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もやもや日記

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一転して寒い

2007年09月29日 | もやもや日記


昨日は、すごく暑かったんです。
それで、ひどくいらいらしました。
もう暑いのは我慢ならないのです。


ところが、今日は朝から突然に寒いです。
九月も終わりです。


それだけです。

今朝起きるなり、ふと気になりました。
結論のない文章は避けられるべきものだろうか。
結末のない物語でも面白いものはあるのに。
だけど、そういうものからはたしかに
激しい感動が得られることは少ないかもしれない。
止まらない涙とか、抑えられない笑いといった
激しい感動をもとめたがるのは、心が平和な証拠だろうか。
しかし、結末のない物語を楽しむことができるというのも、
心が平和な証拠ではなかろうか。


頭のなかが鳥のことでいっぱいです。



『銀河ヒッチハイク・ガイド』

2007年09月27日 | 映像
《あらすじ》
ある日、突如として上空に現れた巨大宇宙船。ヴォゴン人建設船団と名乗る彼らの目的は、地球を爆破すること(バイパスを作るため)。一方的な予告の後、地球の歴史は一瞬にしてその幕を閉じた…。運命のイタズラで“最後の地球人”となった平凡な英国人アーサー・デントは、実は異星人であることが発覚した友人フォードと共に、宇宙で生き抜くサバイバル術とクールな風刺に満ちた銀河系最大のベストセラー《銀河ヒッチハイク・ガイド》を頼りに、前途多難な旅へと飛び出すことに! そこで待ち受ける不条理にして気が滅入るキャラクターや、常識ではあり得ない事件の数々。そして旅の行く末に明らかになる、地球誕生にまつわる驚愕の《真実》とは…!?


《この一言》

“よく知られた事実だが
 ものごとは外見どおりとは限らない

 例えば

 地球上で一番賢いのは
 自分たち人間だと思っていた

 3番目ではなくだ           ”


 



うーむ、英国だなあ! 実に英国的なセンス! どうしてここで笑えるのかは理解できないけれど、つい笑う。面白いなあ。
しかしこの笑いは、朗らかで陽気な笑いというよりは、どちらかと言うとニヤリという感じ。間抜けな他人の可笑しさを笑うのみならず、それが自嘲的な笑いに繋がっているんでしょうか。自嘲や皮肉は笑えますね。そのあたりは今後ちょっと分析したいところです。


このあいだ私が買った『ライフ・アクアティック』のDVDの冒頭に、この映画の宣伝が入っていて、私は以前からこの作品の評判を聞いていたこともあり、映像も面白そうなので観たいなーと思っていたら、一緒に『ライフ~』を観ていたK氏がDVDを買ってきてくれました。

さきほども述べましたように、実に英国的な笑いが満載の愉快な作品でしたが、細かいところで不明な箇所がいくつかあったので、やはりここは原作を読まねばなりますまい。でも、あまり深いことを考えなくても十分に面白い映画でした。

何と言っても、《鬱なロボット》マーヴィンのキャラクターが最高です(声をアラン・リックマンがやっているらしい。いいなあ…)。もう、マーヴィンのそのフォルムからして鬱であります。悲しげ過ぎますよ、顔が。猫背に加えて肩も下がっちゃってるし。ぷぷ。すごいデザインです。
宇宙船のメイン・コンピュータが反対に陽気過ぎるのがまたウケる。面白いなあ。
宇宙の究極の答えを弾き出したスーパーコンピュータのデザインもすごく可愛い。頬杖をついたオオサンショウウオみたいで。


そもそも冒頭のイルカの歌からして面白い。

♪ さよなら 魚をありがとう ♪

ああ、イルカっぽい! わかる、わかる! 言いそう~。
『銀河ヒッチハイク・ガイド』の裏表紙には“慌てるな!”と書いてある…というところにも大ウケです。このあたりが「やっぱ英国」だと思いました。何をもって「やっぱ英国」なのかは説明できませんが、なんだか「やっぱ英国」…なんですねえ。面白いわ。


物語は、笑えるだけではなく、ちゃんと見どころも作ってあって、やはり一番の注目点は地球誕生の秘密が分かる場面でしょうか。あそこは壮大に美しく作ってあって、とても感動的です(やはり少し笑えるところもあるけれど)。

やっぱ原作を読もうっと。
続きも気になるし!
「42」には結論が付くんですかね? 気になる~~。


ところで、バベル魚が欲しい。可愛い。しかも便利。
耳から脳内に侵入してあらゆる言語を翻訳する性質があるんだそうです。いいなー、これは欲しい!


9月23日 明石・神戸

2007年09月26日 | 旅の記録
小学校からの友人であるMちゃんとKちゃんが関西へ遊びにきてくれた。私もついでに誘ってくれたので、彼等の旅行の初日に同行させてもらった。どうもありがとう!


