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『リプレイ』

2012年07月26日 | 読書日記ーファンタジー

ケン・グリムウッド 杉山高之訳(新潮文庫)



《あらすじ》
ニューヨークの小さなラジオ局で、ニュース・ディレクターをしているジェフは、43歳の秋に死亡した。気がつくと学生寮にいて、どうやら18歳に逆戻りしたらしい。記憶と知識は元のまま、身体は25年前のもの。株も競馬も思いのまま、彼は大金持ちに。が、再び同日同時刻に死亡。気がつくと、また……。人生をもう一度やり直せたら、という窮極の夢を実現した男の、意外な、意外な人生。


《この一文》
“「すべての生命は喪失を含んでいる。この問題を処理することができるようになるまでに、僕は長い長い年月を要した。そして、完全にこれに忍従することは決してないだろうと思う。だからといって、世界に背を向けなければならないとか、自分の能力と存在の限りをつくして努力するのを止めていいということにはならない。我々は自分自身にたいして少なくともそれくらいのことはしてやらなくてはならないし、また、それから生じるある程度の良いものを受け取る価値があると思うんだ」 ”






びっくりするほど面白かった。最初から最後までを一気に、一日で読み通したのは久しぶりのことです。

この『リプレイ』は、アメリカのケン・グリムウッドという人の作品で、1988年に第14回世界幻想文学大賞を受賞しています。このあいだ読んだフリッツ・ライバーの『闇の聖母』も1978年に同じ賞を獲っていますね。『リプレイ』の方は、時間を逆戻りするというSF的な要素を含んでいますが、幻想小説であるとのことなので【ファンタジー】のカテゴリーにいれることにしました。ともかく、SFであれ、ファンタジーであれ、この作品は一種独特の引力と言うか、謎めいた力に満ちています。作者の正体がいまいち不明であるというところも、神秘性をいっそう加速させますね。



主人公のジェフは43歳。弱小ラジオ局のディレクターをしていて、関係がうまくいっていない妻との電話中に突然死んでしまう。しかし気がつくとジェフは、かつて大学生だった頃に暮らしていた学生寮のベッドにいた。はじめは夢かなにかだと思うのだが、どうやら彼は時間を25年分遡ってしまったらしい。43歳までの記憶はそっくりそのまま持ったままで……というお話。


もしも今の記憶を持ったまま、あの頃に戻れたなら…ということは私もしばしば空想することがあります。この小説はそういう空想を描いてはいるのですが、ひとつ私の空想と違ったのは「何度も何度も戻ってしまう」という点でしたね。もし一度だけ戻れたらいいなとは思いますが、43歳のある時点を迎えるたびに、何度も繰り返して時間を逆行してしまったらそれはそれで大変です。43歳になれば築き上げたものを再び全部失ってしまうと知りながら、どんなふうに生きられるだろうか。「もう一度」とは、最初からやり直せる喜びと同時に、全部最初からやり直さなければならないという悲しみでもあります。これは辛い。というわけで、この物語はジェフが何度も時間を遡り、幾通りもの人生を、その閉じた長い長い時間の中を生きなければならなくなるという過酷な物語でした。


ジェフは全ての人生を記憶したまま、同じ時間の中を違ったふうに行き来しますが、その度ごとに最善の生き方をしようと模索します。一人の男の人生が、ふとした選択の違いによってさまざまに変わる様子はとても興味深いものです。もしも人生が一通りでないとしたら、同時にいくつもの人生を体験しそのすべてを記憶することができたなら、その人は一体どんなことを考えるのだろう。そして、それには一体どんな意味があるのだろう。こういった問題に迫った、非常に印象的で、深みのある物語でした。

とても面白かった。構成もてきぱきと簡潔で、物語がどんどん展開していくので、気持ちよく読み進めることができます。SFであり、ファンタジーであり、ロマンスでもあり、青春ものであり、人間ドラマでもあります。たった1冊のなかに、驚くほどの内容が詰まっていました。


