半透明記録

もやもや日記

お知らせ

『ツルバミ』YUKIDOKE vol.2 始めました /【詳しくはこちらからどうぞ!】→→*『ツルバミ』参加者募集のお知らせ(9/13) / *業務連絡用 掲示板をつくりました(9/21)→→ yukidoke_BBS/

200m走ったが…

2012年03月31日 | もやもや日記




さむい!!!
天気わるい!!

こんにちは、私はただいま富山におります(^_^)あー、もう天気が悪いです。


私は昨日の夕方にこちらへ帰ってきましたが、昨日は昨日で風が猛烈に強かったです。夜は旧友のみなちゃんとご飯を食べましたが、釜めしが大変においしゅうございました。

みなちゃんと落ち合う前に、私は母校の制服を着た女子高生二人組を見かけました。ひとりは紫のリボンの3年生、もうひとりは緑のリボンの2年生です。なぜ一目で判断できるかというと、我が母校の制服は、喉元につける小さなリボン(リボンといっても、ひらひらしたものではなくて、平たく折りたたまれたグログランリボンを、制服の一番上のボタンの裏にあるスリットに挟む形式)の色が学年によって決まっていて、学年が上がるたびに毎年買い替えるのです。1年生は臙脂、2年はオリーブ、3年は藤色ということになっています。ミルクホールで売っていた(「ミルクホール」という売店の呼称は、当時の私を陶酔させたものです。たとえ実態がただの掘立小屋だったとしても…)。
それにしても、いまだにあの制服がまったく変わっていないことは喜ばしい。私が愛したあの制服よ、いつまでもそのままで美しい彼女たちを包んでくれたまえ!(←あれ、なんかちょっと変態ちっく…?)

で、後輩を見かけたその話をみなちゃんにしてみると、地元で働く彼女もまた、我々の後輩である富校生を見かけると「思わず話しかけたくなる」と言ってました。だよね!! 私たちの愛校心はいまだ衰えを知りません。いい高校なんだよな~。あの高校を選んだ15歳の私の決断は、人生最高の、もっとも正しい選択であったことは疑う余地がありません。人生と精神があれほどまでに一致した時代はなかった。

考えてみると、私が高校に入学してはじめてできた友達が、みなちゃんでしたね。富山市内の近場から通う生徒の多いあの高校で、私もみなちゃんも市外からの通学者だったのです。ほかに同じ中学からの知り合いもなく、彼女の懐っこい人柄もあって、私はすぐに好きになったのでした。私たちの交際も、いよいよ20年目を迎えたというわけか。ははは!

母校への愛を語り、会えばいまだに高校生当時のままの気分なのに実際はお互いに健康問題を抱える年齢になったのね…と嘆いたりしていたら、あっという間に時は過ぎてしまいました。楽しかったなあ。



で、200m走ですよ。

私は帰りの列車時刻を予め調べてありましたが、5分ズレで適当に記憶していたものですから、みなちゃんと別れた後で切符を買おうとしたら、発車まであと2分でした。まあでも、ホームまで走ればまだ間に合う!!…と、思ったんですよ。ところが、

「現在富山駅構内は、新幹線工事のため、ホームまでの距離が以下の通り延長されております」

というような内容のポスターが貼ってあるんですよね。うん、それは知ってた。でも、その距離がそれぞれ「200m超級」だということは知らなかったYO!(ToT) そんなわけで、私は大荷物を抱えながら、200m強の長い迂回路を階段を上ったり下りたりしながら激走しました。ちなみに私は生まれつき足が遅く、中学時代には兵庫出身の激美人な体育の先生から「ノトォォォ~、本気出して走らんかい~~!」と100m走のたびに叱られていましたが、私がどうやら本当に本気で走っているらしいことが分かると先生はもうなにもおっしゃらず憐みを含んだような眼差しで私をご覧になったのです。あの美しい先生のお顔が忘れられないわ。うっとりしましたわ。
まあ、そういうわけなので、私は昨夜も必死で走りましたが、あと15歩か20歩というところで無情にも列車のドアは閉まり、ゴトンゴトンと私を置いて行ってしまったんですね。

ひどい!!!

さて、ここは富山です。そして夜です。あとは終電しかありませんでしたが、その終電はそれから50分後に発車予定でした。しくしく。風が強い中、ホームで私は待ちました。20分後、早めにホーム入りした列車に乗り込んでさらに待つこと20分。もうすぐ発車という時に、車掌のアナウンスが。

「ただいま、特急列車が遅れております。特急のお客様の乗り継ぎを待ちますので、当列車も遅れる予定となって…」

うおおおお(ToT)/~~~
結局、1時間半近く待ちました。実家に帰りついたのは、もう12時……疲れたわ~。


つまり、私はあと20歩分だけ稼げるくらいに足が早ければ、人生の90分間をぼんやりと過ごさずに済んだかもしれないというお話でした。ここには何か私の人生全体にかかわるような恐るべき問題点が隠されているような予感がしなくもなかったけれど、真っ暗な車窓の外に目を向けて、そんな考えは闇に包まれた景色とともに流れるままにしましたよ。それに、本気出して間に合わなかったなら、それで構わないじゃないか。ふふ…!













本日もよい天気

2012年03月29日 | もやもや日記




今日もよく晴れていいお天気でした。通りを歩くと、沈丁花の香りが漂ってきたりして、いよいよ春の空気です。それにしても、PCがやたらと重くて、入力にも一苦労だぜ。どうしたのかな?