12:37 大阪駅

二人の乗る特急列車を待って大阪駅のホームでぼんやりするものの、実は何番線に到着するかが分からず少し慌てる。
別に慌てなくてもよさそうなところだが、大阪ですぐに乗換えて三ノ宮まで行かなくてはならないのであった。12時半をまわっている。三ノ宮には13時過ぎには着きたいらしい。ランチのラスト・オーダーが13時半なのだとあらかじめ二人から予定を聞いていた。
特急列車は私が「ここへ着くだろう」と当たりをつけて待っていたホームではなく、2本向こうのホームへ入ってくるのが見えたので、私は階段を駆け降り、また駆け上がった。
列車から降りたMちゃんとKちゃんは、すぐに私を見つけてくれた。
三ノ宮へ向けて、さっそく新快速に乗換える。

13:05 三ノ宮駅

三ノ宮を降りて、すぐに目的の店を目指す。時間はあと30分を切っているが、駅からはさほど遠くないはずだった。
しかし、私としたことが地図を見せてもらったにもかかわらず、道を一本間違えてしまった。そのため、13:20 になってもまだ店が見つからない。私とMちゃんは半ば諦めていたが、Kちゃんはがんばっていた。
結局なんとか軌道修正し、滑り込みでお店に入ることができた。良かったね、Kちゃん!

ランチは豪勢に神戸牛のステーキをいただく。



うまい!
ステーキはもちろんのこと、その前に出されたスープがとてもおいしかった。
おいしい。
他に言う言葉はなかった。こんなご馳走は久しぶりなので、私はちょっとうろたえる。牛肉…いつぶりだろうか……。先月…そうだ先月だよ。と心の中でひそかに考えながら、ありがたくいただく。(ちなみに普段は金がないから牛肉を食べないのではなく(…ないこともないが)、私は豚肉派なのであります)
ごちそうさまでした。がんばって走った甲斐があったと思う。


14:50 垂水へ

昼食後、この晩は二人は三ノ宮に泊まるそうで、ホテルは神戸牛のお店からも近かったので、いったん荷物を預けに行くことにした。
そのホテルはやたらとヨーロピアンな雰囲気で、結婚披露宴なども盛んにやっているらしく、次から次へと若い花嫁さんが出たり入ったりしている。このあいだ紀香さんが結婚式をあげた生田神社もすぐそこにある。
私はお客ではないが、二人について部屋まで上げてもらうと、こじんまりとしているけれど、なかなか洒落た部屋だったので私も泊まりたくなる。旅行に行きたい。うらやましい。

荷物を置いて、本日の計画ではこれから明石のほうにあるアウトレット・モールへ行くことになっている。
さっそく電車に乗った。それにしても、暑い。

15:40 ポルトバザール

三ノ宮から快速で20分ほどの垂水駅で降りると、すぐ近くにそのアウトレットがある。ここは海にほど近い場所で、明石大橋が間近に見える。これを渡ると淡路島なのである。来る度に「こんなところまで来てしまった…」という気持ちになるが、大阪からは実はたいした距離ではなかったりする。




私とMちゃんはここへはこれまでにも数回一緒に来たことがあるのだが、Kちゃんは初めてである。私とMちゃんとで「結構広いから、時間が足りないかもね」と話し合うものだから、Kちゃんの期待は膨らんでいるようだ。我々がこれまで来たときにはいつも意外と時間が足りず、帰り際まで慌てていたのだった。
そういうわけで、店に入るなり「じゃあ、2時間後にここで集合しようか」ということになり、
「では、健闘を祈る!!」
「オー!!」
と言い合って、個別行動に突入した。ろくに案内もしないで、ごめんね、Kちゃん…。Mちゃんはともかく、私などは来ようと思えばいつでも来られるくせに、自分のことで頭が一杯だった。カーディガンを買わねばならなかったのです…。ほんとゴメン。

3連休の中日だけあって、敷地内の人口密度は非常に高い。すし詰めになっているお店も多く、個別で行動するのはなかなか合理的だったかもしれない。ひとりでいても、手に取ってよく見ることができなかったりする。
一通りまわってみて、私は今回もやはりいつも行くお店で買い物を済ませた。笑顔の素敵なお店のお姉さんが明るく品物を薦めてくれたせいか、わりとすぐに決まり、この日はこれですでに満足した。

待ち合わせ時間になったので集合場所で待っていると、Mちゃんが来た。手にはいくつか買い物袋を持っている。それからKちゃんが来た。手ぶらである。焦っている。
私も前回だか前々回だかには、「せっかくここまで来たのに何も買ってないヨ!」といってパニックに陥っていたので、Kちゃんの気持ちがよく分かる。でも、まだ時間があるのでとりあえず休憩することにした。が、休憩もそこそこに、Kちゃんは「じゃ、あとでまた!」と、駆け出してゆく。うんうん、分かるよ、その気持ち。がんばれ!

