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『ポーの一族』

2011年11月28日 | 読書日記ー漫画

萩尾望都(小学館文庫)




《あらすじ》
青い霧に閉ざされたバラ咲く村にバンパネラの一族が住んでいる。血とバラのエッセンス、そして愛する人間をひそかに仲間に加えながら、彼らは永遠の時を生きるのだ。その一族にエドガーとメリーベルという兄妹がいた。19世紀のある日、2人はアランという名の少年に出会う……。時を超えて語り継がれるバンパネラたちの美しき伝説。少女まんが史上に燦然と輝く歴史的超名作。


《この一文》
“それはそれは昔のこと…
 グレンスミスは不死の一族が住む バラの咲くポーの村を見つけました
 それは人間の世界の時の流れからははずれた谷間の村で
 争いもなく 貧しさもなく 絶望もなく
 深い一族の愛をもって村人は生きつづけているのでした

 (中略)

 ああ ずっと一生そんなバラの咲く村で暮らせたら……
 どんなに……

 「生きて行くってことはとてもむずかしいから
  ただ日を追えばいいのだけれど
  時にはとてもつらいから

  弱い人たちは
  とくに弱い人たちは
  
  かなうことのない夢を見るんですよ」 ”

   ――「グレンスミスの日記」より(文庫版第1巻)



かなうことのない夢を。
争いもなく、貧しさもなく、絶望もなく。そんな夢なら私も見続けている。やはりかなわない夢なんだろうか。そうだろう、きっとそうだろう。けれども弱い私には、どうしてもこんな夢が必要なのです。私は世界の成り行きを見つづけたい。いつか人々が争いも貧しさも絶望もないところへ辿り着けるのかどうかが知りたい。永遠に生きられたなら、永遠に生きる力を得られるなら、たとえ生物としての温もりをすべて捨てなくてはならなくても、たとえ無限に続く孤独な旅になるとしても、私はそのチャンスに飛びつくかもしれない。そんな機会は私にはやってこないと知っているけれども。夢を見つづけられれば、つまり私はまだ生きていけるということだ。ただ、夢さえ見られれば。


「グレンスミスの日記」と「はるかな国の花や小鳥」に、今回はとくに心を打たれました。どちらも夢の世界を想い続けた人のお話です。この分量に、これほどの内容を詰め込むことのできるとは、本当に驚異的ですね。


というわけで、萩尾望都先生の構成力と画力が凄過ぎて、私はついつい持っているだけ全部のエピソードを一息に読んでしまいました。文庫版の第3巻だけはまだ持っていないので、早々に買っておきます。私は10代のうちにこの『ポーの一族』を読まなかったことを後悔しているのです。うかつだった。不覚だった……!! はやくこの身の糧としなくては。心の奥深くにこの美しい種子を埋め込まなくては。


今さら私が言うまでもない、超傑作漫画です。物語とはこうあるべきという見本のような作品。いつ読んでも新しく、そして美しい。









選挙

2011年11月27日 | もやもや日記





投票所の出口でこんな紙片をもらえました。これはなんのためのものなのでしょう。つい「…これにかかるコストは……?」とか考えてしまったぜ。
私は世の中に無駄なものが作り出され続けることに対しては肯定的に考えていますが、しかし無駄にも程度と限度がありますからね。






というわけで、本日は投票日でした。朝から行ってきましたよ。


大阪府民であると同時に大阪市民でもある私はダブル投票。毎度のことながら、投票は悩ましいものです。

選挙があるたびに、私はスタートレック・DS9のある場面を思い出してしまうのですが、それはマートク将軍がクリンゴン帝国の新しい総裁となる輝かしい場面で、自分を新総裁に推そうとしているマートク将軍に対してウォーフは身を引いてマートク将軍こそがその座に相応しいと発言するのです。躊躇うマートク将軍にウォーフは「真の指導者は、周りがその人物にその地位を望むのです」というようなことを言って説得するという。まさにその通り。マートク将軍は指導者に相応しい人物であって、私もマートク将軍のことを上司にしたい人物 宇宙一だと常々思っておりました。人格者の中の人格者!

ま、とにかく、そんな風にリーダーを選ぶことができたらいいのになあと選挙のたびに思っています。まったく選べないよりもいくらか選べる方がいいに違いないでしょうけれど、どれも選びようがない状況だったらどうしたらいいんですかね。私は選挙制度が正しく機能しているとはどうも思えないというか何というか。私が望むような人物を私自身の力では見出せないことに、なにやらもやもやしたものを感じるんですね。もやもやしているだけではどうにもならないと分かっていますが、ではどうしたらいいのかというと皆目見当もつかないので、ますますもやもやしたりします。ああ、なんだか具合が悪くなってきたな…


さて、いつもより若干投票率が高いようですが、大阪市および大阪府の行く末やいかに。









寒い!