それよりも重いのは、来期のアニメ視聴リストです。見てみようかと思うアニメを書き出してみたら、えらいことになりました。すごい数。え…見切れるのか、こんなに!? うーん、がんばろう。こないだは『デュラララ!』も『モノノ怪』も『空中ブランコ』もとりあえずは観たけど、忙しくて感想文も書けてないよ! うぅ、重いよ~~! あと、せめて一週間に一度くらいは手術関係の記録の続きを書いていこうと思うのに、それも書けてないし。これじゃあまり役にも立てないな。反省することが山積みだな。やれやれ…


ところで、私は明日から留守にするので、次回の更新は来週の半ばくらいになるかもしれません。でも実家に帰るだけなので、暇だったら田舎から更新しますので、よろしくどうぞ(^_^)
向こうも暖かくなっているといいなあ。







「幻滅」

2012年03月28日 | 読書日記ードイツ

『トオマス・マン短篇集』所収
実吉捷郎訳(岩波文庫)



《あらすじ》
サン・マルコの広場で出会った、年齢のよく分からぬ、風変わりな男は、彼の生涯にわたって続く「幻滅」について語り始める。

《この一文》
“ 人生というものは、私にとってまったくのところ、いろんなぎょうさんの言葉から成り立っていました。なにしろ、そういう言葉が心中に呼び起す、あの絶大な茫漠たる予感をのけたら、私は人生についてなにひとつ知っていなかったのですからね。 ”




トーマス・マンは、ほんとうに残酷だと思う。道を行き過ぎる人たちの姿から、あるいは毎日鏡に映してみる私自身の姿から、ときおり滲み出るあのどうしようもない哀しみについて、どうしてこんなふうに書いてしまうのかといつもしょんぼりさせられる。この「幻滅」は『トオマス・マン短篇集』の最初のお話で、ほんの10頁ほどの短い作品です。しかし私はこれがあんまり残酷なものだから、もう次の話を読む気力もない。ひどいや。


「僕」はサン・マルコ広場で出会った風変わりな男から、数多くの幻滅に覆われた彼の人生について聞かされる。男は書物の中の多くの言葉によって人生が幸福であれ不幸であれ何か強烈なものになるに違いないと予感しながら世間へ出て行くも、その期待はそこそこ叶えられたとしても結局はいつも「けれども、こんなものにすぎないのか」と思わずにいられない。どんな不幸な目にあっても、死の予感ですら「これがどうしたというのだ」という幻滅を生じさせるばかり。幸福の、感激の体験ですら彼を幻滅させただけであった。自分は事実に対する感覚を欠いているのかもしれぬという彼は、幸福でも苦痛でも、ただ最低限度の稀薄な状態のところだけを知っているにすぎないのだろうか。

「そうとも信じられません。私は人間というものを信じないのです。ことに、人生に直面しながら、詩人どものぎょうさんな言葉に、声を合せるような奴等は、一番信じられませんな。――あれは卑怯です。虚偽です。あなたはまた、世の中にこういう人間がいるのに、お気がつかれましたか。つまり、ひどく見栄坊で、むやみと他人から尊敬されたい、ひそかにうらやまれたいと渇望する結果、自分たちは幸福についての偉大な言葉は体験したが、不幸についてのはしたことがないなんぞと、述べ立てる連中があるのですよ」



幻滅しないためには、期待をしないことです。しかし、少しの期待もなく人生を送ることはできるでしょうか。過大な期待と欲望を抱いたがために幻滅に幻滅を重ねながら、それでいてその幻滅を無視して、幸福な振りをして暮らすこともしてみたというこの風変わりな男の姿は、どこか私の姿とも重なりました。私のこれまでの人生にも、さまざまな喜びと苦しみの瞬間があり、いくつかの瞬間は私を打ち砕くのではないかという激しいものでありましたが、結局はただ一瞬間だけのものに過ぎず、のこりは平坦なものでした。それが人生であり、それが幸福だといえば、そうなのかもしれません。

人生とはこんなものでしかないのか、と問えば、必ずしもそうではないのでしょう。しかし、「私の人生とはこんなものでしかないのか」と私自身に問えば、「そうだろうな」と思うのです。私は常に何か凄いものに私ごと打ち砕かれたいと願ってはいますが、私の器は小さく脆く、簡単に打ち砕かれそうなのになかなかそうならない。それは単に「私にはその価値がないから」あるいは「私には常にその用意があると思ってはいるが、それは思い込みに過ぎない」のではないかと思うのです。そう考えることは私のためにはとても哀しい。ときどきそんな姿が鏡に映るのを見ては哀しみを感じます。


トーマス・マンの作品をいくつか読みましたが、ときどきこういった人物が出てくるので悲しいです。最初からその人が持ってすらいない何かを身のうちに留めようと空しく見当はずれな努力を続ける人物。その何かにこだわるあまり、すっかり時間や世間の流れからはずれて、年齢不詳の、一見若いようにも見えるがよく見ると年老いて残骸のようでもある風采の人物。私もそのうちこうなるだろうと思うと悲しい。でも、こんなふうに見えたり、こんなふうになったりすることが、どうして悲しいのかな。なにが悲しく思えるのだろう。なにか悪いことがあるだろうか。得がたいものを熱烈に求めることは無様なことだろうか。いや違うか、得がたいものを熱烈に求めながら、結局得られないことが無様なんだな。得られないと知りながら諦めないでいることが悲しいんだ。でも…どうしてそれが、そんなに悲しいと言うの?



ともかく、「幻滅」にはガックリきました。トーマス・マンはこんなお話ばかりを書いていて辛くはなかったのでしょうか。こんなふうに世の中を見つめてしまえることが辛くはなかったのでしょうか。

私も毎日身に余るほどの期待と欲望のために幻滅をつづけています。彼のように人生を決定づけるほどの幻滅もいくつかあった気もしますが、今日のところは、この「幻滅」について3日間もくよくよ考えさせられたことに「幻滅」。その上その間考えたことをすっかりまとめきることができなかった私の能力のなさにも「幻滅」しております。でも、まあ、それはいずれもうちょっとマシになるんじゃないかな。私はきっとそこまで「幻滅」しきれるほどの器じゃないや。そんな、なにごとも中途半端な私にまた「幻滅」。「幻滅」がとまらない! けど、こんなのはささいなことだ。


私はまだ「ぎょうさんの言葉」に翻弄されるのが楽しいから、本格的に幻滅と哀しみを味わうのは、私が残骸になってからにするとしよう。さあ、夢を見て星を数える作業に戻るんだ!