19:00 まだポルトバザール

私は目的を果たしていたので、余裕をもってあとはMちゃんやKちゃんにお付き合いをした。二人とも、最初の休憩のあとは順調に欲しいものを買えたらしい。良かった、良かった。
このところすっかり日が短くなって、6時を過ぎると暗くなる。閉店時間までじっくりと見てまわった。明石大橋には緑色の灯りが橋のかたちに連なって点っていた。

20:45 三ノ宮

アウトレットは20時で閉店し、我々もどうにか買い物が済んだので、三ノ宮へ戻ることにする。
女の子が3人集まると賑やかになるもので(全員30過ぎていて《女の子》とはいかがなものかという気もするが、それはさておき)、「何買ったの?」「良かったね!」とお互いに健闘を称えあったりする。
私は「カーディガンを買えたよ! ……でも実は………カーディガンしか買ってない…。なんかカーディガンばっかり4枚も買っちまったよ………しかもそのうち2枚は色違いだし…‥」というアホな報告をする。二人とも笑ってくれたので、カーディガンばかり買って馬鹿じゃなかろうかと落ち込みかかっていたが、気が晴れた。欲しかったし、必要なものだった(力説ポイント)んだから、しかたない。うんうん。そうよね。
MちゃんとKちゃんも満足そうだったので、良かった。

しかし、たまに買い物をすると異常に楽しかったりするのは何だろう。


4枚のカーディガン。長いもの2つが色違い。
綿素材が3つと、シルク/カシミアが1つ。


三ノ宮ではお好み焼きなどを食べた。
夜までわいわいと楽しく過ごせて、充実した一日だった。
MちゃんもKちゃんも、どうもありがとう!
また遊びましょう☆



【余談】
二人と三ノ宮でわかれたあと、私はJRで帰ったが、新大阪で降りればいいものをなぜか手前の大阪で降りてしまった。終電までそれほど間がないというのに、無意味な遠回りである。この日の私は最後までこんな調子でどうにも判断力が冴えなかったのでした。やれやれ。でも楽しかったからいいか。


『ライフ・アクアティック』

2007年09月25日 | 映像
ウェス・アンダーソン監督


《あらすじ》
世界的に有名な海洋探検家にして海洋ドキュメンタリー監督のスティーヴ・ズィスーは、ある意味、人生の危機を迎えていた。ここ数年ヒット作に恵まれず、資金繰りがきつい。おまけに、撮影中に長年のパートナーが幻の怪魚”ジャガーザメ”に喰われてしまった。なんとしても仲間のリベンジを果たし、自身の名声をも取り戻すため、ズィスーは新たな航海に出ることを決める。
突然名乗り出てきた昔の恋人の息子ネッド(自分の息子?)や、取材に押しかけた女性記者ジェーンも加わって、探査船ベラフォンテ号は運命を賭けた航海に乗り出した。しかし、そこには思わぬ”悲劇”が待ち受けていた。

《この一言》
”シロイルカは偵察隊だ



 知的な動物というが
 証拠はない        ”



うーむ。面白い。おそらく面白いだろうと思って観たけれど、やはり面白かった。さらっと面白いから凄い。


ウェス・アンダーソンの新作が廉価版で出ていたので買いました。『天才マックスの世界』と『ロイヤル・テネンバウムス』をミックスして海の中へ放り込んだようなお話でした。要するに、いつもどおり面白かったのです。常連のビル・マーレーのほかにウィレム・デフォーやジェフ・ゴールドブラムやケイト・ブランシェットなどが出ています。さりげなく豪華キャストなんです。でもって、ウィレム・デフォーは良かったです。

とにかくこの監督の映画は、画面があまりにハイセンスなので降参です。小道具やらセットやら衣装やら何やら、とにかく配色が奇麗です。参りますねー。

そして物語。
『ロイヤル・テネンバウムス』でもそんな感じでしたが、「父親とは」というようなことがテーマのひとつです。お話の構造的にはアルモドバルの『オール・アバウト・マイ・マザー』に近いものがあるかもしれません。いなくなるものがあれば、新しく生まれてくるものもあり、というような。
基本的には、細かい笑いのポイントがそこここに仕掛けられた愉快なお話なのに、同時に物悲しさも随所に溢れ出ているという、どうしてこんな脚本がかけるのかとこれまで観た作品と同じようにまたしても唸らされました。


今回は私同様にウェス・アンダーソン好きのK氏とともに鑑賞しました。
エンディングはちょっと可笑しいところもあるのですが、ひそかに私は泣きそうになってしまいました(『ロイヤル・テネンバウムス』のときは、ちなみに号泣でした)。まいりますね。そういうところが上手い。かなわんな。

