半透明記録

もやもや日記

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人は生きることを望んでいる

2013年01月26日 | もやもや日記





まったく同じタイトルで過去にも記事を書いたことがあるような気がしますが、これはエレンブルグにこういうタイトルの著作があって、私はこの語感が好きなので日頃からよく思い出しています(本のほうはまだ読んでいない)。

人は生きることを望んでいる。私もまた生きることを望んでいます。とにかく生きる。今日も生きているか、それが私の核心。もうダメだと思うときに戻ってくるべき場所が「私はまだ生きているか(もうダメだという思いしか見当たらないにしろ、まだそう思うこと自体は可能であるか)」というところなのです。生きるべきかどうかに悩んだ末に、とにかく悩みながらでも迷いながらでも苦しさに耐えられる限りは生きのびると選択して以来、私は少し落ち着いたような気がしますね。少なくともこの問題では当分悩まないつもりです。


しかし、とにかく生きると決めたものの、いかにして生きるべきかについては悩みの真っ只中です。どうしたらより良く生きられるのか。より良く生きるとはどう生きることなのか。どうも人間というのは、ただ生きているというだけでは満足ができない種族のようにも思えるけれど、たくさんの欲望や願望を抱きながらそのすべてが叶わずに終わるとしたら、それでも望み続けるべきなんだろうか。なんてことを悩んでいるあいだに、なにもできないまま、時だけが過ぎていくけれども、果たして人生はそれでいいのだろうか。私の人生についてはそれでもいいんだけれども、周囲の人々とともにより良くありたいと思うとき、私はやっぱりなにかしらの行動に移らないとならないよな。これからの私は、少しは他者を思いやったり手伝ったりそのために生きたりすることができるだろうか。それを望んではいるのだけれど。


お産まであと2週間を切って、私のナーバス加減もマックスに近づいています。焦りと重圧と不安にほぼフリーズ状態です。そのせいか、思っていたことを書ききれませんでした。本当は「転機は思わぬときに思わぬ形であらわれる」ということにからめて書きたかったのに書けなかった。こんな思考力のなさで大丈夫なんだろうか。まあ、いい。大丈夫じゃなくてもしぶとくいくぜ!









そこまでの距離

2013年01月21日 | もやもや日記





K氏との別居生活もそろそろ1ヵ月半。ようやく折り返し地点かと思いたいところですが、いつまで続くのやら今はまだ分かりません。

こういう状況をお互いに寂しく思っているせいか、日頃は筆不精な我々がメールなどのやりとりはわりと頻繁に行うようになりました。メールはごく短文のなんでもない内容のものを1日1通。それから、Skypeでのチャットを2、3日に一度2時間くらい。Skypeのビデオ通話の方は、雑音が入るのと意外と間がもたないのもあって、文章で通信するほうが楽しいですね。それにチャットの履歴が残るので、あとで読み返したりできるのもいい。
昨日はK氏とハクスリーの『すばらしい新世界』の話などをしました。映画化されるとかされないとか。まだ読んでいないK氏に小説のあらすじと魅力について説明したりとか。こんな感じでいつも、マヤの予言とこれからの世紀についてとか、人間と社会の関係を考えるついでにヴォルテールの『カンディード』を振り返ってみたりとか、博多の新居が東向きなのでやっぱり日照が物足りないというような他愛のない話をしています。離れて暮らしてみて、こんな風に話すことのできるありがたみを痛感しました。同居中はわりと頻繁に生返事をしていたことを反省していますよ!


ともあれ、インターネットの発展は、物理的な距離をいくらか縮めてくれますね。米国に住んでいる友人もSkypeでコメントをくれたりするので嬉しいです。私たちの前に横たわる距離を飛び越えて、リアルタイムで会話を成り立たせるこの技術は凄い。


このように、遠方の人と即時に言葉をやりとりでき、そのことに感激する一方で、目の前にいる人と意志の疎通ができなかったりすることに困惑したりもするわけです。その人がすぐそばにいて、いつでも生の会話が成り立つ状況であるのに、相手が何を思っているのかが分からず、自分がどう思っているのかも伝えられなかったりする。そして互いにそのための言葉を尽くさない。尽くさないでいながら、なぜ分かり合えないのかを不満に思ったりするのです。人と人との距離感というのは難しいものですね。真心を分け合うのに最適な距離感というのがあるんだろうか。それとも、肉体の距離と心の距離とはそもそもまったく無関係のものなんだろうか。

