半透明記録

もやもや日記

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『暗黒のメルヘン』

2006年12月29日 | 読書日記ー日本
澁澤龍彦編(河出文庫)

《収録作品》
龍潭譚(泉鏡花)/桜の森の満開の下(坂口安吾)
山桜(石川淳)/押絵と旅する男(江戸川乱歩)
瓶詰の地獄(夢野久作)/白蟻(小栗虫太郎)
零人(大坪砂男)/猫の泉(日影丈吉)
深淵(埴谷雄高)/摩天楼(島尾敏雄)
詩人の生涯(安部公房)/仲間(三島由起夫)
人魚紀聞(椿實)/マドンナの真珠(澁澤龍彦)
恋人同士(倉橋由美子)/ウコンレオラ(山本修男)


《この一文》
” 夢や魂や願望が結晶してできた雪が、普通の雪とちがうのは、むしろ当然であったかもしれない。その結晶は、見事なほど大きく、複雑で、また美しかった。あるものは薄く砥ぎだした瀬戸物のように冷たく白く、あるものはミクロトームでけずった象牙のようにほのかに白く、あるものはみがいた白さんごの薄片のようにあでやかに白かった。あるものは組み合わせた三十本の剣のように、あるものは重なり合った七種類のプランクトンのように、さらにあるものは一番美しい普通の雪の結晶を万華鏡でのぞいて八倍にしたようだった。
   ---安部公房「詩人の生涯」より       ”


「猫の泉」が読みたくて、それだけ読んで、あとはそのまま数年間放ってあった本(私の書棚にはそんな本ばかり…)をついに最後まで読みました。いつものことながら、こんなに面白いなら、もっとはやくに読めばよかったです。特に、安部公房と島尾敏雄に悶絶。なんだこれは! とりあえず、他にも面白いものばかりだったので、一言ずつ感想を書いてみます。


鏡花の「龍潭譚」は、大学時代に授業でやったような記憶がおぼろげにありますが、何を習ったのかは忘れました。物語の詳細も忘れましたが、読んだことがあることは覚えているし、あの流麗な文体を読むのはちょっと疲れるなあと思い、とりあえず今回は飛ばしてしまいました。(初っ端からなんてことだ)

「桜の森の満開の下」は、これまでに4、5回は読んでいるはずなのに、どういうわけか、いつも内容を忘れてしまいます。面白いのになー。どうしてでしょう。今度こそ覚えておきたいものです。面白いんですよ。ほんとに。

安吾の「桜の森の~」を覚えておきたいと言いつつ、石川淳の「山桜」は、どういう話だったか、もう忘れてしまいました。はやいな。(読み返してみる) あー! そうだった! そうそう、結構面白かったんですよ(忘れてたくせに、説得力はありませんが)。主人公のダメっぷりには共感しました。

乱歩の「押絵と旅する男」は、物語の始まりの舞台が、私の故郷のあたりなので、ちょっと「おお~!」という感じでした。いえ、その要素を加えなくても、十分に気持ち悪くて面白いです。毒々しい色合いの、その毒々しさが乱歩らしくて良いですね。

「瓶詰の地獄」は、物語の構成も展開も、なかなか面白かったです。夢野久作については、何となく読み辛そうな印象がありましたが(しかし実際に読んだことはまだない)、そんなこともなく、すらすら読めました。あの盛り上がり方はいいですね。

「白蟻」は、すごく気持ち悪かったです。話の内容もそうですが、思考の流れというか、妙な符合が次々と繰り出されて、どこまでいくのかとても心配になりました。登場人物がいつも一人で突然納得し出すので、何がなんだかわからないけれども、とにかくもの凄い迫力は感じました。小栗虫太郎は他のも読んでみたいけど、この感触ではどうやら大変そうです。

