といって、午後からうとうとし始めて、夜までそのまま寝ていました。そして、

しまったーーっ! 日曜が終わってしまう!

と慌てて8時頃に起きたのですが、K氏はその昼寝で夢をみていたそうです。


K氏の夢には私がよく登場します。昨日の夢にも私が出て来たらしい。彼の夢の中の私は、姿形こそは私そのものなのですが、言動はいつもとても奇妙なようなんですね。昨日のK氏の夢はこんな感じだった。


***

K氏と私はどうしてだか再びどこかへ新しく引っ越したらしかった。越して来たばかりの部屋はまだガランとして何もなく、そしてその集合住宅は比較的大きなものなのに、ひとけはあまり感じられない。
K氏と私の新しい部屋には、布団が一組あるだけだ。

すると突然、私が「お隣の部屋へ行ってみよう」と言い出す。隣室は空き部屋のようだったが、玄関の鍵は開いていた。誰も住んでいないはずのその部屋は、私たちの新しい部屋よりも広くて快適そうで、しかも立派なソファや家具なども設置してあった。私は「なんか、この部屋の方がいいね。今日はここで寝ようよ」などと言い出したらしい。そして素早く自分たちの部屋から一組しかない布団を持込んで(その部屋にはソファや家具はあったが、ベッドなど寝具はなかった)、さっそくスピスピと私は寝始めた。

そのようすを見てK氏は「なんでこんな入っちゃいけない部屋へ勝手に入って、しかもすやすや寝たりできるんだろう…?」と思いつつも、私の眠る布団の中へそっと潜り込んで、びくびくしながら寝ようとしたらしい。しかし、びくびくしているものだから、よく眠れない。「ああ、この部屋は間取りはいいけど、エレベータが隣にあるから作動音が響くな。自分たちの部屋のほうが静かでいいな。まてよ、エレベータが動いているということは、他にも誰か住人がいるんだな。それにしても、やっぱり落ち着かない…」うーん…うーん……


***




というところで、目が覚めたそうです。
K氏が言うには、夢の中の私はいつもこうやって異常事態のなかでも呑気に寝ているんですよね。

K氏は以前にもこれと同様の夢を見ていて、それはもう8年くらい前のことじゃないかと思うのですが、K氏と私は奇妙な閉ざされた塔の上部にいて、壁沿いにそってめぐらされた螺旋階段の途中で、やっぱり一組の布団を共有して眠っていたのです。塔の真ん中は吹き抜けになっていて、底が真っ暗でどのくらいの深さがあるのか分からない。そして、我々が眠る階段の両端は、どちらも膨大なガラクタで埋め尽くされ塞がれており、上ることも下りることもできない。ひとつだけある窓からは、荒野がひろがっているだけのところに、一本の鉄道が走っているのが見える。列車はいまにも出ようとしている。あれに乗らないと! でもどうやってここから出たらいいんだろう? ああ、もう発車してしまう! という事態にもかかわらず、私は階段の途中で毛布にくるまって、すぴすぴと眠っていて起きそうにもなかった……

と、恨み言を言われたことがあります。えっ、そんなこと言われても困る。
それにしても、K氏の夢では、どうしてもいつも布団は一組しかなくて、私はそこで寝ちゃっているらしい。K氏いわく、「たぶん、オレの精神が追いつめられたとき、最後の安全安心な場所が、この布団の中なんだと思う。夢のなかの君はいつもおかしなところがあるんだけれど、それでも君がそこで寝てるっていうのが、まだ安心できる暗示なのかもしれない…でもさ、なんであんなに寝てるわけ??」。



だが、ちょっと待って欲しい。
現実世界では、寝てるのはいつも君のほうなんだぜ!


はあはあ。。。

まあ、なんにせよ、よく眠れるというのはいいことですよね。実は昨日、私も眠りこけるK氏を見ていたら眠くなってきて、夕方くらいから少し眠ったのですが、ちょっと頭がすっきりしました。私が寝ている時に、K氏は私の夢を見ていた。もしかして私は彼の夢へ出張していたんだろうか…。なんつって。いや私もそのとき、なにか夢を見ていた。思い出せないんだけど、たぶん、別の夢を――。








スーパーマリオギャラクシー2

2011年03月26日 | もやもや日記





「なんか面白そうだったから…」といってK氏が『スーパーマリオギャラクシー2』(wii)を買ってきました。おい! こないだ買った『ゼルダの伝説~トワイライトプリンセス』はどうした!? まだ終わってねーだろーが!! それにPSP(だったかな?)の『メタルギア・ソリッド』も中途半端っていうか、最初のほうしかやってなくね??