一番笑えた場面を挙げようとすると、色々ありますが、偵察隊のシロイルカが登場する場面でしょうか。引用した《この一言》には、普段からイルカの可愛こぶったところとある種の人々の「イルカの知性」への妙な信仰というものが許せないらしいK氏も、まあ許せないほどではない私も思わず納得、そして間抜けな顔つきがやはり可愛いので爆笑でした。
イルカのほかにも、家の中を小鳥が自由に激しく飛び回っていたり、「スノーマングース」という謎の生物や、物語の本筋に関わる「ジャガーシャーク」など、興味深い動物がたくさん登場するのが、見どころのひとつでしょう。

面白かった。



『真理先生』

2007年09月22日 | 読書日記ー日本
武者小路実篤 (『武者小路実篤集 筑摩現代文学大系19』所収)

《あらすじ》
私(山谷五兵衛)はある時、真理先生と知り合う。家族もなく金もなく、何も持たぬ真理先生はしかし大勢の人々が彼を慕って集まってくる。私は真理先生とつきあううちに少しずつ世の中に対する見る目を変えてゆき、この世間には存外いい人が多いものだと感じるようになるのだった。


《この一文》
”「今時に金がなくって生きられる人は先生の他にはないでしょう」と言ったら、
 「実際僕は運のよすぎる人間だ。ありがたいと思っている。僕のような我儘な人間が、皆に愛されると言うことは、実にありがたいことと思っている。僕程仕合せ者はないとよく思う」
 真理先生は、涙ぐみながらそう言った。
 聞いている僕の目も涙ぐんで来、いい人だと思った。  ”



はっきり言って、真理先生というのはただのろくでなしじゃないか。
そうとも言える人物です。だがしかし、このさわやかさは何だ。
この人の言うことに惹かれてしまうのは、どうしてだろう。
私は先生のようないい人ではないけれど、真理先生の考えには9割がた賛同する。
同じ思想を持った同族であるとほぼ言っていいかもしれない。
胸がいっぱいになる。


真理先生は、かつて妻に逃げられた上に、はじめから儲からなかった仕事もついにはしなくなるものの、今では彼を慕う人々が身の回りの世話をしてくれるので自分では一切お金を持たずに済む生活をしています。真理先生と呼ばれていますが「真理」についていったい何を話すのかと言うと、彼は単に真心を持って、相手を好きになって、正直に自分のままで居ながら、いろいろなことについての自身の考えを話すだけなのでした。しかし、そういう彼の態度に多くの人が心惹かれ、ある種の宗教的光景が真理先生のもとで繰り広げられるのです。

私は真理先生の「人類の平和を心から願っている。具体的な方法としての提案はないけれども、とにかく心から願っている」という考えは甘いにもほどがあると思いはしますけれど、だけど悪くないと思います。いえ、実に素晴らしい考えだとさえ思います。だって、彼は、人類を信じているのです。人間のなかの暴力や残虐を恐れ憎みつつ、しかし人類の幸福な未来を信じているのです。信じるだけでいい、ただ心から信じるのだ。そうやって一心に願う人間による行動はどういうものであれ、きっと人類の幸福に繋がるはずだ、そういう人間があらゆる方法であらゆる方向から進めばそれでいいのだという彼の思想に、私が反論する余地はありません。ただ涙が出そうになるだけです。



このような真理先生に触れることで、物語の語り手である山谷は変わっていきます。山谷が変わるにつれて、彼が当初から交遊していた友人のへたくそで売れない画家 馬鹿一、書家の泰山、泰山の兄であり売れっ子画家の白雲子という人々にも変化が見られるようになります。

驚くのは、この物語には悪い人物が登場しないことです。というか、いい人しか出てこない。変わり者もいれば俗物もいるし、他人の悪口をついつい言ってしまう人もいるにはいるのですが、誰も彼もそう悪くもない、むしろちょっといい人なのでした。山谷はそれまでにはそのことに気が付かなかったのですが、次第に人々の美点というところに目が向き始め、自らもまた素直になっていくようです。最終的には山谷を中心として、登場人物は全員幸せな結末を迎えることになります。なんというポジティブ。

この物語の登場人物として、実は私が真理先生以上に魅力的だと思うのは、画家の馬鹿一。彼は40年ほどの長い年月を石ころを描くことに費やし(しかも下手)、友人たちからも軽蔑されている奇人です。彼はしかし非常なひたむきさをもって絵に取り組み、あるきっかけによってとうとうその真価を発揮するようになるのですが、そのあたりがとても感動的です。こういう人物がいたっていい、と思います。



武者小路実篤と言えば私は『友情』しか知らなかったし、またそれしか読んだこともない(しかも内容はさっぱりと忘れた)ですが、こんな清々しい物語を生み出すなんて素晴らしい人です。真理先生のような人物、それはつまり作者のような思想を持つ人物はたしかに過去に存在し、それを理解したいと思う私のような人物が現在にも滅びずに存在するわけです。そのあたりが不思議です。どういう理由でそういう《具体的、直接的には何も出来ないにもかかわらず、人類の幸福な未来という身の程を超えた壮大な空想》をする人間が世の中に発生するのでしょうか。やはり何か必然があるのでしょうか。