よい機会なので、この問題については今のうちにもう少し考えてみたいところです。人は誰でもひとりきり、あなたと私は違っていて、それでも投げられたボールを受け取って投げ返したいとき、どのくらいの距離ならぴったり届くだろう。近づきすぎたり遠くなりすぎたりしても、適切な距離感が分かっていれば楽しくキャッチボールするためにその都度移動できるんじゃないかな。そこまでの距離を、私は知りたい。








のこりわずか

2013年01月16日 | もやもや日記




本日も晴天なり。しかし私は部屋に閉じこもってまたしても一日を無為に過ごそうというのだった。

里帰りしてきて早ひと月とちょっと。いよいよお産の日が近づいてきました。実は、もう生まれてくる日が決定していて、目下カウントダウン中。なぜ日時が決まったのかと言うと、諸事情により帝王切開で産むことにしたからです。予定日よりも10日ほど早く設定し、先週手術の予約を済ませてきました。中の人としては自分の好きなときに生まれたかったかもしれませんが、許せ、こちらの都合もあるのだ(ただし、私たちが勝手に決めた日時をさらに前倒して出てきてしまうという可能性もありますが)。

そんなわけで、毎日来るべき日のことを考えては鬱々と過ごしています。日時が決まったとは言え、来月のことでまだ間はあるのでそんなに鬱々とすることもないのですが、なんとなく不安。おととし卵巣を取った時だって腹を開けているのだから(そして傷は痛みもさほどなくすぐに治ったのだから)今回だってたいしたことないだろうとは思いつつ、前回とは違って半ば意識のある状態での開腹手術というのはちょっぴりハードルが高いよなあとブルブルしたりするわけです。帝王切開でふたり産んだ経験のある友人が語るには、お腹の中に手を突っ込まれる感触があるらしいですよ・・・グフフ。そこまで詳しく聞かなきゃよかった(^_^;)アー 産婦さんの意識を残しておくのは、生まれる瞬間に立ち合わせてあげようという親切心からなんですかね、やっぱり? お産に関しては、自然分娩にしろ帝王切開にしろ聞けば聞くほど血の気が引きますが、自分から友達にあれこれ質問しておいて青い顔をしている私はなんと愚かで小心者なのだ。
とりあえず、今度病院で詳しい説明を受けることになっているのでさらにいろいろ聞いてこようと思います。そしてさらにビビるんだな。


自分だけの時間が持てるのは今だけ、のこりわずかの間だけということは承知しているのですが、思えば思うほど、何も手につきません。どうしたらいいんだろうか、何をしたらいいんだろう。暇すぎるのも考えものですね。じっとしているのでただただ太っていくようです。先日はとうとう臍がなくなりましたよ。直立するともう爪先が見えないくらいにまで腹がすごいことに。そして体が急に重くなり過ぎて股関節も若干傷めてます。夏から比べるとそろそろ14キロ増ですよ。もとが痩せすぎだったとはいえ、いい加減やばい。節制してるつもりなのに体重の増加がとまりません。といって、あんまり運動すると、なんだか早く産まれてしまいそうな気になるし。

先週の検診では、正月太りした私に合わせてか、中の人もかなり大きくなっているようでした。先生が「えっ!?」と声を上げるほどに重くなっているっぽい・・・ちなみに胎内の子の体重は、胴の直径から求めるようです。彼らは胎盤の中で呼吸はしていないものの、腹を膨らませたりへこませたりはしているそうです。前回最初に超音波で計測したときには腹が膨らんだ時点で計測したためにかなりの重さが算出されてしまいましたが、へこんだ瞬間に計測しなおしても予定値を数百gも超過していました。もしも自然分娩を選択して予定日まで放っておいたらどこまででかくなったんだろうな。でも、落ち着いて考えると、これでもまだ取り除いた卵巣ほどには重くないので(3.5キロだった)、おととしはほんとどうなっていたんだ・・・。


