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もやもや日記

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『クラバート』

2006年04月30日 | 読書日記ーファンタジー
オトフリート=プロイスラー 中村浩三訳(偕成社)

《あらすじ》
荒れ地の水車場の見習になった少年クラバートは、親方から魔法をならう。が三年後、自由と、ひとりの少女の愛をかち得るため、生死をかけて親方と対決する日がやってくる。
ドイツの一地方に伝わる〈クラバート伝説〉をもとに、現代の語り部プロイスラーが、十一年の歳月をかけてねりあげた壮大な長編小説。


《この一文》

”「それであなただとわかったのよ」”



どことなく『ハウルの動く城』な表紙の装丁にひかれて読んでみました。すると、中の挿絵にも『ハウル~』な感じの絵があってびっくり。気のせいかもしれませんが。

さて、とても簡潔でありながら、綿密に構成が練られているよく出来た物語でした。何と言ってもロマンチックなのが良いのです! 夢の中の声に呼び寄せられて水車場の見習になったクラバートは、一年の見習期間のうちに三つほども年を取ったりします。そして魔法がいかに労働を簡単にし、また人の心をも自由に動かすことの出来る力であるかを知るようになり、日々魔法の勉強に勤しむのでした。村の少女の美しい歌声を聴く、その日まではーー。
主人公のクラバートが、三年目までにどれだけ成長するかがこの作品の見所です。この成長の様子が実に上手く描かれています。最初の年にクラバートを助けてくれていた職人頭のトンダ、密告屋のリュシュコー、トンダの次に職人頭になったミヒャル、ぼんやりしているが家事の得意なユーロー、クラバートが三年目を迎えると同時に見習として入ってきたかつての仲間ローボシュ(しかし、ローボシュはクラバートがあまりに成長しているので本人だと気が付かなかったりして)などなど、周囲の人物が魅力的かつ的確に配置されています。各地の水車場に表れては労働条件を改善するように親方を懲らしめながら渡り歩くという伝説的人物デカ帽のエピソードも印象的です。人間は正しく労働をしなくてはならない、また、それをせずして同じ結果を得ようとするまやかしの力に魅了された少年を救うのは、真実の愛! というような主張がきっぱりとした、すっきりした読後感を味わえる作品でありました。

この物語は、伝説をもとに作られたそうです。練りに練られているせいか、伝説というのは面白いものが多いですよね。良い機会なので、もうちょっと色々な地方の伝説を読んでみたいところです。

モデュラスの楽しい料理講座(上級編)

2006年04月28日 | 自作まんが



食卓がさびしいという時は、こういう演出はいかがでしょうか。

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「これはあまりに粗食だ!」「つらい!」という方、いますぐモデュラスがお助けします。

(ここで上のまんがを読むべし)

さあ、びっくり!
モデュラスの魅力で、夕飯なのにこんな献立という悲しい気持ち(/o\)が吹き飛んだことでしょう!
…………。

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こんなものを描いてる暇(所要時間=30分)があったら、みそ汁くらい作れよ!という正しい指摘は無しって方向でお願いします。そんな日もあるのさ。

『ウォレスとグルミットー野菜畑で大ピンチ』

2006年04月27日 | 映像(アニメーション)
明日で公開終了というギリギリのところで間に合いましたー。
いやいや、面白かったです。
うん、うん、グルミット。今回も有能ではないですか。

今回は字幕版で観たのですが、いつもはウォレスの声を欽ちゃん(萩本欽一さん)が吹き替えているのを聞き慣れていたので、最初の方はちょっと違和感を感じてしまいました……。私の好きなグルミットはもともとしゃべらないので、まあ、どちらでもいいのですがね。

ストーリーは大道!って感じですが、きちんと細かいところまでこだわって作られていて、85分間、全く飽きさせません。これだけの分量を作るのは大変だったろうなぁ。すごいです。それにしても、ストーリーはきわめて単純なのに、なんだかとても盛り沢山な印象です。いちいち笑えます。クライマックスでは、つい涙も誘われてしまいましたですよ(私だけかもしれませんが……)。あのノリに弱い……!

