半透明記録

もやもや日記

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バラバラバーラ

2012年11月28日 | もやもや日記






荷造りの最中に色々な物がバラバラになっています。
たとえば、こんなの。



100冊以上の漫画本がバラバラのパラパラに解体されましたよ。そろそろ全国津々浦々を持ち歩くのに疲れたので、ここらで思いきって処分することにしました。
本をばらすことには最初は抵抗を感じましたが、意外とすぐに慣れました。死蔵になっているものも多くなってましたしね。ひとつずつ丁寧に解体して(そのあとの作業ひとつ分は諸事情により中略)廃棄しています。解体作業はまだまだ継続中。これにより最終的には150冊くらいの単行本が消滅し、かなりのスペースが確保できるはずです! でも、だいぶ処分したのに、なんかまだ一杯残ってるような気もする…!!(ヽ´ω`)ナゼ!?



それから、たとえば、こんなのも。



いらなくなったシャツを雑巾にしてみました。久しぶりにミシンがけをしていてつくづく思いましたが、私はこういう四角いものを縫うのがものすごく好きですね。引っ越し日が迫る中、中毒状態になって丸一日雑巾を縫ってしまいました。楽しいよう! しかし…今こんなことやってる場合じゃないような気もするんだけど…(焦)。まあ、片付けの役に立ちそうだからいいか。


えーと、それから他にも処分しないといけないものがあるよなあ。やっぱ持ち物は少ないに限るよなあ。今度こそ物を減らしてシンプルに暮らしたいわ。
うーむ、引っ越しまであと10日ほど。がんばらないと!








送別会(第2回)

2012年11月25日 | 旅の記録





先週のうちに、いよいよ新居が決定し、ついでに引っ越しの具体的日時も決まり、荷物を詰めるための段ボールなども届いたりしました。結局、予定よりも1週間ほど博多行きが延期になったので、3連休の初日にkajiさんとユキさんとお茶してきました。こないだ送別会を開いてもらったばかりというのに、何度も申し訳なかったですが、楽しかったです。
ただ、前回はいまいち大阪を離れるという実感がもてないままでお別れしたのと違って、今度はもうリミットがハッキリして荷造りも始まったところだったために、別れの辛さは倍増しました。寂しさのあまりへし折れそうになってしまいました。いかん、いかん!



さて、感傷的になるのもなんなので、金曜日に連れて行ってもらったところをダイジェストで。

まずは、梅田の阪急インターナショナルホテルのティールーム。以前から一度頼んでみたかったアフタヌーンティーセット(あのお皿が3段重ねになっていて、サンドイッチやら焼き菓子やらが乗ったアレ)をついにいただきました。

 どーん!

 どどーん!

見た感じはそれほどの量でもないかな? なんて最初は思っていたわけですが、実際に食べ始めてみると、2段目のスコーンとフィナンシェのあたりで結構おなかが膨れてきました。最上段のミニケーキやクッキーに至っては、かなり満腹。どれもこれも美味しくて、小さくても細やかで美しい形をしているので目にも楽しかったです。なかでもサンドイッチは異常においしかったですね。


2時間ほどお茶をしたあとは、ジュンク堂へ向かいます。その途中のロフトの前あたりで手作りフリマのような出店が立ち並んでいて、クラフト感溢れる小物が売られていました。眼鏡をモチーフにしたアクセサリー屋さんが特に印象的でした。あれはウケるぜ!! ちょっと欲しかった。

ジュンク堂ではユキさんにおすすめの本を買ってもらい(ユキさんは、私がおすすめすると買って読んで下さるのです。この日は安部公房と内田百の『冥途』をおすすめしました)、地下の漫画売り場では、前から一度どういう雑誌なのか見てみたいと思っていた『ネムキ』(正式タイトルは『眠れぬ夜の奇妙な話』だったかな?)をついに見つけました。1冊しか置いてなかった上に、予想より小型の雑誌だったのでなかなか見つからず店員さんに出してもらいましたが、おお、こ、これが『ネムキ』か! kajiさんが買ったのを後でチラ見させてもらいましたが、うーん、なんか懐かしい感じ! 今度私も買ってみようかなー。諸星大二郎先生と今市子先生の漫画が載っているのですよ。