「零人」は、幻想小説のようで、わりと探偵小説でもあったりして意外に面白かったです。花のイメージが豪華絢爛です。

「猫の泉」は、猫に惹かれて読みましたが、実はあまり猫が出てきません。意外とさっぱりとした物語ですが、微妙に面白いです。この微妙さ加減は、私はまあ好きですね。

「深淵」については、面白かったのかどうかさえ、分かりません。だいぶ疲れていたからかもしれませんが、話についていけませんでした。未熟です。そのうち読みこなしたいと思います。

島尾敏雄の「摩天楼」は驚く程に面白かったです。このスピード感はたまりません。そしてこの密度。夢の中の町NANGASAKUの夜にそびえたつ摩天楼を、主人公は飛行しながら見物します。そのあたりの描写がまさに夢っぽくて良い感じでした。うまく言えませんが、なんだか衝撃的に面白かったです。最後の一文が凄い。うーん、凄い。

「詩人の生涯」は涙が出そうなくらいに美しかったです。やはり安部公房は詩人だよなあと思います。なにが凄いって、このシンプルな日本語の美しさ。いまのところ、どれを読んでも、この人の文章はさらさらとした印象です。好きだなあ。素敵だなあ。物語のなかの「詩人」の役割も良い。短いけれど、とても印象的なお話でした。

三島由起夫の「仲間」は、どういう意味が込められていたのでしょうか。よく分かりませんでした。でもなにか面白いから不思議。壁掛や着物を丸めて煙草として喫うのは気持ち悪そうですが、気持ちの良い煙でいっぱいになると言われるとそうなのかなと思えます。

「人魚紀聞」は、文体が面白かったです。デスマス入り乱れ調なのは、意外と新鮮でした。物語も、ゴーチェ風の超絶美人と彼女に魅入られた男を登場させるあたり、ほんとにゴーチェの「死霊の恋」っぽい。というか、どう見てもクラリモンド。薄暗くて良い香りのする雰囲気は、しかし非常に魅力的でした。私はこういうのが好きですねー。

「マドンナの真珠」もわりと面白かったです。飛行機が墜落し、海に遭難した若い女三人と男の子一人が、亡者の船に助けられるというお話。亡者の生前の経歴や、亡者になってからの苦しみや生者に対する憎悪の叫びなどがかなり興味深い。質感や色彩が鮮明でした。

「恋人同士」は、「猫の泉」よりも猫の物語でしたが、かなりセクシャルなので、お子さまは読んではいけません。いやまあ、読むくらいはいいかもしれませんが、なかなか刺激的ですね。そして少し悲しいようなお話でした。倉橋由美子は『スミヤキストQの冒険』というのが、タイトルが面白そうなので読んでみたいところです。

「ウコンレオラ」は、なにがどうなのかさっぱりでしたが、何となく作者の言いたいことは分かるような分からないような。面白さを実感できるほどには、読み深めることができませんでしたので、これはまたいずれ読み返しましょう。



寒い

2006年12月28日 | もやもや日記
今日はとっても寒いです。雪が降るかもしれません。

最近のこのブログは、「もやもや日記」ばかりで一層詰まらないので、そろそろ読書のレビュー(というほどのものでもないですが)を書こうと思いつつ、途中で断念。時間が足りませぬ。今日で今年の仕事納めだったので、これから徹夜で漫画を読みにいきます。あれを読まねばならんのです。

ということで、明日こそは、『暗黒のメルヘン』の記事を仕上げます。

メリー クリスマス

2006年12月25日 | もやもや日記
昨日、お友達のMKちゃんからクリスマス・カードが届きました。こんなのを貰うのは久しぶりだぜ! 超うれしい!

ご覧の通り、開くとクリスマス・ツリーが立ち上がります。オオ~! 素敵! 閉じた状態の表面には、キラキラした緑色の地に金色の星型が入っています。おっと、これまた私の好きな緑色と金色の組み合わせ。なんて素敵なんでしょう!