2011年11月25日 | もやもや日記




なんだか急に冬のような寒さ。寒いなあ。でも、晴れてるから許す。


こんな寒い日には、鍋とか鍋焼きうどんとか、そういうあったかいものが食べたい。

うむ、うどんが食べたいな。しかし、実を言うと、私は麺類を上手にすすることができないのでありました。…あぁ、言っちまった! 恥!! 私はラーメンもうどんもソバも、勢い良くすすりあげることがどうしてもできないので、恥ずかしくて人と麺類を食べにいけないのでした。先日も自宅でうどんを食べた時に、ズズズズッと挑戦してみましたが、うどんは無情にも1センチたりとも吸い上げられず、ズズズ音が虚しく響いただけでした。なんですかね、肺活量なんかが関係しているんですかね? とにかくやっぱり成功しなかったので、あとは普段通り箸で麺をいちいち口元まで運びながらモグモグやりましたよ。ふふふ…なんだかみじめだわ。ふと気がつくと傍らのK氏が哀れみの眼差しでこちらを、おい、やめろ…! 悪かったな!(´;ω;`)


昨日はあまりに風が強く、そして寒かったので、今シーズン初めて革のコートを着用しました。もう冬がやってきますね。











『25時のバカンス 市川春子作品集II』

2011年11月23日 | 読書日記ー漫画

市川春子(講談社アフタヌーンKC)



《内容》
『25時のバカンス』(前後編):深海生物圏研究室に勤務する西乙女は、久しぶりに弟の甲太郎と再会する。深夜の海辺にて彼女が弟に見せたのは、貝に浸食された自分の姿だった。

『パンドラにて』:土星の衛星に立地する「パンドラ女学院」。物言わぬ奇妙な新入生・ロロに気に入られたナナは、幼き日の記憶を思い起こす。

『月の葬式』:勉強も親の期待もわかってしまう天才高校生。試験の日に乗る電車を「間違えた」彼は、雪深い北の果てで、ひとりの「王子」と出会う。


《この一文》

“ 孤独は生まれてから塵に帰るまでの苦い贅沢品です ”
  ――『25時のバカンス』より







『虫と歌』に続く市川春子さんの作品集2冊目。相変わらずの静けさ、不可思議さ、繊細さ、美しさ。ため息が出ますね。この作品集には3つの物語が収められていますが、いずれも素晴らしいものでした。この人の世界は静けさと不思議さに満ちていて美しい。


3つのうちでも「25時のバカンス」が、私には一番面白かったです。これは『虫と歌』に収録されていた「日下兄妹」と同系統のお話ということができましょうか。きょうだい間の愛情、一方が自らの身体を分解したり再構築することで、もう一方の傷ついた肉体の一部を修復するものとして一体化するというような。市川さんの作品には「きょうだい」という関係性がしばしば描かれるようですが、なかでも「日下兄妹」「25時のバカンス」は私がものすごく心を動かされるタイプのお話です。



もしも、あの人の身体の一部になってしまうことができたら、それはどんなに素敵なことだろう。もう寂しくないだろうね。しかもそれが、あの人から痛みや苦しみを取り除くものであったら、それはどんなにか。


生きるということは、ひたすらに失っていくことだと私は考えてきましたが、失うというのは本当はどういうことなんだろう。この不可思議な世界で、私は記憶や感情、肉体も少しずつ失っていかなければならないけれども、そうやって失い続けたとしてもすっかり失ってしまうなんてことはできるのかな。失う、失われるというのは、いったいどういうことだろう。もう私のものではなくなるということ? しかし、私から失われていくものどもは、そもそも私のものだったことなんてあったのだろうか。私のものだと思っていたものが実はそうでなかった場合、それを失ったと思うのは間違いかもしれない。私はそれを失ったのではない。ただ、それは私を通り過ぎていったというだけだ。

失うにしろ失われるにしろ、どのみち遠ざかるこの寂しさについてはどうしようもない。寂しい。寂しいから、もしもあの人の欠けを埋めるものとしてあの人の内部に私に由来する何かを植え付けることができればいいのに。そうしたら、今より少しは安心できるのに。けれどもきっとどうしてもそうはならないので、私はいつまでも寂しいだろう。寂しさにもやはり何か意味があるのだろうか。寂しさを贅沢品だと思える日が、いつかは来るだろうか。そうだといい。寂しさに違う意味を与えたい、いつかは。