ジュンク堂のあとは、心斎橋に移動。こないだオープンした北欧発の低価格雑貨店【TIGER】へ行ってみます。日本にはまだこの心斎橋店のみということなので、大阪を離れる前に一度行ってみたかったんですよね。オープン当初はあまりの混雑ぶりに一時閉店に追い込まれるほどの盛況ぶりだったそうな。そろそろ落ち着いた頃かと思ったのですが……
しかし、【TIGER】の前にはいまだ長蛇の列が! 行列整理のお兄さんが「入店まで1時間」などとおっしゃるので、諦めました(ヽ´ω`)ガラス越しに店内をのぞくと、カラフルな雑貨が溢れているようでしたね(しかしそれよりも人だかりが凄い)。

そんなわけで、別のファッションビルをブラブラすることにして、古着屋さんでちょこちょこお買い物をしたり、ふたたびお茶を飲んだりしました。お茶のあいだにkajiさんとユキさんから面白いお話を伺って、私はこれからが楽しみです!

お茶を飲んで外へ出ると、もう日が暮れていました。18時くらいになっていたので、帰りがけに念のためもう一度【TIGER】の前を通ってみたら、今度はすんなり入れました!

でも店内はまだ混雑してましたね。私はあれこれ欲しかったけれど、引っ越し前なので自重してちょっとだけ小物を買ってきましたよ。

 TIGERの袋。色合いが北欧っぽい。

 筆セット、サンタの顔のクリップ、虫柄の靴下。

ほかにもキノコの形をしたランプとか、カラフルな小さいテントとか、ついつい物欲を刺激されました。でも、物が増えるから我慢!! あー、辛かった!



あちこち歩き回って楽しい一日でした。「じゃあ、また!」と軽い感じでお別れしてきましたが、その時は本当にまた2週間くらいしたら会えそうな気がしていました。そういうつもりで別れた。(kajiさんとユキさんとのお別れのことを真剣に振り返ると辛くなるのでやめておきましょう)次にお会いする時は、前に会ってからほんの2、3週間しか経ってないみたいな気持ちで会えるといいなあ。そんな風に会えるような気もします。うん、きっとそうなるさ。



大阪は楽しい!
ありがとう! また近いうちに!!







ストルガツキー兄弟

2012年11月22日 | 読書日記ーストルガツキイ




ボリス・ストルガツキーが11月19日に亡くなったそうです。兄のアルカージイ・ストルガツキーが没したのは1991年。先日ボリスが亡くなって、とうとうふたりともいなくなってしまったのか。悲しい。

私が初めて読んだストルガツキー兄弟の作品は『滅びの都』でした。当時はまだロシア・ソヴィエト文学(とくにSF)には全然馴染みがなくて、ザミャーチンの『われら』とブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』を読んだだけのところだったように記憶しています。『滅びの都』は、そのあらすじがあまりに面白そうだったので、まず図書館で借りてみたのです。


 *『滅びの都』あらすじ

全人民の幸福を実現する実験のため〈都市〉では国家を捨てた人間たちが世界中から集まり働いている。人工太陽が明滅する〈都市〉の内部では、労働する人間に進化するはずのサルの群れが暴れ、赤い館に入った住民の連続失踪事件が起こり、急進改革派はクーデタで起死回生をはかる――。ごみ収集員から大統領補佐官にのぼりつめたロシア人アンドレイと過去の文書を読みふけるユダヤ人カツマンの都市=地獄めぐりを軸に、全体主義のイメージを脳裏にきざみこむストルガツキイ兄弟最期の長編。



最期の長編から読んでしまったあたりがいかにも私らしいところでしたが、この借りて読んだ『滅びの都』が面白かったので、その後続けてストルガツキー作品を借り、さらに借りるだけでは飽き足らず作品は手に入るだけ買い求めることになりました。