MKちゃん、どうもありがとう! 私は今年はクリスマスらしいことは何にもしなかったけど、おかげさまでかなり「それらしい」雰囲気を味わえました♪ マンションの入口の郵便受けのところで(ひとりで)小躍りしましたよ。


さて、そんな感じで、24日はクリスマス・イブだったんだなー、と月曜になってしみじみ思い返していたところ、高校時代の友人からメールが届きました。なんと彼女はイブにめでたく男の子のお母さんになったらしい。めでたい! お盆に帰ったときは会えなかったので、私は今日まで彼女が妊婦さんだったことすら知りませんでしたが、無事にご出産を終えられたとのことで実に喜ばしい。今年は、高校時代の友人たちが次々と赤ちゃんのお母さんになりました。良い1年でしたねー。今度みんなで会うときには、きっと小さい人たちも一緒に連れてきてほしいものです。


ところで、話は変わって、昨夜の「M1-グランプリ」はチュートリアルが優勝でしたね。私はチュートリアルも麒麟も笑い飯も同じくらいに応援していたので、笑い飯は本選に残ることが出来ず、実に残念でしたが、チュートリアルが優勝したのはうれしいです。チュートリアルは昨日もすっげー面白かったですし、納得の結果と言えましょう。麒麟も惜しかったですね。また来年が楽しみです。

冬はこの木

2006年12月24日 | もやもや日記
近所のビルの植え込みに、柊が植えられていて、しかも花が咲いていたので撮影してきました。目立たないのであまり気が付きませんでしたが、注意して探すと、あちこちに植えられていたということに気付きます。

このあいだの金木犀の時期に、ついでに調べてみたら、今まですべて銀木犀だと思っていた樹のうちにも、銀木犀と柊、さらに両者の間の子の柊木犀という種類があるということを知りました。花はいずれも白いんです。葉っぱのトゲトゲがより尖っているのが柊だそうなので、今日見てきたのは柊か柊木犀でありましょう。

白い小さな花の香りは、金木犀に比べるとほとんど無いといってもよいほどに控えめですが、爽やかな気持ちの良い香りがします。

それから、柊と言えば何故か「冬」というイメージがありました。冬のイベントではなにとあのトゲトゲした葉っぱを目にしますよね。クリスマスケーキに飾られていたり、正月のお飾りに使われることもあると言うし、節分にイワシの頭を挿しておくのは柊の枝です。葉っぱがトゲトゲしているものには魔よけの意味が込められていることが多いので、柊にもそういう意味がありそうです。冬は寒くて悪いものも寄ってこないように寒くて何もやる気がしなくなる私などは思ってしまいますが、意外とそういう寒い季節ほど気をつけたほうがよいのでしょうか。そう言われると、そんな気もしてきた。

それはさておき、よく見ると、そもそも柊という字からして「冬の木」と書いているではないですか。気が付かなかった。どうりで「冬」な感じがするわけだ。

ザッへに帰れ

2006年12月23日 | もやもや日記
今朝は、起きるなり、昨日の晩に録画しておいた「NHKスペシャルーロシア・蘇る大国」を見ました。よりによって、朝起きるなり、その番組ですよ。そして、それがきっかけで、そのまま「朝から生討論!」に発展。気が付けば、軽く正午をまわっています。もう13時じゃないか! 声も涸れるわけだぜ。しかし、たった半日の討論で疲れを感じるとは、私も衰えたものです。

さて、番組では現在のロシアの経済がどのような状況にあるのか、資本と権力の関係はどうなっているのか、そしてロシアはどこへ向かおうとしているのかということなどについてまとめていました。近年、突然沸いて出た富豪たちは、高級品に群がり、富豪とまではいかないもののようやく羽振りがよくなってきた株屋の男性などにとってはロシアの未来は明るいようです。
そのような物質的な豊かさをもたらしたプーチン政権を熱狂的に称賛し支持する「ナーシ」と呼ばれる若者の集団についても取り上げられています。思い込みや決めつけによって安易に判断することは避けたいところですが、直感的に「まるでヒットラー・ユーゲント」と思います。もちろん、決めつけは良くない。ところで、この「ナーシ」の幹部になると、「ガスプロム」の株券が貰えるらしい……。うーむ。
その一方で……。

