半透明記録

もやもや日記

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これから読むつもりの本(その2

2010年09月30日 | 読書日記ーロシア/ソヴィエト

ほんとうはもっと沢山あるなかから3冊。




昨日に引き続き、これから読むつもりの本を。今日は「ロシア編」。

この1年で、ロシア小説がものすごい勢いで積まれているのですが、なかなか読み進められません。いやー、参ったな。ほんと参った。でも欲しい本はまだまだあるんだよなぁ。どうしたものか。

上の3冊のうち、エレンブルグの『現代の記録』とアレクサンドル・グリーンの『波の上を駆ける女』はともに、もう半分以上読んでしまっているのになかなか最後まで辿り着けません。こうなると、もう一度最初から読むということになりますね。はい。
『人は生きることを望んでいる』は今年は読まないかもしれません。どうかなー。というか、今年もあと3ヶ月しかないや……(/o\;)



(最低でも毎日1000字くらいは書きたいと思いつつ、今日も400字;)






これから読むつもりの本

2010年09月29日 | 読書日記ーラテンアメリカ

そのうち読む予定の南米文学3冊。
できれば今年のうちに読みたい…!




南米文学を読んでいると時々「悪魔の島」というのが出てくるのですが、それがどのへんにあるのかなーと調べてみると、仏領ギアナにあるらしいんですよ。で、仏領ギアナってどこですか? と調べてみると、私はどうもラテンアメリカの国々の正確な位置関係を把握していなかったという恐ろしい事実に直面してしまいました。ウルグアイとパラグアイなんて、思っていたのとは全然違う場所にあったYO!

そんな、秋の始まり(´・ω・`) はやく覚えようと思って、ときどき南米の地図を眺めたりしています。ああ、今日もつぶやきのような更新になってしまった……!





最近のこと

2010年09月28日 | もやもや日記




急に涼しくなったというか、ちょっと寒くなってきたので、体調が整いません。三半規管がおかしいぞー。

というわけで、今日もちょっとおやすみ。でももう少しで慣れそう。一日に食べるお米の量を1.5倍に増やしたので、まもなく太る予定。上半身の肉付きをよくしたいところですが、たぶん腹部にしか付かないでしょう(/o\) 手作りドレッシングにもハマっています。おとといは醤油&レモン、きのうはシーザーサラダドレッシング(風)。いつもはフレンチドレッシング。


もうちょっと内容のあることを書きたかったですが、明日からまたがんばります…




Pockyミルクチョコレート2.5倍

2010年09月25日 | もやもや日記

チョコレートがおいしい季節。





最近、よくPockyを食べています。私は普段なら「メンズ・ポッキー」しか買わないのですが、このあいだから売り場には新しく「ミルクチョコレート2.5倍」なるものが並べられていて、涼しくなってきたせいか、この銅のような色の光沢のあるパッケージがとても魅力的に思えてきたのでちょっと買ってみました。

結論としては、とてもいい感じ。うまい。
私はミルクチョコレートがあまり好きではないのですが、これはなかなか美味しいです。

私は年中チョコレートを食べていますが、夏だけはどうしても食べられないので、おいしさを取り戻したチョコレートの味わいにも秋を感じてしまうのでありました。うーむ、涼しくなったなぁ。





『君に届け』第12巻

2010年09月24日 | 読書日記ー漫画

本日発売。





いつもなら上旬に発売になっていたような気がしていたのに、どうしてこのタイミングで?? と思いつつ、ダッシュで買いにいってみたら、帯に映画の宣伝がしてあったので納得。そうか、明日から劇場版が公開か。なるほど。


それはさておき、第12巻。ああ~、あああ~~、今回も爽子の可愛さに悶絶! それから表紙からも分かるように、今回は爽子の両親も登場するのですが、お父さんが面白くてたまりませんでした。面白いのに何故泣く…私! いやー、なんか爽子が可愛くて、可愛くて……; 風早くんも呆れるほどの好青年だし。
あと、ちづちゃんとあやねちゃんが友達になったきっかけのエピソードもあって、12巻まできても、相変わらずの高いクオリティーが維持してありました。あー、面白い。


実は10巻以降、私は新しく単行本が出るたびに事前の期待値があまりにも高くなってしまっているので、読むのを恐ろしく感じてしまっているのですが、今回も杞憂で終わりました。いつも期待以上に面白いって凄い。ほんとに面白いなあ、可愛いなあ、美しいんだよなあ!