「25時のバカンス」という物語は、私の喪失への恐怖を少しだけ和らげてくれたかもしれません。乙女さんのように美しい貝殻の身体が欲しいなあ。













『火星人第二の来襲―或る常識人の日記―』再読

2011年11月18日 | 読書日記ーストルガツキイ

ストルガーツキイ兄弟 橋本俊雄訳
(群像社『季刊ソヴェート文学』1987年No.98 所収)




先週末にK氏と討論をしていて、…いや正確に言うと討論にはならなくて、彼が世の中とその未来を悲観してあれやこれや言うのに対して私がいつものように「どうして? どうして?」を繰り返すと、「君はそうやって《どうして?》と訊くだけで実に楽ちんだね。質問するにしろもっと論理的に具体的にしろよ」と言われただけでした。それで今更ながらに気がついたのですが、私は論理的に物事を考えることもできなければ論理的に物事を考えたいとも思っていないということなのであった。そういうわけで、その場は「そうかい、悪かったね」で流そうとしたというわけです。しかし私の「どうして?」にも答えられないようでは、君のその論理もそれだけ脆いものだと思うのだが…と、喧嘩になるから止めとくか。実際は止めませんでしたが。


それはさておき、K氏のネガティブな発言を聞いていて、私の脳裡に電撃的に思い出された物語がありました。それは、ストルガツキー兄弟による『火星人第二の来襲』という中編小説で、K氏の話の内容とは直接的に関わるかどうかは分かりませんが、彼の発言の一部はこの小説の登場人物の発言とピタッと一致していました。私はこの小説の細部を忘れきっていましたが、深層の私はどうにかそれを記憶していたようで、読み返してみたら「これか!」という台詞に行き当たって安心しましたよ。


K氏は、この世界をよりよい方向へ導くべき思想が現在には存在していない、今を生きる思想家や芸術家、あるいは発言力・影響力のある誰かがそれを示すことができていないということを不満に思っているようでした。時間が経過しているので、彼の真に言いたかったことからだいぶ離れているだろうことを怖れてこれ以上は書きませんが、彼の本筋からは少し離れるものの、その一部では大体こんなことを言っていたようです。そして私はこれに反論して、彼を不愉快にさせた。なぜそんなに急ぐの? こんなに大勢存在している地球人類の中から、今後も誰一人として次なる思想を生み出す人間が生まれてこないというなら、それはなぜ? 人類がそうやって何も見出せずに終わるとしたら、それは結構なことではないだろうか。それが避けようのない道筋で起こることならば、どうして逆らうの? でも、人類にはまだ時間が残されていて、未来のことは誰にも分からないのに、自分とその近い周辺から探し出せないからといって、なぜそんなに失望しなきゃいけないわけ? と訊きまくれば、まあ普通は気分が悪いかもしれませんね。私なら怒るわな。うむ、きっと怒る。


ともかく、『火星人第二の来襲』にも、同じような発言があります。似ていると私は思ったけれど、ちょっと違いましたかね。けれどK氏とのやりとりをきっかけに、私はこの発言を思い出したのです。


***************

“「何も言うことはないよ」――両手を広げてわしは言った。「私もありません」――また陰気な顔つきにもどったカローンはそう答えた。「残念ながら私も言う言葉がありません。何か言わねばならないのですけど。何か言わなければ我々なんか一文の値打ちもないんですがね」 ”


***************


カローンは新聞社の編集長であり、火星人による支配下に入った地球人類を解放するためにテロ活動を起こしますが拘束されます。そして、あまりにも理知的かつ理性的な火星人から、彼の野蛮で拙い攻撃性を指摘されつつ、あくまでも人道的に解放された彼は、そんな火星人に対してすっかりなす術を失っている状態です。

何かを言わねばならないのに、何も言うことができない。人類の未来について考えるとき、現在がずいぶんと立派で充たされているように見えるなら、あるいはどこかで誰かが苦しんでいるかもしれないが当面自分自身の人生はどうにかなりそうだと確信できたなら、それ以上なにか考えることができるだろうか? 考えるべきなのだろうか? 自分の人生にさえ満足できれば、それで十分なのではないか? 未来、どこか遠い世界、見知らぬ人々の「自由」「幸福」。私に何ができるというのだ。もう既に「誰かが」保障してくれるというならば。