なんで、こんなに面白いのか。う~む。
私はシリーズの中では『ペンギンに気をつけろ』が一番好きなのですが、今回のはそれと並ぶくらい面白かったです。なんか、ウサギも可愛いかったし。吸い込まれて、くるくる舞っているところが。それと、オープニングでウォレスの家の居間の壁に飾ってあるグルミットの卒業写真(大学卒業風)に目が釘付けでした。

もう一度観たいぜ!

ツバメのティッシュケースをつくってみた

2006年04月26日 | 手作り日記
最近、駅の近くで配っているポケットティッシュのサイズが大きい……。私がこれまで使っていた自家製のケースには、もはや入らねえ………。

というわけで、少し大判のケースを作ってみました。時季も時季ですし、ツバメ柄。今年はマリンブームらしいので、まさにぴったりではないですか!(実際の色は写真よりももっと濃い青なのですが、写真のほうが明るくて良い感じかも; ああ!)

でも、まてよ、ツバメとマリンは関係なかっただろうか…? なんでマリンと言えばツバメだと思ったのだろう、と考えてみると、今読もうと思って図書館から借りて来た本が『ツバメ号とアマゾン号』(アーサー・ランサム全集1)なのでした。冒険はいいですねえ。

それにしても、マリンでクールな感じになるはずだったのに、「ヤクルト応援グッズ」のように見えて仕方ないのは何故なのですか。 "Swallows" の刺繍がまずかったのでしょうか。やっぱ ”Sweden" にすべきだったか。意味はないけど。

4月23日 梅田

2006年04月25日 | 旅の記録
9:00 この日の朝は10:00に集合の予定だったが、三人とも早起きをしてしまったので、1時間繰り上げ集合ということになった。場所は私が日頃から通い詰めているミスター・ドーナッツ。コーヒーなどを飲みながら、昨日H嬢が私の作ったものを見たいとかなんとか言っていたような気がしたので、前回の手作り市で大量に売れ残った品物をいくつか持っていって見せてみた。意外にも、H嬢は「お馬のトーシカ」を気に入ってくれ、彼はめでたく御殿場へもらわれてゆくことになった。「針山のネズミ」はU嬢のところへ行き先が決まった。ついでに「モデュラスのバッグ」も。二人ともありがとう! トーシカもネズミもモデュラスも一生懸命にお仕えするのだよ。

 その後、朝から「人はどう生きるべきか」というようなことについて激論になる。我々は三人が三人ともに丸っきり意見が違うけれども、私はそれだから楽しい。私の意見とかれらの意見が違うために、もっと考えないといけないんだと、これまでも何度となく思わされてきた。世の中の一般的な尺度に照らし合わせても、私は非常に甘ったれた思想の持ち主であるにも関わらず、二人ともよくぞ10年も付き合ってくれました。懲りずにこれからもよろしく。つまり、私が言いたいのは、私の今の状態は理想とは程遠いけれど、それをちゃんと認識した上で、現実の情けなさや弱さというものを何とか引っ叩いて目指す方向に近付けようとするのが闘うということだと思うわけです。自分の弱いところは無視も抹殺も出来ないのだということが、私は30年かかってようやく分かりそうです。私が「変わった」ように見えるとしたら、多分そのせいです。自分の弱さを自覚して、これは決して「弱いままでも良いのだ」と諦めることとは違います、むしろ、それを引き摺ってどうにかして鍛えない限りは(これは、無茶をすることとも違うと思うのですが)自分はおろか他人の幸福のことなど考えられないのではないか(弱さというのは思っている以上に破壊力のあるものです。その被害は自分だけに留まらず周囲をも巻き込んでしまうものだと私は思っています)、そしてまた、たとえ直ちに理想通りの強さを得られず現実がうまく運ばないとしても、そのことで理想がいくらかでも磨り減ったり汚れたりするものでもなく、それを掲げて進もうとすること自体になんらかの意味があるはずだ(あるといい)という発想を得たからです。そういう意味で、「自分を幸福(つまり理想をこう呼ぶならば)にするのは、自分自身でしかない」と言いたかったわけなのです。まだまだ未熟で不完全かつ相変らず身勝手であまりに抽象的な考えかもしれませんが、そのへんはまた議論しましょう。