善意に溢れた世界。ちょっといじわるだったりしても、誰もがそう悪い人間ではない。正直や誠実や優しさが、ささやかな善意が、誰かの世界を美しく回し始める。そういう世界をこの漫画は描いていると思うのです。私がこれをものすごく好きになってしまうのは、そのせいなんだろうな。放たれた言葉がその通りの意味を保ったままで誰かのところまで届いたりするのだろうか。という問いに対して、「届くよ!」、と説得力を持ってその美しい世界を描き出そうとしてあるので、私は涙が止まらなくなるというわけなんですね。

『君に届け』を好きすぎて、今日は世の中が少し美しく見える。







雷雨で起きる

2010年09月23日 | もやもや日記



「特売広告」

あのー、チラシを見てオイル・サーディン缶を
買い溜めにきたんですけど。
…え?……売り切れ…た?





今朝方はものすごい雷雨でした。真夜中に蒸し暑くて目が覚めてしまって、仕方がないので暗闇のなかで絵を描いたり(↑上の画像)していたのですが、明け方になってようやく寝付いたところへ凄まじい雷雨が! 光線と轟音が同時につんざいたので、あれは近くに落ちましたね、きっと。スペクタクルでしたわ。というわけで、あまり寝ていない。


嵐が去って、今は少し雨が降っているだけです。蒸し暑い空気も一緒にどこかへ行ってしまったので、これでようやく秋になりそう。季節と季節の間に、嵐。うーむ、ロマンであります。






まだちょっと暑い

2010年09月22日 | もやもや日記





だいぶ涼しくなったと思って喜んでいましたが、今日はなんか暑いですね。でもまあ、10月になるまで涼しくならないと思っていたことを考えれば、今日一日暑いくらいたいしたことないのでしょうか。そうなのでしょうか。なんか9月中は暑くて当たり前ということに慣らされているだけなのかもしれないと思ったりもします。暑くてぼんやりする。


画像はらくがき。
もっと違うものを描くつもりでしたが、ぼんやりしながら描いていたらこうなりました。イワシ穫りまくるぜ、今年は大漁なんだぜ的なものを描きたかったのだがなぁ。






『モロー博士の島』

2010年09月21日 | 読書日記ー英米

H.G.ウェルズ作 橋本槙矩・鈴木万里訳(岩波文庫)



《あらすじ》
南米の海域で難破し漂流していたプレンディックは、運良くモントゴメリという男に助けられる。しかし彼について上陸した島では、奇妙な人々が歩き回っており、その島の主であるモロー博士にはなにやら重大な秘密があるらしく……。


《この一文》
“「そのとおり。しかしわしの考え方は他の人たちと違うのだ。君は物質主義者だろうが」
 「私は物質主義者なんかではありません」私はかっとして反論した。
 「わしの目にはそう見える。我々の意見が分かれるのはこの苦痛という問題点だ。目に見える、あるいは耳に聞こえる苦痛というものが君の胸を締めつける限り、あるいは自分の苦痛に左右される限り、苦痛と罪を結びつけて考える限り、君自身が動物がどう感じるか分かったつもりの動物なんだ。この苦痛というものは……」 ”



 


このあいだ読んだビオイ=カサレスの『脱獄計画』の解説に『モロー博士の島』の影響が云々と書いてあったので、ちょうど書棚にこの本を発見したこともあって(持っていることを知らなかった;)読んでみました。この岩波文庫には他に9篇の作品が収録されていますが、今回は飛ばし。そのうち読もう。


というわけで、「モロー博士の島」です。とても有名なお話ですが、私は初めて読みました。読み始めるとたしかに『脱獄計画』との類似があちらこちらに確認できました。なるほど、「モロー博士の島」を念頭に置くと、『脱獄計画』の構造はまたさらに奥行きを増しますね。これは面白いな。両者をじっくりと読み比べるのも面白そうですが、まずは「モロー博士の島」に集中して読んでいくことにしました。

最後まで読んでみて思うことには、このウェルズという人は、なにかこの世で嫌な目にでもあったんですかね…。いえ、他の作品をいくつか読んだことがあったから知ってたけど、なにこの薄暗い世界観は。皮肉がきついのはイギリス人だからなのでしょうか。いずれにせよ、この「モロー博士の島」の暗く痛ましい雰囲気は、ものすごく私の好みにフィットします。実に面白い。