苦しみや障害が目の前にあったとしても、こういうことを考えたり、言うべき言葉を見つけ出すことは困難ですが、もしも世界が一見して充たされているように感じられでもしたら、それはますます困難を極めます。

物語では、地球人類はある日突然に火星人の支配下に置かれます。しかし火星人の支配が始まっても、皆が怖れていたようなことはとくに何も起こらず、ただ青い小麦を支給されたためにパンやお酒の色が青くなったり、納税の方法がお金から「胃液」徴収という不可解な形式(文字通り「胃液」です。消化に必要なアレ)に変わったりするだけです。しかも「献液」した胃液を現金に換えてくれたりもします。
火星人の与えてくれるシステムはとても整然として公平であり、むしろ「胃液」を現金に換えられることに人々は喜ぶようになるのです。青いパンも最初はその色にびっくりしたけれども食べてみたらなんだかとっても美味しいし、胃液の分泌が活発になったおかげでますます現金を手にすることができるようになった、安心して暮らしていけそうだ。言うことは何もない。

しかし。人類は支配されている。火星人によって管理されている。人類は自然の頂点であることを止めてしまった。たしかに人々の人生には初めて平安と安定がもたらされたけれども、それは我々が自力で得たものではなく外から与えられたものにすぎない。これについて何か言うべきなんだろうか。どうだろう。私もここしばらくずっと考えてみたのだけれども、どうしても反論することができない。安定を願う人間がそれを得たというのに、それについて「なぜ?」とたずねることは躊躇われます。でも何か考えなくてはならないような気がするんだけれど…何を?



「或る常識人の日記」というのは、『火星人第二の来襲』の語り手である元教師のアポローンの日記のことです。カローンは彼の娘婿であり、これから年金をもらえるかどうかの瀬戸際にあるアポローンは、カローンの活動の悪影響で彼の年金のランクが下がるのではないかと心配しています。そのアポローンの台詞。

***************

“「カローンよ」――わしはできるだけ声を和らげて言った。「なあ、ほんの僅かの間でいいから、雲の上から罪深い地上へと下りて来んかね。人間にとってこの世で何よりも必要なのは平安であり、明日への確信だと考えてみることは出来んかね。そうであっても、何か恐ろしいことが起こるわけじゃない。お前さっき、今じゃ人間は胃液製造工場になってしまったと言ったね。それは大袈裟な言い方ってもんだ。カローンよ。実際にはどうやら反対のことが起こったんだ。生存の新しい条件に直面した人間は、この世界での自分の位置を確固たるものとする手段として、その生理的財産を利用するという素晴らしい方法を見出したんだ。お前さんがたはそれを隷属と呼んでいるが、理性的な人間なら誰でも、それは互恵的な通常の商取り引きだと考えている。いったいどうしたら隷属なんてことになるのかね? 自分は欺かれているのではないかと理性的な人間が既に自問をしている、それでもし実際にだまされているのなら、その人間は結局のところは正しい結論に到達するはずだ、それはわしが保障するよ。おまえ、文化や文明の終末とか言っていたが、そんなこと全くの絵空事だよ! おまえが何のことを言ってるか理解できないくらいだ。新聞は毎日出ているし、本の新刊は出ている。新しいテレビ映画は作られているし、産業は活動している……カローンよ! ええ? 一体何が不足だっていうんだ? 今まであったものはみな残されている。言論の自由、自治制度、憲法。それだけじゃなく、ラーオメドン氏の悪の手からも救われたじゃないか! やっとのことで、いくら相場が変動しても全く影響を受けない安定した、信頼できる収入源が与えられたんじゃないか」 ”


***************




人間は自身の人生を安定させる以上のことを考えるべきなんだろうか。人間の幸福がその人生の安定であるとするならば、それを約束してくれる存在がたとえ何者であろうとも、その意図がまるで分からず我々はただ利用されるだけの存在になるかもしれないとしても、もしもそこに我々の望む安定と安心があるのなら、そこで私たちにはまだ何か発言したり考えたりする余地は残っているんだろうか。人類の到達点というのはどこにあるのだろう。人はどこへ向かおうとしているのだろう。どこかへ向かおうとしているんだろうか? だとしたら、どんなことを選んで、どこへ進むべきなのか。なんだか色んなことが分からない。私の手には負えない。そういった場合、私はやはり黙るべきだろうか。いや、もう黙っているじゃないか。何も言えないではないか。私には問題点も何も見つけられないではないか。はあ…