という感じで、非常に興味深い番組でした。未見で興味のあるかたは再放送でごらんになるとよいでしょう。


さあ、この番組が土曜日の私に火をつけたのは、言うまでもありません。「労働」「資本」「権力」「権益」「搾取」などなどの言葉は、私の着火材です。すぐに燃えますよ。
私はもちろん資本主義が悪いなどと言うつもりは毛頭ありませんが、金を余るほどに持った人々が、個人的な欲望を剥き出しにしては、せっかくの資金をろくでもないことに使っているのを見ると、暗澹とするだけです。これは、私個人の問題でもあります。額の多少はあれ、金というエネルギーを何に使うのか。1億円の携帯電話(番組で紹介されてましたが、とても金ピカなんです。あれを耳にあてて通話するのは、さすがにちょっと恥ずかしいと思うくらいに)を買って、そのことで人類の未来が少しでも明るくなるのか、ということです。この問題に関しては、私自身としても猛烈に反省すべきところです。そんなことに金を使って、いったい何になるというのか。薬の研究とか、宇宙開発とか、そもそも教育とか、使うべきところは沢山あるというのに。

他人が欲望を丸出しにしているのを見ることほどみじめなことはないのではないでしょうか。それはまるで私の姿。私も恥ずかし気もなくそんな面をさらしているのだと思うと、実に辛い。そして、私をさらにみじめで悲しいものにするのは、欲望に目がくらんでいる間は、人類の未来どころか他人の目すら問題にならないということなのです。なんという恥知らずだろう。浅ましいことだ。

そうやって、復讐に燃えたり(なぜか日本の年金問題や労働問題にも議論が発展。私は怒りのあまり、仮想の皇帝となって粛正の雨霰を降らせたのでした。なかでも、そのときは冴えた思いつきだと思えたのは、儲からないと分かっていて就職したはずなのに、どういう錯覚からか予算を盛大に私的流用する公務員(ほんのわずかであると信じるが)や、二言目には「即戦力求む」と言っては人間を育てようとせずに一攫千金を狙うかのごとき資本家を、みんな集めて、廃坑になった金山での強制労働に就かせ、それほど言うならその夢を現実にしてやり、リアルに一攫千金のチャンスを与えようという「慈善事業」の計画です。結局いつものように、私が皇帝になったら大変なことになるだろうという結論で落ち着きましたが)、また一方では私自身の、あまりにも欲望に狂わされがちな心の弱さ(まず激しやすいというところが致命的)をしきりに猛省するうちにたどりついたところが、ある人の遺した言葉「仕事(ザッへ)に帰れ」ということです。

ドイツの学者マックス・ウェーバーは名講演『職業としての学問』のなかで、こう言いました。

”「日々の要求」に--人間関係のうえでもまた職業のうえでも--従おう。”
                  (尾高邦雄訳 岩波文庫)

と。それが人類に進歩をもたらすだろう、考えられるうちでもっとも確実な生き方。思想や、強烈な力を持った指導者などを安易に求めずに、地道に自らの進むべき道を、必要なものだけを自力で用意して携えて行く。なんという単純さ。そして、ここには悲しみがない。どこからも誰からも奪って来なくて良いのです。受け継ぐことはあっても。
当時のドイツでは、さきほどのロシアの若者集団「ナーシ」ではありませんが、事実や学問のかわりに認識や体験、政策を求め、それを与えてくれるような急進的な指導者を求める若者が存在し、この講演はそんな彼らにたいして語られたものだそうです。

私の理解力は足りていないかもしれませんが、これはヴォルテールの『カンディード』にも似ているような気がしました。主人公カンディードは(また作者のヴォルテール自身も)、ありとあらゆる思想を考え抜いた末、最終的には畑を耕していました。そして、空いた時間に議論をしたり、本を読んだりするのです。なんという確実な生活。