と、突っ込みたいところでしたが、K氏はとにかく買いたくて仕方なかったんでしょうし、金を持っている人が金を使うことは全然悪くない。むしろこんな時こそ散財したほうがいいんでしょう。それに、マリオギャラクシーというゲームはいいですよね(´∀`*) 私は前作の方は、姉からディスクを借りてやってみたことがあります。面白かった。全クリアは出来なかったけど……。


さっそく開封してみたらDVDが付属していました。へー。こういうのを付けてくるのか。任天堂はさすがですね。試しに一部を視聴してみましたが、基本的な操作や遊び方を分かりやすく説明してあるようです。ヨッシーに乗れるのか。ふーむ、今度やってみようかなぁ。


Wiiで遊ぶのも、たまにはいいかもしれません。最近はとんと疎遠になっていたけれども。だいたい私はこのところ上半身の筋力をますます落としてしまって、先日はセーターを脱ごうとした拍子に、右肱を傷めました……メリっていった。こないだは後ろ手にまわした拍子に左肩を傷めてそれが治ったと思ったら、今度はこれだよ。orz。関節には気をつけないとなー。

ほんとうは、こんなどうでもよいことを書くんじゃなくて、もっと書きたいことがあったのですが、重すぎるのでやめました。今日はじっとしていようと思います。上り調子になったら、またうまくできるさ。








昨日の晩ご飯

2011年03月24日 | もやもや日記





昨日の夜はシシャモでした。

スーパーでは、茨城産のレタスが大特価となっていて、今回の騒動の余波がすでにここまで到達しているのかと邪推してしまいましたが、そういえば、あのスーパーは水曜日はいつも野菜が大特価なのであった。。。というか、これまであまり気にしていなかったけれど、茨城からはるばる大阪まで葉もの野菜が流通しているっていうのに驚いた。最近の流通事情はやっぱり進んでるんだなー。うんうん。
レタスは安かったので買いました。トマトと一緒にスープにしようかなー。


もうひとつお買い得だったのは、三陸産の生ワカメ。これも普段の半額。やはり今回の騒動の余波が(以下略)と思いましたが、このスーパーは水曜日はいつも水産物がお買い得なんですよね。しかし、三陸産の高級ワカメはしばらく入手困難になるような予感がしたので(という以前にそもそもこれまでだって高級すぎて私の視界には入っていなかったわけですが;)、今のうちに味わっておこうと思い購入。


シシャモはノルウェー産と表には書いてありましたが、裏には「ベトナム産」と書かれてありました。。。いったいどういうことなの?? うーん、水揚げしたのはノルウェーだけど、パッケージしたのはベトナムっていうことかな。まあ、なんでもいいや。
昨日買ったシシャモは「傷があるのでお安くします♥」というような但し書きがついていましたが、傷はさほど見あたらず、なかなか大きくて立派な子持ちシシャモでした。私はシシャモが好きだ。厳密にはこのお魚はシシャモに似た別の魚らしいけれど、それでもこういうお魚が好きであります。食べやすくていいですよね。

水曜日は水産物が安い。それにしてもシシャモ22匹で140円というのは破壊力のある価格でしたね。こんなに安くなっているのは初めて見たぜ。半冷凍状態だったので、まずは半分だけ食べることにして、残りを引き続き冷凍にしておきます。ゆうべは12匹を焼いていただきましたが、うまかったです。けれども、「子持ち」とうたっていたのにオスが1匹混ざっていました…(´;ω;`)いや、いいんですけどね、卵とかなくても美味しいからさ……でもちょっとガッカリしちゃってごめんよ、オスのシシャモよ、許してくれ!