《この一文》は、本当は物語の最後から取ろうかと思いましたが、これはやはりお話を最初から読んだ上で到達すべき文章であるよなと考え直し、別のところから取ることにしました。ジェフとともに長い長い人生を繰り返した果てに得られるその最後の解答は、胸に迫るものがありますよ。


人生をどんなふうに生きるべきか。それはつまり……


素晴しい作品でした。若い頃に買って2度程読んだと言ってこの本を貸してくれたK氏に感謝。





『さいはての島へ』

2006年08月17日 | 読書日記ーファンタジー
ル=グイン作 清水真砂子訳(岩波書店)

《あらすじ》
魔法の館の長としてアースシーをおさめる大賢人ゲド。災いの源を断つため、若いアレン王子をともなって最果ての地におもむき、死の国の境界で死力を尽くして戦う。


《この一文》
”「無垢には悪に立ち向かう力はないが、」ハイタカは少々皮肉をこめて言った。「しかし、善を守り、それを支える力はある。」”




明日、劇場版『ゲド戦記』を観にいくにあたって、第三巻を読み直しました。2回くらいは読んでいるはずなのに、冒頭のアレンと大賢人が噴水の間で出会う場面のほかはきれいさっぱり忘れていました。どうしてこれほどまでに忘れてしまえるのか、私の頭はいったいどうなっているのやら。でも、もう忘れないで済むと思います。書物は読むべき時に読めば、二度と忘れることはできません。私には今がようやく読み時だったというわけです。

さて、感想を書いておこうと思いましたが、暑くて頭が働きませぬ…。映画を観たあとでまとめましょう。

とりあえず、この『ゲド戦記』の初期三部作は必読の傑作シリーズです。人間の抱える問題を、さりげなく面白く描き出すル=グインという人は、ただものではありません。生きる上でなんらかの疑問を持つような人は、これらを読めばどこかに得られるところがあるのではないでしょうか。私にとっては第一巻「影とのたたかい」が忘れ得ぬ物語となりました。
実を言うと、この三部作に続く第四巻「帰還」は、今のところ私には面白いと思えません。本当は明日の映画鑑賞に備えてこれも読んでおこうとは思ったのですが、何となく読む気になれず。しかし、いつの日か読み返したなら、その時はもっと分かるようになっているだろうとも思います。何度も繰り返し読んでみることが必要です。そして、何度も読みたくなるものこそが名作であると言えましょう。それは何度読んでも飽きず、常に新鮮であり続けるものであることは、私が最近になってようやく知ることができた書物の秘密です。文学って素晴らしい。いえ、絵や音楽やその他のさまざまなことも。人間の精神活動というのは、まったく。

『モモ』

2006年06月16日 | 読書日記ーファンタジー
ミヒャエル・エンデ 大島かおり訳(「エンデ全集3」岩波書店)

《あらすじ》
時間どろぼうと ぬすまれた時間を 人間にとりかえしてくれた女の子の ふしぎな物語

《この一文》
” マイスター・ホラが立つと、モモもからだをおこしました。彼は手でそっとモモのもつれた髪をなでました。
 「ごきげんよう、かわいいモモ。わたしの言うことにもよく耳をかたむけてくれて、とってもうれしかったよ。」
 「あなたのことを、みんなに話してあげるわーーいつかまた」と、モモはこたえました。 ”



色々なことを考えさせられる物語なので、他にも引用すべきところはあったはずだとは思いますが、とりあえず、上の一文を取りました。マイスター・ホラとモモの別れの場面です。私は図書館の自習室で危うく泣き出すところでした。人の話を聞くというのは大切なことですね。私ももっと聞き上手だったら、それだけでも誰かの役に立てるだろうになあ、それどころか私ときたら全然話を聞かないもんなあ、と深く反省いたしました。私は、何を読んでも反省しているような気もしますが、よいのです。それが私の読書なのです。