ちなみに私はこんなことを考えてしまう種類の人間です。

【2006/04/06 「美しさについてまだまだ考える」より】
私は「なにもかもが美しい世界」というものを夢見ているのですが、それは花や絵を見た時に感じるあの強烈なインパクトが常に持続することではなく、あらゆるものがそのものとして存在していることの確実さを、全てはある原理に則っているということを完全に認識できるような世界のことです。

そこでは何も花がいつまでも咲き続ける必要はありません。芽が吹いて、そのうち花が咲き、そして散ったあとには実がなった。その確実さ。もしくは、芽も出ないで、花も咲かず、実もならなかった。そのどうしようもないまでの確実さ。全てのものごとには然るべき理由がある(つまり世の中には無駄なものなど何ひとつないとも言えるかもしれません)ということが真理であったらよいのにと私は憧れているのでした。



上に私の取り留めもない文章を敢えて再録したうえで、最後にこれは100%私自身の考えでもあると思った箇所を引用しておきます。これは私にとって、この世界には肉体の血族のみならず、精神の血族というものも存在するということを証明するためのひとつの材料ともなるでしょう。


” そして何とかして人生は無意味なものではない、空虚なものではない。生き甲斐のあるものだということを自分で信じ切りたいと思っているのです。さもなければ生きていることはあまりに空虚で、淋しすぎます。そうはお思いになりませんか。
 しかし人生と言うものがどうしても肯定出来ないものなら、それも仕方がないと思うのですが、私はそうは思わないのです。
 人間は無意味に生まれ、無意味に死ぬものとは思わないのです。私は人間に生まれるべくして生まれ、死すべくして死ぬものだと思われるのです。花が咲いて散るようなものです。咲くのも自然、散るのも自然、自然は両者をよしと見ている。私はそう考えているのです。
 つまり私達は生まれるべくして生まれたのであります。この世に奇蹟が行われないとすれば我々は、生まれるべくして生まれたのであります。善悪正邪以上の力で人間は生まれるべくして生まれたのであります。
 (中略)
この力を私は知らないのです。しかしその力を私は信じるのです。

              ―――『真理先生』より   ”


それはあるいは真理である

2007年09月20日 | 読書ー雑記
私はときどき人から「どうやってそんな(見たことも聞いたこともない)本を読もうと思うのか?」というようなことを聞かれることがあります。

そういった質問に対して私は「読んでみたくなるから」という実に簡単明瞭な回答をいたすのですが、あまり納得してもらえないこともあります。たしかにこれでは納得できないかもしれません。

もっと詳しく言うと、図書館や本屋の棚の前をうろうろしていると、ひとりでにある書物が私の前に現れて「読め」と言ってくるのです。精神の世界なのです。そういう本は、読んで間違いはありません。それはもう絶対です。しかし、同じ本でも「読め」と言ってこないときもあります(そういうときのほうが多い)。不思議なんですけど。

上のような説明ではまだ納得できないでしょうか。もうちょっと言います。
あるいは私もごく普通に、いろいろな方がなさっている本の紹介を読んだりするので、「なるほどー」とか「面白そうー」とか思ったりするわけですが、そのなかでも特に「これは!!」というものが、そういう瞬間があるのです。そういう本も、読んで間違いはありません。それはほとんど絶対です。

そういうわけですから、私が読む本には面白くないものはないのです。いえ、面白いから読むのです。
では、読んでみて面白くなかったことはないのかと言われれば、実はあります。しかし、そういう本というのは、私が「それほど読みたくないけど、教養のために」とかなんとか消極的な気分で読んでしまっている場合に限ります。これはほんとうにそうです。
つまり、「読みたい」という気にさせる本というのは、もうすでにその時点で面白いので、読んでみてつまらなかったというようなことにはなりません。そして、多くの場合は、私の「面白そうだから読んでみたい」という期待以上に面白かったりします。そのあたりは、私はたいへんに幸運だと思います。

読書を好む多くの方からは賛同を得られるのではないかと思うのですが、そうでない方もこの説明で納得いただけたでしょうか。どうでしょうか。



ところで、こうやって読書をしてゆくと、ある決まった道筋ができてくるようなのです。

私はときどき下に挙げたような暇つぶしとしか言い様のないことを考えたりするのですが、

それはたしかに美しい』(2006年4月の記事)
美しさについてまだまだ考える』(上の翌日の記事)

こういうことを考えるから、そういう本を読むのか、それとも、そういう本を読むから、こういうことを考えるのかは分かりません。ですが、これらはたしかにひとつの繋がりを持っているのです。


先日もまたある物語と出会いました。
武者小路実篤の『真理先生』という小説です。ちなみに最近売れている漫画の『絶望先生』というのをこのあいだ読みました。それが面白かったからこちらを読んでみたくなったわけではないのですが。どこかでこの作品を紹介している文章を読んで、タイトルからして興味を惹かれたのです。