『時間SFコレクション タイム・トラベラー』

2012年03月25日 | 読書日記ーSF

P・J・ファーマー他 伊藤典夫・朝倉久志編
(新潮社)


《内容》
流されるだけが時間じゃない! 強者(つわもの)SF作家たちが腕によりをかけた時間料理の数々……。朝、目をさますと四日先の新聞が配達されてきた――ファーマーの異色作「わが内なる廃墟の断章」の他、ラジカセ片手に若きアマデウスが活躍する話題のサイバーパンク「ミラーグラスのモーツァルト」、失われたバビロンの都が未来に甦るワトスン「バビロンの記憶」など、きわめつきの時間SF全13編。

《収録作品》
しばし天の祝福より遠ざかり…ソムトウ・スチャリトクル
時間層の中の針…ロバート・シルヴァーバーグ
遥かなる賭け…チャールズ・シェフィールド
ミラーグラスのモーツァルト…B・スターリング&L・シャイナー
ここがウィネトカならきみはジュディ…F・M・バズビイ
若くならない男…フリッツ・ライバー
カッサンドラ…C・J・チェリイ
時間の罠…チャールズ・L・ハーネス
アイ・シー・ユー…デーモン・ナイト
逆行する時間…デイヴィッド・レイク
太古の殻にくるまれて…R・A・ラファティ
わが内なる廃墟の断章…フィリップ・ホセ・ファーマー
バビロンの記憶…イアン・ワトスン

《この一文》
“ 神さま、もうぼくは充分に苦しんではいませんか? 肉体を授かりながら、ぼくはあなたの書物のなかにしかいない。おろかな獣、記憶をなくした肉塊になるまいと、なぜ日々闘わなければいけないのですか? なぜ放棄してはいけないのですか? ボタンを押し、ごみ箱にぶちまけ、磁力線とパルプ繊維の混沌のなかに、悲しみを解き放てばすむことなのに。
 “一日の苦労は一日にて足れり”
 これが本当はどういう意味なのか、主よ、ぼくは知りませんでした。 ”
――「わが内なる廃墟の断章」フィリップ・ホセ・ファーマー より






kajiさんからお借りしたSFアンソロジーです。昭和62年、新潮社発行。「SFコレクション・シリーズ」として他に「スペースマン」「スターシップ」の2冊のアンソロジーが同時に出ていたようです。現在は入手困難。昭和62年あたりには、こんな素晴らしいSFアンソロジーが、なんと新潮社から出ていただなんて、私はちっとも知らなかったなあ。まだ中学生になるかならないかの頃だから仕方ないか。大人になってから翻訳SF小説を読むようになると、その盛り上りは私が子供だった頃にあったのではないかと思うことしきりで、もう少し早く生まれたかったような気がしますね。読みたいと思う小説があっても絶版になっていることが多い。このシリーズも絶版なんだぜ……しくしく。
しかし、幸いなことに、この『タイム・トラベラー』そのものは入手困難ですが、最近になって早川書房から、ここに収録されたいくつかの短編をおさめたアンソロジーが出ています。ちょっと欲しいと思ったけれど、私が気に入った短編は入っていないっぽいな…これは悩むわ。


さて、全部で13の物語。いずれも時間にまつわるお話ですが、それぞれのアイディアは秀逸で、読み応えはたっぷりでした。最後まで読むのにはとても時間がかかってしまいましたが、どのお話もすごく面白かった。

私がとくに気に入ったのは、「遥かなる賭け(チャールズ・シェフィールド)」ドラマチックでスケールもでかくてロマンチックでもあって最高、「時間の罠(チャールズ・L・ハーネス)」閣下とか謎の弁護士とか不死身オーラを出す少佐とか閉息感に満ちた世界観がたまらなかった、「わが内なる廃墟の断章(フィリップ・ホセ・ファーマー)」なにも分からないままに記憶を失いながら危機的状況に放り込まれてゆく人類の行く末を描いた作品で猛烈に面白かった! というところですかね。

SFにうとい私には、あまり見知った名前は見当たらなかったのですが、それでもフリッツ・ライバーやR・A・ラファティは少し読んだことがありましたかね。フリッツ・ライバーはSFというよりも何となく幻想寄り、古典文学的な雰囲気を感じるので割と好きかもしれません。ラファティの「太古の殻にくるまれて」もかなり幻想的な一編でした。すごく個性的。大胆。なにがどうしてそうなるのかサッパリ分かりませんが、ただひたすら受け入れるしかない様子なのがいいです。

ともかく、フィリップ・ホセ・ファーマーはよかったな。この人のことは初めて知ったけれど、もうちょっと他の作品も読んでみたい感じです。軽く調べてみたら、やだ…絶版ばかりだわ……(^o^;)でもまだ入手可みたいで安心した!


うーん。面白かったです! タイムトラベル物というのはほんとうに盛り上がりますね♪ ただ、忘れっぽさが日々加速し続け、読んでいくそばから次々と物語の内容を忘れていってしまう私は何度も繰り返して読み返したいので、どうかもういちど新潮社から同じ本が出て欲しい。。。たのむっ!!!