自分にできること、やるべきことをやらずに、楽をしてどこかから誰かから奪ってこようというのは、私には滅びの道であるようにしか思えません。どうでしょうか。



私は、さっそく来年の目標を「ザッへに帰れ!」とすることにしました。私はもっと、本当の意味で自分を支えられる仕事をしたい。それをもっと真剣に考えることにする。明けた瞬間から私の精神世界に劇的な転換が起こった、記念すべきこの一年の締めくくりとしては、まったくなかなか良い考えではないですか。来年も良い年になりそうです。

作業完了

2006年12月21日 | もやもや日記
今年こそはやめに出してしまおうと思って、はりきって図案は仕上げてあったのに、その先はやはりなかなか手を付けられず、それでもどうにか書き上げました。

年賀状のことです。

はー。これで元旦には届くハズ!
去年は暮れが押し迫った時期にようやく投函したら、お正月には全然配達されなかったらしく、冬休みも終わろうかというころにようやく届いたそうなので。その反省を活かし、今年ははやめに出しますよ。明日、ポストに入れるぜ!

それにしても、全部合わせても十数枚しかないというのに、一人一人に宛てて手紙を書くのは少しばかり骨が折れますね。それでも、年に一度のことですし、しばらくお会いしていない方々との唯一の交流の機会なので、大切にしなければなりません。そう思って、がんばって書きました。

あー、しかし、これで今年のお勤めも終わったなー。すっきりしましたよ。あとはほんとにポストに入れるだけ。それだけ……。なのに、例年のことながら、ただポストのところまで行くだけのことが面倒で何日も置いてあったりする…。私ったらダメなやつ……。来年はモノグサを直したい。はは。

混線する

2006年12月18日 | もやもや日記
ある朝のこと。

K:ヘゲモニーって何だっけ?

N:え? ヘモジー?
 (注:懐かし過ぎるプレステのゲーム『アーク・ザ・ラッド』でキャラが罹る症状のひとつ。
   これに罹ると極度にやる気をなくしてしまう。私の普段の状態ではない。断じて。)

K:いや、「ヘゲモニー」だってば。

N:なにそれ、何語?

K:(訊いても無駄と分かったらしく、自分で調べ)ああ、「覇権」ね。

N:へえ「派遣」。それがどうしたの?

K:(なにかの記事を見ながら)いや、こういう人たちに限って、
  「覇権」のことをわざわざ「ヘゲモニー」とか言いたがるんだよな。(朝から因縁つけ)

N:ああ、ソリューションとかのように? わかる、わかる。
  偉そうに「派遣」を「ヘゲモニー」だなんて、なめんな!(なぜか怒り)



*************

そんな微妙に噛み合っていないやり取りのあと、私はいつものように読みかけの本を手にしたわけです。前日の夜に読んだ頁から読み進め、次の頁にさしかかったところ、すぐにある一文が目につきます。

「私はつい先頃この摩天楼でヘゲモニーを握っていたのではないかと錯覚して奇妙な寂寥に落込んだ。」
  --島尾敏雄『摩天楼』より

ハッ! 「ヘゲモニー」! ここでも!


*************

N:ねえ! 君、さっきはこの本を見て「ヘゲモニー」とか言ってたの?

K:え? なにそれ? 知らないよ。

N:だって、ほら、見てよ! ここに書いてあるよ!
  (と興奮して、問題の頁を見せる)

K:ほんとだ。気持ち悪い……。

N:きゃー、不思議だ! なんでだ!? 面白い!


***********

とまあ、こんな不思議なことがありました。面白いですね。しかし、このようなことは実に不思議ではありますが、意外とよくあることでもあります。ちょうどある問題について気になっていたら、開いた本の頁にそのことがやはり書いてあったりすることは、これまでに何度も経験しました。面白いなあ。


***********

N:ふむふむ。何にせよ、意味が分かった上で読めるのはありがたい。
  「ヘゲモニーを握っていたのではないかと……」
  あれ? ……握る…?
  もしかして「ヘゲモニー」って、「派遣」じゃなくて「覇権」?(←遅い…)

『パプリカ』

2006年12月17日 | 映像(アニメーション)
監督/今敏
原作/筒井康隆
脚本/水上清資・今敏
キャラクター・デザイン/安藤雅司
音楽/平沢進
アニメ―ション制作/マッドハウス
声の出演/林原めぐみ・古谷徹・江守徹 他



