半透明記録

もやもや日記

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『AKIRA』

2010年07月30日 | 映像(アニメーション)

1988年 監督 : 大友克洋







気晴らしになるかと思って『AKIRA』を観てみました。たぶん、十年ぶりくらいで観たのではないかと。どういう話だったのかはさっぱり覚えていませんでしたが、観ていくうちに、さまざまな場面が記憶の底から蘇ってきました。カオリ! ああ、そうだった……!!



どうしてこの映画が気晴らしになると思ったのか、ディスクを手に取った時点の私を捕まえられるのなら問い詰めたい。ネオ東京の荒みっぷりにとめどなく気持ちが沈んでいきます。しかし、始まって50分あたりから挫折しそうになる心をどうにか励ましながら、最後まで観ました。ものすごいスピードと暴力、破壊の衝動。金田、運動神経いいなぁ。あと、精神も健康なんだなぁ。鉄雄の気持ちはちょっと分かる気もする。

しかし、結局どういう話だったのかは今回も分かりませんでした。いや、分かるような気はするのですが、簡単に分かった気になるのはいけないかなーと思わされますよね、なんだか。ただ、この映画は観客に感情移入を許すような作品ではなく、傍観者は傍観者らしく茫然と事の成り行きにハラハラしながらついていけばそれでいいのかなと思ったりしました。ハラハラっていうか、ヒヤヒヤっていうか、もうやめてくれ~~ッ!! みたいな感じでしたけど。疲れたわー。


というわけで、変態的に精密な映像の迫力にはやはり圧倒されましたが、いったいどういうことだったのかは理解しきれなかったと言っておきましょう。漫画版も読んでみるべきなのでしょうか。そう思いつつ、ずっと読まずにいます。そろそろ読もうかなぁ。でもなんか勇気がいるんだよなぁ。


気分爽快になれる映画を観るつもりだったのに。
どうしてこうなった!







あめアメ雨!

2010年07月29日 | 手作り日記

透明な傘なら前が見えやすい

ということに気付いてしまった!





大阪地方は久しぶりの雨となりました。す、涼しい! 昨夜はしばらくぶりに熟睡できましたよ。このまま涼しい日が続いてほしいところですが、明日からまた暑くなりそう……。








土曜ドラマ「ハゲタカ」

2010年07月28日 | 映像

土曜ドラマ「ハゲタカ」:NHKオンライン



《番組概要》
バブル崩壊後、「失われた10年」と呼ばれる長いトンネルの闇に包まれていた日本に、風穴を開けにやってきた男がいた。日本経済界で、外資系のファンドマネージャーとして暴れ回る男の名は、鷲津政彦――。ビジネスとして、外資的な合理主義を盾に、次々と日本企業に切り込み、買収していく様は、まさに死肉を漁る“ハゲタカ”であった。
一方、襲い来る“ハゲタカ”に敢然と立ち向かう男がいた。旧態依然とした日本の体制にもがきつつ、懸命に日本企業を支え続けようとするエリート・バンカー、芝野健夫――。日本初のターンアラウンド・マネージャー(企業再生家)として、企業再生の道を模作して行く。
「日本買収」ビジネスを巡る二人の男の野望と挫折を軸に、合理化、弱肉強食が叫ばれる今、日本の会社にとって本当に必要な治療法とは何なのか?を問いかける。


《この一言》
“ 私は44です。人生の折り返し点はとっくに過ぎています。
 ですが、残りの人生、自分に言い訳して生きていくには、長過ぎます。 ”




世間での評判の高さは知っていましたが、私がこのドラマを観たいと思うようになったきっかけは、〈プレイステーション3〉の『トロ・ステーション』という番組(というべきなのか何なのか分かりませんが、毎日配信されていた近日発売のゲームや全国の観光案内などさまざまな広告的内容を『どこでもいっしょ』のトロちゃんとその友人クロが紹介してくれる楽しいサービス)でした。トロが「芝野さん役」、クロが「鷲津さん役」で、『ハゲタカ』冒頭の「腐ったこの国を買いたたく! 買いたたく! 買いたたく!」とか「あなたが言ったんじゃないですか…」などの名場面のパロディをやっていて、私はK氏とともに大爆笑したものです。それ以来ちょっと気になっていました。

 *その時の『トロ・ステーション』の内容をまとめてくれているブログを発見! 懐かしい!!