 *****

主人公のプレンディックは難破、漂流し、モントゴメリという医術の心得がある男に救助され、彼の目的地であった絶海の孤島にともに上陸し、そこで奇妙に動物めいた人々を目撃する。モントゴメリはその島の主であるモロー博士の助手であり、博士はかつて非人道的な動物実験のスキャンダルで英国を追われた著名な科学者であった。今この島で博士はさまざまな動物を改造し、人間を造り出そうとしていたのだ。

 *****


物語はプレンディックが孤島で奇妙な体験をして、その後ふたたび英国へ帰ってくるまでを勢い良く描いています。迫力ある描写に、ハラハラしながら読むことができました。不気味な孤島で、マッドな科学者の秘密の実験、その実験体との奇妙な交流、次々に襲ってくる危機。冒頭でプレンディックが最終的には英国に帰ることは明かされているので、この人が死ぬことはないと思いつつも、恐ろしいことが次から次へと起こるので、なかなかドキドキしました。

また、ここで巻き起こる事件それ自体よりも恐ろしかったのは、この島で行われている博士の実験は実際とても奇妙で嫌悪すべきものであるのに、狂気に取り憑かれているはずの博士自身はなぜかそれほどには狂っているように見えないということでしょうか。たしかに博士の行動は常軌を逸していますが、博士は博士なりの信念や理想に基づいて突き進んでいて、そのような人物に対してどうやって倫理を説くのか、そもそもこちらの倫理観そのものを厳しく問われているような気持ちになります。
たとえば博士のように動物を人間に、なんてことでなくても、技術的に可能であるが倫理的にはきわどい行動があるとして、「技術的に可能」である行為を「倫理」でもって抑制することはできるのか。揺らいでくる、あやふやさが恐ろしい。


いくつもの事件が派手に展開した後でプレンディックはどうにか英国に帰り着きますが、そこからの彼の心情の変化がこの物語のキモのひとつと言えましょう。私にはここが一番面白かったですね。

モロー博士は改造した動物たちに暗示をかけ、いくつもの掟で縛り、人間として生きるように仕向けますが、いずれも次第にもとの獣に戻っていってしまうことに絶望しています。
プレンディックは英国に帰って、もとの人間の世界に戻るわけですが、街ゆく人々の顔の奥底にはやはり獣の姿が隠されているのではないかという妄想に悩まされるのでした。

人間を人間にしているのは何なのか。それが理性と呼ぶものだとして、理性とは何なのか。どういうものであるのか。分からなくて恐ろしい。
最後に示された一文に、私はいくぶん無力感を覚えながら、賛同せざるをえないのでありました。


 私はふと思うのだ。人間の理性の根源は日々の気苦労や罪
 の中にではなく、宇宙の広大な法則の中にこそ求められる
 べきではないかと。








外装と中身

2010年09月19日 | 学習

チョコレート菓子でござる





だいぶ涼しくなって来たので、チョコレートなどを食べたくなり、ブラジル土産の包みを開けてみた。

「コーヒー豆のチョコレートがけ」であると聞いていたが、その箱にはボンボンのイメージ図が表示されている。あれ? コーヒー豆のじゃないのですか? ま、私はボンボンも好きだからいいんですけどね。

と思いながら箱を開けると、はたして内容は「コーヒー豆のチョコレートがけ」であった。



箱が違っていた。というだけのお話です。でも、コーヒー豆のチョコがけだと思って開けたらコーヒー豆のチョコがけだった、という間に「違う内容を表す箱」が挿入されるだけで、話されるべき話題が生じたような気がしたのが面白かったのです。ただそれだけなんですけれども。

それであれこれ考えてみた結論としては、この「箱と中身の不一致」が面白さを維持するためには、「箱の表す内容」と「実際の中身」のどちらともがそれを開ける人間にとって少なくとも同程度には魅力的である必要があるのではないかと。なぜなら、そうでない場合には以下のようなガッカリ状態に陥ってしまうからです。

*コーヒー豆のチョコがけが好きでボンボンが嫌いな場合
  ↓
 コーヒー豆のチョコがけを期待して包みを剥がす
  ↓
 箱のボンボンの絵を見てガッカリする
  ↓
 でも中身はコーヒー豆のチョコがけで良かった!