さあ、長年の懸案だった『モモ』をついに読みました。なるほど、評判に違わず面白い。時間どろぼうにそそのかされて、未来のために時間を節約するべく無駄を省きせかせかと働きはじめる大人たち。しかし、やればやるほどに不足感が募り、さらなる忙しさを生み出すことになっていきます。それはまさに現代の社会の有様をみるようで、私は恐れおののきました。こういうところが怖いです。この人の物語はいつも。「そうは言ってもただのお話だからね」と笑い飛ばせないくらいに迫るものがあります。
エンデの物語を読むと、どうしても自分について深く考え直さずにはいられません。『はてしない物語』の時もそれはもう大変でした。壮大で明確なイメージの広がりをもつ物語は、いつもどこまでも美しいのですが、ただそれだけではなく、なにか個人の深いところに関わる問題をも提示するようです。世の中で広く長く読み続けられている理由は、そういうところにもあるのではないでしょうか。
それにしても、非常に魅力的であるのに、感想をうまくまとめられないのもいつものことです。なんでなんだろう。あらかじめ言い訳させていただきますが、今回は全体的に支離滅裂です(え? そうでもないですか? いつものことですか?)。でも、感想のようなものをなんとか書き出す努力はしたつもりです。どうかお許しを。


さて、モモは人の話を聞く才能に優れた女の子として物語に登場します。モモに向かって話すと、モモが何も言わないでも、話し手はひとりでに問題点や解決策を思い付くのだそうです。
そんな不思議なモモの大切な2人の友達、道路掃除人ベッポと観光案内人ジジもなかなか魅力的な人物です。ベッポはとても慎重で善良な老人です。他人から何と言われようとも自分の生き方や仕事に誇りをもっています。ジジは空想好きの青年です。モモのためだけに語られる、ジジとモモの物語はとてもロマンチックで美しいです。
モモと近所の子供たちの暴風雨ごっこの話も面白かったです。研究船〈アルゴ号〉の乗組員の冒険です。この章だけで読んでも十分楽しめます。どこからこんなにも豊かなイメージが沸いて出てくるのでしょうか。次々と展開する不思議で鮮やかで、しかもとても広大な世界観に目がくらみます。やっぱエンデって凄いな。

今さら私が言うまでもなく、『モモ』はとても人気もあり有名でもある物語です。まだ読んだことのない人も、いずれは読むことになるかもしれないと思い、あえて内容についてこれ以上詳しくは書きません。……いえ、私の力ではとても書けませんでした……。とにかく、まだお読みでない方は、ぜひとも読んでみてくださいませ。



モモのような女の子がいたら良いのにといくら願っても、彼女はたしかに物語の登場人物に過ぎません。しかし、私はただこの物語を読んだというだけでも、私自身の問題に直面し、それに対する解決策を考えるようになりました。こういう不思議な作用があるのが、この作品の魅力だと言えましょう。少なくとも、私にとっては大きな魅力です。

『クラバート』

2006年04月30日 | 読書日記ーファンタジー
オトフリート=プロイスラー 中村浩三訳(偕成社)

《あらすじ》
荒れ地の水車場の見習になった少年クラバートは、親方から魔法をならう。が三年後、自由と、ひとりの少女の愛をかち得るため、生死をかけて親方と対決する日がやってくる。
ドイツの一地方に伝わる〈クラバート伝説〉をもとに、現代の語り部プロイスラーが、十一年の歳月をかけてねりあげた壮大な長編小説。


《この一文》

”「それであなただとわかったのよ」”