  クロ山クロ夫さん

 →→ トロステ・ファンドがあなた方を救いに来ました!:days like this


そのパロディの印象があまりに強かったため、私もK氏も『ハゲタカ』は演出の激しいネタドラマだと思い込んでいましたが、第一話を観てすぐに、そんな印象は彼方へと吹っ飛んでしまいました。これはあまりにもシリアス! あまりにも熱いドラマだったのです。
また、タイトルの『ハゲタカ』という言葉から想像していたような、外資ファンドとそれに買い漁られる日本企業との戦いといったような単純な構造の物語でもありませんでした。あまりにも切実で、心に食い込んでくる、激しい物語でした。これは凄い。


このドラマは全6回にわたって物語の緊張感を保ち続け、回を追うごとに少しずつ登場人物の真意を明かしていき、同時に視聴者にはそれぞれの人物に共感させつつ、現在の社会経済の問題点を学ばせ、さらに「では、どうしたら?」と考察させようという、超絶難度のことをやってのける凄まじい出来のドラマです。密度高過ぎ。よく出来過ぎ。
特に第1話の衝撃はもの凄く、私はショックでその日は続きを観られませんでした。第2話からは一息に観てしまいましたが、こんな本気のドラマは久しぶりでしたよ。

本気のドラマ。そう、本気のドラマでした。

即座に心を惹き付ける優れた脚本、キレがありながら抑え目で品の良い演出、抑制をきかせつつも迫真の演技をみせてくれる素晴らしい俳優、感情に訴えかける音楽。隙がありません。

特に主人公の二人は素晴らしかったですね。エリート・バンカー 芝野役の柴田恭兵、ハゲタカこと外資ファンドの日本代表 鷲津役の大森南朋。大森さんは私はこのドラマで初めて拝見しましたが、ちょくちょくCMには出られていますよね。ひょっとしてこれでブレイクしたのでしょうか。頭は切れるんだけど、心根が純粋すぎて極端から極端へと走りがちであるような鷲津役はぴったりでしたね。柴田さんについては、『あぶない刑事』でのお気楽刑事の印象はまったくなく(記憶が古すぎますかね;)、エリート銀行員としての手腕を発揮しつつも理想と現実の狭間で苦しむ芝野役の、ものすごくリアリティを感じる繊細な演技に心を打たれました。

その他のキャストも地味ながら上手い人ばかりで良かったです。第1回の宇崎竜堂さんはとくに凄かった。初っ端からあんなのを見せられたら、そりゃ最後まで観ちゃいますよ。ほんと凄い。あと、栗山千明さん、素敵。この人が唯一華やかなキャスティングで、残りは硬派な役者さんばかりといった感じでしたが、それが良かった! 名脇役をこれでもかというくらいに使ってあって、そのあたりはさすがにNHKといったところでしょうか。贅沢ですねー。


あまりに面白かったので、興奮冷めやらず、しかし考えがまとまりません。「金」の威力を使って人は何を為すべきか。金に使われ、金にひれ伏し、金のために時に人生を踏み誤ってしまう人々。金のために働く、そうだ金は必要だ。でも、金だけのために働くのか? 人が働こうとする動機は金だけによるものだったろうか? 金と人情の間で押しつぶされてしまう人がいる。けれど労働とはそんなものだったろうか。我々は学ばなければならないのではないか、自分で自分の選択や行動にもっと責任と自覚を持たなければならないのではないか。また、果して金は万能なのだろうか? 金の力は人を狂わせるだけだろうか? 金の力は悪なのか?

