半透明記録

もやもや日記

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『縛り首の丘』

2005年02月28日 | 読書日記ーその他の文学
エッサ・デ・ケイロース 彌永史郎訳(白水Uブックス)



《あらすじ》

罠とも知らず愛する女のもとへ馬を駆
る若き騎士ドン・ルイ。途中、刑場の丘の
かたわらを通りすぎるが、その時、縛り首
の死体が彼に話しかける。「俺を連れて
いけ、何かの役に立つはずだ」。ユーモ
アと辛辣な皮肉を交えた魔術的リアリズ
ムの世界。傑作『大官(マンダリン)を殺
せ』を併せて収録。



《この一文》

” 「中国の奥地に、伝説上、歴史上のあらゆる王よりも裕福な大官がいる。その男のことは、名前も、風貌も、身に纏う絹布のことさえも、汝は何も知らぬ。男の尽きることなき財産を汝が相続するには、手許の本の上にあるその呼び鈴を鳴らすだけでよい。さすれば、男は、モンゴルに接するかの国境の地で、一度だけおおきく息をつき屍と化す。
 すると汝は、貪欲な吝嗇家が夢見うるよりもさらに多くの金を目のあたりにすることになろう。この書を読む汝、死すべき人間よ、呼び鈴を鳴らしてみては如何かな?」
        --「大官を殺せ」より  ”



収められた2篇のうち、「縛り首の丘」は読んであったのですが、もうひとつの「大官を殺せ」は先に収録されていたにもかかわらず未読でした。
飛ばしていたらしいです。
両方ともなかなか面白かったです。
ケイロースという人については、もっと昔の人だと思っていたのですが(根拠もなく)、あとがきを読むと、1845-1900年までを生きた人らしいです。
私はこの年代の物語にとても惹かれます。
これが結構面白かったので、他の作品も探して読んでみようと思います。
図書館で見かけたような気がするので、はやく探しにいきたいのですが、いきつけの図書館は蔵書整理のためにしばらく休館中なのでした。

『ボートの三人男』

2005年02月27日 | 読書日記ー英米
ジェローム・K・ジェローム 丸谷才一訳(中公文庫)



《あらすじ》

気鬱にとりつかれた三人の紳士が
犬をお伴に、テムズ河をボートで
漕ぎだした。歴史を秘めた町や村、
城や森をたどりつつ、抱腹絶倒の
珍事続出、愉快で滑稽、皮肉で珍
妙な河の旅がつづく。イギリス独
特の深い味わいをもつ、代表的な
傑作ユーモア小説。


《この一文》

”--人はモンモランシーを見るとき、これは人間の理解を絶したある理由のもとに、フォックステリアの形を借りて地上へと派遣された天使なのだと想像するであろう。モンモランシーの顔つきには、一種、ああこれは何という邪悪な世界だろう、これを改良し上品にできたらいいのだが、といった感じが漂っている。これは敬虔な紳士淑女の眼に涙を浮べさせるものである。
 彼が最初、ぼくの出費のもとに生きるようになったとき、実を言うとぼくは、まあ長いことはないだろうな、と考えた。ぼくは椅子に腰をおろして、彼が敷物の上から見あげるのを眺め、
 「ああ、この犬は長生きしないだろう。やがて天国へと迎えられるだろう」
 と考えたものだ。ところが、彼が殺した約1ダースのひよっこの代を払わせられ、百四十七回目の壮烈な市街戦から、彼を、吠えられたり蹴られたりしながら首根っこをつかまえて引離し、カンカンになっている女から彼が噛み殺した猫の死体をつきつけられ、その女に猫殺しよばわりされ、一軒おいて隣りの男に、こういう猛犬を放し飼いにしておくもんだからこの寒空に二時間も物置小屋に監禁されたと文句を言われ、果ては、ぼくの会ったこともないどこかの庭番がこいつに鼠を捕らせ、一定時間内に何匹つかまえるかを見事に当てて三十シリング稼いだという話を耳にするようになって、ぼくは始めて愁眉を開き、結局こいつはかなり長生きするだろうと考えたのである。        ”



楽しいです。
犬のモンモランシーが可愛い。
猫と湯沸かしに負ける犬。
私はイギリスの文学はあまり読んだことがないのですが、こういうユーモアというのはいかにもイギリスらしいという感じは受けました。
なんとなく。
ゆく先々でその土地に関する説明も述べられているので、真剣に読めば、イギリスの歴史の勉強にもなるかもしれません。

『小松左京コレクション 3 短篇小説集1』

2005年02月25日 | 読書日記ー日本
(ジャストシステム)



《収録作品》

「虚空の足音」
「ゴルディアスの結び目」
「すぺるむ・さぴえんすの冒険」
「眠りと旅と夢」
「終りなき負債」
「せまりくる足音」
「こういう宇宙」
「物体O」
「痩せがまんの系譜」
「フラフラ国始末記」
「幽霊屋敷」
「宗国屋敷」
「御先祖様万歳」
「ヴォミーサ」



《この一文》

”「この”狂った秩序”の世界で、高等生物が持つように
 なってしまった”意志”というものは、いったいどんな
 作用を持っているのかね。それが”秩序”にさからった
 り、ためしたりする方向で働いた時は・・・」
         --「ゴルディアスの結び目」より ”



以前から読んでみたいと思っていた小松左京をついに読みました。
ジャストシステムはこういう本も出しているんですねー。
物語のオチは、途中で何となく想像がつくことが多いのですが、それでもなお面白いと思えるところがすごいです。
なんででしょう?
「こういう宇宙」というお話の中の”銀座”があったら楽しいだろうな~、と心底憧れてしまいました。
土星を眺めながら酒を飲む--ロマンです。
はやくまだ読んでない残りの半分の短篇も読んでしまわなければ。

