H.G.ウェルズ作 橋本槙矩・鈴木万里訳(岩波文庫)
《あらすじ》
南米の海域で難破し漂流していたプレンディックは、運良くモントゴメリという男に助けられる。しかし彼について上陸した島では、奇妙な人々が歩き回っており、その島の主であるモロー博士にはなにやら重大な秘密があるらしく……。
《この一文》
“「そのとおり。しかしわしの考え方は他の人たちと違うのだ。君は物質主義者だろうが」
「私は物質主義者なんかではありません」私はかっとして反論した。
「わしの目にはそう見える。我々の意見が分かれるのはこの苦痛という問題点だ。目に見える、あるいは耳に聞こえる苦痛というものが君の胸を締めつける限り、あるいは自分の苦痛に左右される限り、苦痛と罪を結びつけて考える限り、君自身が動物がどう感じるか分かったつもりの動物なんだ。この苦痛というものは……」 ”
このあいだ読んだ
ビオイ=カサレスの『脱獄計画』の解説に『モロー博士の島』の影響が云々と書いてあったので、ちょうど書棚にこの本を発見したこともあって(持っていることを知らなかった;)読んでみました。この岩波文庫には他に9篇の作品が収録されていますが、今回は飛ばし。そのうち読もう。
というわけで、「モロー博士の島」です。とても有名なお話ですが、私は初めて読みました。読み始めるとたしかに『脱獄計画』との類似があちらこちらに確認できました。なるほど、「モロー博士の島」を念頭に置くと、『脱獄計画』の構造はまたさらに奥行きを増しますね。これは面白いな。両者をじっくりと読み比べるのも面白そうですが、まずは「モロー博士の島」に集中して読んでいくことにしました。
最後まで読んでみて思うことには、このウェルズという人は、なにかこの世で嫌な目にでもあったんですかね…。いえ、他の作品をいくつか読んだことがあったから知ってたけど、なにこの薄暗い世界観は。皮肉がきついのはイギリス人だからなのでしょうか。いずれにせよ、この「モロー博士の島」の暗く痛ましい雰囲気は、ものすごく私の好みにフィットします。実に面白い。
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主人公のプレンディックは難破、漂流し、モントゴメリという医術の心得がある男に救助され、彼の目的地であった絶海の孤島にともに上陸し、そこで奇妙に動物めいた人々を目撃する。モントゴメリはその島の主であるモロー博士の助手であり、博士はかつて非人道的な動物実験のスキャンダルで英国を追われた著名な科学者であった。今この島で博士はさまざまな動物を改造し、人間を造り出そうとしていたのだ。
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物語はプレンディックが孤島で奇妙な体験をして、その後ふたたび英国へ帰ってくるまでを勢い良く描いています。迫力ある描写に、ハラハラしながら読むことができました。不気味な孤島で、マッドな科学者の秘密の実験、その実験体との奇妙な交流、次々に襲ってくる危機。冒頭でプレンディックが最終的には英国に帰ることは明かされているので、この人が死ぬことはないと思いつつも、恐ろしいことが次から次へと起こるので、なかなかドキドキしました。
また、ここで巻き起こる事件それ自体よりも恐ろしかったのは、この島で行われている博士の実験は実際とても奇妙で嫌悪すべきものであるのに、狂気に取り憑かれているはずの博士自身はなぜかそれほどには狂っているように見えないということでしょうか。たしかに博士の行動は常軌を逸していますが、博士は博士なりの信念や理想に基づいて突き進んでいて、そのような人物に対してどうやって倫理を説くのか、そもそもこちらの倫理観そのものを厳しく問われているような気持ちになります。
たとえば博士のように動物を人間に、なんてことでなくても、技術的に可能であるが倫理的にはきわどい行動があるとして、「技術的に可能」である行為を「倫理」でもって抑制することはできるのか。揺らいでくる、あやふやさが恐ろしい。
いくつもの事件が派手に展開した後でプレンディックはどうにか英国に帰り着きますが、そこからの彼の心情の変化がこの物語のキモのひとつと言えましょう。私にはここが一番面白かったですね。
モロー博士は改造した動物たちに暗示をかけ、いくつもの掟で縛り、人間として生きるように仕向けますが、いずれも次第にもとの獣に戻っていってしまうことに絶望しています。
プレンディックは英国に帰って、もとの人間の世界に戻るわけですが、街ゆく人々の顔の奥底にはやはり獣の姿が隠されているのではないかという妄想に悩まされるのでした。
人間を人間にしているのは何なのか。それが理性と呼ぶものだとして、理性とは何なのか。どういうものであるのか。分からなくて恐ろしい。
最後に示された一文に、私はいくぶん無力感を覚えながら、賛同せざるをえないのでありました。
私はふと思うのだ。人間の理性の根源は日々の気苦労や罪
の中にではなく、宇宙の広大な法則の中にこそ求められる
べきではないかと。