半透明記録

もやもや日記

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八月の終わり

2008年08月31日 | もやもや日記
シュークリームみたような




うーむ。八月も終わりです。

今日は久しぶりに晴れましたが、丸い雲がぷかぷか浮いていて気持ちがいいです。昨日の晩は風が強くて、私は近所まで買い物へ行く間、風に当たったために具合が悪くなりました。どれだけ弱っておるのか。でも、今日は元気。

このところ、どうやらはやく来てしまったらしい秋に浮かれて、夏の間は暑くて読んだり観たりできなかったものを一気に摂取した私は毎日感激の涙に暮れていました。興奮し過ぎです。調子に乗って、またまた古書を大量に買ってしまったし。ちょっと反省もしています。まあ、でも秋だから。

私は、秋になると何だって出来るような気持ちになるんですよねー(それで実際に何か成し遂げたことはないのだけれど)。秋だ、秋。昔は夏の終わりが何故か苦手でしたが、最近はあまり物悲しさを感じなくなっています。どうしてだろう。

さあ、秋から始めることは沢山あるぞ。がんばろうっと。



それにしても、雲って、じっと見ていてもそのことに気が付かないくらいゆっくりとしかし着実に形を変えているものですね。10秒ごとに見たりすると、もうさっきとは別の形です。




『GATTACA』

2008年08月30日 | 映像
監督:アンドリュー・ニコル
製作:ダニー・デヴィート/マイケル・シャンバーグ/ステイシー・シェール
脚本:アンドリュー・ニコル
出演者:イーサン・ホーク/ユマ・サーマン/ジュード・ロウ
音楽:マイケル・ナイマン
1997年/101分/アメリカ

《あらすじ》
そう遠くない未来。遺伝子操作により生み出される優れた知能と体力を持った適正者とそうではない不適正者とが存在する差別的な社会が出来上がっていた。
遺伝子操作を受けずに生まれ、心臓に欠陥を持ち、不適正者として生きざるを得ないヴィンセントが、適正者のみに許された宇宙飛行士になることを夢見て、遺伝子の申し子と呼ばれるほどの適正者 ジェローム・モローという男になりすまし、宇宙を目指す。

《この一言》
“あの時と同じだ

 戻ることを考えずに
 全力で泳いだ   ”




観るのは一体何度目か。記事を書くのは2度目です。前の記事を読み返していないので、ひょっとしたら全く同じことを書いているかもしれません。

さて、私はどちらかと言うと涙もろい質ですから、見え見えの演出なんかにもコロっと泣かされたりもするわけです。しかし、この映画は本物ですよ。ここにあるメッセージの純度はあまりにも高いのです。あまりに美しいので、作られたものだということを忘れる。ただの物語だということは忘れてしまう。いや、ただの物語なんてどこにもないのだけれど。無数の物語のなかでも、これはとびきり素敵だ。

もうこれまでに何度見直したか覚えていません。ですが、最初に観た時のことはまだ覚えています。10年ほど前でした。恵比寿の劇場だったのではなかったでしょうか。隣にはK氏が居ました。限りなく美しい2時間足らずの時間を過ごした後、私はあの時もやはり大量の涙と鼻水を垂らしていましたが、隣のK氏は顔を上げることも出来ぬほどに号泣していたのを覚えています。二人とも大泣きして、上映終了後もしばらく劇場を出ることが出来ませんでした。しかしあの時、あまりのことに震えて、席を立つことが出来なかったのは、我々だけではありますまい。そして、今日観ても、やはりそれは同じことです。

とにかく、どこをとっても完璧に美しい。映像も、人物も、物語も、音楽も。私などは、始まって最初にテーマ曲が流れるだけで既に泣きそうです。海で兄弟が競争する場面が何度かあるのですが、そこもかなりやばいです。何回観てもダメです。そしてあの結末。分かっていても、いまだに嗚咽してしまう。た、たすけて……!