『滅びの都』が日本で出版されるにあたり、巻頭にボリスが日本の読者に宛てたまえがきを書いてくれています。

“しかし、この小説は切実な問題性を失っていないと私には思われる。現代の読者は(少なくともロシアでは)今ちょうどわれわれの主人公の立場に置かれているのではなかろうか。これまでの理想はことごとくかき消え、足元を支えるイデオロギーは消滅した、だがこれから先も何とか生きていかなければならない――ただ飲んで、食べて、気晴らしをするだけでなく、何か大切な目的を追求し、生きることのなかに何か気高いものを求め、食べるために働くのでなく、働くために食べるのでなければならない。だが何のために? われわれの世界はどこへ行くのか? それはどうなるべきか? またわれわれはどうなるべきか? ”



ストルガツキー兄弟の世界は実に刺激的で魅力にあふれています。『ストーカー』『収容所惑星』『月曜日は土曜日に始まる』『みにくい白鳥』などなど、大好きな作品がいくつもあります。私はここでたくさんのものを得ることができたと思っていますし、読み返せばこれからも多くを得ることができるでしょう。
どうもありがとう、どうか安らかに!





二つの世界のあいだに

2012年11月21日 | 学習





 ”ーーすると突然、郷愁が彼の胸をはげしい苦痛でゆり動かした。
  そのために彼は思わず知らず暗闇のなかへあとしざりして、自分
  の顔のひきつるのをだれにも見られまいとした。”

  「トーニオ・クレーガー」
  トーマス・マン 佐藤晃一訳 河出書房『世界文学全集32』所収



明るくて、鋼のように青い目をして、金髪で、純潔と明朗と快活との印象、ほこらしげであると同時に単純で、取りつきようもなく澄ましているという印象を与えるハンスとインゲボルグの姿を間近に目にして、思わず暗闇へ引き下がってしまうトニオ・クレーガーのこの場面。芥川龍之介の『河童』で、芸術家で超人的恋愛家のトックがある家庭の団欒を窓の外の暗がりから覗き込む場面と同様に、私に強烈な印象を与えて、どうしてもどうしても忘れることができない場面のひとつです。

私はこれらの場面を読んで以来忘れたことはありませんが、このところ特に頻繁に心に浮かんでくるようになりました。おそらく、これが私の新しいテーマとなりうるのでしょう。

ずっと自分をトニオやトックと同じで、明るく暖かいところに激しく憧れながらも決してその中へすすんで入れるような人間ではないと私は思っていましたが、そうではなかったのかもしれない。実際には私はずっと暖かくて単純で明るいところに属していたのかもしれない。なぜなら思い返せば私はいつもそう不幸ではなかったし、客観的に見ても暖かい環境に恵まれていたと言えるし、今も本当の孤独の悲しみを知っているとは言えないから。しかしもし本当にハンスやインゲボルグとすっかり同じ場所にいたなら、自分を暗がりに属する人間だと想像することさえなかっただろうことを思えば、少なくとも、明るいところと暗いところ、どっちつかずの場所にいたのじゃないかとは言えそうだ。


今、私ははじめて明るくて暖かい場所を作ることを目指していますし、これからはそうあるべきだと思っています。と同時にやはり明るく眩しい場所に立つことには気恥ずかしさに似た感情を抱いてしまいますし、そうであるからにはその理由を考えるべきであり、暗がりへの想像力、暗がりはすぐそこに存在するという意識を常に持つべきなのかなとも思います。トニオは物語の終わりでこう言います。「私は二つの世界のあいだに立っています。どちらの世界にも安住していません。」これに続く言葉がとても興味深いのですが、いまのところ私にはまだ深く理解することができないようなので、いずれじっくり考えることにしましょう。私は結局はトニオとは違う種類の人間であるかもしれませんが、やっぱり彼のように迷いながらでなければ歩けない種類の人間ではあります。どんなに正しい道が目の前にのびていたとしても、迷ってしまう。迷わずに歩くことはできない。

私にはこれが精一杯なのだけれども、二つの世界のあいだを迷いながら歩いていくことを、あなたがたは許してくださるだろうか。迷いながら愛するから、どうかここから何かよいものが生み出されますように。