12:00 ミスドで盛り上がり過ぎて、気が付くともう昼だった。とりあえず梅田へ出て、昼食を取ることにする。ヨドバシの上階のレストラン街でわっぱ飯を食べた。並ぶ時に店の人に名乗ったら「ノタさま、どうぞ」と言われる。また聞き取ってもらえなかったか……。私の発音が悪いのだろうか。とまた悩む。
 食後、長い長い地下通路を通って、展望台のある梅田スカイビルへと向かうが、展望台には登らないで(私は高いところが苦手なので助かった)、映画館のチラシを眺めてうろうろした。「かもめ食堂」が面白そう。あ、ギリアムの最新作もやるのか! このスカイビルの地階は、なんだかレトロ調な町並みを再現した飲食街になっている。ちょっと楽しそう。外に出ると、築山に植えられた木々の間に小さな滝が作られていて、これまた小さな橋を渡ることなども出来る。スカイビルというのは、こういうところだったのか。
 それにしても、この日は昨日とはうってかわって暖かな、むしろやや暑いとさえ感じられる春の陽気である。私は上着を脱がなければならないほどだ。

14:00 阪神電車の改札口近くのジューススタンドで、大阪と言えば有名な「ミックスジュース」を飲む。今日のような日には、こういう飲み物は冷たくて、ほんのり甘くて美味しいではないか。一息ついた後、H嬢とU嬢は、じきに誕生日を迎える私のために、何か贈り物をしてくれるという。忘れていても構わないのに……。しかし、ありがたいことだ。本を買ってもらおうかとも思ったが、本屋へゆく途中の雑貨屋で素敵なものを見つけたので、それを買ってもらった。写真はそのランタン。最高に素晴らしい贈り物をどうもありがとう。中に大切な灯をともして持って歩くというのは、どことなく象徴的ではないですか。しかも、私が以前から憧れていたそのままの形(そう珍しい形ではないけれど)なので、一層嬉しいですよ。大切なものをしまっておくのに使います。

15:30 歩き疲れて喫茶店を探すも、梅田は異様に混んでいて、しかも適当な店がないのでいつも参ってしまう。結局随分歩いてサンマルク・カフェで休憩することにした。ここも鬼のように混んでいる。まあ、日曜だからな。またおしゃべりを再開して、二人が口を揃えて言うので、私はエンデの『モモ』を読まねばならないと思う。いや、いつかは読まねばとは思っていたのだけれど。

17:00 新大阪まで見送ろうと思ったが、ここでいいというので梅田で二人と別れた。何となく、寂しいような気もするけれど、半年後には確実にまた会えるので、その時を楽しみにすることにした。それまで元気で。楽しい2日間をどうもありがとう。

4月22日 錦市場→仁和寺→龍安寺→今宮神社→祇園

2006年04月24日 | 旅の記録
10:20 4月の下旬とも思えぬ寒さの中、JR京都駅にて友人二人と合流。三人が揃うのは実に久しぶりのことである。

11:10 京都駅からバスの1日乗車券を買って錦市場のあたりをぶらぶらする。早めに昼食を取ろうと思い「黒豆」料理を出してくれるお店へ入るがランチは11:30からと言われてしまう。あと20分か……。仕方が無いので近くをウロウロして時間を潰し、途中「ロンドン焼き」なるものを買って食べてみた。今川焼きの皮をもっとソフトにして中身を白餡にしたような小さなお菓子は美味しくて、焼き立てを入れてくれた紙袋も可愛らしかった。
 結局11:30にはまだ少しはやかったけれど、先ほどの店へ戻ると席へ通されたので、黒豆尽くしの定食を注文した。とても美味しい。黒豆の食前酒まであるとは驚きだ。