私たちを震わせる、この映画に込められたメッセージとは何か。それは、

 自分の可能性を 他人に決めさせるな

ということでしょう。ヴィンセントは、全ての人が彼に対して「不可能だ」と宣告し続けたにもかかわらず、夢を諦めません。映画の冒頭では殺人なんかも起こるのですが、サスペンスであるというよりは、かなりはっきりと根性ものなんですね、これは。あまりにもストレートな根性物語。でも暑苦しくはない。

「お前には不可能だ」「不可能だ」「不可能だ」。
押し潰されていても、空の彼方へ向かうロケットを見上げるヴィンセント。彼にはハンデがありましたが、心は決して折れません。ヴィンセントに肉体と名前を提供したジェロームとの対比が印象的です。
ジェロームは遺伝的には完璧な肉体と知能を持ち、水泳界のスーパースターでしたが、事故で足を不自由にします。望めば何にでもなることができるジェロームですが、あることがきっかけで、心に大きな空洞を作ってしまったようです。それを、ヴィンセントが埋めることになります。しかし結末は悲しすぎる。分かるような気もするけど、分かりたくない。

うーむ。内容をちょっと書いたくらいでは、この映画の魅力はきっと伝わらないですね。静かな美しい映像や音楽まで伝えることは、私の文章では出来ないし。でも、いつかはこの映画の素晴らしさを伝えられるものが書きたいものです。それまでは、何度だって観なくては。そもそも私はまだ観足りてないような気がするし、言い足りない。

 遺伝的要素によってその人の人生のすべてを決定することは出来ない。
 肉体の不足を補ってあまりある精神の前に、人は可能性を広げられるはずだ。

実際ある程度この通りの物語だとも思うのですが、なにかまだあるような気がする。私を打ちのめす、これほどまでに私を打ちのめすためには、まだ何かあるはずだと思います。でも、それが何なのかまだ分かりません。

というわけで、続きはまた今度観た時に、もっとうまく書けるといいなあ。



動物の魔法瓶

2008年08月29日 | もやもや日記



猫の魔法瓶が欲しい…でも当面は魔法瓶は私の実用にはならないしな(お湯はその都度沸かす派)……と悩んでいるうちに、今度は熊の魔法瓶が出たようです。うおおおぉぉ!


ドイツのヘリオス社というところから出ているこの動物の魔法瓶シリーズが可愛くて仕方ありません。特に猫の魔法瓶がやっぱり可愛い! 白い猫と黒い猫の2種類あります。中身の入れ替え時には、首が取れます。はあ、やっぱ可愛いなあ。でもなあ、私の役には立たないんだよなあ。
もうずいぶん前から悩んでいるので、MKちゃんからも「とっとと買え!」と言われているのですが、どうしても踏ん切りがつかない私。うーむ。欲しい。が、しかし、要らないんだよなぁ……(/o\)

とりあえず、私はこの魔法瓶が自分の所有にならなくとも、世の中にこんな可愛いものが存在するのだというその事実に満足することにいたしましょう。……なに、これ、愛?

『東欧怪談集』

2008年08月28日 | 読書日記ー東欧
沼野充義 編(河出文庫)



《収録作品》
*ポーランド
・「サラゴサ手稿」第五十三日 トラルバの騎士分団長の物語(ヤン・ポトツキ)
・不思議通り(フランチシェク・ミランドラ)
・シャモタ氏の恋人(ステファン・グラビンスキ)
・笑うでぶ(スワヴォーミル・ムロージェック)
・こぶ(レシェク・コワコフスキ)
・蠅(ヨネカワ・カズミ)

*チェコ
・吸血鬼(ヤン・ネルダ)
・ファウストの館(アロイス・イラーセク)
・足あと(カレル・チャペック)
・不吉なマドンナ(イジー・カラーセク・ゼ・ルヴォヴィツ)
・生まれそこなった命(エダ・クリセオヴァー)

*スロヴァキア
・出会い(フランチシェク・シヴァントネル)
・静寂(ヤーン・レンチョ)
・この世の終わり(ヨゼフ・プシカーシ)

*ハンガリー
・ドーディ(カリンティ・フリジェシュ)
・蛙(チャート・ゲーザ)
・骨と骨髄(タマーシ・アーロン)