 “悲劇的な姿も、滑稽な姿も、同時にその両方でもあるような
  姿もいます、ーーそしてわたしはこの両方をかねたものが非
  常に好きなのです。しかし、わたしの最も深くてもっともひ
  そかな愛は、金髪の青い目の人たち、明るくて生き生きとし
  た人たち、幸福で愛らしい普通の人たちに寄せられているの
  です。
   どうかこの愛をおとがめにならないでください、リザヴェ
  ータさん。これはよいもので、生産的なものです。そのなか
  にはあこがれと、憂鬱なそねみと、わずかばかりの軽蔑と、
  あふれるばかりの純潔な幸福とが宿っているのです。 ”













いったりきたり

2012年11月17日 | もやもや日記




インフルエンザの予防接種(今年2回目)を受けてきました。1回より2回の方がよく効くらしい。そして、1回より2回の方が料金的にもお得らしい。それはいいのですが、注射の後に2日間ほどやたら眠くなるのはどうしたものか。昨日も眠くてたまりませんでしたわ。


さて、引っ越しの準備も大詰めを迎えているはずの今週、月・火と泊まりがけでK氏が博多へ出向いて新居を契約してきてくれました。古くて広い物件と、新しくて少し手狭な物件とで悩んだ末に、新しくて狭い方にしました。今の大阪の部屋よりも天井が低いせいで、床面積は少し広がっているはずなのになんだか狭く感じるらしい。

そもそも本当はもう少し広いところを希望していましたが、担当者によると「人気の物件なので半年に一度出るか出ないか。ここしばらくも出てないですし、今後も当分出ないだろう」と言われたので、決めてきたそうです。前回大量放出されたのは今年の9月で、その時には私たちは「またすぐ出るだろう」と思ってスルーしてしまったら、その後1月半はさっぱり見つからなくて絶賛大後悔中だったのです。そんな状況だったので、多少条件が合わなくても仕方がないと契約したのです。
ところが、大阪へ帰って来た次の日の水曜日、新しくてしかも広さも手頃な物件がいくつも出て来たではないですか!(HPで空き部屋状況を確認できる仕様になっている) 昨日の今日でこのありさま! ひどいよ~! よりによって翌日に追加されるなんてひどすぎるよ~~! K氏は何度も担当の人に確認したらしいのに、情報共有くらいしておいてほしかったよ~~!

と言っても仕方のないことを喚いてもどうにもならないので、K氏は「見ないで後悔するよりは…」と、今日も博多へ行ってます。週に2度も往復するなんて、本当に気の毒。私は何も出来ずに申し訳ない。転居には毎度苦労しますね。

さて、水曜日によさそうな物件が出て来たのはいいのですが、そこはそこで東向きの部屋なので日当りが心配。それなのに今日は雨でどの程度の日当りかを確認も出来ない。ついでに、過去の経験からすると雨の日に決めた物件ではのちのち苦労させられる気がする…(横浜のときはそれで結局2ケ月で別のところに引っ越した。金だけ巻き上げられて酷い目にあった)。なんて、家でただじっと待っているだけのくせに、私はつまらないことばかり思い出してしまうなあ…やれやれ。焦るとろくなことにならないのは分かっていますが、もう時間があまりないことだし、すんなり決まってほしいところです。一応、私はK氏におまかせする以上、どういうところに決まっても文句はありません。快適に暮らせるように頑張りたい!


というわけで、いったりきたりしているK氏。他のことでも忙しい時期なのに、ほんとうに申し訳ないです。このように引っ越しが難航して計画がズレ込んでいるせいで、お産のために里帰りする予定の私は博多へ移動しないでそのまま実家へ帰ることになるかもしれません。できれば一度は行っておきたいんだけどなー。でも検診のスケジュールを調整するのも大変だし、行ってすぐにとんぼ返りになるかもしれないし。うーむ、なんにせよできるだけ柔軟に対応していかないと。


なんだかまだ落ち着かないこの頃。まだ少し時間はあるので、とにかく焦らないで着実にやっていくことにします。あー、なんかただの愚痴みたいな記事になった…!(ヽ´ω`)







術後11ケ月の記録

2012年11月13日 | 卵巣摘出手術の記録




あれからもうすぐ1年……。


この1年は色々ありすぎて、なにがなんだか分かりませんでした。人生が加速していましたね。昨日の記事で「新しいことが始まる」と書きましたが、まさに去年の今頃から「新しいことが始まっていた」のでした。生きていると色々あるなあ。書かずにおこうかとも思いましたが、やっぱり書いておくことにします。