はあ。そんなことより、読んだ本の感想を書きたいのに、なんでだかどうしても書くことができません。今からこんなことでは、先が思いやられますねー。やれやれ。







変わらないもの

2013年01月12日 | もやもや日記




実家へ帰ってきてから、何度かJRを利用することがありましたが、いやー、変わらないですね。20年前には私は毎日JR線で高校へ通っていたのですが、そのころとほとんど変わりありません。車窓を流れていく風景も、人の様子も、列車の乗り方も。

さて、北陸本線では冬の間、車両のドアが手動になります。12月にこっちへ帰ってきたばかりの時は、私としたことがうっかりそれを失念してドアが自動で開くまでぼやっと立ち尽くしてしまいました。
ドアが手動になっているのは、冬の北陸が寒いからでして、停車時間のわずかの間でもドアが開きっぱなしだと、車内に冷たい風と雪が舞い込んだりするからです。
列車に乗り込むときには重たいドアを手で開け、乗って後に誰も続かなければまた自分で閉める。これが作法。降りるときも同じ。時々私のように自動だと思い込んでドア前で立ち尽くしている乗客もいますが、大抵は途中で気がつく。でも、よそから来た人だと分からないかもしれないですね。

画像は、ドアに張られた注意書き。



ちょうど目線のあたりに張られています。「あれ、開かない」という風な乗客が「はっ」となるのを見ると、ああ冬だなあと思ったりするのでした(今回は自分がまさにそんな乗客であったが;)。

車内の座席がものすごく温められているのも、変わらないなあ。最初はいいんだけど、ときどき尻が熱くなりすぎることもあるんだよなあ。


少しも変わらない北陸本線にはほっとしたような気もしていますが、しかしJR富山駅はただいま大改装中で、そのうちに北陸新幹線が通ることになっています。完成予想図では、わりと立派な駅に生まれ変わるようでした。今はちょっと廃墟みたいになってるもんな・・・。
開通するころにまた帰省できるといいんだけれど。






イチゴ大福

2013年01月09日 | 手作り日記





実家でいただきものの白玉粉を持て余しているようだったので、大福を作ってみることにしました。ちょうどイチゴも余っていたのでイチゴ大福に! 私はイチゴ大福というものが大好きなのですが、まさか家で作れるものだとは思ってなかったので、レシピを発見して(ググッたら意外と簡単にヒットしました;)大喜び。早速挑戦してみることに。


大福の、求肥(ぎゅうひ)の部分には牛乳を加えてミルク風味にしてあります。白玉粉と砂糖、水、牛乳を加えて電子レンジで加熱してかきまぜる作業を数回繰り返すだけで簡単にできました。これは材料さえ揃えばいつでも簡単に作れるな! いいぞ、いいぞ!

今回は餡を少なめにしましたが、普通の大福にしてもおいしそう。イチゴはもうなくなってしまいましたが、まだ餡が残っているのでまた作るつもりです。イチゴのかわりにバナナ大福とかって、どうなんでしょうね・・・やってみるべきか(^_^;)大爆死の予感もするが; 柚子ジャムをちょっと加えて柚子風味の方がいいかしら。


ともかく、手作りイチゴ大福は、私が作ったにしてはおいしかったです♪ 自力で作れることが分かっただけでも凄く嬉しい。博多へ行ったらK氏にも作ってあげることにしましょう。





オリオン座

2013年01月05日 | もやもや日記




今日はものすごく天気が良かった。しかし、とても寒かったです。自動車に備え付けられた温度計によると、外気は朝の10時くらいで「-0.1度」。寒すぎ!! 路面は凍結してましたよ。

友達と会う約束があったので、久しぶりにちょっと遠出して、帰宅する頃には日が暮れていました。見上げると立山連峰の上にオリオン座が輝いていました。ああ、こんなにはっきりと星が見えると、田舎に帰ってきたなあと実感します。

カシオペア座も見えた。北斗七星も見えた。でも、北極星のあたりはちょっと明るくてぼんやりしてたな。もう少し夜が更ければもっとくっきり見えるかも。

私の田舎は美しいところだ。







うちのお雑煮

2013年01月02日 | もやもや日記



我が家のお雑煮です。汁は醤油ベース。これがないと正月じゃないような気がするくらい定番の味でございます。


去年の正月にお雑煮を食べられなくてもやもやしたので、今年のお雑煮は作るところから参加してみました。これまでにも軽くお手伝いくらいはしたことがあるはずですが、はっきりした作り方などは分からず。今回は覚えるつもりで手伝いましたよ。といっても、材料をちょっと切ったくらいですけど; しかも、ゴボウのささがきが上手く出来ず(ささがきは苦手なので、普段から避けていたらやっぱり上達していなかったことが判明)、一向にささがかれないゴボウを見かねて途中から母がやっていました・・・スミマセン(^o^;)