そんなわけで、何も分からないし何も言えないということでもやもやして過ごしています。物語と違って現実の方は考えるべき問題が山積みになっているのに、やっぱり何も考えられないことに私もまた失望しています。けれども、私には無理だとしてもいつか他の誰かにひらめきが訪れるかもしれない。私には少しの論理もないけれど、まるで信仰のような希望がある。もしも世界にとって人類にとって必要ならば、かならずそれは生まれてくる。既に存在していると言うならば、いつかは必ず見つかる。人々の心を満たすような、人々を安定へと導くような、それが真実だというような、なにか素晴らしい思想がいつかきっと見出されるでしょう。滅びるなら滅びるだろうし、滅びないというならそのための何かは必ず登場するはずだ。果たしてそれが成功するものかそうでないものか、人類がどこへ導かれることになるのかは分かりませんけれど。そしてそうなるとやはり人々は今度はまたその素晴らしい思想とやらに支配されざるを得ないのではないかという気がしなくもないですけれど。というのも、我々は支配されやすいから。今だって我々は自力で得たと思っている見かけの自由と幸福を約束してくれているかのようなこの世界の常識とやらに、すっかり囚われていやしないか。それがただの口約束で、悲しみも苦しみもまだ終わらないことを知りながら、こんなものだと、少なくとも自分の人生だけはそこそこ満足できるものだと、安心しながら諦めて目を閉じていやしないか。生活のための金を得ることばかりを安定だと、人生だと、それが人間の価値だと、そうやって人類はずっとこの世界で暮らしていくものだと、そう思い込んではいないだろうか。これが本当に安定か?(そうかもしれない) これが幸福か?(そうなのかもしれない)

目指すべきところはどこに? 私が知らないだけで、新しい場所へ向かっている人々は今もどこかにいるの? それはどこ? それは誰? そこは私の夢の王国に近いの? まさか、ここだと言うんじゃなかろうね。


…だめだ、終わらないや。
とりあえず、前にも書いている『火星人第二の来襲』の感想ですが、今回は前回よりも長くなりましたね。長くなっただけで、進みはしなかったけど。









アニメ進行表

2011年11月15日 | もやもや日記





3日も更新しないでいると、謎のプレッシャーで押しつぶされそうになるので、そろそろ何か書かないと。


というわけで、最近はアニメが楽しくて、あれこれと観ております。
現在追っているTVアニメシリーズはこんな感じ。


*『輪るピングドラム』第18話まで視聴

*『Fate/zero』第6話まで視聴

*『ペルソナ』第1話まで視聴

*『ベン・トー』第1話まで視聴

*『僕は友達が少ない』第2話まで視聴


とりあえず、観たのはこのくらいですかね? あ、『UN-GO』も第1話を観たけど、これは続きを観るか悩んでいます。坂口安吾の小説が原案のシリーズですが、登場人物の頭身が長過ぎるのが気になって…(←こんなどうでもいいところに;)


さて、『輪るピングドラム』はそろそろ終盤ということで、私は続きと結末が気になって仕方がないと同時に、でもいつまでも終わってほしくないといういつもの「終わらないで病」が重症化していたりと、観るたびに転げ回っております。あー、面白いよ~~! 18話もウワアアアァァ~~!ってな内容だったよ~~~!!

『Fate/zero』は戦闘シーンがカッコイイ感じでした。第6話まで観てようやく世界観が掴めてきたところ。『Fate/stay night』の劇場版よりはとっつきやすい雰囲気です。劇場版だけしか観てないのであれですが、あちらはちょっとなんていうかキツかった。

『ペルソナ』はまだ1話だけ。あんな田舎の高校なのに、あんなにスタイリッシュな(?)制服って……? というところばかり気になってしまいます。なんか主人公が覚醒してスタンド(=JOJO)みたいのが出て来ました。私は原作ゲームをやったことがありませんので、アニメを観るにあたってやるべきかどうか少し悩み中。

『ベン・トー』は「くだらな面白い」という前評判を聞いていたのですが、なるほど「くだらな面白」そうな感じでした。半額弁当を巡って繰り広げられるスーパーにおける死闘!! というお話です。スーパーという極めて日常感の高い舞台において中2要素が炸裂するギャップがいいんですね、これは。ちょっと気になる作品。

『僕は友達が少ない』のほうは、とりあえず夜空さんが好きかも。夜空さんにしろ、主人公の小鷹にしろ、友達が少ないタイプの人物には見えないところがちょっと不思議ですが、キャラクターが魅力的なのと特に事件も起こらないけれども登場人物たちの掛け合いが面白いので、安心して見られる感じですかね? でも、どうしよう。最後の方で世界との闘いみたいな展開になったら。したら面白いな。