そして読んでみて私は、どうやらあるひとつの道の上を歩いている、あるいはその道から近いらしい脇道を歩いている自分を発見するのでした。私には、これ以上にすがすがしいことはないです。
物語の感想についてはまた後日。


結局のところ、私は怠け者なのでたいして調べもしなければ、探しもせずにぼんやりとうろつきまわり、しかし「何かいいものはないだろうか」と熱望しているところへ、物語は向こうから「お前、私を読みなさい」とやってくるのです。それがたまたま今ではあまり名の知られていない物語であったりすることが多いというだけのことです。そして、向こうからやってくるくらいですから、その物語には何か誇りとか自尊心とか溢れる自信のようなものがあるらしく、実際その通りに立派だったりするので「ほんとうだなー」とか「すごいなー」と言うだけなのですが、成長したがっている私は、私を成長させたがっている物語によって、ちゃんと成長しているのでした。そしてもっとその道へ近付いていく。


分かるような分からないようなことを言っていますが、しかし何かを愛好するというのは読書に限らずいずれもこういう感じになるのではないでしょうか。
楽しくてやっているうちに、なんかこういう風になってた。というような。当人以外にはそれがよく分からないんだけれど、というような。


というわけで、私は必ずしも無名の本をわざわざ選んでいるのではないということでした。むしろ選んでもらっているのは、決定的に無名である私のほうなのだということなのでした。
お分かり頂けたかしら……。

みっちり

2007年09月19日 | もやもや日記

タッパーいっぱいにみっちりと稲荷寿司。
全部は入りきらず、とりあえず8個を詰めました。

昨夜の夕飯には秋の味覚である秋刀魚を焼いてすだちをかけて白いご飯と一緒にいただきました。秋ですね。おいしいですね。

さらに大量にご飯を炊いたので、夕食とは別にお稲荷さんなども作ってしまいました。やる気がありすぎです。
とりあえず、保存するべくタッパーへしまっておきます。

朝になって、10個のうちの2個を食べました。
まだまだ残っているので、今晩は4つ食べる予定です。
そして、明日のお昼ご飯に、残りの4つを食べるつもりなのです。


お稲荷さんは、比較的誰が作ってもおいしくできるので、私が作ってもやはりそれなりにおいしいです。でももっとおいしくなるはずだとも思います。
秘訣はあるのでしょうか。これを入れるとおいしくなる!とか。ちなみに私は飯にはゴマを混ぜています。それは……普通ですね。

秘訣をご存じのかた、こだわりのある方はどうかご一報を★



祝!

2007年09月17日 | もやもや日記
世界柔道の話です。

今年はどうなのか知らないですが、どうやら放送権を持っているらしいフジは長い放送時間の枠のなかで、どういうわけか日本の選手の試合しか放送しないし(そしてそれを何度も何度も繰り返す。私は外国の選手の試合も見たいのだが…)、負けるとお通夜みたいになるのがいつも居たたまれないのですよ。ひょっとしてBSとかCS放送のほうでがっつりと放送されているのかしら。

そもそも、NHKで中継をやらなくなったのはどうしてなんだろう。あのクールな解説と番組進行が懐かしい。

今回の世界柔道は、初っ端で井上さんも鈴木さんも負けてしまったこともあり(しかも悔しい感じで)、私は悲しみのあまりフジで放送されている「世界柔道」の番組を見る気がしませんでした。


しかし、最終日になって、さすがの谷さんが優勝なさったそうです。わおー、さすが!! 産休のブランクもものともしないその強さ! 今日の番組は我慢してでも見たくなりますよ! 凄すぎるよ!
さらに、棟田さんと塚田さんも優勝とのこと。良かったなー! 私は強い上にいつも朗らかで楽しい性格のお二人を以前から応援していたので、超うれしい。やっぱ見なくては。

井上、鈴木をはじめ残念だった選手がたくさんいますが、これからもがんばってほしいところです。
素人の私が見ても、柔道は日本生まれのスポーツでありながら、もともとのルールもスタイルもどんどん変わってしまい、やりにくさが増しているようではあります。一本が決まるときの美しさは、日本の選手だろうが外国の選手だろうが変わらないけれど、それを決める頻度ではやはりまだ日本の選手が上であり、逃げるばかりの選手が増えている(気がする)中で一本勝ちにこだわる精神とそれだけの実力を備えているのはやはり日本の選手に多いと私は思うので、めげずにがんばれ!



