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もやもや日記

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君たちは何故そんなにも

2007年03月31日 | 映像
ラッコの衝撃映像(←ここから)


YouTubeで偶然に、ラッコ二人組の破壊的映像を発見しました。

こ、これは……! なんだか、これは、も、萌え…! 平和でいいなあ。


***

ちなみに「ラッコ」って、何語だろ? と思ってちょっと調べたら、《アイヌ語》から来ているらしい。知らなかったー!



『キリクと魔女』

2007年03月29日 | 映像(アニメーション)
監督:ミシェル・オスロ


《あらすじ》
魔女に苦しめられる村では、泉の水も枯れ男たちもいなくなった。そこへ小さなキリクが生まれてくる。あらゆる物事に対して疑問を抱くキリクは「なぜ魔女はいじわるなのか」と問いながら、魔女に奪われたものを取りかえしにいく。


《この一言》
”私は 自由だ!! ”




これはキました!
なんという物語でしょうか。単純でありながら深い。そして美しい。


プリンス&プリンセス』を観て好きになったミシェル・オスロの有名作をついに観ました。期待を上回る素晴らしさです。もうだめ!

私は、以前『プリンス&プリンセス』を観た時には、「魔女」というエピソードでのたうちまわったのですが(あまりにロマンティック!)、この『キリクと魔女』はそれをさらに掘りさげて拡げたという感じの物語です。というわけなので、やっぱり今回ものたうちまわりました。ナニコレ、美し過ぎますよ! わーー! ここでこう展開するのか、しかもこの映像とは! もうだめです!

まず美しいのは何と言っても映像です。人物のなめらかな曲線を持つ単純な造形に対して、精密で繊細な極彩色の背景。はあ。きれいです。目が釘付けです。

そして、さらに美しいのは物語の内容です。神話のように単純素朴でいて、しかもとても深く、また不可思議でもある。素晴らしい…。思わず泣いてしまったではないですか。
ここまで手放しに絶賛している私ですが、正直に言うと、最初のほうは子供向けの物語に対するような気持ちで観ていました。しかし、私は愚かでした。この強いメッセージ性は観る人を選ばないでしょう。人間の苦しみを、愚かさを、誇り高さを、この作品は伝えていました。これが泣かずにいられるか。


さて、物語の重要なテーマのひとつである「なぜ魔女はいじわるなのか」ということに関して。

誰もが魔女によって苦しめられているというのに、誰もそのことを疑問に思わない。常識や思考の停止が人々の間に、根深く蔓延しています。恐ろしい。それは、ほら、今ここにもあるではないですか。「常に目覚めている知性」を、ただ闇雲に怖れたり憎むのではなく、その理由を考えることを、我々は要求されるでしょう。なぜ我々は不満で不自由なのか。それはいったい誰のせいなのか。そして、どうしてその状態であり続けることに甘んじているのか。そうあることのいったいどこが常識なのか――。

問い続けることは、極めて孤独ではあるけれども、どこまでもどこまでも自由であり得るということでもあります。そのことの大切さを色々な素晴らしい人たちが私に伝えてくれているのに、私はすぐに忘れてしまいそうになります。でも、溺れかかっていると、またこのように救われるのです。そのおかげで、私は少しずつ自由になってきている。まったく感謝のしようもないほどなのです。

モデュラスのオムライス

2007年03月28日 | もやもや日記

今日、激務が一段落しました。昼まではまさに地獄絵図でしたが。
そして、その後一気に気が抜けたせいか、どうやら風邪をひきそうです。くしゃみ大連発です。まてよ、ついに花粉症かもしれませぬ。いずれにせよ、ずびーという感じです。


そんなわけで、明日はもう休んでしまおうという気持ちでいっぱいなので、景気付けに今晩はちょっと楽しい夕飯を作ることにしました。

メニューは最近の流行のオムライス。(注:流行っているところ=私の周囲およそ0.1M以内つまりほぼ私のみ。ちなみに他には麻婆も流行ってます。それぞれ毎週一回のペースで食べている気がします。あ、ベーコン・エッグもあった。これは昼夜を問わず2日にいっぺんは食べています。一瞬で出来るのが魅力…)
さて、オムライスの卵焼きの表面には、例のペンギン柄です。ふふ。これでよし。