労働について、資本について、社会活動に参加している全員が一度よく考えてみるべきではないのか。そんな問題を突きつけられるようなドラマだったかと思います。ドラマの結末は必ずしも円満解決というわけではありませんでしたが、よりよい在り方を探していこうとする爽やかな終わり方でした。猛烈な面白さでした。こいつは凄いぜ。


そういうわけで、K氏と『ハゲタカ』ごっこに興じています。台詞が格好良くて真似したくなる感じなんですよね~。「腐ったこの国を買いたたく!(リピート×2)」はもちろんのこと、「あなたは…わたしなんだ」とか「お前は、俺だ!」とか、意味もなく突然「ゴールデン・パラシュート」とか言ってみたりしています。ウヘヘ…。

映画版も観るぜ!
と張り切ってレンタル店に行ったら、全部借りられていました。大人気。わあ~。




 *NHKのホームページによると、来月、ドラマ版および劇場版の放送があるようです。





『2012』

2010年07月27日 | 映像

《あらすじ》
ジャクソン・カーティスが子供2人とイエローストーンに旅行中、偶然干し上がった湖底に建てられた巨大なリサーチ施設を発見する。そして政府が隠蔽している、「世界が滅亡へ向かっている」という秘密を知ってしまう。
ジャクソンは自分の家族、自分自身の身を守る為に必死で生き残る術を模索しはじめるが、大地震、火山の噴火、津波など次々と恐ろしい天災が地球を襲ってくる…





この映画を「クソだ!」と一言で片付けてしまおうかとも思いましたが、せっかく観たのにそれはあんまりだと思いなおし、2日間かけてじっくりと考えてみました。


 *** 以下、ネタバレ注意報 ***
    (閲覧にご注意下さいませ)


正直言って観終わった直後には、このあまりにメチャクチャなストーリーに唖然茫然とし、「よくこんな映画に大金をかけたものだな。その点はすごい」という評価だったのですが、その後2日経ってもある種の気分の悪さが抜けず、それが何かを考察してみようと思うに至ったのです。最初はひどい映画だと呆れましたが、何か人の心に残るものがあったことは否定できません。


では、私の心に残っているのが何かというとそれは「主人公一家の厚かましさ」です。あまりに厚かましくて、恐怖を感じるほどなのです。彼らは生き残りを賭けて必死になりますが、そこには美談も英雄的精神もなにもあったものではありません。彼らが生き残るために、犠牲になるのはいつも近くにいる(親切で優しい)他の誰かなんですよ。で、結果的に一家は生き残り「よかった、助かったー☆」という表情を浮かべて劇終。このあたりの描写はいやにリアルですね。
それにしてもゴードン、可哀想すぎるぜ……(/o\;)


世界の終末には、正義も道徳もあったもんじゃない。

というか、世界の終末という局面に至っても、やっぱり金と権力だ! 他人を押しのけても生き残る、それこそが正解! 残念ながら現在の人類はそれほど立派でもなければ美しい存在でもないんだ!! そんな人間の惨めな姿をまざまざと見せつけてくれる、大層皮肉のきいた映画であったとみることもできるでしょう。

劇中にはもちろん、こういう人達も登場します。自分の職務を全うするために避難することを拒む大統領(もちろんアメリカ合衆国大統領)とか、自分だけ助かることに良心の呵責を覚える善良な心根をもった若い科学者とか、崩壊が迫っていると知って家族の関係を取り戻そうとする老人とか、そういう人達が。でも、わりと印象に残りません。主人公一家の浅ましさが勝っています。金も権力もないけど、ゴリ押しで○○(一応ネタバレ自重)に忍び込む強引さ。このくらいの厚かましさがないと生き残れないということですよね。生命が生き残るというのは闘争なんだ。うんうん。



この映画を観て後味が悪いと感じるのは、こういう夢も希望もない現実感を嫌という程味わわされるからかもしれませんねー。いやでも、まあ実際のところ人類は突然の危機に直面すればこうなると思いますよ。そういう観点からは、非常によくできた映画だったと思います。ただのパニック映画、映像だけが見所、というわけでもなかったかなと思い直しました。

ちなみに、何十万人だかの人々がこの大災厄を逃れて生き延びることになりますが、私はこの後の世界でこの人々はまた性懲りもなく戦争を始めるだろうなと空想しています。だって、わずかの国家指導者と科学者、世界各国の金持ちがほとんどすべてを占めるという残された人類に、新しい世界を開拓する力があるとは思えない。土壇場で中国の労働者たちが潜り込んだにしても、労働力が足りなすぎる。地球上で人類が獲得してきた資源も財産もみな押し流された世界で、どうやって文明を再興するんですかね。惨めな覇権争いに突入した挙句に全滅……。そういう展開もあるのではないかと、しみじみと考えてしまいました。もしこの映画の最後でそんな展開になっていたら、私は熱狂しただろうになぁ。惜しい。



というわけで、後々まで楽しむことができたなかなか面白い映画でした!