*ユダヤ
・ゴーレム伝説(イツホク・レイブシュ・ペレツ)
・バビロンの男(イツホク・バシヴィス(アイザック・シンガー))

*セルビア
・象牙の女(イヴォ・アンドリッチ)
・「ハザール事典」ルカレヴィチ、エフロシニア(ミロラド・パヴィチ)
・見知らぬ人の鏡「死者の百科事典」より(ダニロ・キシュ)

*マケドニア
・吸血鬼(ペトレ・M・アンドレエフスキ)

*ルーマニア
・一万二千頭の牛(ミルチャア・エリアーデ)
・夢(ジブ・I・ミハエスク)

*ロシア
・東スラヴ人の歌(リュドミラ・ペトルシェフスカヤ)


《この一文》
“「ああ! だめなのは知っておった。おまえのようなやつは沢山おった。誰もがだめで、誰もが何かしら義務を果たさねばならなかった……、たった今この瞬間にも……、神様通りや、明白通りや、美麗通りで……。結構……、行け、行ってしまえ……」
「ご住所をお教えください!」彼は頼んだ。
「住所? 知っておるではないか……」 

     ―――「不思議通り」(フランチシェク・ミランドラ)より”




おかげで満ち足りた日々を過ごすことができました。いえ、内容はぞっとするような髪の逆立つような身の竦むようなものばかりなのですが、しかしこれを私は長らくずっと待ち望んでいたのです。なので、読んでいる間はずっと満たされていました。そう、これを読んでいる間は………。

ああ、あの時買っておけばこんなことにはならなかったのに……。どうしてもこの本を手に入れることができないでいる私は、ついに図書館へ行って借りてきたのでした。今はまだいい、図書館で借りられるうちは。しかし、図書館の蔵書から外されてしまったら、私がこの図書館を利用できない地域に移り住んでしまったら、そのときは一体どうしたらいいのだ。そう考えると、私の心は巨大な恐怖に凍り付くのでした。一刻も早く手に入れなくては……。というか、なぜいつまでも絶版なんだ、河出め………。


さて、粒揃いのアンソロジーというものにはなかなかお目にかかれないものですが、河出の『怪談集』シリーズは今のところハズレがいっさいありません。『ロシア』も『ドイツ』も『ラテンアメリカ』も良かったけれど、この『東欧』も素晴らしいものでした(あとのアメリカ、イギリス、フランス怪談については、愚かな私は持っていない上に未読。なんて愚かなんだ!)。

あー、面白い、あー、面白い。どれもこれもが異常な魅力を放っていましたが、私が特に衝撃を受けたのは、上に引用した「不思議通り」(フランチシェク・ミランドラ)。ごく短い物語なのですが、これがもの凄い。はり倒されました。

物語は、電信局に勤めるある男が家に帰ると、水道の蛇口から水がぽたぽたと垂れていて、それが「不思議通り三十六番地……不思議通り……」と言うように聞こえる。いたたまれずに家を飛び出した彼は、店で老人に出会う。老人は「不思議通り」を知っていると言う……。

と、まあ、こんな感じの話です。やばい、すげー面白い。どうしよう。どうしよう! と私は興奮を抑えきれず転げ回りました。ますますこの本を欲しい気持ちがせりあがった瞬間です。

他にも、「サラゴサ手稿」(完訳版が出るらしいという噂がありますが、いまだ実現していないそうです。がんばれ創元社)、「ファウストの館」、「不吉なマドンナ」、「ゴーレム伝説」(短いが恐い)、「バビロンの男」(暗黒な雰囲気がいい)「見知らぬ人の鏡」(説明不要の恐怖物語)、「夢」(立ち直れなくなりそうな残酷物語)などなど、やっぱりほぼ全ての物語が異常に面白かった。幻想的な美しさを持つものから、底知れぬ狂気をのぞかせるものまで、どれもこれも不思議な魅力で私を圧倒しました。わああーーー!