それと、野菜のミルクスープに、春なのでイチゴとうさぎリンゴ。


丸くかたどったオムライスには、ケチャップライスをぎゅうぎゅうに詰めてあるので、うかつにも途中で満腹になってしまいました。私としたことが! まあ、ゆっくり食べるとしましょう。


Glenn Gould "J.S.Bach Goldberg-Variationen"

2007年03月27日 | 学習
このところ、すっかり無感動で詰まらない人間に成り下がってしまったと落ち込んでいましたが、それは「気のせい」でした。私はいま、こんなにも感動しています! 人類って素晴らしい!


なぜ、突然こんなことになったのかと申しませば、いつも通っている文芸サイトに、この人の演奏するこの曲は名曲であるということと、いまYouTubeにそれがアップされているという記事があったので、昼休みにちょっと聴いてみたのです。それで、その感想を一言で言うならば、こうなるでしょうか――


!!!(一言にもなりません。無理。不可能)



演奏開始20秒ほどで、ただちに私の目からはとめどなく涙が溢れ出ました。大袈裟ではありません。ほんとうです。結局、映像が終わるまでおいおいと号泣してしまいました(昼休みはいったん職場から帰宅していたので、いっそこのまま午後休を取ろうかという勢いでした。取らなかったけど)。
信じられません。ピアノの演奏って、こんなに感動的だったのですね。

とにかく圧倒的な音。音。音!
音楽のことなど、ましてやバッハのことなど、さらには演奏者のグールドのことさえも丸っきり知らない無教養な私には抵抗する間も与えられずに全面降伏するしかありませんでした。このグールドって人は、なんだか凄い。とにかく凄い。
演奏の凄さだけでなく、人間としても相当に特殊な人だったらしいので、興味津々です。ちなみに若い頃はハンサム。別の動画では、歌ったり途中で席を外したりしながらきわめて楽しそうに演奏していました。実に興味深いですね。


さて、今回私が聴いたのは、1981年に収録されたグールド最晩年の演奏です。そして、この時の「バッハ ゴルトベルク変奏曲」は傑作であるとされているそうです。たしかに凄かった。もう、ほんとうに凄いとしか言えません。


夜、仕事を終えて、もう一度よく聴き直そうと思ったら、YouTubeからは既に削除されていました。なんてこったーッ!! やっぱ午後休を取って昼間のうちに聴き倒すんだった……。あぁ……!

残念至極ではありますが、あらためてCDを買って聴くことにしましょう。でも、あの映像の迫力もとてつもなく凄かったんだけどなあ…。DVDは手に入るのかどうなのかよく分かりませんでした。うーむ。



グールドは既にこの世の人ではありませんが、いまだに人々を震えさせるようなものを遺してくれたというのは、人間の手になるあらゆる美しいものに感動するといつも私が思うことですが、実に素晴らしいことであります。不滅のものというのは確かに存在するのではないかと、ますます思えてきた。


 ***コメント欄にお得情報があります***

 ***「その2」に続きます***

消失

2007年03月25日 | もやもや日記


海の前ではもはや失われるものはないように思えます。
私は水がいっぱいに満ちているあの暗い海をいつも懐かしんでいます。


*******************

気が付いたら、1週間まるまるブログを更新していませんでした。しばらく書くことを何も思い付かないのですが、そのうちまた溢れ出るかもしれません。いろいろなことへの興味だけは、どんどん沸いています。しかし、次から次へとためらいもなく気持ちが移っていってしまうのは、まったく困りものなのであります。

『悪魔のような女たち』

2007年03月18日 | 読書日記ーフランス
バルベー・ドールヴィイ 中条省平訳(ちくま文庫)