夏を乗り切る

2010年07月25日 | もやもや日記

小さい扇風機。
USB接続でPC操作中に大活躍!
…ということを期待。






暑い。
暑いよ、うだる。
「うだる」という言葉はすごいですね。もう「うだる」としか言えないですよね、この暑くてどうしようもない感じは。うーん、凄いなぁ。


ものすごく暑い日が続いていますが、うちにはクーラーがありません。そういうわけで、扇風機で夏を乗り切ろうということなのですが、その扇風機にしても、クリップ式の直径20cmほどの小さいものがひとつと、それよりさらに小さい直径10cmほどの卓上用扇風機(上の画像)があるだけなんですよ。ハハ! 熱風!!
いやでも、まあまあ涼しいです。風があるだけでも結構楽になりますね。自分で団扇をあおがなくてよいだけでも、かなり楽です。

あとは、アイスクリームを食べると15分ほど体を冷たくしておけることを発見したので、「もうだめだ」となる前にカップアイスをちょっとずつすくって食べたりしています。

それから麦茶を飲んだりとか。とにかく熱中症が怖い。塩分も取らないとな。
普段はコーヒー派の私ですが、こないだ風邪をこじらせて以来もう2週間もコーヒーはまともに飲んでいません。私はコーヒー中毒者だと思っていましたが、そうでもなかったようですね。暑すぎてコーヒーはあまり飲みたくない。こんな日が来るとは……。




暑い話題はこのくらいにして、K氏がDVDを借りてきたので一生懸命観ています。ずっと前から観たかった『ハゲタカ』のドラマシリーズ。なるほど、面白い! 第1話では宇崎竜堂さんの迫真の演技に圧倒されました。ストーリーもいい。いまちょうど第3話まで観たところ。あと半分。

そして、これから『2012』も観るつもりです。破滅映画万歳。へへへ……。


暑くて本を読むだけの集中力は維持できませんが、そういう時は映像作品を鑑賞するのがいいですね。公開になったばかりの映画『インセプション』も観に行きたいなぁ。渡辺謙さんが出てるやつ。

というわけで、暑いうちは映画でも観て過ごそうと思います!






『歯とスパイ』

2010年07月22日 | 読書日記ーその他の文学

ジョルジョ・プレスブルゲル 鈴木昭裕訳(河出書房新社)




《内容》
SD4・右上第一小臼歯。この歯が痛むとき必ず、要人が暗殺される! そして、IS1・左下中切歯。この歯が黒ずんだとき、不倫の愛がはじまった。続々と登場してはわたしの運命を狂わせる奇人歯科医たち。すべてが〈歯〉のしわざなのか。
東欧的想像力が生んだ寓意と奇想あふれる物語。


《この一文》
 “「肉体のなか、それに歴史や宇宙のなか、どんなに遠くかけ離れたもののあいだにも、なにかのつながりは隠されている。これが偶然でありえようか?」その朝、わたしはそう思った。万物照応の理をかいま見てからは、その思いが、六年以上にわたり、わたしの心を照らしてくれた。その後、わたしの人生が嘘と作為と本心のはざまでこじれだすと、その光は少しずつ消えていった。それ以来、わたしは半ば盲いたまま、すくわれない薄明のなかにある。だが、いっそのこと、まったくの盲目であるほうが幸せなのではなかろうか? ”