ところで、話はまったく変わりますが、私の利用しているこの無料版gooブログでは、毎日のアクセスIP数と閲覧数がどれだけだったのかを教えてくれるのですが、昨日は来て下さったIP数は通常だったにもかかわらず、閲覧数が普段のおよそ10倍。初めて1日で1000を超えました。間違いでしょうか。それとも何かあったんでしょうか。

気になるわ…。

とりあえず、それも含めて、タイトルは「祝!」ということでした。
(偉大な谷選手の V7 と一緒にしてスミマセン…)




【で、フジの放送を見たので追記】


いやー、もう凄かった!
谷さんはやっぱただ者じゃあないですねー。安定しているというか、なんだかんだ言っても相手から技をかけられても慌てたりしないし。速いですよ、動きが。足を持たれちゃってるのに、どうしてあそこから技に入れるのか…。凄かったー。

男子無差別の棟田さんの試合も超絶でした。もう凄げーのなんのって!! 準決勝と決勝しか放送されなかった(フジめッ!)ですけど、その2試合が凄い。華麗な一本背負いを決めるは、すみがえしをかけられるもヒラリとかわすは(あの体があんなふうに宙を舞うなんて、あり得ない! しかも何回も! 思わず「ワーーッ!!」と大声をあげて観戦)、見事な優勝でした。感動!

女子無差別の塚田さんもまた、安定感があってとっても良い試合ぶりでした(決勝まではオール一本勝ち。なのにダイジェストさえ放送しないフジめッ!!!滅びろ)。

惜しくも4回戦で敗退した男子60キロの江種選手に至っては、ほんの15秒の紹介……。ひどい。フジの番組はとことん酷い。

アナウンサーによる谷さんへのポエムめいたメッセージを読む暇があったら、もうちょっとほかの試合の模様も伝えてほしかったなあ。




朝焼けの朝

2007年09月15日 | もやもや日記
今朝は、出たばかりの太陽が、東の空に低くかかる雲の帯を向こうからオレンジ色に照らして、その際のところが白く輝いていて美しかったです。秋の空はいつだって美しい。曇っていたって美しい。だけどやはり思い出すのは晴れた青い空ばかり。


さて、どうして私が早朝に朝日を拝めたのかと申しませば、あそこへ行った帰りだったからです。以下、昨日から今日にかけての要約。


*金曜日:朝
 おとといから微妙に鼻血が止まらない。仕事で下を向くことが多いのだが、そのたびに、また出そうになる。こめかみを血がズキズキと通ってゆくので頭も痛い。能率はまったく上がらない。こんな賃金を貰うに値しない仕事ぶりは、私の美意識を激しく傷つける。よって「午後から早退します!」と元気いっぱいに宣言し、12時で帰宅。
 具合が悪いのは空腹のためかもしれないと考え、おにぎりを4つ作成し、4つとも消費する。満腹。
 気絶。

*金曜日:19時
 え、夜!? ……どうやら気を失っていたらしい…(寝ていたとも言う)。頭痛は解消したようだが、熱があるようだ。体が重いのはそのせいだったのか。
 散歩がてら近所の古本屋へ漫画を買いに行くものの、欲しいものが全くない。どうしよう…明日から3連休なのに……。せっかく出たので、もう少し歩くことにする。
 エレベータの3Fを押すと、「時間は?」と聞かれるので、「ナイト・パック(10時間)でお願いします!」と応える。あれとこれとそれを手に取って、カップにお茶を注ぎ、席につく。
 さあ、読むぜ!!

 そう、ここは漫画喫茶。

 あまりの急展開に動顛してもよさそうな場面だが、それどころではないので、ひたすら読む。読む。


昨日(から今日にかけて)読んだのは、こんな感じ。

★『ホタルノヒカリ』9巻 ひうらさとる
★『STEEL BALL RUN』13巻 荒木飛呂彦
★『BLAECH』29巻 久保帯人
★『鋼の錬金術師』17(?)巻 荒川弘

といういつも通りの作品の最新刊を読む。
さらに今話題の(遅いか?)

★『さよなら絶望先生』6巻まで 久米田康治

★『地球(テラ)へ…』全5巻 竹宮恵子


を読んでみる。
そして

★『アリスにお願い』岩館真理子


なども読んでみる。

ほかにも読んだ気がするけど、お、思い出せない…! また、不覚にも朝4時頃で眠くなってしまい、その周辺のことはよく思い出せない。『ヴィンランド・サガ』を探そうとして、作者の名前が「幸村」氏であることまでは思い出せたが、読みがどうしても思い出せず(……オイ!)見つけられなかった。
やはり熱の影響か……(そんな日に行クナ。満喫し切れないじゃナイカ。と言っても洒落に非ズ)。


読むのが遅い私は今回もあまり読むことができなかったが、目的は竹宮先生の『地球へ…』だったので良しとする。それにしても、たったの5冊しかないのに、あの密度。恐ろしい…恐ろしいお方だ、竹宮先生は! 今の漫画でなら20冊かそれ以上の内容である。これについては、感想をあらためて書くことにする。