一回読むだけでは足りない。ひとつひとつの物語を、もっとじっくり味わいたい。そのためにはやはり、どうしてもこの本を手に入れなければなりません。

物語には魔力がある。狂おしいほどに夢中にさせられる物語がたしかにある。そのことをあらためて私に教える本でした。



余談ですが、このあいだこのブログにコメントをくださった しばたさんのお名前が訳者の中にあって、「!!」とこれまた激しく興奮したことも書いておきたいと思います。翻訳者の方がたまたまでもこんなところを通りかかってくださったとは!!

これら素晴らしい訳者の方々のおかげで、私は世界中のさまざまな物語に触れることができるのです。
こういう本を世に送り出すために力を尽くされている全ての方々に感謝したい、そんなことも思った次第です。実にありがたいことです。私たちはなんと幸福な世紀に生きていることでしょう! 本が読めるというのは、本当に贅沢で幸福なことですね。



『ねこだらけ』

2008年08月27日 | 読書日記ー漫画

横山キムチ

『ねこだらけReturns』:OhmyNews





白い、人形をした猫が主人公の、横山キムチさんの4コマ漫画です。モーニングで連載中(不定期?)のようで、このあいだモーニングをチラ読みしたときにも、この『ねこだらけ』が破壊的な笑いをもたらしたので困りました。はやく単行本化されないかと待ち遠しいです。


毎週水曜日には、その『ねこだらけ』が OhmyNews というサイトで、2本分掲載されていますので、試しに御覧になってください。もう本当に難解です。時々、タイトルと内容の関連がまったく理解できなくて、ずいぶんと悩まされます。タイトルとの関連が理解できたとしても、内容そのものの意味がまったく理解できなくて、やはりずいぶんと悩まされます。でも、どうしても読んでしまう。不思議な魅力。困惑するか、爆笑するか、どちらかに限られます。この両極端がいい。はー、面白い。

猫のキャラクターがまた適度に気持ち悪くて良い感じなのですね。




『ラーオ博士のサーカス』

2008年08月25日 | 読書日記ー英米

C.G.フィニー 中西秀男訳(ちくま文庫)


《内容》
世界にこれほど風変りな小説はあるだろうか。ある訳者はいう、「この小説は滑稽で、ときにわいせつで、読者をかつぐようなところもあるが、要するに、われわれは想像力不足のため人生の現実と人類の過去とを知らずに生きているという事実へのコメントなのだ………」。蛇の髪のメデューサ、火を吹くキマイラ、両性具有のスフィンクスといった怪物とともにくりひろげられる、得体の知れない人物ラーオ博士のサーカス。毒性強烈なユーモアと暴力的な詩情を秘めて、読者をひき込まずにはおかないファンタジーの名作。


《この一文》
エティーオイン――だが君は檻の中だが、ぼくは自由に歩きまわれる。
 ウミヘビ――いいや、君もやはり檻の中にいるんだ。ときどき檻の金網をためしているじゃないか、ぼくみたいに。
 エティーオイン――君のいうこと、うすうすわかる気がするな。 ”



12年くらいまえ、私がまだ田舎に住んでいた頃からずっと読みたいと思いつつも本を買わず、そうこうするうちに絶版となり、古書店でも見かけないまま、気が付けばずいぶんと月日が流れてしまいましたが、このあいだようやく古書を入手し読むことができました。

読みたがっていたわりに、私はこの作品や作者についてなにも調べたりしなかったので、本を開いてみて作者がアメリカ人と知って驚きました。なんとなくヨーロッパの人だと思っていたのですけれども……なんとなく。ついでに、タイトルにもある「ラーオ博士」という人物もヨーロッパ系(東欧あたり?)と思い込んでいましたが、中国人でした。あー、なるほど。もしかしたら「老博士」ということでしょうか。ほんと間抜けだわ、私って。

というわけで、長い年月を経てようやく誤解が解けたわけですが、読んでみるとまずまず面白かったです。上に引用した出版社による内容紹介は、いささか大げさにも感じますが、たしかに奇想天外、グロテスクなファンタジーであることには違いありません。そして、ヨーロッパ怪奇小説のようにねっとりじっとりとは全然していなくて、アメリカらしくからっとさっぱりとした味わいです。そのあたりが私にはもうひとつもの足りませんでしたが、しかし十分に面白かったとは思います。