他に、これから観ようと思っているアニメはこんな感じ。ちょっと前のが多いかも。


*『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』

*『四畳半神話体系』(第2話くらいまでは観ている)

*『TIGER & BUNNY(タイガー&バニー)』

*『ガンダム00』(←第2期の第5話くらいまでは観た)


思い出せるのは、以上の通りです。他にも忘れてるけど何かあった気がしますね。面白そうなアニメが無限にあるので、いつまでも追いつけない。新しく観るべきものがあるのに、なぜか既に何度もみている『COWBOY BEBOP』とか『少女革命ウテナ』とかを見返したりしちゃってますしね;



ちなみに、今年のアニメで「これは猛烈に面白かったな!!」という作品は、今のところ以下の3作品。

*『魔法少女 まどか☆マギカ』(全12話)

*『STEINS;GATE』(全24話)

*『輪るピングドラム』(全24話予定)


これは世間の評判通りの評価というところでしょうか。『まど☆マギ』はこないだニコ動で再度生放送されていたので、またまたちょっと見直しました。キュウベエさん、何度見てもコエー、つーか嫌な感じですね。ほむらさんはいつみてもクールビューティーです。うふふ。


『STEINS;GATE』は、もう一度見直したらちゃんと感想を書いておきたいところ。これは熱かった!! すごく面白いSFサスペンスドラマでした。冒頭の5話くらいまでの濃い中2および2chネタに我慢して付き合うと、クライマックスの面白さが爆発します。心底痺れました。フェイリスたんのいるメイド喫茶が実在するなら、私だって通い詰めちゃうぜ!


『ピングドラム』はまだ終わっていないので、結末によっては評価が変わるかもしれませんが、私個人としては既に大満足です。『少女革命ウテナ』の時とは違って、視聴後にネットで色々な人の分析や解釈を読み回るという楽しみもあり、もう楽しくて仕方がありません。この物語がどのように着地するのかがとても気になります。でも、終わってほしくないなあ……せめてあと10話くらい延ばしてほしい……うぅ


観たいのはTVアニメだけではなく、人形アニメやアートアニメも観たい。あれもこれもたまっているなあ。少しずつ観ていかないとな。






柿とみかん

2011年11月11日 | もやもや日記





各所からのいただきもの。大量のミカンと柿。秋はおいしい。

先週から柿とミカンを食べまくっています。毎日それぞれ2~4つずつ食べているのですが、なかなかなくなりません。贅沢な話だなあ! こないだまで1本のバナナを分け合って食べていたのが、いまはもう懐かしい…あれはまあ買いそびれてただけですけどね。困窮とか何それ? え……?? 




それから、漫画をまたまた増やしてしまいました。時々魔が差して、肉より野菜より果物よりも、1冊の漫画や小説を選んでしまうことがあります。はい、時々です。たまにです。ごく稀にです。




新入りは、日本橋ヨヲコさんの『G戦場ヘヴンズドア』(全3巻)。少し前にちょっとした巡り合わせで2巻と3巻だけ手に入ったので、1巻を買ってコンプリートしようと思ったわけです。

私はこの漫画を一度読んだことがあるのですでに内容を知っているのですが、二度と読みたくないと思っていた。でも名作には違いないので、手もとに全巻が揃ったらもう一度読むことができるかもしれないと思ったのですけど、やっぱり読めないようですね。

いや、面白いんですよ! 大胆に要約すると、漫画家になろうとするふたりの若者を描いた青春ドラマでした。とても素晴らしい作品で、とても面白いのだけれども、なんというか熱過ぎて、ものすごく熱血過ぎて、血が噴き出しそうなくらいに熱くって、私は読み返す勇気を持てないでいます。私は根性無しだからな。

これは情熱の物語です。人間とその情熱を描いた物語です。始めて読んだとき、私は膝がガクガクと震えて、全身冷や汗でびっしょりとなって、その後もしばらく立ち直れなかったものだったなあ。たった3巻しかないのに、どうしてこんなに熱いのかなあ……思い返すだけでいまだに震えるぜ…! 私は他人の情熱に触れるのが好きなのに、もっと情熱を見せてほしいといつだって願っているのに、ここで描かれた情熱の過熱にぶちのめされて、いまだにそれを前にすると足腰が立たない状態なんですね。恐ろしかった。私には根性がないので、まだこれには近づけないのかなあ。


というわけで、せっかく揃えたというのにまだ読んでいません。とりあえずK氏に貸してみるか。





急に寒くなったので、風邪を引かないようにしないと。喉が痛かったりすると、ぎくっとしますね。今日は雨だし、寒い。秋らしくスキッと晴れてほしい。あ、『僕は友達が少ない』というラノベ原作のアニメを第2話まで観たんですけど、けっこう面白かったです。アニメは見始めると、あれもこれも見たくなるんだよなー。キリがないなあ。困ったなあ…! あ、明日はピングドラムの続きを観なきゃ!!!