どことなく『ハウルの動く城』な表紙の装丁にひかれて読んでみました。すると、中の挿絵にも『ハウル~』な感じの絵があってびっくり。気のせいかもしれませんが。

さて、とても簡潔でありながら、綿密に構成が練られているよく出来た物語でした。何と言ってもロマンチックなのが良いのです! 夢の中の声に呼び寄せられて水車場の見習になったクラバートは、一年の見習期間のうちに三つほども年を取ったりします。そして魔法がいかに労働を簡単にし、また人の心をも自由に動かすことの出来る力であるかを知るようになり、日々魔法の勉強に勤しむのでした。村の少女の美しい歌声を聴く、その日まではーー。
主人公のクラバートが、三年目までにどれだけ成長するかがこの作品の見所です。この成長の様子が実に上手く描かれています。最初の年にクラバートを助けてくれていた職人頭のトンダ、密告屋のリュシュコー、トンダの次に職人頭になったミヒャル、ぼんやりしているが家事の得意なユーロー、クラバートが三年目を迎えると同時に見習として入ってきたかつての仲間ローボシュ(しかし、ローボシュはクラバートがあまりに成長しているので本人だと気が付かなかったりして)などなど、周囲の人物が魅力的かつ的確に配置されています。各地の水車場に表れては労働条件を改善するように親方を懲らしめながら渡り歩くという伝説的人物デカ帽のエピソードも印象的です。人間は正しく労働をしなくてはならない、また、それをせずして同じ結果を得ようとするまやかしの力に魅了された少年を救うのは、真実の愛! というような主張がきっぱりとした、すっきりした読後感を味わえる作品でありました。

この物語は、伝説をもとに作られたそうです。練りに練られているせいか、伝説というのは面白いものが多いですよね。良い機会なので、もうちょっと色々な地方の伝説を読んでみたいところです。

魔法使いの弟子

2006年03月20日 | 読書日記ーファンタジー
ロード・ダンセイニ 荒俣宏 訳(ちくま文庫)


《あらすじ》

一人の年若い旅人が、魔法使いの<森の家>を探し、山中をさまよい歩いていた。彼の城の財政は、もはや魔法に頼らねばならないほどの状態で、錬金術の神秘と影を代償にした取り引き、それが最後の切り札だった。しかし、彼の探し求めるその魔法使いは、恐るべき黒魔術の徒であったのだ!
静寂にして華麗、透明にして妖美な虹色の世界が、ケルト民族特有の<黄昏の想像力>を駆使して描かれる、20世紀最大の幻想作家の傑作。



《この一文》

” こうして影がまた伸びはじめたとき、他人の偏見と陽射しをさえぎってくれていた樫の木蔭から出たかれは、堂々と道をくだりだした。今はだれに見られても平気な影に、安全を保証してもらって。それにしても、こんなに頼りない護衛に身をまもってもらえるとは、考えもしないことだった。近衛の兵にしても、こんなに薄っぺらで、こんなに実体のない伴侶はないと思った。けれどもこのおかげで、世の人は些細なものに大きな値打ちをつけたがるかと思えば、その一方で価値を見殺しにして省みないこともあるという事実を、かれは教えられた。 ”



買ってから、およそ8年。これまでに、途中まで読むこと2回。3度目の挑戦で、ようやく最後まで読むことが出来ました。長い道のりでありました。面白かったのに、何故……。

さて、なかなかロマンチックなこのお話。話の展開が速いので、すらすらと楽しく読めました(8年もかかったくせに……)。森の奥の魔法使いの家。世の中を形成している物質の秘密。宇宙の果てまで飛んでゆく影。謎めいた暗黒の呪文。ロマンです。
主な登場人物は、主人公のラモン・アロンソ。魔法使い。魔法使いの家の<掃除女>(かつての名はアネモネ)。ラモン・アロンソの妹のミランドラ。狩りの途中で、ラモン・アロンソの城へ立ち寄ることになった<影の谷>の公爵。などなど。
面白かったのは、ミランドラと<影の谷>の公爵のロマンス。美しいミランドラは城にお金もないので持参金を用意することも出来ず、仕方なく近所の醜男グルバレスと婚約させられますが、たまたまその時偶然にも、世に権勢を誇り、王のおぼえもめでたい美男<影の谷>の公爵がやって来ると知り、公爵に媚薬を飲ませます。うーん、凄いやり手。ところがこの媚薬がとんでもない事態を引き起こすことになり……。
可哀想だなー、グルバレスは。やる気満々だったのになあ……。