術前検査まとめ(前編)

2012年03月23日 | 卵巣摘出手術の記録


(前回までの記事)
 *手術 その前と後



さて、今回は卵巣嚢腫切除手術に至るまでに受けた各種検査についてまとめたいとおもいます。

私の場合は病気が発覚後、手術までにはちょうど1ケ月かかりました。そして、その間にはだいたい1週間ごとに検査を受けることになります。

また、それぞれの結果が出るのが大体数日後から1週間後でしたので、検査結果をただひたすら待つ時間が無限のように長く感じました。特に初期には。後期に至って「おそらく良性であって、どうにか大丈夫だろう」という結果が出るまでは、悪い方へ悪い方へと考えが進んでしまいます。こういうときの過ごし方については工夫が必要ですね(今思えば)。

さあ、そういうわけで、週ごとに検査をまとめますが、段階を進むにつれて詳しい結果が出て来るとともに、腫瘍の性質も「良性」判定に近づいていくことになります。逆のパターンもあるところでしょうが、私の場合はラッキーでした。

では、以下。

_____________________

【第1週】初診 最寄りの小規模クリニックにて

 *触診
 *超音波検査
 *子宮頸癌検査
 *子宮体癌検査
 *血液検査(腫瘍マーカー、貧血の疑いのため)


初日にはこれだけ受けました。
「不正出血」があった旨をお医者さんに告げると、原因についていくつか説明されました。この日の私は胃がむかむかして気分が悪かったのでほとんど聞き漏らしてしまいましたが、「不正出血」で考えられるのは、「排卵時にときどき起こる無害な出血」「卵巣、卵管のトラブル」「癌などの病気」ということだったかと記憶しています。そして最も避けたいのはやはり「癌」ですので、私はすぐさま「癌検診(2種類)」を受けることになりました。風邪気味と胃もたれでクリニックへかかりましたが、先生がおっしゃるには風邪も胃もたれも「不正出血」には関係ないそうです;


《触診》《超音波検査》
まずは触診と超音波による検査をしてもらいます。
先生は私の下半身を見るなり「こ、これは…だいぶお腹が張っていますね…」とおっしゃいました。そして腹部に超音波をかけてもらうのですが、お腹をなぞりながらモニターに内部を映してみると、なにか巨大なかたまりがずっとあばらの下のほうまで続いているようでした。先生しばし無言。「おぉ…こんなところまで…」というつぶやきが聞こえました。そして「これは手術で取らないといけませんね」

 …ッ!!??(いきなり大ショック!)

ちなみにこの段階では、腫れているのが卵巣なのか他の部分なのか、卵巣だとしても右の卵巣なのか左の卵巣なのか、それとも両方なのかということは分かりません。ただ「何か」「ものすごく大きなかたまり」があるらしいことだけは分かりました。
また、腫れているのが卵巣の場合、これほどの大きさになってしまっては切除以外の選択肢は無いということを告げられます。前の記事でも書きましたが、初期の場合には薬でも治るんだそうです。それと、人によっては腫れる際に痛みを伴うようですが、私の場合はさっぱり痛みませんでした…単に太ったのだと……

それ以上の詳しいことについては設備の整った大病院で診てもらわないと分からないということなので、市内にある大きな病院を紹介してもらうことになります。私はとりあえず近くの市民病院を選びました(後日)。


《癌検診》子宮頸癌/子宮体癌の検査
癌検診は「子宮頸癌」と「子宮体癌」の2種類、「子宮頸癌」のほうは綿棒のようなもので局部をなぞるだけのような簡単なものでしたが、「子宮体癌」のほうは子宮本体の組織を採取するので、予め先生から「出血を伴ってかなり痛みますがやりますか?」と幾度も質問されます。ここまできて「嫌です」というわけにもいかないのでやってもらいましたけれども、これは猛烈に痛かったです。私は割と痛みには耐える方ですが、それでも耐え難いような種類の痛みでした。たちまち顔色が失われ、動悸、息切れ、吐気、目眩の症状があらわれ、診察台から起き上がることができず床にかがみ込んでしまいました。冷や汗でびっしょり(しかし思い出してください。この日私は胃が痛くて最初から具合が悪かった! 検査はできれば体調の良い日に受けた方がいいかもしれないですね…^^;)。


《血液検査》腫瘍マーカー/血液成分検査
私は癌検診時にうっかり貧血症状を起こしたために先生から貧血を疑われ、血液検査も追加されることになりました。

その血液検査ですが、「腫瘍マーカー」という、血液の成分から腫瘍の性質を判断する検査があるそうで、それもついでに受けさせてもらいます。

この時のトラブルとしては、貧血状態の私の腕からは採血のための注射針をさしても血が一向に出ない! いやー、ああいう時ってあまり血が流れていないんですかね。全身の血はどこへ行っちゃうんでしょう? しばらく針をさしっぱなしにして看護士さんと苦笑いし合いながらも(看護士さんから私の顔がまだ真っ青だと心配されているうちにちょろちょろ出始めて)、どうにか血液を採ってもらえました。




このように初日は青い顔をしてクリニックを出ましたが、検査結果が出るのはこの日から3日後のことでした(最初は1週間後と言われていたけれども、3日後に診察予約の電話をしたら、もう結果が出ていると言われたので即日聞きに行きました)。
最初にも書きましたが、病気が判明してから一番辛かったのはこの「検査結果待ち時間」です。とくに初めの検査の結果を知るまでが最も精神的には辛かったです。神頼みに行くレベル。神を信じない私ですら近所の神社へ小銭を握りしめてお参りに行きました。まあ結局私は健康のことを願わなかったですけどね…(^_^;)条件反射でつい世界平和を願ってしまったわい。


【第2週】検査結果と病院紹介


さて、緊迫の3日間を過ごしたのちの結果はこちら。


 *触診 → 極端な腹部の張りが判明
 *超音波検査 → 腹部全体に大きなかたまりの存在が判明
 *子宮頸癌検査 → 異常なし
 *子宮体癌検査 → 異常なし
 *血液検査 →(腫瘍マーカー)異常なし
        (貧血その他)異常なし