いったん流れに乗ってしまうと、しばらく同じようなテーマを扱う物語が立て続けに目の前に現われるものです。『シルヴェストル・ボナール』で人生の空しさを思わされた私はその後は何を見ても空虚な気持ちしか沸いてこず、それを加速させるかのように、私の目に飛び込んでくるのは人生の空しさを扱った物語ばかりでした。これはいつまで続くのだろうと問いかけそうになりましたが、そもそも蔵書を落着いて見返してみると、私はこんなテーマの本ばかり集めているんですよね。じゃあしかたない。

ついでに書くと、あまりに暗くなってきたので、ちょっと前に録画してあったBBCのドラマシリーズ『華麗なるペテン師たち2』の第二回をまだ観ていなかった! そうだ気分転換にあの愉快爽快なドラマを観ようじゃないか! と張り切って観てみたらそれは、アルバートが詐欺師仲間の孤独な死をきっかけに老年に至った自分の人生を迷ったり、その他のメンバーも「死」と「嘘に塗り固められた詐欺師としての自分の人生」に直面させられたりする話でした。ぐぐっ、これは……。というわけで、このくそ暑いのに、私の心は静まり返っています。いいですね、これはこれで。暑さだって、いつまでも続くものではないということですよ。はは。


さて本題。
帯にある「この歯が痛むとき必ず、要人が暗殺される!」という言葉に惹かれて買った小説です。なにこれ、すごく面白そう! と興奮した私は、買ってすぐに最初の30ページほどを読みました。読んでみると、これは予想していたような痛快スパイアクション小説でもなければ、「歯の痛み」と「要人暗殺」という結びつき難い二つの物事を愉快に結びつけて描いた単なるユーモア小説でもないことが分かりました。当時の私はそれ以上読み進めることができず、数ヶ月後に再度挑戦した時も70ページ以降よりは進められず、今回3度目でようやく読み通すことができました。物語にはやはり読み時というものがあるのです。冷房のない部屋で、汗と勇気を振り絞り、キリキリと締めつける胸の痛みに歯を食いしばって読みました。思っていた以上に暗くて面白かったです。暗いユーモアがあります。いかにも私の好きそうな物語でした。

登場人物はなかなか魅力的です。淡々と語りを進めつつもどこか間抜けさを感じさせる主人公のS・Gは、東欧のとある国に生まれ、秘密の使命を帯びてさまざまな職に就き、世界を飛び回ります。どうやらスパイのような仕事をしているらしいのですが、その仕事ぶりは地味なもので、第一線というよりは裏方であるようです。S・Gの唯一の友人である有名な音楽家でスパイ仲間のマエストロGも面白い人物です。主人公とマエストロとの緊迫感のある命がけの友情のありようは実に読みごたえがありました。

物語は細かく章分けされ、章のそれぞれを独立したお話として読むことができます。主人公が生まれ、歯が生え、それが生え変わり、永久歯が抜け落ちてしまうまでのことが、数々の恋愛話や不可思議な出来事などを盛りこみながらテンポよく語られてゆきます。彼の歯の一本一本がどういう運命を辿ったのか、その歯は何を象徴していたのか、その歯が傷つき浸食され痛みの後に抜け落ちるちょうどその時、世界のどこかでは紛争や戦争のために多くの人間が虐殺されたり、名のある人物が暗殺されたりします。世界の諸々の大事件(はっきりと名指しされてはいないものの、現実の事件と思われる。ベトナム戦争やチェルノブイリの事故など)と、S・Gの人生の転換点と、彼の歯とが不思議な連動を見せているあたりが面白いところです。また、主人公がゆく先々で出会う数多くの歯科医とのやりとりもまた面白く描写されていました。特に、主人公が信仰をめぐってある歯科医と「賭け」をするお話があるのですが、その結末はとても意外なものでしびれました。

最後に、この物語にはいちいちグサッとくる文章が挿入されていたので引用しておきたいと思います。



 “一九四五年八月
 わが家にもどる。息子の口に最初の永久歯が生えていた。日本ではひとつの町が三分間で消失した。どちらが大切なできごとだろうか? 歯が現われたことか、町が消えたことか? ”(父の日記から)