というわけで、ゆうべの献立はごはんとワカメと豆腐の味噌汁、シシャモ、それからカボチャの煮付け。私の晩ご飯の定番メニューでした。これは失敗することがないから私としては安心の献立。質素でも美味しいや。








水曜日はチョコパンの日

2011年03月23日 | もやもや日記

ファミマで売られている
「チョコ好きのためのチョコクロワッサン」





火曜日の夜に、K氏がきまって持って帰ってくれるのがこの「チョコ好きのためのチョコクロワッサン」です。そして、翌日の水曜の朝に、このチョコパンを半分に分けて食べるというのを何年も続けています。しかし……どうしていつも1個なんだろう?? 必ず1個のチョコパンをふたりで分けて食べる私たち。そのことに慣れ過ぎて、たまに一人ひとつずつ与えられたりすると、ちょっと困惑してしまうほどです(ごくまれにそういうこともある。そんな時は、なにかもの凄いイベント気分が発生します。慎ましい暮らしぶりだぜ…)。

最初は火曜日にこのチョコパンが安かったことから始まった気がする。K氏がお昼に職場近くのファミマで買っていて、たまたま持ち帰って私にくれたのが発端だったという記憶がおぼろげにあります。あと、最初は私のアイロンがけという家事労働に対する報酬だったような気もする。
それはともかくこの菓子パンは、デニッシュ生地のなかにぶ厚い板チョコが入っていて、今のような寒い季節にはガリっというものすごい歯ごたえを与えてくれます。美味いんですね、これが。

この習慣をたぶんもう3、4年くらい続けているんじゃないかと思われます。途中、横浜に住んでいた8カ月間は近所にファミマがなかったので中断していましたが、大阪へ戻ってくるなり再開しました。奇妙な習慣ですが、もはや水曜の朝にチョコパンがない生活は想像できません。1週間にいちどは食べないと、なんか落ち着かない。


というわけで、これからもこのチョコパンが売られる限りは毎週水曜日に食べ続けることでしょう。最近のK氏は同じシリーズの「くるみパン」にハマっているようですが、それでもチョコパンを買ってきてくれます。うめー、うめー! と今朝も食べましたが、私はやっぱりこのチョコパンが好きですね。それなのに、自分では一度もこれを購入したことがないという事実にさっき気がついて、衝撃…!! 今度買ってみるかなぁ。で、土曜日とかに取り出して、「ほら、土曜日なのにチョコパンですよ!」とK氏を驚かせてみよう。うんうん、そうしよう。









「五人同盟」

2011年03月22日 | 読書日記ーロシア/ソヴィエト

アレクセイ・H・トルストイ
『ロシア・ソビエトSF傑作集 下』(創元SF文庫)所収



《あらすじ》
三本マストのヨット《フラミンゴ号》の中では、船主のルフをはじめとする5人の大富豪と一人の技士が、七日間で世界中の富と権力を手中におさめるための秘密の話し合いをしていた。彼らの攻撃の構想は、人類を未曾有の堪え難い恐怖で世界をたたきのめし、人類を麻痺させること…。


《この一文》
“ この人類の周章狼狽ぶりには、見ておれない、無力な、子供のように哀れなところがあった。金、権力、堅固な経済体制とゆるぎなき社会層に対する確信、全能が――《五人同盟》がそれをめざしてあゆんできたすべてのもの――それらがすべて全世界で突然、力と魅力を失ってしまったのだ。(中略)《五人同盟》の一人、おいぼれこおろぎに似た老人が、ひからびた掌をこすりながら繰り返していた。
「闘争を期待しておったのに、こんな降伏のしかたはないぞ。わたしの年で人間嫌いになるなんてあまりにも悲しい」 ”




月が、ものすごく大きかったらしい。私は見逃してしまいましたが、「月」が人類にあたえる巨大な印象を扱ったSF短篇があることを思い出し、読み返してみました。アレクセイ・トルストイの「五人同盟」です。「世界が盗まれた七日間」という別の題(最初にこの作品が発表された時の題名)が添えられています。


***

ここから先は物語のオチをバラして書こうと思うので、これからこの物語を読みたいという方はご注意ください。


さて、大富豪ルフ率いる《五人同盟》には壮大な計画があり、彼らは世界中の富と権力のすべてを自らの手中におさめるべく、恐るべきその計画を実行に移します。彼らは夜空に輝く美しいあの「月」に強力な爆撃を加えることによって、「月」を打ち砕こうというのです。買い占められた無人島で計画は秘密裏に進んでゆき、おりしも地球に接近していた「ビエラ彗星」の騒ぎに乗じて、「月」に向けて無数のロケット弾攻撃をしかけ、見事「月」は7つの大きな塊に砕け散るのでした。人類はそのありさまを目撃し、狂気と大混乱に陥り、《五人同盟》による〈恐怖の一週間〉が計画通りに作り上げられたのだが……。