キマイラやウミヘビ、絶世の美女メディーサ、黄金のロバ。サーカスには伝説的な奇妙な生き物が集められ、そのひとつひとつに対してラーオ博士は観客たちに説明してゆくのでした。
このそれぞれの細かいエピソードが結構面白い。私は特に、ウミヘビと新聞社の校正員エティーオインとの対話の部分が面白かったです。なんというか、はっとさせられます。ウミヘビの話しっぷりにも愛嬌があってとても可愛い。ここの部分はすごく面白かった。
人魚のエピソードも良かったです。ウミヘビの部分とうまく繋げてあって感心しました。

全体的にもうちょっと分量があればもっと良かった、と私には思えましたが、本編のあとには「カタログ」というのが付属していて、作品中に登場する人物から動物から物からすべてについて「注釈」が付けられています。これを読むだけでも面白いかもしれません。

 “ イカ=思春期のタコ ”

とかって、もう訳が分かりません。こういうのはとても好きです。これだけでも笑える。


という訳で、あー、とりあえずようやく読めてほんとうに良かった。




そろそろ ツルバミ

2008年08月24日 | 同人誌をつくろう!

どうにかこうにか初同人誌『YUKIDOKE』を創刊して、それもやっとこさ一段落ついたので、私は夏の間は気が抜けまくっていました。しかし、そろそろ秋。次号『ツルバミ』に向けて始動したいところです!


前号『YUKIDOKE』は私の独断と個人的趣味のうちに爆走した感がありますが(おもに装丁関係において)、今度の『ツルバミ』はもっとバランスの取れた発展的なものにしたいと思っております。
中身をさらに充実させるべく、今度の同人誌はみなさんにも積極的に議論に参加していただき、テーマとかスケジュールとかその他諸々について決めていきたいと考えています。

一応(仮)主催者として私は出来る限りのことをさせていただく所存ですが、今度の同人誌は「もっとみんなで!」というのが、とりあえず私個人としての目標のひとつなので、参加してくださる方々にもなにかとご協力をお願いするつもりです♪

というわけで、さっそくですが前号に引き続き参加を表明してくださっている同人のみなさまには、次号の製作に関してあらかじめご意見をいただけると助かります。すでにいくつかご意見をいただいておりますが、何でも思い付いたことがあったらおっしゃってくださいませ!

あ、ところでそもそも、タイトルはカタカナで『ツルバミ』でよろしいでしょうか? ローマ字ではちょっと字面がアレかなと思うのですが、まずはそこからご意見をいただけるとありがたいです♪
よろしくお願いします~☆☆



さ、もうしばらくしたら始めましょう! この記事は予告編で、あらためて正式に同人募集と投稿のお知らせをしたいと思っていますので、新たに参加ご希望の方はしばしお待ちを!
その前に、創刊号『YUKIDOKE』はこちらから御覧いただけます☆
よろしくどうぞ!

 →→『YUKIDOKE WEB


航跡

2008年08月23日 | もやもや日記

航跡。

という言葉がちょっと好きです。



最近、妙に早起きしてしまいます。急に涼しくなってきたので、朝の早い時間に窓の外を眺めたりするのは気持ちがいいものです。5時くらいだとまだ薄暗かったりして、日がだいぶ短くなってきているのも分かります。今朝はじっと雨の音を聞いていました。


それで、航跡。これは別に朝にかかわらず、いつでも船が水の上を通っていけばその後へ続いて生じる波のことです。でも、私にはなにか朝のものであるような気がします。それも、河ではなく海の上でのことのような気がする。河は夜でしょう。

どういうわけか、私は、朝は海のものであると考えているようです。だから、どこにいても早朝ならば、私は海を思ってしまう。大阪の、この部屋からは海が遠いのだけれど、やっぱり朝ならば海を思ってしまう。また、逆に水とか波とかのことを考えると、そう考えているのが昼だろうと夜だろうとやはり朝を思ってしまいます。