 “「そちらが勝ったら、抜歯代は要らない。だが、わたしが勝ったら手術は明日まで延期だよ」「そんな! 明日までなんか待てません!」「だったら、せいぜい知恵を絞るんだね。考えてもみたまえ、人間を駆り立てるのは痛みと絶望ではないのかね。人生の原動力は、自己満足や――たわけた言葉を使わせてもらえば――幸福などではもちろんないんだよ。さあ、きみは白で指したまえ」”(SD5:啓示の物語)

 “いまのわたしには、批判的判断力などどうでもよい。世界に対して、なんの興味ももてないからだ。そんなものを気にかけなくなってからもう久しい。老いという生ぬるい狂気のなかで、文句もいわず、適当に楽しみながら、いまのわたしは生きている。”(知恵の歯、または親知らず)

 “遅まきの涙にわたしが誘われたのは、喪失の思いからではない。人間の永遠不変のありようが眼前に立ち現われたからである。目も、歯も、なにもないままに生き抜く人間の姿。あとはすべてが幻なのだ。”(SS3:女医の夢)

 “「どうしてあんなことができたのだろう? 記憶の眼に映るあの青年はほんとうにわたしだったのか? いくら想像をめぐらせても、わたしには自分と彼が同じ人物だったとは思えない。あれはすべて存在しなかったできごとなのだ」まがいもののID6が落ちた日、わたしは心のなかでそう思った。「わたしはいまだかつて存在したことがない。わたしは誰かの記憶の記憶の記憶なのだ」”(ID6:地下道にて)





痛くなってくるので、これ以上引用するのは止めました。諦観と悲観と幻滅に満ち満ちた物語です。ものすごく面白かったのですが、正直言って、かなりこたえました。人はなぜこんなふうに生きるのでしょうかね。でも、諦めても悲しんでも人生は続いてゆくようです。得たものを失うのが怖いけれど、次々とそれらを失って、いつかすべてを失ってもまだ生きていそうでもありますね。人間は鈍くて慣れやすく、またしぶといものなのかもしれません。






暑い!

2010年07月21日 | もやもや日記

夏の影がくっきりと。





暑い。暑いですね。ゆうべもちょっと暑かったなぁ。今度の家にはクーラーがないんですけど、果して私はこれから本格化する大阪の暑さに耐えられるんだろうか…(/o\;)

まあでも今のところはまだ大丈夫そうです。このあいだ台湾であの凄まじい湿気を体験した私には、大阪の暑さなんて可愛いもんですよ! ハハハ! 暑いには変わりないですがね。まだ耐えられる。まだ。

風さえ通れば涼しさを感じられるので、今晩はもうちょっと風が吹き抜けてくれるといいなぁ。





いつか一緒に輝いて

2010年07月19日 | 学習







物語の終わりとどう付き合うか。物語の終わりをどう受けとめるか。このことは私をずっと悩ませることのひとつです。なかなか耐えられないし、受け入れられません。どうして終わってしまうのかなぁ。

終わるのが辛いので、私は長編が苦手でした。物語が長ければそれだけ私は登場人物に深入りしてしまい、結末で強引に彼らと切り離されてしまうあの痛みを思うと、なかなか手が出せなかったのです。しかし、それでもやっぱり手を出してしまう。好奇心に負けて読み始めたり観始めたりしてしまう。最初の方はよいのです。これから楽しくなる、もっと好きになりそうな予感に満ちているし、真ん中のあたりではやっぱりその予感の通りに物語の中に入り込んだみたいな愉快な気持ちになるのでいいんです、でも最後が近づくにつれてもの凄い孤独感が襲って来るんですよね。物語の最後で、私だけがいつも置いていかれてしまうから。物語が終われば、私だけがその世界から放り出されてしまう。

こういうことは、これまでにも何度も書いてきた気がしますが、まだ全然解決できません。ますます苦しみが増している気さえします。ああ、私は本当に終わりというやつが苦手なのです。別れたくない。いっそ出会わなければよかったのだろうか。