あれ…柿とミカンの話を全然書いてないや。タイトルに偽りがあったな…ははは!







「かえるくん、東京を救う」

2011年11月09日 | 読書日記ー日本

村上春樹(新潮文庫『神の子どもたちはみな踊る』所収)



《あらすじ》
ある晩、片桐がアパートの部屋へ帰ると、巨大な蛙が待っていた。その蛙は片桐にひとつ用件があると言う。蛙が言うその用件とは、「東京を壊滅から救う」こと、片桐と一緒に。


《この一文》
“「誤解されると困るのですが、ぼくはみみずくんに対して個人的な反感や敵対心を持っているわけではありません。また彼のことを悪の権化だとみなしているわけでもありません。友だちになろうとか、そういうことまでは思いませんが、みみずくんのような存在も、ある意味では、世界にとってあってかまわないものなのだろうと考えています。世界とは大きな外套のようなものであり、そこには様々なかたちのポケットが必要とされているからです。 ”




私は村上春樹を読まないのですが、「かえるくん、東京を救う」という短篇は、現在放送中のアニメ『輪るピングドラム』に関係のありそうな場面があったので、良い機会だと思い読みました。kajiさんが貸して下さった!

それで、「かえるくん…」だけをまずは読んでみたわけですが、面白かったです。けれども、どういうことだか私にはよく分からなかった。どういうことを言おうとしているのかが、ハッキリとは分からなかった。結末は悲しい、無力感のような、空虚のような、狭くて何もない部屋に放り込まれたような、それでそこから出られないような、そんな気持ちがしましたね。



以下は物語のまとめです。未読の方はご注意を。

*********

かえるくんは東京を壊滅から救おうとする。そのために、地下で東京壊滅の原因となろうとしている「みみずくん」と闘うつもりだ。かえるくんは孤独なその闘いを支援してくれるように片桐に頼む。片桐は東京安全信用金庫新宿支店融資管理課の係長補佐で、風采の上がらぬ独身者だが、真面目に職務をこなし脅しに屈せぬ勇気と強靭さを持った人物。かえるくんは一緒に闘うのは、その片桐でなければならないと言う。

東京壊滅の前夜、かえるくんと片桐は地下ボイラー室で待ち合わせていたが、片桐がその直前の夕方に狙撃され、約束の場所には行けなかった。目ざめると病室で、約束の時刻はとうに過ぎ、翌日になってしまっていた。東京は壊滅していなかった。

その夜にかえるくんがやってきて、片桐は約束の場所へ行けなかったことを詫びるが、かえるくんが言うには、前夜はかえるくんと片桐とはちゃんと一緒に闘ったらしい。かえるくんはみみずくんを倒すことはできなかったが、引き分けることはできた。かえるくんは重傷を負った。

かえるくんは片桐の目の前で眠りにつき、その体は瘤状に隆起しては弾けて中から無数の虫が這い出す。暗黒の虫は片桐のベッドの中にも入ってきて、片桐は叫びながら目を覚ます。


*********




このお話で重要なのは、「かえるくんと片桐とが、みみずくんと闘って東京壊滅を救ったことを、誰も知らない」ということでしょうか。彼らの闘いは「想像力の中でおこなわれました」とあるので、誰も知らないのは仕方がないかもしれませんが。あるいは、片桐が自分の人生を充実させることよりもその弟妹を育て上げることに時間と財産を費やしたことを、誰も知らないし、その当の弟妹も感謝すらしていないということ。または、片桐が厳しい職務を果していることを上司や同僚が正しく評価しないばかりか知ろうともしないということでしょうか。

誰かが別の誰かのために、なにか正しいと思うもののために働いているという事実が尊いものとして描かれながらも、時としてそのような人物や行動はまったく無視されてしまうこともあるところにひとつの焦点が当たっていたかと思われます。