去年の11月、私は自分を健康そのものだと思い込んでいましたが、胃痛と不正出血のために病院へ行ったら、「卵巣嚢腫」だと診断されました。しかも、薬ではどうにもならない段階まで病状が進行していたために、要手術を宣告される。その後1ケ月は諸検査、12月に左の卵巣の摘出手術を受け、1週間の入院、術後3ケ月で完治となりました。まず、この流れが異常に速かった。パニックをおこして、全然ついていけなかったなあ。
当時の詳しくは、このカテゴリーにまとめてあります『卵巣摘出手術の記録』

まあ、ともかく、私は「卵巣嚢腫」というそれまで知りもしなかった病気にかかったわけです。しかし調べてみるとこの病気にかかる女性は意外と多いようなので、私も完治した人間として、今後もことあるごとに情報を提供していきたいと考えています。病気が分かった当初は私もものすごく不安でしたから。



さて、今年の夏ぐらいのことでしたが、宇多田ヒカルさんのツイートが話題になりました。宇多田さんもごく若い時にこの卵巣嚢腫を患ったそうです。
「そういう病気をしたら、もう子供は持てないの?」という疑問に対して、宇多田さんがツイートしたというのが話題になっていたのです。
宇多田さんの場合は片方の卵巣の一部を切除したものの、残りは温存できたとのことでした。つまり、卵巣はまだ2つあって、機能的にも問題なく保持できているということです。つまり、もちろん子供を持つことはできるということ。宇多田さんはそういうことをおっしゃっていました(ちょっと記憶が不確かかも…スミマセン;)。

私も術後につくづく実感しましたが、卵巣がそもそも2つある意味というか、卵巣というのは1つだけでも十分に機能するものなんですね。月経周期が1ケ月おきになる…ということすら「ない」! 不思議!
さらに私の場合は左側の卵巣を取り除いたあとのほうが、むしろ体調は安定し、一時は枯れ枝のように痩せ細っていた身体も女性らしい丸みを帯びるようになりました。ホルモンのバランスって大切ですね。

そしてもうひとつ、ここからが重大なことですが、私は卵巣を一つ失いましたが、このたびめでたく子供をもつことになりました。ていうか、すでに現在25週とちょっと。つわりなど諸々の肉体的変化がキツすぎて、いままでこれについて書く気になりませんでしたが、これから忙しくなってますます更新頻度が下がるだろうと思うので、そろそろこのブログでも報告しておこうかなと。今のところは母子ともに順調です。来年の2月に生まれるらしいです(と、他人事のように書いてみる;)が、お産のことを考えると不安でたまらない…ああ、どうしよう……今年の秋もまたまた性懲りもなくパニックに陥っている腑甲斐ない私でございます(^o^;)


去年の今日には、まだ私は卵巣嚢腫を患っているということも知らなかったのです。それが、その後はこんな流れですよ。

 *2011年11月 卵巣嚢腫と告げられる

 *2011年12月 摘出手術

 *2012年3月 完治

 *2012年6月 妊娠判明

 *2012年7月 入籍

 *2012年9月 福岡への移動が決定

 *2012年11月 福岡へ引っ越し

何事においてもできればここから一歩も動きたくない、というタイプの私にはあまりにもハードな日々でしたね。いや、まだ全然終わってないどころか、始まったばかりなんですけど。
どさくさに紛れて出来婚を告白しているというか後半の流れは病気とはまったく関係ないのですが、要するに、手術から1年も経たないのにすっかり健康になりましたよ! ということが言いたかったのです。実際、治りははやい病気のような印象でした。単に私が幸運だっただけかもしれませんが。というよりも、何よりも大事なのは早めに分かれば薬で治ることもあるということですね。変だと思ったらすぐに検診を受けてみてください。私は重症化するまで全然気づかなかったために手術することになりましたが、初期であれば投薬のみで治ったかもしれません。

それでも、やはり薬では治らずに卵巣を摘出しなければならなくなった…という女性が、きっと今もいらっしゃることでしょう。将来のことを考えてとても不安でいらっしゃることと思います。「卵巣嚢腫」と一言にいってもその病状は人によってだいぶ異なっているようですから、簡単にひとくくりにしてしまうことはできませんが、とりあえず私のようなケースもあり得るのだと、少しでも前向きに考えてもらえればいいですね。
ちなみに私は現在36歳です。35歳で摘出手術を受けました。これは比較的若い人に多い病気だそうですが、手術になっても宇多田さんのように卵巣の機能を残したまま一部分だけを切除したり、私のように片方を丸ごと取り出してももう片方は無事であることもありますので、いろいろと諦めないで乗り越えてほしい!