この場合の幸福度は中程度ですね。結果は良かったものの、箱を目にした瞬間に一度ダメージを受けてしまっています。場合によっては中段階で暗黒のクレーマーと化す危険性もありますね。ハラハラ。


*コーヒー豆のチョコがけが嫌いでボンボンが好きな場合
  ↓
 どうせコーヒー豆のチョコがけ、と低いテンションで包みを剥がす
  ↓
 箱のボンボンの絵を見て「あれ?やった!」と思う
  ↓
 しかし中身はコーヒー豆のチョコがけだった…


この場合が最も幸福度が低いでしょうか。当初の期待値が最低だったところから一旦ぐっと気持ちが盛り上がっただけにダメージは甚大ですね。この場合も暗黒のクレーマー、時によっては地獄の狂戦士と化すこともあるかもわかりませんね。怖いですね。そういう時は安全のために私がかわりにコーヒー豆のチョコがけを食べて慰めてあげます。


*コーヒー豆のチョコがけもボンボンもどちらも嫌いな場合
  ↓
 箱のボンボンの絵を見ても「うえっ」
  ↓
 中身がコーヒー豆のチョコがけであるのを確認しても「うえっ」


これは最悪のケースです。でも最初から何ひとつ期待していなかっただけに、ダメージは少ないですね。こういう時は、どう考えても最初から迷わず箱ごと私に引き取らせるべきです。


*コーヒー豆のチョコがけもボンボンもどちらも好きな場合
  ↓
 箱のボンボンの絵を見て「え?でもこれはこれでラッキー!」
  ↓
 中身がコーヒー豆のチョコがけでも「あれ?でも最初からそのつもりだったし!(笑)」


ご覧の通り、このパターンが最も幸福度が高いようです。どちらに転んでも勝利者。喜びに光り輝きながらチョコレート菓子を美味しく味わえるという絶対王者の必勝パターンです。栄光への道ですね。



というわけで、上のように分析してみたところ、「チョコレート菓子の箱が違っていた」というだけのきっかけから、人間がその人生においていかにして栄光の道筋を辿り得るかという、その可能性にまで迫ってしまったような気がしています。つまり、より多くのものを好きになればそれだけ喜びに至る選択肢が増すはずだ。ということです。美味しかったり、楽しかったりするということは、人の心を豊かにしてくれますからね。より多くのものに美味しさや楽しさを感じられれば、それだけ多く豊かになれるのではないかと思ったわけです。というか、豊かというのはそういうことなのではないかと思ったのです。


数粒のチョコレート菓子とその箱が、このごろ人生を退屈なもののようにしか捉えられなくなりつつあった私を、少し引き上げてくれました。ささいなことを面白がったり喜んだりできなければ、生活はたちまち色褪せてしまいます。私がもっといろんなことに興味を持って、多くのものを好きになったなら、おのずと私の人生は面白くて楽しいものとなるでしょう。偉大で立派なことはできそうにないけれど、そういうささいなことをいちいち喜んだりはできそうじゃないですか。まあ思っているよりは難しいんだろうけど、でも。ついでに、なんだかここまで書いてみて、前にも同じようなことを書いた気もしてきたというか、何度もこんなことばかり書いているような気がしてきたのですが、大事なことは繰り返し確認しなければならないですよね。なにしろ私は忘れっぽいから。うんうん。


チョコ菓子って美味しいですよね、というお話でした。
チョコ菓子以外のものもチョコ菓子のように思いたい(たとえばウイロウとか;いやウイロウは悪くない!悪くないんだけど!)、というお話でした。





これでひと安心

2010年09月18日 | 読書ー雑記

おお、これは…!





前々から欲しかった河出文庫の『東欧怪談集』をついに入手しました。わ~い! これでこの怪談集シリーズは、ドイツ、ロシア、フランス、ラテンアメリカ、東欧の5冊が揃ったわけです。私は残りの日本と中国、アメリカとイギリスを持っていませんが、おいおい集めることにしましょう。とりあえず、どうしても欲しかったものはこれで集まったので私は大満足であります!

「不思議通り」を読み返したかった。もういつでも読み返せるんだ! やったー!