というものでした。これでひとまずは第一段階をクリアです。急を要するような病状(進行した癌とか)ではなさそうで安心しました。

こういうシートを受けとる。これは子宮癌検査の結果表。

↓子宮頸癌結果。

↓子宮体癌結果。



検査結果を受けて、先生も私もわりと穏やかな空気に包まれました。私の血液検査の結果はとくに面白く、「貧血なのかと思ったけど、むしろヘモグロビンが多いね」「そうですか。それってマズいんですか?」「いや、全然。酸素を運ぶ能力が高いということです。長距離ランナー向きの体と言えますね! ハハハハハ!」「アーそう言えば、私は走るの遅いんですけど、持久走だけはちょっと得意でした!☆(ゝω・)vキャピ」と談笑する余裕さえありました(^o^)

こうして【第2週】はほとんど面談と病院紹介だけで終わります。前回の診察時にいくつか候補を挙げてもらっていたうちの病院から、私は市民病院を選択。すぐに紹介状を書いてもらい、診察予約もしてもらいました。

腹の中の巨大なものの正体が依然として分からないので、次は市民病院にてMRI検査などを受けて詳細を調べることになります。ここからも長かった!


 つづく~~~!


JOJO×プリッツ→限定カレンダー

2012年03月21日 | もやもや日記





本日21日より、江崎グリコと『ジョジョの奇妙な冒険』のコラボ商品が発売になりました★ 私は朝から近所のセブンイレブンでゲットしてきましたぜっ! 全6商品のうちの4商品だぜっっ!!

なぜセブンイレブンか、なぜ4つの商品かと申しますと、実はセブンイレブン限定で、2商品以上お買い上げの皆様、先着20名にオリジナルカレンダーがあたるんですね。
それで、グリコのJOJOコラボ商品4つを購入し、卓上カレンダー(2種類)を貰ってきたというわけです。ついでに言うと、残りのグリコ×JOJOコラボ商品2種は、まだ棚に並んでいませんでした…

カレンダーが20枚限定だというならば深夜から並ばなくてはならないだろうかと前々日くらいからとても心配しましたが、今朝9時頃におずおずと行ってみたところ、うちの近所のセブンのお姉さんはそもそも限定カレンダーのことを把握していなかったようで、私が「あの…この…グリコの商品2つ以上でカレンダーが貰えるって聞いたんですけど…もう…ないですかね??…」とおそるおそるたずねると、困惑しながらも店の奥へ走り去り、そこからまだ梱包されたままのカレンダーの束を抱えて出てきました。

てなわけで、私は一番乗りでカレンダー(2種類とも)ゲットだぜっ! うへへへへ!

こんな感じで無事に入手することができました。全国のJOJOファンの方々、お近くにセブンイレブンがあるのでしたら、カレンダーはまだ間に合うかもしれませんヨ★


(安心の「4月始まり」カレンダーッ!)


ご覧の通り、今回のコラボは『ジョジョの奇妙な冒険』(第4部)とのコラボのようですね。プリッツのほうは、イタリアンレストランのシェフ、トニオさんがパッケージでなにやらつぶやいています(^_^) 私は康一君と由花子さんのカップルが印刷されたパキッツ(いちご味)が気に入りましたね♪

それにしても、こういうお菓子を買うと、遠足に行きたくなるなあ!






ひと休み

2012年03月19日 | もやもや日記




病気記録の続きをまだまとめ切れないまま、ちょっとひと休み。

というか、いま忙しい。ものすごく忙しい。

アニメ観るのに忙しくて、ちょっと時間がないっ!!!



いやー、もう、ほんとアニメを観ても観ても終わらないっていうか、追いつかないっていうか、この時期は最終回を迎えるアニメも多いですからまとめてみてしまおう!なんて、これまであまり溜め込まないで継続的に観てきたつもりだけれどもそれでもいくつかの作品は3話分くらいずつ溜まっていたりしてそれを消化するので忙しいのです。でもとりあえず『偽物語』は最後まで観たぜ! 面白かったぜ!!

こうして放送中のアニメを観るのだけでも忙しいところへ、春休みになるせいか【ニコニコ動画】の「生放送」でもアニメスペシャルみたいのをやっていて、私は前から観たかった『デュラララ!』を観たわけですよ。それが全部で24話くらいあるのを「前半」と「後半」とを2日間に分けて一挙配信していて、私は「前半」のほうは土曜日にリアルタイムで視聴し(疲れ)たのですけど、「後半」はタイムシフト予約してあるので『偽物語』を観終えた今から観ようと思っているというか、それが終わっても火曜日には『モノノ怪』を一挙放送するし、24日には『空中ブランコ』も一挙放送だしで、『ミルキィホームズ』とか『モーレツ宇宙海賊』とか『輪廻のラグランジェ』とか追いかける合間にそれらもこなさなくてはならないので、さらに忙しくなってるというわけなんですね。ええ。実はその合間には性懲りもなくウテナのMAD動画巡り(月例)をしたりもしてました…

しくしく。アニメが面白すぎてツライ…!(´;ω;`)
うーん、でもこのくらいで音を上げているようでは全然ダメですよね。アニメの5つや6つでヒーヒー言ってたら、いつまでたっても追いつけないですよね、うーん。


しかしどうしよう、明日も朝からアニメを観てたら1日が終わりそう。てか、この記事書く暇があったら「検査のまとめ記事」くらい書けたかもな…うん、書けたな。。。まあ、しかたない。

というわけで、来月から新たに始まるアニメも、今のうちに視聴リストを作っておこうと思います♪ 来シーズンも忙しくなりそう! ぐはっ!!