小さかった頃には、砂浜を散歩に連れられていって、黒や白の丸い石を拾ってあるきました。高校生の頃には、毎朝海にそって走る電車に乗って通学し、昇ってきた朝日が、海の上に短い虹を作るのを見たりもしました。ほかにも、あのときも朝の海。また別のときも朝の海でした。



まあ、こんなことはどうだっていいことなのですがね。どうだっていいことを言いたくなっているあたり、どうやらもう秋はきているようです。



『去年マリエンバートで』

2008年08月22日 | 映像
L'Année dernière à Marienbad

監督:アラン・レネ
製作:ピエール・クーロー/レイモン・フロマン
脚本:アラン・ロブ=グリエ
出演者:デルフィーヌ・セイリグ
音楽:フランシス・セイリグ
撮影:サッシャ・ヴィエルニ
編集:アンリ・コルピ/ジャスミーヌ・シャスネ

1961年/94分/フランス・イタリア



《この一文》
“最初はそこで迷うことはあり得ないと思えた
 最初は……
 直角の小径に沿い 石像と敷石の間で
 迷うことはないと思った

 そこへ今あなたは来ていて
 永久に自分を見失いつつあった
 静かな夜のなかで
 僕とただふたりきりで          ”




私は、今度生まれ変わるとしたら、ペンギンになって弾丸のように海を飛んでゆくつもりだったのですが、それもいいけれど、その後か、あるいはその前にでもいい、私は今度生まれ変わるとしたら、この映画の中に生きたい。そして永久にこの不思議な建物のなかを彷徨い続けたい。



つまり、何がどういうことなのか、どうもよく分からない映画です。いや、分かりそうなのだけれども、はっきりとは分からない。分かるのは、ただこれが完全に美しいということだけです。

男がいて、ゴシック風のホテルのなかを彷徨っている。ずいぶんと長いこと、同じ廊下を、同じ壁の間を歩いているらしい。
そして、女がいる。彼女は夫とともにホテルへ来ていたが、あるとき女は男と出会いロマンスが始まったらしい。しかし、今また男と出会っても、彼女は彼を認めようとしない。
「わたしを待っていましたね」という男の問いに、彼女はこたえない。


それにしても、なんという美しさだろうか。なにもかもがあまりに美しいので、私などは途中で何度も卒倒するのではないかと思われました。特に、あのすべてが白くなっていくあたりなど、とても耐えられそうにありませんでした。

場合によっては眠気を催すような、静かな、不可思議な、絵のような映画です。しかし、繰り返す男の声が、オルガンの暗い響きが、白と黒が、わずかに動きながら止まっている人々が、女の沈黙が、しかし私を激しく圧倒しました。なにもかもがあまりに美しいので、私はすべてを失って、この中へ深く入り込み、もっと深く入り込んでいきたいと思いました。


私は今度生まれ変わるとしたら、この映画の中に生きたい。そしてこの美しく不思議に閉じた世界を彷徨い続けたい。永久に自分を見失って、静かな夜のなかで……。



『うつつにぞ見る』

2008年08月21日 | 読書日記ー日本
内田百間(ちくま文庫「内田百間集成18」)


《内容》
「総理大臣などと云うものは好きではない。そう云う人の所へこっちから出掛けて行くなぞいやな事で、第一、見っともなくて、滑稽ではありませんか。……来る心配はないが、来ても家が狭いからお通しするのに迷惑する。まあそんな事はよしましょう」(「丁字茄子」より)吉田茂、徳川夢声、菊池寛、初代吉右衛門、三代目小さん、蒙禿少尉……有名無名を問わず百間先生独特の人間観があふれる人物論集。


《この一文》
“「ここだ、ここだ」と云う声がした。
 豊島が座席から起ち上がり、窓縁に両手を突いて窓の下を見た。
「あっ、女が轢かれている。君、若い女らしいよ」
 急いで窓を開けて、半身を乗り出した。
 私は不意に全身が硬ばった様な気がした。身動きも出来ない。
「君、そんなものを見るのはよせ」
「なぜさ」
「よしたまえ。気持が悪いじゃないか」
「我我はあらゆる現実の事相に直面しなければいけないんだ。そうだろう。君ものぞいて見たまえ」
「いやだ」
「胴体が腰のあたりから切れているんだ。赤い腰巻をしているよ。一寸見て見たまえ」
「沢山」
「腰から上の方はそっち側かな」と云いながら、彼は通路を跨がって向う側の窓をのぞいた。
「ないね、きっと僕達のこの下だろう」
    ―――「黒い緋鯉」より ”