このあいだ『シルヴェストル・ボナールの罪』という小説を読んだのですが、その中ではボナール氏の三つの人生について語られていました。まずは両親と伯父と暮らした幼年時代、次に生涯のほとんどの時間を占めた書物と研究に明け暮れた時代、最後はかつての想い人の孫娘ジャンヌの後見人となってともに暮らした時代。ボナール氏はこのいずれの時代にもその時々で人や書物を愛してそれとともに暮らして、たぶん不幸ではなかった。むしろ幸福だったんだと思う。文字の世界でも、現実の世界でも、ボナール氏はその愛に報いられたし、満たされたと思うのです。けれども、どの人生もどのみち去っていってしまうんですよね。愛そうが、満たそうが、去ってしまう。夢みたいにつかみどころがない、この手応えのなさに、私の胸の中はざわざわとしてくる。


私もいろいろな人や物語を好きになる。出会って、好きになって、楽しくて、でもその合間にもふと別れのことを思ってしまう。いつかは終わってしまうと、そのことばかり考えてしまう。これが最後になるかも知れないと、つい考えてしまう。結局私は高校生だったあの頃から少しも成長していない。そこではすべてが終わらない秘密の世界への抜け道を探していたあの頃から全然成長できていないのです。私は成長しないまま、その後もっとずっと多くの人々と物語を愛してしまった。耐えられるのだろうか。いつかやってくるお別れに、すでに少しずつ始まっている終わりに、私は耐えられるのだろうか。どうやって耐えたらいいんだろう。

そうやってビクビクと怯えているくせに、それでも私はさらに新しい出会いへと、出会って始まった関係のさらなる深みへとはまり込んでいくんだろうなぁ。その楽しさや喜びにどうしようもなく惹かれてしまってさ。


人生は、私にはまるで夢みたいに手応えがないのです。そして、私はひとりでは夢を見られない。美しい出会いと、美しい記憶がなかったら、私は夢を美しく彩ることができない。人生が夢のようなら、せめてそれを美しく夢見たい。美しければ大丈夫なんだ。美しいことは私をなだめてくれるから。いつか私が愛する人も物語もすべて去ってしまっても、美しければ、遠くなっても大丈夫。いや、美しいものは、最初から遠いものなんだ。最初からみんな遠いんだよ、だから私はそれを美しいと思うのだろう。突然遠ざかるわけじゃないんだ。最初からものすごく遠いのに、時々近くにあるみたいに光が私に向かって飛び込んでくる、その凄さに打たれるんだろう。打たれた衝撃はまた、この夢みたいなあやふやの中でも、わりと手応えのあるものです。この衝撃を蓄積していくことが人生ってものなのでしょうか。人や物や物語が去っても、私の中に蓄積されたものは、私がそれを思っている限りは残るだろうし。大丈夫だ。遠くのものを思うんだ。美しいものを集めるんだ。もっと。


始まったことは終わるから、私が「どうして?」なんて疑問をはさむ余地もなく終わってしまうから、私は受け取った美しいものを、できるだけその場で返せるようになりたい。私が終わりを恐れるのは、それができていないからなのかもしれない。どうやって返すのか、その方法が分からないまま終わってしまいそうなのが怖いんだな、きっと。

今日もビクビク、美しいものと出会って夢中になりながら、放り出されています。でも、いつかは、いつかは一緒に――。










ラジオ体操?

2010年07月17日 | 自作アニメーション

たーんたーたたーたたた♪♪





久しぶりの gifアニメ。

ラジオ体操にこういう動きってありましたっけ?
なんか、「ラジオ体操でもやろうよ!」と誘うたびにK氏がこういう謎の動きをするんですけど、私の記憶をどれだけ探っても、ラジオ体操の中にこんな動きがあったことを思い出せません。

夏、と言えばラジオ体操ですよね~~。





これはあれだ

2010年07月16日 | もやもや日記


バナナの房のくっついているところが長かった。

このたたずまい、何かに似ている……。
うーむ。
あ、あれだ、あれ。




古代エジプトの。
アメン。アメン=ラー。
(画像参照:アメン_wiki

やあ、スッキリしたな。





――ということを、バナナを食べようとした時に思ったんですけど、K氏の同意は全く得られませんでした。
えー…あれ~~……??