目前で砕け散る「月」は、人々の心まですっかり破壊してしまいます。あまりにも度を超した現実を前に、人類は精神を持ちこたえることができません。


“ 当時〈四万年について〉という見出しで、月の残骸との衝突を心配せずに、地球は安心して気楽に働き発展できると書いた楽天的な論説が新聞で報じられた。
 その記事はいい印象をあたえたようだった。退嬰的な瞑想家たちは屋根からおりてきたし、商店は店を開き、徐々にではあったがふたたびレストランや広場で音楽が演奏されるようになった。だが、人類に、なにかかろうじて目につく影のようなものが跡を残し、放心状態が認められた。
 張りつめた精神状態、野心のせめぎあい、苦痛、断固たる取り扱い、規律、秩序――こういった管理のために都合のいい、ごく普通の大都市の組織体が少しずつなにかもっと柔軟で拡散した、とらえどころのないものに変わっていった。”


人類の破滅や文明の終焉といった恐怖心を煽るさまざまな情報が世間を飛び交ったあとに、「しかしただちに地球が滅亡するわけではない」という楽天的観測の記事が登場する。それは人々の心を安心させたかに見えて、実はすでになにか決定的ななにかが、人類の精神から失われてしまっているようでした。何だろう。それは、何だろうか。




アレクセイ・トルストイの「五人同盟」は私の大好きな短篇小説です。これまでに何度か繰り返して読んできてそのたびに面白いと思ってきましたが、今回はなにか、なんだか…言葉もありません。けれども、人類は度を超した異常事態に遭遇すると、まさにこういう反応を示すものだよなぁとつくづく納得させられました。今ここにある混乱とある種の停滞を、そっくりに描いてありました。私はここから何を学べるだろうか。この物語の結末は、私にはどうもよく理解できないし、全編を通してとても苦い味を感じはしますが、何か考えないと。
ひとつ、私がそう思いたいと強く思っていることには、人類は未曾有の大惨事を前に正気を失ったとしても、たぶんそれでも慎ましく逞しく生き延びてはいくだろうということですかね。それまで当たり前に丸く美しく輝いていた月が、無惨に砕け散って鉛色に鈍く光るだけの瓦礫になったとしても、それに慣れていくより他はないし、恐らくそれにも慣れるだろう。こういう態度というのは、これは悲しいことなのかな。どうかなのかな。
でも、さまざまのことを諦めながらも、悲しみながらも、我々は新しい秩序をそれなりに築いてゆくだろうし、私はまだこの作品中の「こおろぎに似た老人」のようには、人間嫌いにはなれないようです。いや、なれないというより、まだ、なりたくない。








『COWBOY BEBOP』

2011年03月21日 | 映像(アニメーション)

#11「闇夜のヘヴィ・ロック」より






久しぶりに『COWBOY BEBOP』を観ました。私の好きなアニメシリーズです。SF、サスペンス、ユーモア、人情などなど盛りだくさんのスタイリッシュなアニメーション。何度観ても面白いし、格好良い。こういう骨のあるアニメっていいですよね。


好きなエピソードはいくつかありますが、その中でもとくに「闇夜のヘヴィ・ロック」はもう何度観直したか分かりません。ゆうべもまた観ていたら、K氏が「君さ、この話を何回観たら気が済むの?」と言われました。いやでもまだ6回目くらいだと思いますよ。というか、私がこれを観るときにはK氏も必ず一緒に観ているので「君だってそのくらい観てるだろーが」ということです。それにしても、このお話はいつ観ても爆笑! うひゃひゃひゃひゃ!


「闇夜のヘヴィ・ロック」は、暇を持て余すBEBOP号の面々が、突如として船内に出現した謎の宇宙生物に襲われるというお話。ちょっとしたSFサスペンス・ホラーなのですね。劇中で巻き起こる事態は深刻な感じでありますが、オチがものすごく間抜けでよろしい。結末部分のワルツに乗った演出も素晴らしいですね。私はこのエピソードが好きだなあ! たぶんそのうちにまた再視聴することでしょう。

『COWBOY BEBOP』全編については、またいつか感想を書きたいところです。








梅田→天神橋商店街

2011年03月19日 | 旅の記録

いよいよ完成に近づいてきたように見える
大阪駅。




金曜日は久しぶりにユキさんと会ってきました。梅田周辺をぶらぶらと。

お昼に梅田で待ち合わせて、茶屋町で昼ご飯。昼ご飯、といいつつ、ご飯を食べながらあれこれとこの1週間のことについて話し合っていたら、気がつけば3時半になっていました。二人ともすこし気が昂っていたのかもしれません。

その後、茶屋町のお店を出て、落ち着ける喫茶店でも探そうと、周辺をぶらぶらします。その途中でアニメイトを発見しました! へー、こんなところにあったのか!