《あらすじ》
若い陸軍士官と高貴玲瓏たる美女アルベルトの秘密の逢瀬をまつ戦慄の結末、パリの〈植物園〉の檻の前で、獰猛な豹の鼻面をぴしりと黒手袋で打つ黒衣の女剣士オートクレールの凄絶な半生、みずから娼婦となってスペインの大貴族の夫に復讐を図る麗しき貴婦人シエラ=レオネ侯爵夫人……。華麗なバロック的文体で描かれた六篇の数奇な物語を、魅力あふれる新訳でおくる。

《この一文》
”でも、無垢な者は、その無垢ゆえに、しばしば堕落するものでしょう……。
       ―――「ドン・ジュアンの最も美しい恋」より   ”

”死が人生の終わりなのではない。しばしば魂の死は人生の終わりよりずっと前にやって来るのである。
       ―――「無神論者の饗宴にて」より   ”




ときどき、読みながら髪がざわざわと逆立つ感じのするような本に出くわします。これも、そのような本の一冊でした。

ちょっと前に読んだ『怪奇小説傑作集4・フランス編』に収められていたこの人の「罪のなかの幸福」という作品が猛烈に面白かったので、こちらも読んでみることにしました。「罪のなかの幸福」は、この『悪魔のような女たち』にも収められています。全部で6つの物語を読みましたが、ただならぬ面白さです。とにかく勢いが半端でありません。頁をめくると、見開き2頁分でおよそ5、6個は「!マーク」が見つかります。凄いんです。燃えているんです。そして、いちいち名言が多し! とても全てを引用することはできません。凄いなあ。


「貴族主義」ということが、この人の作品から感じ取れる特徴のひとつであると思いますが、登場人物やかれらの服装、小道具などの描写は豪華絢爛、美しくって堪りません。また、この時代の貴族たちはすでに滅び行く種族であったため、悲壮感が漂うのも事実です。いや、読めば分かりますが、美しいとか悲しいとか激しいとか、一言で説明することはできません。とても一言では片付きません。それほどに、物語の振幅が大きいのでした。6篇を通して読めば、ある程度のパターンがあることにはすぐに気が付きますが、それでも、読んでいる間は、物語がどのように展開するのかはさっぱり見当も付かない密度の高さでした。確実に言えることと言えば、とにかく面白いということでしょうか。

登場人物たちは、いずれもほとんど悪徳浸けの生活を送る神を恐れぬ者たちばかりなのですが、かれらのような無神論者たちにも、ときどきはある種の信仰心のようなものが見えたり、やはり見えなかったりします。揺らいでいます。無垢と滅亡が緊密に接していたり、愛と悪行はほとんど同一のようだったりしています。面白いのです。興味深いのです。それが、華麗で怒濤の勢いをもって描かるので、私はもうすっかりやられてしまいました。

私がとくに興奮したのは、最初の「深紅のカーテン」と、5番目の「無神論者の饗宴」でしょうか。それと「罪のなかの幸福」ももちろん。「深紅のカーテン」と「罪のなかの幸福」には、いずれも女のように美しい男と男のように逞しくやはり美しい女の恋愛が描かれているのですが、それがなんだか無闇に魅力的です。もうだめです。こんなに興奮したのは久しぶりです。なんだこれは。「無神論者の饗宴」のほうは、無垢と悪徳が完全に同居した精神を持つ女の怒濤の物語です。これは相当に過激です。真夜中に読んだら、怖いかもしれません。

本当は12篇で構成されるはずだったのが6篇にとどまったのは、6篇を出した段階で発禁処分になったからなのだそうです。たしかに、現代の私が読んでもやや過激な内容でした。あと6人の女たちの話がどんなものだったのかを知ることができないのはまことに残念至極であります。




私はフランス小説に関してはいつも気楽に読めるつもりでいるのですが、ときどきその期待をかなり激しく裏切られてしまいます。もちろん、その裏切りは、私の喜びを激増させることは言うまでもありません。