そういうつもりはなかったのですが、このごろの風はどこか秋めいて胸は高鳴るも頭の方は大分とすっきりしてきた私は、長らく雑然とさせるままの書棚を整理しようと思った矢先、思わず本書を手に取り読み進めてしまいました。書棚の整理はまあまた今度。

本書は以前にもすでに何度か読んだことがあるので、あちらこちらに読んだ覚えがありました。しかし幸いにして、忘れっぽい私の頭はすべてをきれいに覚えているわけではなかったので、今回も十分に楽しめます。どちらかというと、まるで初めて読むように楽しめました。

どれもこれも、ちょっと信じられないくらいに面白い。どうしてこれっぽっちの何でもないことについてをこんなに面白く書くことが出来るのか、まるで魔術のような文章に、例によって目が眩み、動悸はますます激しく打ちます。このまま心臓がこわれて死んでしまうのではないかと思うほどです。もしそんなことになったら、どうか皆さん悲しんだりしないで「よくやった!」と拍手を送ってください。名文の前に薄ら笑いを浮かべたまま絶命。そいつは最高だ。
しかし、どきどきするのは最初のほうだけで、そのうちに一転落ち着いてきます。あまりに集中していて、どきどきも忘れるようです。百間先生の文章は結局のところ私を鎮静させるので、やはり私は長生きしそうな気がしてきます。


さて、人を馬鹿にしたような相変わらずの面白さや、弟子や恩人の死に接して淡々としたなかにも深い悲しみを綴ってあったりするなかでも特に、今回とりわけ「おや」と思ったのは、「黒い緋鯉」。副題に「豊島与志雄君の断片」とあります。豊島与志雄氏といえば、私が先日読んだユーゴーの『死刑囚最後の日』の訳者の先生ではありませんか。こんなところでそのお名前に出くわすとはついぞ思いもしませんでした。前に読んだときは豊島先生を知らなかったので気がつきませんでした。この人は、この時代の人だったのか。ついでに、お二人とも機関学校で教職に就いたのは、先に英語の教師として赴任していた芥川龍之介の紹介なのだそうです。こういうふうに、人間はつながっているのですね。

それで、「黒い緋鯉」を読んでみると、さすがに『死刑囚最後の日』を訳されるだけのことはあるなと、豊島先生の人となりに関してとても腑に落ちました。『死刑囚~』はギロチンによって処刑される一死刑囚の手記という体裁の作品ですが、「黒い緋鯉」のなかで豊島先生は、百間先生とともに横須賀の機関学校へ向かう汽車に乗っていて、ある時その汽車が若い女性を轢いてしまい、ふたつに分かれてしまった胴体を、青ざめる百間先生をよそに、窓から身を乗り出して見物したそうです。なるほど、すごく分かります。
ついでに驚いたことには、当時まだ若かった百間先生をその後長く続くことになる借金生活の第一歩へと導いたのが、この豊島先生だったのだそうです。やはりユーゴーの『レ・ミゼラブル』を翻訳したのを50万部だか売って大儲けした、浪費家だったらしい豊島先生。この人についても、かなり知りたくなってきました。

面白いから最後まで一息に読んでも良かったのですが、この豊島先生の段で十分満足してしまったので、今回はここでやめました。でも、ちょっと気になったので、中を飛ばしておしまいの方をめくってみたら、そのあたりは「読んだことがあるけど忘れている」というレベルではなく、本当に初めて読んだのだと思います。表題の「うつつにぞ見る」もたぶん今になってようやく読みました。

こんな感じで、百間先生の本には、たちまち満足させられてしまうのでした。だからいつも全部を読んでしまうことが出来ません。好きで好きでたまらなくても、そればかりはどうしようもないのでした。