昨日、ユキさんとはさまざまなお話をしましたが、ユキさんはこのあいだ『少女革命ウテナ』(TVシリーズの方)を全編ご覧になったばかりだったので、往来を歩きながら、ウテナトークで盛り上がりました。ユキさんはウテナをとっても気に入ったそうで、最初に見終わってまたすぐ2周目に突入したというお話を聞いて、私は「そうでしょう、そうでしょう、そうでしょうとも!」と相槌を打ち、2周目を見終わったら、最初のときよりも一層はげしく感動したというお話を聞いて、私は「そうでしょう、そうでしょうとも!!」とウンウンと頷いていたのでした。

茶屋町から中崎町、さらに天神橋六丁目までてくてくと歩きながら、「ノトさんは樹璃さんが好きなんだっけ?」「はい! ウテナを除けば、樹璃さまが一番好きです!」「あー、やっぱウテナは別格なんだ~」とか、「アンシーが…! アンシーがね…!!」「そうそう! アンシーはあの娘は、ああぁぁ…!」などと興奮しながらおしゃべりできたのは、私はとても嬉しかったです。長きに渡る孤独な私のウテナ愛を、ようやく人と共有できて、すごく満足。はあはあ、一晩中語り明かしたいくらいの勢いでございました。でもまあ、続きはまた今度!


ユキさんの案内で、梅田から天神橋六丁目まで歩きましたが、この天神橋には日本一長い商店街があるそうです。



最終的には、この地図を四角くグルリと一周する。
左側の梅田から右上の天神橋六丁目、
そこから南下して南森町までずっと商店街が続き
そこから再び梅田まで戻った。



さて、天神橋の「日本一長い商店街」は伊達じゃなかったです!
ものすごく長い!! もう全然終点が見えない。真直ぐに延びた通りの両脇には無数の商店が建ち並び、それが延々と続いています。夕方ということもあってか、人が賑わっていて活気もありました。こんなところがあったのかー。

私はこの長い長い商店街に来たのは昨日が初めてかと思っていましたが、天満橋のあたりで、前に私の実家の家族が大阪へ遊びに来たときに泊まったホテルがこのあたりで、そのとき商店街で少し買い物をした記憶が甦りました。あー、あれはこの商店街だったのか! でもあの時は、まさかこんなに長い商店街の一部だなんて思いもしなかったな~。ほんと、長い。とにかく長い。この長さは凄いものがありますね。いやー、面白いな!


天神橋商店街の長い道のりの途中で、レトロ風味で素敵な喫茶店で休憩。なんというお店だったかは迂闊にも失念してしまいましたが、すごくいい感じのお店でした。細長い店内は、半地下と1階、それから半フロア分の2階という構造で、壁の片側は鏡張り。メニューも懐かしさ満載の落ち着けるお店です。「ホットコーラ」なるものを発見し、興味津々でしたが、無難に「ミルクコーヒー」を頼みました。

で、ふたたび絶え間ないおしゃべり。
一休みのつもりでしたが、気がついたら夜でした。。。うふ☆

お茶を飲みながら、私とユキさんはまた様々なことを話し合いました。私は、高校時代や大学時代の素晴らしい思い出をいくつか披露したり、そのほかにもいろいろ、深く広く、ユキさんからもたくさんのお話を伺いました。



お茶を飲んでいたら夜になってしまったので、そのまま今度は夜ご飯のためのお店を探すべく、喫茶店を(ようやく)あとにして、依然として続いている商店街をふたたび歩き始めました。

扇町のあたりで、お手軽な感じの定食屋さんを見つけたので、即決で入店。私はユキさんと夜ご飯をご一緒するときは、かなりの高確率で揚げ物を食べるんですが、この夜もやっぱりカキフライ定食にしました。だって、カキは季節が限られてるんだもんねー! と主張し合いながら、ふたりともカキフライ定食をいただきました。そして、さらにさらに話し合いは続き、ここでもまだウテナの話を続け、なんだか私はいちいちユキさんのおっしゃることに納得したりしていました。ウテナを観て泣きそうになるとか、感極まるとかいうのは、いたって普通の反応ですからね……!! と、同志を得て解き放たれたウテナ愛を私はここでも炸裂させてしまいました。でも今度はユキさんも分かってくれるはず…! 「とにかく、あのOPはほんと最高ですよね!!」と主張してみたら、そこはしかしユキさんはいまいちピンとこなかったらしい。ふふ、まあそういうこともありますわね。ともかく私は話の通じる相手ができて、大変に興奮していたのでありました。