手術 その前と後

2012年03月16日 | 卵巣摘出手術の記録




さて、今回は、卵巣摘出手術の前後で私の身体がどのように変化したかについてまとめてみたいと思います。

いまちょうど不運にして「卵巣が腫れているから手術で摘出しなければならない」とお医者さんから宣告を受けてしまい、たまたまこの記事に行き当たったという方に、あるいは今後同じような局面に立たされるかもしれない女性の方々に、少しでも参考になるような内容だといいのですが。


まずはじめに、卵巣が腫れるという症状自体はごくありふれたものらしく、初期だと薬の服用で治るのだそうです。私の場合は、呆れるほどに卵巣が肥大していたために取り出さざるを得ない状況でしたが、万一「摘出手術」が決定してしまっても、運がよければそれほどの負担もなく完治する病気です。手術の方式も、現在では患者に負担の少ない方法を取ってくれるようですしね。手術と言うと構えてしまいがちですが、私のように手術まで1ケ月、入院は1週間、そして3ケ月の(うち全2回の)通院で完治、というケースもありますので、もしも同じような状況におかれましてもどうか元気をだしてください(^_^)

ちなみに、私の左の卵巣は本来ならば「親指の先くらいの大きさ」であるべきところでしたが、最終的には 全長30cm、重量およそ3.5kg という大物に成長しておりました(笑えるほどデカかったので、しつこく何度でも書きますヨ^^マジデケー!マジウケル!)。

そんなに大きくなるまで気がつかなかったものだろうか? という疑問がわきますが、私はまったく気がつきませんでした。
鈍くてスミマセン…(´;ω;`)



【自覚症状はあるのか?】

(私の場合)
*生理不順はなし
*下腹部の痛みもなし
*下腹部が少しずつせり出して来ていたが、中年太りだと思い込んでいた!

こんな状況でした。痛くもかゆくもなかったので、まったく気がつかず。
では、どうして気がついたのかと言うと、

*あるとき、風邪気味で胃の具合が悪かった
 同じ日に、はじめて不正出血があった
 ↓
*翌日、近所の「内科&婦人科」クリニックで受診
 (この段階では、風邪か胃もたれだと思っていたので内科併設を選択)
 ↓
*不正出血があった旨を先生に伝え、がん検診2種類(子宮頸癌、子宮たい癌)と、腹部のエコーを受ける
 ↓
*エコーをかけるまでもなく、先生から下腹部の異常な膨らみを指摘される。その後エコーにより、なにやら巨大なものが腹部全体を占めているらしいと判明
 ↓
*モノが大きすぎて逆に正体が分からないが、おそらく卵巣が腫れているので「手術が必要ですね」と言われる


…胃もたれじゃなかった!Σ(´∀`;)

先生からは、「これほど大きくなる前に、痛みとかはなかった?」と3回くらい聞き直されましたが、私は「……???^o^;いえ? なかったと思います…」と答えるしかありませんでした。痛くは…なかったよな? うーん、少なくとも耐え難いような痛みはなかったです。

上にも書きましたが、現在35歳の私は、このごろ下腹部がせりだしてきたのは話に聞いていた「中年太り(内臓脂肪バージョン)」だと思い込んでいたため、日夜腹筋のトレーニングに励んでいたのです。普通の腹筋では効果がない…では「ひねり」も追加だ! というなかなかハードなものだったのですよ。今思えば逆効果でしたね…うふふ。やればやるほど腹が出て来ていましたわ。とほほ!

先生にも正直にそのように伝えたところ、「脂肪じゃないからトレーニングしても無駄だよ(笑)」、私「ですよねー(笑笑)☆」などという和やかなやりとりもありつつ、しかしいきなり手術が確定してしまったことは、それなりに衝撃的なことでしたね。


と、このようにほとんど自覚症状らしきものがないまま、私は病気にかかっていることと要手術が確定してしまいました。ですから、痛みがなくても、こういうことはあり得るということです。もしもあの時に不正出血がなかったら、一体どうなっていたのだろうかと思います。…やっぱ破裂…?ブルブル(/o\;)

不正出血にはさまざまな要因があるそうですが、もし出血があったらすぐさま病院へ行ってみるのが大事ですよ!(私も病院は嫌いですが、そんな私ですらそのようにしました。そしてそれが正解でした)


それからの検査と手術の詳細は別の記事であらためてまとめることにしまして、次に、卵巣を取る前と後で、私の身体が具体的にどのように変化したのかを書き出してみます。


【体型】

(前)ウエスト=計測したくないくらいの太さ
  今考えると、右方向に傾いて、かなりいびつに膨らんでいました。
  よくよく見れば、異常でしたね。
  しかしその事実に気がつきたくなかったので、気づきませんでしたorz

(後)ウェスト=驚きの61cm!
  「手術ダイエットwwww」と術後に先生と爆笑しましたww

全体の体型については、手術前には腹部だけが極端に飛び出していて、手足は次第に痩せ細っていきました。手術直前にはとうとう棒のように細くなり、また胸部もあばらが浮いて、ガリガリという以外に表現が見当たりません。(そうなるまで気づかない私って……)

手術を終えてから初めての入浴の際には、身体があまりに細いのにびっくりしました。それと、お腹のぺったんこ具合にも驚きましたね。本当にぺったんこ、というよりか、むしろ凹み、「凹」←コレ、冗談抜きでこの漢字みたいになってましたヨ。


【体重】

(前)44.5kgくらい

(後)41.2Kgくらい

取り出した卵巣の重さがおよそ「3.5kg」でしたので、ぴったりその分軽くなりました。それについても先生と「手術ダイエットww1日で激痩せwww」と大ウケしましたね(^o^;)終わってみれば呑気なものです、ははは!