緑色の椅子

2007年03月17日 | 夢の記録
夢のなかの私は不思議な女だった。とくに魅力的なところがあるということもなかったが、あるとき、素敵な恋人を得た。その人は、優れた音楽の才能を持っていて、美しいメロディに美しい詩をつけて、美しい声で歌う人だった。そんなに素敵な人が、どういった理由があって私の恋人となったのかは忘れたが、その人はたしかに私を愛しているらしかった。

私とその人は、緑色の二人掛けの椅子があるだけのがらんとした部屋で静かに暮らした。

夢のなかの私は不思議なほどに無口な女だった。激しく心を動かされることがあっても、それを決して口には出さなかった。口に出して言うほどのことではないと思っていたのかもしれない。表情にあらわすことさえしなかった。
雨の降る日、濡れた地面の上に小石が転がるのを見て、私はなぜかとても感激していた。私はいつものように黙っていたが、その人は、私の感動を、まるで匂いを嗅ぎ付けるように敏感に感じ取っていた。その人は、私を、そのように愛しているらしかった。

その人は、私に色々なものを見せたいと言って、世界中の美しいところへ連れていってくれた。緑の草原に取り残された遺跡や、高い高い岸壁の真下に広がる暗い色の海を見たりした。そのたびに、私は静かに激しく感動し、その人はとても満足そうだった。

私とその人は、どこへ行くにもつねに一緒だった。緑色の椅子に座って、私はいつも何かを読んでいる。その人は隣りで、ただそれをじっと見ている。つねに一緒の私とその人は、しかし、言葉を交わすことはほとんどなかった。ときどきほんの一言二言の会話が交わされることがあると、彼が私に語りかけるその声があまりにも美しいので、私はぽろぽろと涙をこぼすのだった。私はどうにかこの気持ちを、このような時にはどうにか言葉にして彼に伝えようと思うのだが、「あなたは、話す声までもとても美しいのですね」と言うのが精一杯である。すると彼はにっこりと美しく微笑んで、私を抱きしめる。

そうやって、私とその人は、緑色の二人掛けの椅子があるだけのがらんとした部屋で、いつも雨降りのような静けさのなかに暮らしていた。





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春なので、こんな夢を見ました。春にはどうもこんなふうに、やたらと印象的な夢ばかり見てしまいます。
この夢から覚めたあとも、一日中、夢のなかの素敵な恋人にどきどきして、何も手につきませんでした。素敵な夢を見て起きた朝の例によって、このときももう少し夢の続きを見られればと残念な気持ちになりました。
夢のなかの彼らは、やはり二人とも私であるのでしょうか。それとも、たとえば、今はもう目を覚ましている私と君であると言えないこともないのでしょうか。と思ったりもしました。


3本立てで見たこの日の夢はほかに、「《くるり》のライブのチケットが当日に500円で売られていたので、これで今日の夕方には楽しく過ごせると大喜びで買ったのだが、実は私は日時を間違えていてそれは昨日のチケットであることが発覚。激しく落胆していると、チケットショップのあるロの字型になった二階建ての商店街(最近の私の夢にはよく出てくる場所)の、階段の踊り場で、岸田さんに出会い、岸田さんは『これでチケットを買うといい』と言ってお金をくれた。やっぱり素敵な人だわ、と思う」

という夢と、「私と友人のM嬢は、商店街で買い物をしている途中に(やはり先ほどのロの字型の商店街である)、不思議な男の子と出会う。彼のどこが不思議だったのかは忘れたが、彼には姉と見紛うような若い母親がいて、きょうだいは他に弟と妹がいるようだった。最終的に私とM嬢とは、彼の自宅まで呼ばれていき、何のことについてだったかも忘れたが、『そんなに気にすることでもないよ』というようなことを言って彼のことを慰めるのだった」

という夢も見ました。

週末!