ひたすら歩いて、お茶を飲んで、お話しして、という半日でした。あっという間に過ぎてしまった。なんかいつも時間が足りない。

南森町から梅田までは、道筋がややおぼろげな感じでしたが、どうにか無事に辿り着けました。例によって、喋り過ぎて私は声を嗄らしていましたが、久しぶりにしゃんとした気分で満たされました。頭がスッキリした感じです。

ユキさん、昨日もどうもありがとうございました!
取り交わされた情報は、あまりに膨大で、ちょっと簡単にはまとめておくことができませんけれども、続きは近いうちにまたお話ししましょうね♪
お疲れさまでした!









少し雪

2011年03月18日 | もやもや日記


昨日、木曜日のこと。


大阪の昨日の朝は、晴れているうちに窓の結露を拭いて、換気をして、洗濯物を干して、とやっていたらいつの間にか曇ってきて、そのうち雪まで降ってきた。でも、雪はほんのしばらく降っただけで、あとは寒いだけでした。昨日も寒かった。

昨日は朝と夕方に、久しぶりにほんの少しだけだけど、友達とチャットすることができて嬉しかったです。東京にいるその人は、トイレットペーパーの不足に悩まされているらしく、普通のティッシュペーパーなら余裕があるとのことなので私は、台湾方式を教えてあげることに。


台湾に旅行したときに注意したのは、トイレで使用した紙を水に流さないこと。あちらでは紙を流さないのが一般的であるらしく、トイレには個室のそれぞれに大きなゴミ箱が備え付けられていて、使用後の紙はそこへ捨てる。

こうやって流さないならば、紙は水に溶けないものであっても気にしなくていい。台湾の人気観光地である九フン(にんべんに「分」)へ行ったときなどは、紙を流す流さない以前に、公衆トイレは使用者が多すぎたのかなんなのか、昼前だったけどすでに水さえ満足に通っておらず、清掃のおばちゃんがバケツの水を持って入り口のところに立っていて、私はその水を少しすくってもらって手を洗って出て来たものだ。懐かしいな。はは。もちろん、そんな不便はそこだけで、台北市内の各所ではそういう水の不便は感じなかったけれど。

でもまあこんな感じで、大らかにいきたいよね、ということで私と友達の話は落ち着きました。いろいろな不足のなかで、いつものような暮らしができないようですが、あまり神経質にならず柔軟に対応していきましょう。私も。


東京は街がすこし暗いと言っていました。でも、これはこのくらいでもいいかもしれないとも言っていました。そうだね、それには意外とすぐに慣れるかもしれないね。東京は明るかったからね。私は最初に大阪へ移り住んだとき、実を言うとその第一印象は「あれ…ちょっと暗いな」というものでした。もちろん大阪だって明るいところはもの凄く明るいんだけれども、東京は街のあちこちが隅々まで(たとえば地下鉄構内とか)が明るかった。私は東京のそんな明るさが好きだったけれども、これからはすこし明るさを抑えてもいいのかもしれませんね。


夜になって、アナトール・フランスの『ペンギンの島』の最終章の最終段落を読み返す。とても悲しい結末だったと記憶していたけど、そうでもなかった。たぶん。

 *追記…過去記事からの引用*
政治的策略と戦争の時代。そして、極度に工業化した資本主義社会における人間の暴力と崩壊に行き着かざるを得ない絶望的未来世界。人間の欲望の際限のなさ、果てもない愚かさ、哀しみが充ち溢れています。特に、未来の世の中の描写は、まさに我々の現代をかなりの部分で言い当てているので、それがまた悲しい。前から分かっていたことを、やはり避けられない人間というのは、単純で哀れな生き物であるように思えて仕方がありませんでした。滅入ります。しかし、物語の結末は単に暗い予感を表しているのみならず、そこには何か肯定的なものがないと言えないこともないようです。
 (2007年4月23日の読書日記『ペンギンの島』より)



木曜の夜は、久々にすごく深く眠りました。