というわけで、医療技術のますますの進歩と発展を願いつつ、本日もみなさまが健康でありますように!








送別会

2012年11月12日 | もやもや日記



土曜日に、kajiさんとユキさんと、久しぶりに3人で会いました。博多へ行く私の送別会ということで集まってもらったのですが、すごく楽しかったです。どうもありがとうございました!


お昼にヒルトン大阪のランチビュッフェに連れて行ってもらいましたが、食事はとてもおいしかったです。オシャレで美味しそうな料理がたくさん並んでいたので、私は調子に乗って4往復+デザート1.5往復し、ちらし寿司からローストビーフ、仕上げにクッキーとソフトクリームまで腹がはち切れるほど食べてしまいました。うまかったなー!!

それからカラオケに行きました。kajiさんとはもう結構長い付き合いですが、カラオケに行くのは(行ってなぜか歌わずに部屋で黙々とお絵描きしたりしたことはありましたが、歌ったりするのは)初めてでした。
はじめてのカラオケでは、kajiさんと『少女革命ウテナ』のOP&EDを歌い合ったり(←私はアニソンとか初めて歌ったよ!)、yukiさんの選曲がいちいちかっこいいのに痺れたりしてました。私はこの日カラオケに行くことを全く予期していなかったので、こんなこともあろうかと普段から練習していた曲のことはきれいサッパリ忘れて『灰色の水曜日』(輪るピングドラム)を選曲しそこねたものの、懐メロを中心に頼りない歌声を恥じ入りながら披露したわけです。yukiさんもkajiさんもめちゃ歌ウメーー!!なので、恥ずかしかったわい。 
あー、でもものすごく久しぶりにカラオケで遊んだら、すごく楽しかったなあ。また行きたいな。


大阪での生活は、途中で8ケ月の中断がありましたが(一時横浜へ転居)、通して8年間に及びました。大阪へ来た当初は大学時代の友人が一人住んでいましたが、彼女はしばらくして関東へ戻ってしまったので、私に友達が出来るのかを心配してくれたものです。
kajiさんと知り合ったのはちょうどその頃で、このブログを通じて知り合いになりました(kajiさんがコメントをくれた)。互いに大阪在住ということが分かったので会ってみたら、ちょっと信じられないくらいに意気投合し、それからずっと会うたびにアニメやら小説やら映画やらの話で盛り上がったのです。こんなに趣味が合う人とはもう出会えないんじゃないかというレベル。かけがえのないお友達です。

yukiさんとは、kajiさんの紹介でお知り合いになりましたが、yukiさんとも初対面の時点でかなり打ち解けて、私にとっては大きなインパクトを与えてくれる出会いとなりました。yukiさんとお話ししていると、私は普段はもやもやと取り留めなく漂っている考えがある程度形を持ってくるような気がしてくるのです。だから、どういうことを話していてもすごく楽しい。yukiさんが話してくださる内容も、めちゃくちゃ面白いですしね。いつも真剣に私の話を聞いてくださるのが嬉しい。yukiさんもまた得難い、本当にありがたいお友達です。

お二人のおかげで、私はずっと大阪で楽しく安心して過ごせました。友達がいてくれるというのは本当にいいものです。会えばいつも楽しかった!