さて、うちのお雑煮ですが、材料と作り方はこんな感じ。忘れないうちにメモっとこう。


 【材料】
 *クルマダイ
 *にんじん
 *ゴボウ
 *焼き豆腐
 *こんにゃく

 *醤油
 *塩
 *砂糖
 *出汁



【作り方】
 (1)素焼きしたクルマダイの身と、骨・頭を分ける。骨・頭を鍋に入れて沸かし、出汁をとる。身はほぐしてよけておく。

 (2)にんじん、ゴボウは千切り、ささがきにし、焼き豆腐・こんにゃくは8等分くらいにした後5mm程度の薄切りにする。

 (3)出汁がとれたらクルマダイの骨と頭を鍋から取り除き、(2)の材料とクルマダイの身を投入。

 (4)適度に火が通ったら、調味料を加える。砂糖はお好みで。

 (5)一晩置いて、翌朝味をととのえる。


意外と簡単だった(←結局私はほとんど何もやらず見てただけだけど;)。もっと時間がかかるものかと思い込んでいましたが、予想よりは早く出来ましたね。大きな鍋に一度にたくさん作って、3日間くらいは食べ続けます。

ちなみに、お餅の方は焼かずに茹でます。どろどろです。餅がお湯に溶けて毎度のことながらもったいないとは思いますが、茹でた餅は柔らかくておいしいのでした。今朝もお雑煮を食べました。旨かった!

作るところから観察していて分かったことですが、あの旨みはクルマダイの旨みなんですね。骨とお頭で出汁をとっている時点で、すでにお雑煮の香りがしてきましたよ。クルマダイとは別のお魚でも代用がきくと母は言ってたような気がしますが、なんの魚だったか思い出せない・・・。博多へ行ってからも作れるといいんだけど。

私にとってはこれがないと正月が始まらないお雑煮。みなさまのおうちでは、どんなお雑煮を召し上がるんでしょうね~(^_^)♪








あけましておめでとうございます!

2013年01月01日 | もやもや日記




年末もいろいろありましたが、ぼんやりしているうちにいつの間にか年が明けていました・・・・・・画像はぼんやりしている間に食べた年越し蕎麦。手打ち蕎麦の月見です。とろろはK氏の実家からのいただきものの大和芋です。おいしかった。ゆうべ2012年最後の更新にしようと思って写真を撮っていたのに、寝ちまったぜ。起きたら明けてたわ。

そう言えば、去年の年越しは病み上がりで帰省できず、私はK氏と初めてふたりで年末年始を大阪で過ごしたのでした。大晦日の夜からニコ生で『化物語』一挙放送!を観ていたら、明け方の4時だか5時だかまで年が明けたことに気がつきませんでした(K氏は)。お雑煮も自分たちで適当に作って食べたっけ。

そう、お雑煮。去年の正月は実家の雑煮が食べられなくて物足りませんでした。35年生きてきて(当時)、実家の雑煮を食べなかったのはもしかしたらそれが初めてのことだったでしょうか。いや、何回かあったかな? ともかく、正月になると無性に家の雑煮が食べたくなるもんですね。実家の雑煮がどうやって作られているのか、恥ずかしながら今まであまりよく分からなかったので、大晦日に母の雑煮作りを手伝ってみました。なるほど。こうやって出来ていたんだな。来年は帰省できるかまだ分からないので、ダメだったら自分で作ってみようかな。正月じゃなくてもお雑煮はおいしいですし、一度試してみるだけでも試したい。
今朝そのお雑煮をいただきましたが、写真を撮ろうと思ってたのに忘れて食べてしまったので、また明日。お雑煮は各家庭で内容が異なるので、食べ比べとかもしてみたいですよねー。





さて、気づいたら明けていたという相変わらず間抜けな年明けでしたが、2013年もどうぞよろしくお願いします!