半透明記録

もやもや日記

『ムーミンパパ海へいく』

2006年03月06日 | 読書日記ー北欧
トーベ・ヤンソン=作・絵 小野寺百合子=訳(「ムーミン童話全集7」 講談社)


《あらすじ》
ムーミンパパは、ある日、あたらしい生活をもとめ、一家をつれて海をわたり、小島の灯台もりになりますが……。

《この一文》
”「もちろん、わたしたち、いつでもピクニックをしているわけにはいかないわ。ピクニックはいつかはおえなければならないでしょ。あるときふいに、また月曜日みたいに感じるのじゃないかと、わたしはそれがこわいの。そうしたらわたし、いまの生活が現実だとは思わなくなりそうで……。」
 こういってママはだまりこむと、そっとムーミンパパのほうを見ました。
「なに、もちろんこれが現実さ。いつでも日曜日だったら、すばらしいじゃないか。そういう気持ちこそ、われわれが見うしなっていたものなんだ。」
 と、ムーミンパパはびっくりしていいました。
「いったい、なんの話をしているのさ。」
と、ちびのミイがききました。       ”



これまでのシリーズとは趣がやや異なるようです。
一家はムーミン谷を離れ、海の彼方の島にある灯台で暮し始めます。新しい生活に意欲を燃やすパパ、新しい生活を整えようと頑張りながらもムーミン谷を思いホームシックにかかるママ、美しい「うみうま」に憧れながらもモランのことも頭から離れないムーミントロール、いつでもどこでも変わらないちびのミイ。新しい環境は、ムーミン一家にこれまでとは違った関係をもたらします。少しずつ家族がすれ違っていく様は、少し悲しい感じがします。
先日、TV番組で見たのですが、この『ムーミンパパ海へいく』と『ムーミン谷の十一月』は、シリーズの中でも特に大人向けに書かれた作品であるそうです。時が流れて、家族も少しずつ変化していきます。

いつまでも一家の子供と思われていたムーミントロールも、パパとママにとっては確かに子供に違いないのですが、わずかながら青年になる兆しが表れ始めるのでした。彼は、美しく不可解な「うみうま」に恋焦がれる一方で「あまりその人のことを考えてはいけない」と言われている「モラン」とも密かに関わりをもつようになります。家族に対する反抗心も出てきます。
ムーミンパパは、一家のリーダーとして張り切りますが、島の生活は謎と困難に満ちていて、あれこれと上手くいかなくては怒り出し、また、父親らしくふるまうということの難しさを自覚したりします。
ムーミンママは、当初は島でも家族のためにムーミン谷いた頃と同じように生活を整えようと思いますが、そのうちに自分で描き上げたムーミン谷の庭の世界でひとりで過ごすようになるのでした。
あまり変わらないのはちびのミイだけで、彼女は島でもいつもの彼女のままでした。変わっていくことにとまどっているかのような家族を立ち直らせるのは、いつもミイの一言です。彼女のように強い独立心を持って生きていくならば、きっといつでもどこでも自分を見失ったりはしないんだろうなあと思います。ミイを変えることができるのは状況ではないのかもしれません。場合によって左右されない自分を持っているというのは素晴らしいことですね。

今回の物語はやはりどこか悲しいです。これまでのムーミンの物語は何度読んでも楽しめそうだと思ったのですが、今度のはどうも楽しめません。それでも、やっぱり何度でも読んでしまうだろうとも思います。まだよく分からなかったところが沢山あるので。いずれまた読む必然が生じるでしょう。


さて、最終作の『ムーミン谷の十一月』は今手許にあるのですが、読めるかどうか分かりません。この物語の結末については、このあいだ見たNHKの番組で放送されていたので知っているのですが(うっかり見てしまいました、くっ)、私は物語がそこでおしまいになってしまうことに耐えられません。うーむ、ムーミン一家がこれからどこへ向かうのかは気になるけれど、これはもうちょっとあとで読もうかな……。

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3 コメント

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長いコメントですが… (malia)
2010-10-31 23:34:02
こんばんわ。はじめまして。
 ムーミン童話は子供の頃から愛読していて、どれも好きですが、子供の頃は「海」を読むのはなかなか大変でした。
 何故ならスナフキンが出ないから(笑)。初恋の人でした、彼は。
 それは置いといて、大人になってから「海」を読んでみました。うーむ、と唸ってしまいました。なんと、あのマイペースでおおらかなムーミンママが大きい悩みに直面する。パパは「自分は必要とされていないのではないか」という、「死」と紙一重な悲しい悩みに苦しみ、海に乗り出すも失敗ばかり。ムーミントロールはムーミントロールで、自分の世界に精一杯。変わらないのはちびのミイ(彼女が居ると居ないとでは、ムーミン童話は大分違う)だけ。家族は「家庭崩壊」と言うべき状況に陥る。
 今までのムーミン童話と異なり、風景は秋の近い荒涼とした島。「救いようが無い…!」と呟きたくなる、絶望的な感じだ。「彗星」とは異なる絶望的孤島。私だったら絶対頭を抱えてしまう。
 しかし、この作品を「殺風景」と一蹴できないのは、パパの魂に火を点けた大嵐のシーンがあまりにも素晴らしいから、と私は思う。トーベの父は嵐が好きだった。私も、嵐が好きだ。雷と暴風雨に血が騒ぎ、台風の日はお祭りのようだった。
 その嵐が、散り散りになっていたムーミン達を、孤独な闇から叩き起こす。漁師やモランの件を通して、みんなが再び「生」を取り戻す様は、奇跡のようでさえある。
 
 一番最後の、ムーミンパパが海と向き合うシーンは、なんだか矢野顕子が歌った「無風状態」を思い出した。ちょっとさみしい歌なのだけど、「マストの風を畳んで彼は今、夜霧のメリケン波止場で船を下りる」と終わる。
 この作品に、なんて言葉を添えたらいいのだろう。その答えが見つかったように思う。
 「おかえり、みんな」
 そうなのだ。おかえりなさい、みんな。ムーミンも灯台守もモランも、長い旅を終えて、みんなおかえり。そんな気持ちで、大人の私はいつも本を閉じる。確かに物悲しい感じは「海」と対を成す「十一月」でも満ちているけど、ただ寂しいだけに留まらないトーベの物語は、寒い日にコーヒーカップを掌で包んだような暖かみがあって、だから何度も読んでしまうのだと思う。

 長くなっちゃいました…私が書くと毎回長くなっちゃうんです。すみませんでした……。
 
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Unknown (ntmym)
2010-11-01 12:54:48
maliaさん、はじめまして♪

読み応えのあるコメントをいただきまして、どうもありがとうございます(^_^)
私は大人になってからムーミンを読み始めたのですが、子供のころに読んでおけばよかったなーと思いました。でもこの『ムーミンパパ海へいく』は大人向けですよね。ちょっとシリアスで。

>寒い日にコーヒーカップを掌で包んだような暖かみ

これはたしかにそうですね。トーベ・ヤンソンの物語が愛されるのは、maliaさんがおっしゃるように、物語にも、絵にも、いつもこのような暖かみがあるからだと私も思います♪
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お願い (ジョニーA)
2016-10-06 00:41:23
★マイブログに、トラバ&リンク&引用、貼らせてもらいました。
不都合あればお知らせください(削除いたします!)
なにとぞ宜しく、お願いいたしまっす!
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