2007年03月16日 | もやもや日記
ようやく週末です。


一週間も金曜までくると、何を着たらいいのかもよく分からなくなるものです。今朝は(今朝も、と言うべきか)、適当な恰好で出勤しました。焦げ茶色の牛革ジャケットにジーンズという素っ気なさを極めた服装で出かけようとしますが、玄関先の鏡に映った姿に、(なんか…これから工場で安くこき使われにいく労働者のようだな…)と思っていると、K氏がこう言って送り出してくれました。

「なんか、《アフマディさん(28歳 男性)は、家族を養うため出稼ぎに行くのでした》って感じだね」

ふ。反論できません。たしかにそんな感じ。安くこき使われる労働者だし。
しかし(28歳 男性)って、なんだ。いや、まあ、気持ちは分かるけど……。実年齢よりやや若く設定してくれたのは、わずかばかりの思いやりなのだろうか…。ちなみに、私はいちおう女性だが……。うむ。それも、まあ、どっちでもよいけど。

なぜ《アフマディさん》かと言えば、我々は、このところ毎晩のように中東諸国を扱ったドキュメンタリー番組ばかりを見ていたのです。《アフマディさん》とか《ムハンマドさん》とか、そういう名前には惹かれるものを感じます。このように、すっかり確実にアラビアン・ナイトな効果があらわれているようなのですね。そして、あちらの国々には、私に似た人々がたくさん生活しているようなのも事実なのでした。他人とは思えぬ。

では行ってきます。



そして、夜。
今日も一生懸命働きましたが、仕事はあいかわらず忙しいので、ついつい明日も休日出勤しようかという気になってしまいます。だがしかし、やっぱり久しぶりに土曜くらいは休みたい。
やったー、2連休だぜ。


というわけで、休み前の高揚感にまかせて、さっそく溜め込んでいた用事を済ませようと思います。

まずは、作るだけ作ってアップできなかった新作フラッシュ(デスクトップ上で起動するアニメーション付き時計)をホームページに載せておきました。うーむ。なんか、あらためて見ると、いまひとつのような気も……。まあ、いい。いつものことだ。
よろしければ、こちらからご覧くださいませ。
と、おすすめできるほどのものでもないのですが。とりあえず。

 →→ 『不透明記録


えーと、それから、読書もしなくては。ブラウスも縫いたいし。DVDも観たい。よーし、がんばるぞー。

いかん!

2007年03月15日 | もやもや日記
ぼんやりしてたら、木曜でした。
あれ~?

いえ、ぼんやりといっても、今週もあほみたいに働いています。
が、本も読みました。バルベエ・ドールヴィイはかなりいいです。
毎晩、テレビでドキュメンタリー番組も見ています。
サウジアラビアの王子さまには感動しました。
ヨットで大西洋横断にも興奮しました。
寝ているあいだにも、素敵な夢を3本立てで見ました。
そのうちのひとつには悶絶しました。



というわけで、週末にまとめてそういうことどもの記事を書きたいです。
そろそろ、落ち着いてものを考えたいところなのです。
あ、FC2への接続障害がなおってました。
ホームページも更新せねば!!

春のデスクトップ時計

2007年03月11日 | 自作アニメーション
そろそろ春な感じのフラッシュで動作するデスクトップ時計を作りたいなあ、と思っていた矢先に、ドッペルさんからもそのようなご要望をいただき(いつも御愛顧ありがとうございます!)、さっそく作ってみました。

冬の時計の背景を変えただけですが、ちょっと春な感じになりました。ヒヨコ兄弟のノルとディックが羽ばたくようになりました(←前回よりもやや高度な展開……でもないか)。
あともう一種類くらい作りたい。こちらはご覧の通り、自分で見ていても冷や汗が出るほどにファンシー系なので、もうひとつは、もっと硬派な感じで……出来るのか…私に……? いや、乗り越えろ!


さて、思い立ったが吉日とばかりに速攻で作ってみたわけですが、HPのほうにはアップできません。FC2につながりません。あれあれ? なぜなの? どうやら接続障害があるらしいです。うう、ひどい、たまに更新しようと思ったらこれだぜ。

というわけで、復活したら載せる予定です。
よければチラ見してみてくださいませ。