《あらすじ》
精神医学研究所に勤める美しきセラピスト千葉敦子と天才科学者・時田浩作によって開発された“DCミニ”。患者の夢に入り込み、無意識の世界をモニターすることで治療を行う画期的な装置が、ある日突然何者かに盗まれる。その日を境に、一人、また一人と研究にかかわった人間の夢が犯され、何かが狂い始めていく―。
捜査に乗り出した千葉敦子にも魔の手が迫る。しかし彼女はもう一つ、別の顔をもっていた。他人の夢にシンクロして、共時体験することでトラウマを取り除く、通称“夢探偵パプリカ”。人格を破壊するほどの威力を持つ“DCミニ”を悪用する“夢のテロリスト”を阻止するために立ち上がったパプリカ。
果たして犯人は誰なのか?いったい何のために?
何者かによって操作された夢が現実と交錯した瞬間、物語は未だかつて見たこともない精神世界へ突入し、驚くべき結末を迎えることとなる―。




ついに観に行ってきました。まず印象的だったのは、やはり美しい画面と、それから音楽でしょうか。テーマ曲がとにかくとても印象的です。耳について離れません。あのピコピコ感! うっかり朝っぱらから、このテーマ曲を聴いてしまったら、もう観に行きたくて矢も盾もたまらなくなりました。そして、夜の上映を観終わって、寝るまでの間、ずっとエンドレスで頭の中をぐるぐるしていました。ああ~、やばい。


さて、私は結局、原作を読む前に映画のほうを観ることにしました。原作はやや難解であるという評判なので、いきなり映画を観ても、話が全く分からないのではないかと心配していましたが、100分足らずという短い時間の中にうまく詰め込んであったようなので非常に感心しました。
すでに原作をお読みになった同行のKさんによると、原作の雰囲気が視覚的に十分魅力あるものとして表現されていたようです。全体的な物語の流れも、無理なく簡潔で、未読の私にとっても分かりやすいものでした。

また、映像はサイコ・サスペンスらしく、不気味な迫力、その上に極彩色の美しさ。このあたりは、さすがという感じです。『千年女優』のときも凄かったし。忘れてましたが、『パーフェクト・ブルー』も絵の綺麗さに惹かれてうっかり観たら、すごく怖かったんだっけ……。あれもこの人の作品だったんだな。2面性のある美しい女性が主人公であることが多いようですね。

声の出演は、いずれも豪華キャストなのですが、その方々に混じって、筒井先生がしっかりと声のゲスト出演をされている(しかもなかなか良い役で)ところも素敵。私はこの人のそういうところが、なぜだかとても好きなのです。

というわけで、この映画は面白かったです。いつかもう1回観たいかも。


そして、さあ、原作も読むぞ! あの人とあの人のその後が知りたい。
でもって、映画のサントラとかも買っちゃいますよ。それくらいに、私にしては珍しく音楽の印象が強烈でした。
(現在、こちらでテーマ曲『白虎野の娘』が無料公開されています→ パプリカ・サントラ発売記念 無料配信!

上映回数がまもなく少なくなるようです。大阪の方はこちらへ急げ! → テアトル梅田

→ 『パプリカ 公式ホームページ

アメ雨あめ

2006年12月14日 | もやもや日記
今週は雨ばかりです。
明日はすこし晴れる(注:昨夜の情報。もう当てにならない)というのは本当でしょうか。晴れるといいなあ。


画像は、変更しようとしてやっぱり止めにしたホームページの目次。キツネはなぜか傘をさしています。雨が降っているのかどうかは暗くてよくわかりません。大きな木の枝から吊りさがったランプに火をともすと、雨がパラパラと落ちてくるところが見える、というフラッシュ付き目次にするのも良かったのかもしれませんが、それはあまりに煩わしいですね。

というわけで、ボツになりました。しかし、せっかく描いたのにもったいねーので、なにかに流用したいところです。