【体調】

(前)生理前には起きていられないほどの倦怠感にしばしば襲われる
   激しい腰の痛み(肥大した卵巣による背骨圧迫のため)
   胃もたれ(肥大した卵巣による胃の圧迫のため)


(後)生理痛すら感じない

体調の変化が、もっとも大きな変化だったと言えます。
私は初潮を迎えて以来ずっと生理痛というのはあって当たり前のものだと考えていたので、「生理痛がない」だなんて架空のお話だと思っていました。が、本当にそんなことがあるんですね。今はなにも辛くもなければ痛くもありません…びっくり。これまで知らなかった領域に突入したようだぜ…

ちなみに、卵巣は左右にひとつずつ付いているので、片方がなくなっても残った一方が機能を補完してくれます。今のところ、私の残った右側の卵巣は順調に働いてくれているようです。生理が1ケ月おきにしか来なくなる、というようなことはありません。毎月変わらずあります。不思議!

もうひとつ、これはまだ確実な変化とは断定できませんが、ホルモンバランスも安定したような気がします。
下腹部が膨らみはじめたと自覚したのは結構前ですが、今思えばそのころから、私はときどき夜中に汗だくになって目が覚めるようになりました。のぼせの症状が激しく、四六時中暑くもないのに汗びっしょりだったり、時には鼻血が止まらなかったりしたのも、そのせいだったかもしれません(それでも気づかなかった私って……)。そのような症状は、術後には今のところ見られませんね。このまま続いてほしいところです。
しかし、あまりそんな風には思いたくないけれども、もしかしたら左の卵巣はそもそも私の身体には合っていなかったのかもなあ。これほど急激に体調の変化があると、ついそう考えてしまうのですが、どうなんでしょう?


それにしてもこうして振り返ると、「なぜ気づかなかったのか!?」ということばかりで焦ります。けれども、意外と気がつかないものですよね。とくに痛みのような症状がなければ、まさか自分が病気だなんて思わないものです。定期検診の大切さを痛感いたしました。
というわけで、みなさま、年1回は医療機関で詳しい検査を受けましょう!


次回は、各種検査の内容と、手術についてまとめたいと思います(^_^)







術後3ケ月検診

2012年03月15日 | 卵巣摘出手術の記録





今日でちょうど3ケ月。「もう」と言うべきか、「まだ」と言うべきか。ともかく手術を終えて3ケ月が経過しました。

検診は術後6ケ月まで設定されていたはずでしたが、今日の検診でとくに問題が見当たらなかったので、先生からは「もう来なくていい」と言われました。それで私も「そうですか、ありがとうございました」とアッサリサッパリと先生にお礼を申し上げて帰ってきたというわけです。あっ、結局正式な病名(めちゃ長い)を聞いてくるのを忘れたぜ…orz まあ、いいか。

いや、しかし、終始一貫してクールに対応してくださった先生には、感謝の申し上げようがないですね。途中、いろいろとショッキングな資料を見せられたりしました(ドでかい卵巣に埋め尽くされた腹部のMRI画像とか、手術中に腹部に挿入されたカメラで撮影された高画質な患部のカラー写真とか…「これ、奥に見えるの、肝臓ね★」とか言われた。私の肝臓、実に綺麗なものでした。あと腹の内側の壁、私もやはり動物なんだなあ、としみじみしました^o^;)が、「大丈夫、おそろしいものじゃない」という先生のお言葉に励まされて、私もあまりうろたえることなく、ベルトコンベアーに載せられた気持ちで(本当に自分では何もやることがなかった。病気治療の不思議さよ)、すっかり良くなりました。


これにて完治!!
ありがとうございました!!!



さて、腫れ上がった卵巣のひとつを摘出してから3ケ月。3ケ月もあったのに、私はその興味深かった闘病体験についてほとんど何も書くことができませんでしたね。まあ、闘病というほどたいしたことはなかったですけど(^o^;)

書けなかった理由は、別に卵巣を失った喪失感がどうとかいう訳ではありませんで、ただ単に精神力が足りなかったということに尽きます。

ちなみに喪失感ということについて言えば、本当にまったく全然、何も感じません。親知らずを4本抜いたときの方が、よほど喪失感と痛みがありました。「モノ」が目に見えているかいないか、ということが意外と重要なポイントのようですね。卵巣などは普段はちっとも意識しない臓器なので、私としては「ないと言われればそうなんだろうけど、あると言われれば、まだあるような気もする」という心境ですね。これはもちろん、取り出したのが片方だけで済んだおかげですけどね。両方取らなければならない場合には閉経による肉体的変化が一挙に押し寄せて、ずっと大変だったろうと思います。私は運がよかった。

話を戻しまして、精神力が足りないということです。

当時は意識していませんでしたが、昨年末に突然病気が分かってから入院、手術、そして退院するまでの間のちょうど1ケ月間、私はテンションをかなり高く保ち続けていたようです。無理矢理上げていた感じがありますね。もちろんネガティブなことはこれでもかというほどに考えましたけれども、不安に飲まれすぎることはなかったですし、全体を通して割と冷静にしていられたかと思います。その間、涙脆い私が一粒の涙もこぼしませんでしたしね。泣くほどの不安を感じなくて済んだのは、もちろん関係者のみなさまのおかげです。本当にいい時代になったなあ。検査はいちいち面白かったですしね。中には猛烈に痛いものもあったけど。

まず今回の経験を通して分かったことは、私は自分が死に直面することには耐えられそうだということです。いや、まあ、死ぬような病気ではなかったですが!(←結果的には) でも当初はどの程度の病状なのかがまるで分からず、年を越せるのだろうか? とか思ったりもしましたのでね。
ただ、もしこれが私の親しい人の身の上に降りかかっていたなら、私はきっと慌てふためき心をかき乱され、嘆き悲しんだに違いありません。ですから、どうか皆様、くれぐれもお体をお大事にしてくださいませ!

