半透明記録

もやもや日記

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MD-Walkman容れをつくってみた

2005年11月24日 | 手作り日記
MD-WALKMAN専用ケースを作ってみました。
大好きな雪の結晶模様を施してあります。

表地は黒のウール、裏は厚手の綿、内側は2層に分け、MD-WALKMAN本体と替えの充電池とMDを分けて入れられるようにしました。蓋部分の結晶模様は、白の綿レースと先端にはスパンコールを付けて表現しています。

しばらく家を留守にするので、久々にMDでも持って行くかーと思い立ち、やっつけで作りました。そのせいか、雪というよりヒトデのようにも見えなくはないような。まあ良いです。星型や雪型というのは美しいかたちです。そういうわけで、私はあのペンギンにもアステリスクと名付けてしまったのでした。(念のため、*←これです。この記号です。)

今回中に入れたのはSONYのMD-WALKMANですが、実は私はもう1台KENWOODのMDプレーヤーも持っています。お気に入りだったKENWOODのが壊れた(電源が入らなくなりました)と思って涙ながらにSONYに買い替えたのです。ところが、それから2年ほど経ってから、何気なくKENWOODの方の電源を入れてみたところ、何事もなかったかのように起動し再生もできました。なんということだ。君、自力で直ったのか……? あれは私に対する嫌がらせだったのかね? いや、それとも今こうして直ってくれたというのはやはり私の愛に応えてくれたということなのかい……?(ひとり劇場終了)……そういうわけで、2台持っています。先ほど点検も兼ねて、2台同時に聴いてみました。私の耳では2曲同時には聴き分けられないですねー。しみじみ。

今回はSONYを持って行きます。KENWOODの方が好きだけど、SONYのじゃないと聴けないMDがあるので(LPモードという長時間録音をしたものにKENWOODは非対応なのです)。


明日から10日間ばかり留守にします。
みなさま、ごきげんよう~!

『ムーミン谷の仲間たち』

2005年11月23日 | 読書日記ー北欧
トーベ・ヤンソン=作・絵 山室 静=訳 (「ムーミン童話全集6」講談社)


《内容》

すてきなムーミン一家を中心に、ムーミン谷にすんでいる個性豊かな仲間たちを紹介しましょう。

春のしらべ/ぞっとする話/この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ/世界でいちばんさいごのりゅう/しずかなのがすきなヘムレンさん/目に見えない子/ニョロニョロのひみつ/スニフとセドリックのこと/もみの木

《この一文》

”「チェーリオ。ムーミントロールに、ぼくからよろしくとつたえてください。ぼくは、ありったけ、生きるのをいそがなくちゃならないんです。もうずいぶん時間をむだにしちまったもんでね。」
 それっきり、ティーティ=ウーはいってしまいました。  
           「春のしらべ」より  ”



今回は短編集でした。
物語は相変らずムーミン谷を舞台としているのですが、ここに収められているお話は割と大人向きであるような感じがしました。と言うよりも、大人が読んでも十分に読みごたえがあると言うべきでしょうか。これまでのシリーズでも一貫として掲げられている「誰でも自由に生きていいはずだ」というようなメッセージが、この短編集でも強く感じられます。
なかでも印象的だったのは、フィリフヨンカのお話。もの凄く迫力がありました。すこし恐ろしいくらいの迫力です。大切にしていたものをなにもかも竜巻きに巻き上げられてしまって、新しい自分を見つけたフィリフヨンカの泣き笑いは、妙に迫るものがあります。
それから、「ニョロニョロのひみつ」。ニョロニョロも分からないけれど、ムーミンパパもやはり予測できない人物です。でも自由とか遠いところに憧れる気持ちは分かります。
つい笑ってしまったのは「もみの木」。冬には冬眠するムーミン一家はクリスマスというものを知らず、へムルに起こされてしまったので、なんとなく皆の言うようにクリスマスの支度をするのでした。プレゼントに「クリスマスさま」と書いたりして。

次は『ムーミンパパ海へいく』です。これまでのシリーズを通して読んでみて思うことは、ムーミンパパの動向が一番面白いということでしょうか。というわけで、次を読むのが楽しみです。

走り出したい

2005年11月22日 | もやもや日記
このところ、寒くなってきたせいか、少し弛んでいます。
何かが足りないぞ……。

こういう時は無性に走り出したくなります。
いえ、本当は本を乱読したいのかも。
いえ、もっと本当は漫画読みたい病なのかも。
いや、あれもしたいし、それもしたい。
そのまえに、これをやらなきゃならないし、どれなら後でもいいんだろう。