土曜日は、梅田の駅でお二方とお別れしました。もしかしたら引っ越しまでの間にもう一度くらいお会いできることを期待しながら。
大阪駅のホームでひとりになっても、私はまだ、もうすぐ博多へ引っ越すのだという実感が持てないでいました。なんとなくずっとこのままここにいられるんじゃないかという気がしてきます。しかし、最寄り駅で降りて、すっかり日が暮れた帰り道を歩いていたら、来月の今頃には既に自分はここにいないのだなあと急に沸き上がってくるものがあったのです。寂しい。

寂しい。けど…前回横浜へ移るのにお別れした時も私は寂しかったのだった。夜の御堂筋線に乗って、キラキラと美しく輝く梅田のビル群が遠ざかっていくのを寂しさとともに眺めたものです。ただその時も「会いたいと思ってさえいれば、必ずまた会える」と願っていたら、運よく1年足らずでそれは叶いました。今度もそうなるとは限らないし次はいつお会いできるか全然分かりませんが、私はいつでも会いたいと思っているので必ずまた会えるでしょう。必ず会いに来るつもりです。8年住んだ東京が私の第2の故郷になったように、8年住んだ大阪は私の第3の故郷になりました。帰る理由があるのです。会いたい人がいる場所へ、私はいつか帰ります。


カラオケで私は、米米CLUBの『浪漫飛行』を歌いました(懐かしい!!)。私がまだ子供だった頃から大好きな曲です。その始まりはこう。


 “逢いたい”と思うことが何よりも大切だよ
 苦しさの裏側にあることに眼を向けて
 夢をみてよ どんな時でも
 全てはそこから始まるはずさ



夢をみて、全てはそこから始まる。そう、新しいことが始まるぞ。再会の日はたぶん思っているよりは早いことでしょう。その時には、その間に私がトランクへ何を詰めたのかをkajiさんとyukiさんに見てもらいたいな。私はそんな夢をみて飛び出すことにしよう。

新居がようやく決まりそう。いよいよ動き出すな!








最近のこと

2012年11月06日 | もやもや日記




あれ、今月はまだ更新してなかったか……(ヽ´ω`)


最近はこんな感じでした。

まず急に寒くなったせいか、あるいはインフルエンザの予防接種を受けたせいか、理由は分かりませんが少し体調を崩していました。頭がぼんやりする。情緒が不安定になる。記憶力と集中力の著しい低下。などなどでヤバかった! もうだいぶよくなりましたけど。

それから耳がおかしい。プールから上がった時にしばしば見舞われるあの「こもったような感じ」がもうずっと続いています。自分の声が反響して不快なので、あんまりしゃべりたくありません。そんなこんなでどことなく不景気な気分の11月。

体調が思うようにならないのでクサクサしているわけですが、この不調の原因の多くはたとえば気候の変化とかホルモンバランスなど体内物質の変化によるものだと思うわけですよ。しかし、むやみに気持ちが落ち込んだり、やたらとイライラしたりする理由がそれっぽっちの変化によるものだとしたら、いったい人間の人格とか感情とか精神というのはなんなのだろうなあ。肉体と精神との結びつきというのは不思議なもんだなあ。どちらかだけが独立して存在するということはあり得ないんだろうか。あるいは意識の中心が肉体の中心からずれたりすることってないのかな。意識と肉体の中心がどこにあるのかも私は分からないけれども。


景気の悪い体調の話はおいといて、滞っていた仕事がようやく一段落ついたみたいでホッとしています。楽勝だと思ってたのに眠くて全然進まず、一時はどうなることかと思いましたが、なんとかなりそう。ご褒美にケーキでも食いたいな。あー、ガトーショコラ的なのかモンブラン的なのが食いたいぜ。でも、甘いものを中心に高カロリー食ばかり食べていたからか、ここ1ケ月で激太りしました。顔が丸くて弾けそうかも。15年ぶりくらいでこんなに丸くなったな。いや、ハッハッハ!


それから、最近面白かったことと言えば先日バンダイチャンネルで『COWBOY BEBOP』の一挙生放送をしていて、うちにはDVDボックスがあるんですけどなんとなく前半の一部分を視聴してみました。『COWBOY BEBOP』は1997年の作品ですが、今見ても非常に良く出来た作品であることがあらためて確認できましたね。ほんと、何度見ても傑作。どこまでも良く出来ています。痺れるわ。最近のテレビアニメもこのくらい本気を出してほしいところですね。



さてと、引っ越し作業は依然として進まず。
ほんとうに来月には博多にいられるのかしら…?(^^;)