そういうわけで、検査から検査、そして手術とその後の痛みが続く間も、私は気持ちを高いところに押し上げたままでいました。入院することをお知らせすると、多くのお友達がメールを下さいましたが、それに応える私の調子は、今思えば必要以上にハイテンションだったかという気がします。私はもともと非日常的な体験をすることに対して興奮するたちなので、そのためでもありますが、要するに、あの頃の私は感情のある部分のスイッチを切っていたのかもしれませんね。できるなら面白可笑しいことしか考えたくなかったですし、できるだけ多くそのような言葉を残したいと考えていました。

それでも入院までの1ケ月、このブログをいっさい更新しなかったのは、私が閉じていたせいです。ブログ記事を書くという行為は私にとっては、自分の深いところへおりていくという作業でありまして、私の深いところには悲しみや苦しみ、不満や不安感といったものがなみなみと満ちているので、そんなところへはとても行く気がしませんでした。私は上辺だけで生活しました。けれども私の上辺には明るく朗らかで、この世界の美しさを喜ぶような性質がたしかに備わっているらしいことが分かったのは収穫でしたかね。カラ元気を振り絞ることは、私にも出来る事柄だったんだ!

しかしながら、カラ元気を振り絞ったツケを、いま支払わされています。反動で落ち込むようになったわけではありません。依然として、何も感じないでいるのです。いや、喜怒哀楽を感じてはいますが、それを表現することができません。スイッチが戻らない。うーん、困った。面白いことはたくさんあるのに、言葉にすることができない。この症状はなかなか治らないんだよなー。ああー、困った。


けど、今日で病気は終わりました。……ああっ、もう病み上がりの言い訳がきかなくなる! 便利だったのになあ。「私、いままだ病み上がりなので…ゴホゴホ…」なんて、もう通用しないのか。
なんつって!!☆(ゝω・)

今日で病気は終わりです。
だから、ちょっとホッとすることにして、私のもとから去ってしまった左の卵巣のことを思い出してやろうと思います。そして私が無視し続けていたあの頃の不安感についても、少しずつ触れていくことにしましょう。喪失感を正しく取り戻して、深いところへおりていこう。悲しみや怖れ、さまざまな薄暗い感情を、私の心の半分をそろそろ取り戻さなくては。



てなわけで、もういい加減に精神力を回復させますよ!
次回は、完治してみての具体的な肉体の変化について少しまとめたいと思います(^_^)







パッケージいろいろ

2012年03月14日 | もやもや日記





江坂に【KALDI】が出来たので、このあいだちょっと行ってきました。近所にこのお店が出来たのはとても嬉しい(=´v`=)♪

横浜にいた頃、私ははじめて【KALDI】という輸入食材とコーヒーのお店を知ったのですが、大阪でもまずは難波に出店され、次に梅田、そしてとうとう江坂にもやってきました。私は以前は江坂に住んでいたのですが、江坂が便利になるたびに帰りたくなりますね…(´;ω;`)これまであちこち流れ歩いた中で最も住みやすかった町、それが江坂!! チャンスがあればまた住みたいわい。


それはさておき、私は輸入食材を眺めるのが好きです。そういうわけで、私は輸入食材店が好きなんですねー。異国情緒を感じさせるパッケージデザインなんかを見ていたら、お店の中で何時間でも過ごせそうです。

今回【KALDI】で買ってきたのは、こちら。



スペイン産のオイルサーディンです。
箱の色合いが美しいので眼が釘付けになっていたら、K氏が買ってくれました。幸いこの時はこのサーディン缶がちょっと安くなっていたんですよね。へへへ、ラッキー☆



側面もマリンな雰囲気でいいですね!

しかし、中身の缶詰部分はきわめて質素。



箱から出してそのままにしておいたら、中身がなんだか忘れてしまいそうですね。すぐに食ってしまわねば…!


つづいて、ドイツのカマンベールチーズ。



なにやら物欲しげな表情の赤頭巾な女の子が描いてあります。可愛い。



箱を開けますと、なんと、チーズがデデーンっとでっかく2切れ入っていました(撮影時、一切れは食べたあと)。これ以上切れてません。…こ、これは何と言うか、こんな大きなカマンベールチーズの塊だなんて、興奮しますね!

私がこないだから「チーズ食べたい、チーズ食べたい…」と呪文のように繰り返していたために、このチーズもK氏が買ってくれました。最近のK氏は【KALDI】で買い物をするのが楽しいらしく、普段からしょっちゅうあれこれ買ってきてくれます。そして【KALDI】の大きな紙袋を得意げな顔で提げてます。よかった…何度も繰り返しカルディ、カルディ言ってたから、完全にお店の名前(とそこで買い物する楽しさ)を覚えたのね。私の大勝利ですな! ハハハ! でも私は【成城石井】も好きよ!


さて今回はふたりでお店に買い物に行き、帰ってからさっそくこのチーズを食べてみたのですが、半分のをさらに4等分したカマンベールチーズを口に運ぶやいなやK氏は妙な顔つきをしました。

「…うっ、やっぱりダメだ…!」

前に私がカマンベールチーズを買っていってやったときにも彼は同じことを言っていたのですが、K氏はカマンベールチーズが苦手です。白い絵の具の味がするんだそうです。…おい! 絵の具食ったことあんのかよ!?
「いや、ないけど、なんかそんな感じ…」と、今回も言いました。
そういうわけで、残りは全部私がひとりで食べていいんだそうです!
やっほ~~い!

ドイツのフランクおじさんと共に、グッ(`^ω^)b


(めちゃ朗らかな笑顔で…^o^)


輸入食材は楽しい!!