やりたいこととするべきことが立込んで、かえって身動きもできません。
とりあえず景気付けにストルガツキイでも読むか。
『トロイカ物語』が途中なのでした。
でも、待て、その前にあれをしないといかんだろう。
走れ、走れ。
ぼんやりしている暇はないぞ。


でも寒いんだよなあ。

チョコレート

2005年11月17日 | もやもや日記
私は日頃から間食をしないようにしています。というより、私はもともとあまり間食をしなくても大丈夫な体質のようです。もちろんお菓子などは大好きなのですが、いささか贅沢のような気もするので、最近は特に食べなくなっています。「さっき食ってたのは何だ?」とおっしゃるかもしれません。ええ、ジャンボどら焼き(直径およそ12cm)です。あれは昼ご飯です。お菓子だったかもしれませんが、間食ではないのでした。


そうやって、なんとなく間食を避けていた私ですが、このあいだテレビを見ていたら、チョコレートの健康効果について放送していました。1日に板チョコを1枚分くらいを食べると良いらしい(何に良かったのかは忘れました)のです。お腹が空いた時に少しずつ食べると集中力も高まるとのことでした。 なんと!


そういうわけで、最近はチョコレートを食べに食べています。もともと私はチョコレートが大好きなので、隙を見つけては食べています。おいしい。なんておいしいんだろう。でも、そうやって間食を解禁してみたものの、少しでも集中力が高まったのかどうなのかは分からないでいるのでした。私のぼんやり加減が凄まじいのか、チョコレートの摂取量が足りないのか。とりあえず、おいしいから我慢してもう少し続けようと思います。うむ、我慢である。我慢。ふふ。

『ムーミン谷の冬』

2005年11月16日 | 読書日記ー北欧
トーベ・ヤンソン=作・絵 山室 静=訳(ムーミン童話全集5 講談社)


《あらすじ》

ムーミン谷のみんなが冬眠中の静かな冬、しかしひとりムーミントロールは目をさましてしまい、だれも知らない冬の世界へ……。


《この一文》

”「わたし、北風の国のオーロラ(北極光)のことを考えてたのよ。あれがほんとにあるのか、あるように見えるだけなのか、あんた知ってる?
 ものごとってものは、みんな、とてもあいまいなものよ。まさにそのことが、わたしを安心させるんだけれどもね。」
 おしゃまさんはそういうと、また雪の中にひっくりかえって、空を見あげました。  ”



まだ暑かった頃に『ムーミン谷の夏まつり』を読みましたが、そろそろ寒くなってきたので、『ムーミン谷の冬』を読むことにしました。真冬から春になるまでの物語です。冬の暗さとか寒さとか静けさを思い出しました。私は寒いのは苦手ですが、冬(特に雪の日)にひとりでいるのは好きです。春でも秋でもひとりでいるのが好きなのですけれども。(ちなみに夏にはいなくなりたいです)

倉庫いっぱいのジャムを食べたり、氷の下にもぐって魚釣りをする冬のムーミン谷の住人たちは控えめで内気な性格の人々でした。ムーミントロールはひとり目をさましてしまいましたが、何故かミイも起き出します。ミイはムーミンママの大切にしている銀のおぼんに乗ってソリ遊びをしたり、卵を入れるための布カバーに穴を開けて頭から被ったりします。雪の上を滑ったりしたら、おぼんに傷が付くのではなかろうかと思わずハラハラしましたが(カバーの方はぼろぼろになった末、火にくべられてしまいました)、ものを大事に大事に扱うのも素敵なことですが、もっと別の用途を新しく考えたり、そのために加工したり、結果として壊れてしまったとしても、それはそれでまた良いのかもしれないとも思いました。私にも大事にしまってあるものは色々とありますが、ある日それらがなくなったとしても意外と大丈夫なんだろうなあ。

嫌われ者のヘムレンさん(冬でも川で泳ぐマッチョ系)が小さな犬の「めそめそ」をそれとなくおおかみの群から助ける場面があったりして、今回もやっぱりムーミン谷の人々は最終的にはそれぞれに合った場所を見つけるのでした。あ、モランは別として。可哀想なモラン。いつも凍えているので暖まりたい。女性である(おばあさん)らしいことに驚きました。

ブラームス交響曲第3番

2005年11月15日 | 学習
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団


ヨハネス・ブラームス(1833-1897)