誰も知らない死闘の末、かえるくんと片桐はみみずくんに勝利することはできず、傷ついたかえるくんはその内側から崩壊して真っ黒な虫に変わってしまう。かえるくんは失われ、片桐は目覚めを繰り返し、どこからが夢でどこからが現実であったのかがもう分からない。ここがとても悲しい。ここが、とても悲しい。どうしてかえるくんは勝利できないのか。どうしてかえるくんは失われてしまうのか。かえるくんの中の「非かえるくん」とは何なのか。どうしてかえるくんは誰の目にも見えないのか。



どんなふうに読み解けばよいのか、私にはまだ分からないようです。かえるくんはところどころでトルストイの『アンナ・カレーニナ』やドストエフスキーの『白夜』について言及するのですが、片桐同様私もそれらをまだ読んだことがないので、読んだらもう少し理解が深まるでしょうか。どうだろうな。









そこそこ忙しい

2011年11月07日 | もやもや日記






画像は土曜日の早朝。朝焼け。

早くに目が覚めてぼんやりしていたら、カーテンがさっと赤く染まりました。慌てて窓の外を見てみたら、雲が朝日に照らされて桃色に輝いていました。ほんの2分間ほどで赤い時間は過ぎ去ってしまった。一瞬の輝き。私は朝が好きだ。


さて、うっかりしていたら、少しブログ更新が滞っていました。その間にも私は漫画を読んだり(『25時のバカンス』市川春子などなど)、アニメを見たり(『Fate/zero』を観るに当たって前作の『Fate/stay night』の劇場版で予習しようと思ったのだが、観てみたら「?? !??」となにがなにやら訳が分かりませんでした。で、やっぱりズルしないで本編をちゃんと観るしかないなあと思っているところ。あと『輪るピングドラム』がいよいよ17話まで来て、話数が残り少なくなったことに怯えつつも続きと結末が気になって仕方ない状態。)、自分で描いている漫画を仕上げなきゃ…と思いながらまだ仕上げられないでいたりします。


それと、土曜日には夕方からkajiさんと【イナズマコーヒー】で4時間以上にもわたってお茶をして、『ピングドラム』から『STEINS;GATE』等のアニメ談義、kajiさんからお借りしている『百鬼夜行抄』(今市子)や『25時のバカンス』(市川春子)等の漫画談義、それから面白かった映画とか小説とか、そういう話でいつも通り盛り上がりました。相変わらずkajiさんとは趣味があまりにも合うから楽しいわ~! それでいて私とは全然視点をお持ちなので、話していてすごく勉強になります。あと、kajiさんと話すといつも何か創作したくなるんですが、土曜日に会ったあともやっぱり創作意欲が湧きました。年内にどうにかしたい!

そして、私は今kajiさんから既に大量の漫画を借りているのですが、土曜日にはさらに小説を何冊か貸してもらいました。新潮の昔のアンソロジー『時間SFコレクション タイム・トラベラー』と、フィリップ・K・ディックの『流れよわが涙、と警官は言った』と、村上春樹の『神の子どもたちはみな踊る』(←「かえるくん、東京を救う」が収録されている。ピングドラム関連図書であります!)を借りました。
『時間SFコレクション タイム・トラベラー』はずっと読みたかった本なので超楽しみ!!


【イナズマ】ではチーズケーキとオムレツサンドが美味しかったなあ♪





というわけで、そこそこ忙しくしております。こんなのは全然忙しいうちに入らないかもしれませんが、私のノロノロ生活ペースからすると結構忙しい感じ。今日も出かける。忙しいなあ!!








24度

2011年11月02日 | もやもや日記





11月です。

11月なんですよ! それなのに、今日も大阪の気温は24度ほど。夏日目前! どうなってんだ一体。

空気が乾燥しているので日陰は涼しいですけれど、日に照らされるとジリジリして暑い。厚着をするべきか薄着でいくべきか悩みます。

このように暑いんだか寒いんだか分からなくて毎日混乱していますが、秋は着実に深まっているようで、地面には赤い葉っぱが落ちていたりします。




どうしてこんなに赤くなるのだろうなあ。冬に備えて葉っぱを落とすだけなら、別にわざわざ色を変えなくてもいいよなあ。なにか理由があったんだっけ? 授業で習ったかな? 記憶が遠過ぎて、もう思い出せないや。



さっき、草むらを通り過ぎようとしたら、なにやらガサガサするのでのぞいてみると、猫と目が合いました。私は顔を輝かせましたが、あちらはびっくりしたように大きく目を見開き、じりじりと後ずさりしながらパッと遠くへ飛び退きました。いつか猫に愛されたいものです。見つめ合ったり触れ合ったりしたいものです(´;ω;`)




猫と私との距離感(通常)。