12:15 河原町のバス停まで少し歩いて、仁和寺を目指す。仁和寺方面へ行くバスは、考え難いほどに混雑している。そしてその重さのせいなのか、運転技術のせいなのか、非常に揺れる。15分ほど押し潰されながらも何とか仁和寺に到着した。入口には「御室桜 ちりぞめ」の看板がかかっている。ふむふむ。御室桜とはどんなものだろうか。その御室桜が見られるという中門の手前にも色々な種類の桜の木が植わっている。黄緑色の花をつける「御衣黄(ぎょいこう)」やいくつもの花がぼんぼりのように丸く枝先についているものなどはまだまだ見頃だった。その根元にはタンポポや名を知らぬ小さな黄色い花も咲いていた。春だ。
 中門を通るといよいよ「御室桜」が咲いていた。もう何と言うか、とにかく咲いている。ここの桜は大体2メートル半程で背が低く、枝は地面から幾筋にも分かれて広がっている。すのこが敷かれた花の回廊を通ってゆく傍らの木々の間には席が設けられていて(席料500円らしい)花盛りの中で弁当を広げている人々が大勢見られた。テニスコート3、4面分くらいはある敷地にびっしりと咲いている桜の白い花の向う側にお寺の塔がまるで雲の上に突き出しているかのように見えた。なんだか凄いところだった。
 「御室桜」の区画を過ぎると、深緑の苔が生え木々も緑の葉を出し始めている中を今度は何か紫色の花が燃えるように咲いている場所へ出た。紫色のはどうやら「つつじ」の仲間らしい。紫と緑の組み合わせは美しく幻想的だった。ここでも大勢の人々が座ってぼんやりしている。モミジの葉もちょうど出てくる時期だった。葉の根元が鮮やかな赤色をしていて、花も咲いている。秋になると羽付きの種子がなって、そのうちくるくると落ちてゆくということを、二人は知らなかったらしい。そう言えば田舎っ子は私だけなのか。 (種子については「カエデ」参照のこと)

 13:50 次は金閣寺へ行こうか。と言ってバス停に向かいつつ、ついつい龍安寺まで歩いてしまう。仁和寺からは割と近かった。龍安寺といえば、あの石の庭が有名だが、その他の部分もとても美しかった。大きな池に睡蓮の葉が浮かび、白いアヒルが築島の縁をとことこと歩いている。まだその時期には早いのかと思っていたシャクナゲももう花盛りだった。しかしここまで来たのだから、やはり石庭を見ることにする。うむ、枯山水。どういう意味があるのだろうかと考えながら眺めてみたがやはり分からない。それにしても有名なだけあって、人が多い。石庭の前は鈴なりの人だかりで、こういう場所にこんなに人が集まっているというのは、それもまたとても不思議な光景だった。庭の向うにも少し濃い色の桜が咲いていた。石庭の裏手には「侘助椿」が咲いている。椿の名が侘助とは、日本語というのは実に美しい言葉だと感心してしまった。

 15:30 金閣寺へ行こうかと言っていたのは、どうなってしまったのか、次は今宮神社へ向かう。ここは健康を祈願するところらしい。H嬢の健康を祈願する。ありがたい石を撫でたり、人形に名前を書いて納めると良いらしい。さらに、神社を出たすぐのところにお茶処があって、ここでお餅をいただくと一層良いとのこと。とりあえず歩き疲れたので休憩することにした。串に刺さった餅は一人前が15本だと言う。そんなに食えるだろうか、と心配したが、出されてみると串の先にほんの小さな餅がついているだけだったので、余裕でいけた。タレは甘い店と甘くない店があるらしいのだが(道沿いに向かい合って2軒あり、どちらも激しく呼び込みをしている)、我々は甘い店に入った。

 18:00 祇園でバスを降りて、その界隈を土産物を探してまわった。漬け物や柘植の櫛など京都らしいものがいくらでもある。「おうすの里」という梅干し専門店へ入ると、梅ジュースと梅干しを試食させてくれた。私のこれまでの常識を覆すような梅干しの味に、思わずひとつ購入してしまった(写真がその高級梅干しです)。うーむ、商売もうまいのだ。
 「西利」という漬け物屋の2階で食事がいただけるようで、1階に写真付きの品書が置いてある。漬け物をタネにした寿司が箱の中に並んでいる。たいへんに美麗である。というわけで、夕食はこの店に決定した。漬け物の寿司というと、なんだかちょっと可哀想なイメージもあるかもしれないが、さっぱりしているのでとても美味しかった。なにより見た目が驚く程美しかったので、私は日頃の怠慢を反省し、やはり料理は見た目が重要であるということを痛感した。白味噌のお椀も非常に美味しい。京都へ来るとご飯が美味しいから楽しい。

 21:50 河原町から阪急線に乗って梅田で御堂筋線に乗り換える。二人とも何故かうちのすぐそばのホテルを取っているという。うちに泊まればよいものを…。明日は10時に私の行きつけのミスドで待ち合わせて、駅でわかれた。おつかれさまでした。