あと、意外と面白かったのは『さよなら絶望先生』だった。さっぱりと可愛らしい絵柄からくる予想と違い、かなり辛辣なギャグ漫画だった。笑えないところも多々あり。そこがいいんだろうな。個人的には、毎回の扉絵が非常に洗練されているところがとても気に入った。タイトルも名作文学作品をもじってつけているのが面白かった。アニメ化されるのは分かる気がする。絵がアニメ向き。ただ、続けて何冊も読むのは何故か疲れたので、2巻ずつ小分けにし別の漫画との合間に読んでみるものの、6巻までしか読めなかった。
爆笑したのは第1巻のこのくだり。

♪ね~こ~の 毛皮着る~ 
♪♪貴婦人のつくる スープ ♪

(トロイメライにつけた自作の歌詞)

それから、うろおぼえ皇帝ペンギンも異常な可愛さだった。あれほど虚ろなペンギンはなかなか見られない。


そうだ、思い出した、これも読んだ。

★『エレキング』7巻 大橋ツヨシ


モーニングにて連載中。じわっと面白いので好きだ。おすすめ。
7巻だと思ったけど、実際読んだのは8巻だったかもしれない。
画像を貼ってみたところが、この表紙には見覚えがない……。


まだ読み足りないので、また行かなくてはならない。
と考えながら、私は、昇ってきた太陽が美しく雲を照らしているのを眺めて帰ってきたのでありました。



『ハウルの動く城』特別収録版

2007年09月14日 | 映像(アニメーション)
宮崎駿監督作品 (スタジオジブリ)


《あらすじ》
父ののこした帽子屋で働くソフィーはある晩、荒れ地の魔女によって呪いをかけられ、老婆になってしまう。変わってしまった姿を家人に見られないようにこっそりと家を抜け出し、彼女は魔法使いハウルの城で掃除婦として働くことにする。
一方、外の世界では戦争のムードがますます濃さを増していた。


《この一言》

” 君だ。 ”




特別収録版を買いました。外国語の音声と字幕がついているのです。日本語以外に4つの言語です。しめしめ。これは楽しいぞ。
というわけで、劇場版をすでに観ていることもあり、今回は英語版で観直すことにしました。おや、カルシファーの役をビリー・クリスタルがやっておるではないですか! どきどき。いや、あの見た目が好きなわけじゃないですよ、でもなんかちょっと好きなんですよね(←あ、微妙に失礼なような;)。


観直してみて思うことには、この作品は1度目よりも2度目以降のほうが面白さが増すということでしょうか。結末が分かっているせいか、私などはもう冒頭のソフィーがハウルと出会う場面(ふたりで空中をスイスイと歩く美しい場面です)ですでに泣きそうです。そうか、そういうことだったのか。

最初に観たときも、ハウルの可愛さに悶絶しましたが、今回もまたかなり悶えました。これは私ならずともときめくでしょう。優秀な才能あふれる魔法使いであるけれども、ちょっと駄目なやつ。女の子に振られた悲しみのあまり暗黒を呼び出しちゃったりもするらしい。そして、美形。
……クッ。もしやこれは、罠? 私の心臓を奪おうという算段ね。ああ、でもハウルになら獲られても構わないわ! と勝手に宣言するほどに、すっかり鷲掴みにされてしまいます。

そんな感じで、女の子の妄想を圧縮したようなハウルに愛される主人公のソフィーという女の子ですが、これがまた魅力的なんですね。美しく華やかで社交的な母や妹に比べて、彼女は地味で目立たない少女でしたが、その上呪いをかけられて一飛びに老婆になってしまいます。ところが、そのためにかえってソフィーは活発になってゆくのです。そこが面白い。
このソフィーという人物は、外見もおばあさんから少女までの間をかなり流動的に行ったり来たりし(中年くらいの時もある)、内面的にも変化が激しいのですが、その微妙な移り変わりを効果的にうまく表現してあると感心します。

脇役も良い感じです。
荒れ地の魔女も妙な人物だし(日本語では美輪明宏さんが声をなさっていてとてもぴったりだったのですが、英語版のローレン・バコールさんもかなり良かったです)、ハウルの弟子のマルクルも可愛いし、カルシファーも悪魔だというわりに素直でいい奴だし(ビリーの声もやはり味わいがあって良かった)、ぶさいく犬のヒンがまた……ぶさいくなんだ!
惜しいのは、カカシのカブ。この人物はもうちょっと突っ込んでも良かったかも。でも、あのくらいでいいのかな。


面白かったなー。やっぱり。
宮崎作品のなかではあまり評価は高くないような気もしますが、たしかに『ラピュタ』などに比べると派手さや壮大さは少ないし、もう少し直接的に訴えるようなテーマを掲げたほうが良かったかもしれませんが、だけど私はこの、駿さんにしては控えめな感じのするところが気に入りました。そもそも、ボーイ・ミーツ・ガールはいつものこととしても、ここまではっきりとラブロマンスであるというところからして驚きですし。

なんと言うか、出会いの不思議とか、意志を持つことの意味とか、そういうことを考えたくなる作品ですね。
映像の美しさは相変わらずですし。
高地のお花畑がやばいです。


今度はフランス語で観たい。