もちろん、主人公のラモン・アロンソの物語もたいへんに面白いです。失った影を取り戻すべく、彼はさまざまな方法を考え出します。そして、彼と同様、魔法使いによって影を奪われた<掃除女>の影も取り戻してやろうと考えるのでした。この二人の結末も面白い。いや、まあ、予想はできましたがね。

そして、物語の結末もたいへんよろしい。最後に魔法使いがそうなるとは思いませんでした。この物語が面白いのは、登場人物のそれぞれがちゃんと自分の価値基準を持っていて、あまり人物を善悪で分けていない感じがするところでしょうか。魔法使いも弟子のラモン・アロンソもミランドラも、自分の利益のために結構好き勝手に行動するところが良いですね。常識的な「善悪」に対しては「そんなものか」という感じで割とドライなのですが、それよりも自分の信念を重視する彼等は痛快です。

というわけで、かなり面白かった『魔法使いの弟子』。面白かったので、ダンセイニ卿のお話をもっと読んでみようという気になりました。

『影との戦い ゲド戦記I 』

2004年12月08日 | 読書日記ーファンタジー
アーシュラ・k・ル=グウィン作 清水真砂子訳(岩波書店)


《あらすじ》

ゲドは,自分に不思議な力が具っているのを感じ,真の魔法を学ぼうと,魔法の学校に入る.進歩は早かった.得意になった彼は,禁じられた呪文を唱えた.それに応えたのは死の国の影だった.やがてこの影を追い,影に追われ,彼は世界中をさまよい,苦心の末ついにその正体をつきとめるまでのゲドの生涯を描く一大叙事詩


《この一文》

” 目が覚めても、ゲドはまだもとのゲドにもどれず、口もきけなかった。オジオンは黙って、彼に肉と水を与え、火のそばにすわらせた。背をまるめてうずくまったゲドの後姿は、疲れて、不機嫌になっている大きなハヤブサを思わせた。夜が来ると、彼は眠った。三日目の朝、オジオンが炉端にすわって、火を見つめていると、ゲドがやって来て言った。
 「オジオンさま・・・」
 「やあ、来たか。」オジオンは言った。
 「はい、出ていった時と同じ、愚か者のままで。」若者は言った。---  ”



対象年齢は小学6年、中学以上となっていますが、私が読んだのは21歳の時でした。
大人でも十分に楽しめる作品です。
ファンタジーですが、テーマは重く、様々なことに関して考えさせられます。
私が特に興味を持ったのは、この物語世界の重要な設定のひとつである「物は全て名前を持つ」ということでしょうか。
まあ、いろいろと深く考えても考えなくても、物語としてとても面白い作品であることは間違いありません。
もう2度程読みましたが、この先また何度か読み返すだろう1冊です。

『はてしない物語』

2004年12月04日 | 読書日記ーファンタジー
ミヒャエル・エンデ作 上田真而子 佐藤真理子訳(岩波書店)

《あらすじ》

物語の呼びかけに応え
本の中に入りこんだ少年の
ふしぎな冒険の物語--
『モモ』に続く、
エンデの傑作ファンタジー


《この一文》

”「そこへ通じる道なら、どれも、結局は正しい道だったのよ。」”


恥ずかしながら、私は最近になってはじめて読みました。
大変に感動いたしました。
もう涙が止まりません。
何故もっとはやくに読んでおかなかったのだろうと悔やみましたが、多分この作品は今読むべきものであったのだとも思いました。
人との出会いもそうですが、本との出会いも然るべき時が来れば必ず出会うようになっていると感じます。
まあ、思い込みかもしれませんけれど、何を読もうかな~と思っていると、何か、本の方から引っ張られるような気がするのです(思い込み)。
この先もまだ私の知らない傑作がたくさん待ち受けていると思うと、楽しみで仕方がありません。