総集編

2006年04月23日 | もやもや日記
この週末は、大学時代からのごく親しい友人が二人とも関西へ遊びに来てくれました。

昨日は、4月とも思えぬ寒さの中を京都で楽しみ、今日は大阪(梅田周辺)でのんびりとしかし激しくおしゃべりをして楽しみました。面白かったので、詳しい記事はまた後日。

今月を振り返ると、毎週末に私のあらゆる時代の友人と過ごすという惑星直列並みに信じ難いほどの幸運に恵まれました。先々週は子供の頃からの郷里の友人、先週は大阪へ来てからの友人、今週は大学時代からの友人。実は私は今度の木曜で30歳になります。物事には巡り合わせというものがあると、私はいつも思っているのですが、これからの1年(あるいはその先もずっと)はおそらく何か今までとは違った年になるだろうという予感がしています。なんとなく。

それにしても、私は私の器に見合わぬほどに人との出会いには恵まれています。私に関わってくれる人は、いつも私に良い刺激を与えてくれるのです。そのおかげでどれほど成長することができたか知れません。世の中には優しくて素晴らしい人しかいないのではないかと信じられるくらいに恵まれています。これは何という幸運でしょうか。ほとんど奇跡に近いです。

今も私に関わって下さる全ての方々(もちろんこの記事を読んで下さっている方も含みます)いつもありがとう、これからもどうぞよろしく。本当はこの幸福と感謝の気持ちを、とても言葉にすることはできないのですけれども。

『たんていものがたりー甘味処は甘くない(その2)』

2006年04月19日 | 自作アニメーション
たんていものがたりー甘味処は甘くない(その2)
(↑こちらからどうぞ)


はー、ようやく(その2)が完成です。
(その1)に比べて、いくらかでも面白くなったのかというと、……微妙。
でもまだ続くし(すみません、今回も終わりません;)、今後の発展にご期待ください。


というわけで、よろしければどうぞごらんくださいませ~。

『G戦場ヘヴンズドア』(全3巻)

2006年04月19日 | 読書日記ー漫画
日本橋ヨヲコ (BC IKKIコミックス 小学館)


”ああ、なんだろう、この気持ちは。体は熱いのに、心はとても穏やかだ。そうか、もうオレ達は揺るがないんだ。誰に何を言われても揺るがないものを見つけたんだ。今まで生きてきたすべての意味を使うことができるんだ。”


地雷を踏んでしまいました。私には涙を流すことさえ許されず、ただ足ががたがたとふるえるばかりでした。名作という評判はきいていましたが、全く名作過ぎて、私は二度と読むことができないだろうという予感がします。おそろしい。読むべきではなかったのでしょうか。私は見たくないものを見てしまったのかもしれません。私が恐れているのは、情熱。情熱で自分の全てを貫き通す覚悟です。恐ろしい。どうしようもなく恐ろしい。そんな覚悟は無くたって生きて行けるのかもしれません。とりあえず、呼吸して何か食ったり寝たりするくらいには。しかし、私は感じてしまいました。今、こんなふうに感じることで私はどうなるというのでしょうか。まだわかりません。恐ろしい物語です。私は見てしまいました。自分の空虚さが、それに見合わぬ欲望が私を恐れさせている。でも、震えたことも忘れて立ち止まったりしたら、私はまた私を失ってゆくのかもしれません。

いや、私はやっとここまで来れたんだ。これまでは、感じることすら出来ていなかった。届かなくても、間に合わなくても、息を切らすくらいのことはやらなくてはならない。



まんがくらいで大げさな、という人にもおすすめします。人間の表現に手段の違いはあっても、本質はきっと同じです。問題は、出し切れるか、そして、受け止め切れるかということでしょう。私はその力がほしい。両方。

モデュラスと海

2006年04月18日 | 自作まんが
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こんなでかい画像を貼ったりして、すみません。

ちょっと気晴らしに書いてみた(手描き 筆ペン使用)4コマまんがです。
モデュラス=ハードボイルド風。え? 「何が?」って? 最後のコマが、ほら。夜のバー、バーボンをロックで。固定観念ばんざい。(ところでバーボンてなんだろ)