交響曲 第3番 へ長調 作品90
悲劇的序曲 作品81



ブラームスを聴いてみました。やはりとても私好みでありました。なんという音楽なんだろう。
とりあえず、第3番を図書館から借りてきたのですが、借りている2週間はずっと聴きっぱなしでした。私は特に第4楽章が好きですね。盛り上がって。第3楽章は、聴いたことがありました。何か「木曜映画劇場」とかそういう番組のエンディングに使われていたような気がします。これはブラームスだったのかー。なるほど。悲劇的序曲も良いです。これもどこかで部分的に聴いたことがありました。曲の展開が最高ですね。どこからこんな音がこういう風に繋がって出てくるんだろうか。う~む、凄いぞ。

交響曲というのは、どういうものなのかよく分からないのですが、続けて聴いていると物語のようで面白いです。この交響曲第3番は、私の中では、何というか宇宙なイメージでした。以下、私の脳内物語:荒涼とした崖っぷちで、空は赤くて、遠くに星が見えていて、悪魔がやってきますが、そんなに悪い奴でもないような、それでもってそいつに連れられて木星や土星(このあたりの色は美しい)まで飛び回るというような。疑惑、発見、郷愁、対決。それって、ブレイクの『天国と地獄の結婚』か……? 色的には近いかも(あくまで私の脳内では)。要するにばっちり私の好みであるということには違いありません。なんだか悲しげで、それでいて力強いところに激しく打たれます。

と、己の無学ぶりを曝け出すのは憚れながらも、あえて好き放題に感想を述べてみましたが(お読みになった方、どうかお怒りになりませんよう……)、とにかく私はブラームスを好きになりましたので、第1番から聴いてみようと思います。日曜の「くらこれ」(関西の面白クラシック・ラジオ番組)によると、今度関西でブラームス(しかも第3番と第4番。第1、2番は先週だかにもうやったそうです)をやるらしいのですが、……急過ぎて行けない! 無念です; 生で聴いたらきっと凄いんだろうなー。いつか聴いてみたいものです。

はぁ

2005年11月13日 | もやもや日記
私はものを作るタイプの人間ではないんですね。
正確に言うと、人を喜ばせるようなものを作るタイプではないです。
これは愚痴でも自嘲でもなく、客観的に自分を見つめるといつも思うことです。

色々な作家の人たちの作品を見たりすると、その人たちにはあって私には決定的にないものを感じます。情熱でしょうか。あ、才能と技術ってのもあります。それから、人に見てもらおうとか喜んでもらおうという意識とそのための努力がそもそも足りないかもしれません。私は自分のためだけに作り過ぎています。そのことが仕方がないとしても、そうやってできたものを公開してしまうというのは、率直に言って痛ましい種類の情報の垂れ流しではないんだろうか。それにしても、人を喜ばせようと何かを作るとして、誰をどうやって喜ばせたらよいものでしょうか。

結局のところ、私は何がやりたんだか、分からないような気がします。いつまでも独り善がりではいけないのではないんだろうか。そうかもしれない。でも、ほんとうにそうなのだろうか。せめて自分だけでも楽しければよいのではないだろうか。でも、ほんとうにそうなのだろうか。

いまのところ、こういう思考の上を私は際限なくぐるぐるもやもやうろうろし続けています。もう世の中には素晴らしいものが溢れているのに、いまさら私がやることなんて何もないかもしれません。そのことが、どうにも私を滅入らせるのでした。それでも、意味があるとかないという判断は決して自分ではできない種類のものであると思い込んでは、多分これからもまだ作り続けるんでしょうけれども。この文章もつまらないものの垂れ流しですね。こういう事態にどう対応したらいいんだろう。


洋梨を剥いていて親指を深々と切ってしまった、寒い日曜日。反省することはまだまだあるなあ。

うさぎのカメラケースをつくってみた

2005年11月10日 | 手作り日記
私の使っている今時こんなに大きいのは珍しいというデジタルカメラ(ちなみに画素数は驚きの30万画素)用に、うさぎの形のケースを作りました。

外側は白いフリース素材で、既に毛玉になりそうな気配をビシビシ感じます。内側には厚手の綿を使いました。背中部分に持ち手とファスナーをつけています。瞳はとりあえず赤いフェルトで。


彼の名は、ホルマジオ。(耳男<ミミオ>も亀男<カメオ>も捨て難かったけど……!)
いつか透き通るガラスの瞳を入れてほしいと思っているかどうかはわかりません。常に謎めいた表情を浮かべています。うさぎの方々の考えることは、私などには到底理解できないものなのです。


実は、出来てみると、予定よりもサイズがかなり大きかったので、カメラとともに普通に財布なんかを入れて持ち歩いてみました。いい歳をして、近頃の私は本当に恥を忘れてしまったのかもしれません。大人が持っても恥ずかしくないように改良を加えねばなりますまい。とりあえず、次は色違いでもう少し小さいのも作りたいです。