他には『さよならジュピター』も読んでみたいです。
遠い昔にそのタイトルを耳にして以来、ずっと気になっています。
どんな話なのかも知らないのですが、題がとにかく美しい。
映画では『日本沈没』をうっかり途中からみてしまいました。
藤岡弘さんが強烈でした。
沈みゆく日本と運命をともにしようとする老人を、考え直すよう説得しにいく場面は、ブラッドベリの「ヘンリー九世」と関係があるのでしょうか。
ともあれ、面白かった!
いつか最初からみたいものです。

『ムッシュー・テスト』

2005年02月22日 | 読書日記ーフランス
ポール・ヴァレリー作 清水徹訳(岩波文庫)



《内容》

透明な知性と繊細な詩的
感性によって20世紀前半
のフランスを代表するヴ
ァレリー。「ムッシュー・
テストと劇場で」は若き
日の内的危機から誕生し
た。作者の分身エドモン・
テストをめぐる思索は、
その後もエロティシズム、
近代批判など様々な視座
から試みられ、連作小説は生涯書き継がれ
た。強靱な頭脳はいかなる姿態を示すか。


《この一文》

”  一種の個人的祈り。
  《わたしの眼を覚ましてくれたあの不正、あの侮辱に、わたしは感謝いたします。その不正と侮辱の生々しい感覚が、その滑稽なる原因からはるか遠くへとわたしを投げやって、まだわたしに自分の思想の力と思想への志向をつよくあたえてくれたので、結局わたしの仕事はわたしの怒りから利得をあげたほどなのです。つまり、わたし自身の法則の探索は偶発事を利用したのです》
        --「ムッシュー・テスト航海日誌抄」より  ”



最近、つい自分の理解できる限界をはるかに越えたものを読んでしまいます。
「読んだ」というよりはむしろ「文字を追ってどうにか最後の頁に至った」といったほうが正しいです。
しかし、落ち着いて考えてみると、これまで読んできたものについても、私は果たしてどのくらい正確に「読んだ」のか疑問です。
ちょっと恐ろしくなってきました。
ともかく、このような圧倒的に理解不可能なものにでくわすことは、現段階での自分の思考力に対して、ひとつの目安を持つことができるという収穫をもたらします。
いつか少しは理解できるようになるのでしょうか。
そのためには冷静に考えるということが出来ない自分を情けないと思いつつも、問題に立ち向かわねばならないのかもしれません。

『第四間氷期』

2005年02月21日 | 読書日記ー日本
安部公房 (新潮文庫)



《あらすじ》

現在にとって未来とは何か? 文明
の行きつく先にあらわれる未来は天
国か地獄か? 万能の電子頭脳に平
凡な中年男の未来を予言させようと
したことに端を発して事態は急転直
下、つぎつぎと意外な方向へ展開し
てゆき、やがて機械は人類の苛酷な
未来を語りだすのであった・・・。薔
薇色の未来を妄信して現在に安住し
ているものを痛烈に告発し、衝撃へ
と投げやる異色のSF長篇。


《この一文》

” 予言機械をもつことで、世界はますます連続的に、ちょうど鉱物の結晶のように静かで透明なものになると思いこんでいたのに、それはどうやら私の愚かさであったらしい。知るという言葉の正しい意味は、秩序や法則を見ることなどではなしに、むしろ混沌を見ることだったのだろうか・・・・?       ”



難しいです・・・。
とても興味をひかれたし、何かについて考えなければならないことは分かっているのに、それが何だか分かりません。
未来と現在の「断絶」、「日常的連続感の枠内での主観的判断の氾濫」・・・。
当分頭の整理がつきそうにありませんので、考え続けることにします。
安部公房の作品においてなされる問題提起には、我々がその問題を決して避けて通れないのだという切迫感を感じてしまいます。
普段は気がつかないふりをしている問題にふいに直面されられてしまいます。
この人の持ち出すテーマの難しさとは裏腹に、物語自体の読みやすさ、文章の明確さのために、私は途中で読むのをやめることができません。
きっと他の作品も読むことになるに違いないのでした。

『西瓜糖の日々』

2005年02月20日 | 読書日記ー英米
リチャード・ブローティガン 藤本和子訳(河出文庫)


《あらすじ》

コミューン的な場所、アイデス
<iDeath>と、<忘れられた世
界>、そして私たちとおんなじ
言葉を話すことができる虎たち。
西瓜糖の甘くて残酷な世界が夢
見る幸福とは何だろうか・・・。
澄明で静かな西瓜糖世界の人々
の平和・愛・暴力・流血を描き、
現代社会をあざやかに映して若
者たちを熱狂させた詩的幻想小
説。



《この一文》

” 月曜日 赤い西瓜
  火曜日 黄金色の西瓜
  水曜日 灰色の西瓜
  木曜日 黒色の、無音の西瓜
  金曜日 白い西瓜
  土曜日 青い西瓜
  日曜日 褐色の西瓜

 きょうは灰色の西瓜の日だ。わたしは明日がいちばん好きだ。黒色の、無音の西瓜の日。その西瓜を切っても音がしない、食べると、とても甘い。
 そういう西瓜は音を立てないものを作るのにとてもいい。以前に、黒い、無音の西瓜で時計を作る男がいたが、かれの時計は音を立てなかった。       ”


「読書日記」をはじめてからずっと、この本を取り上げたかったのに、しばらく行方不明でした。
というのも、本棚は、ブラッドベリの『ウは宇宙船のウ』の隣に『小川未明童話集』その隣に
『中国の故事・ことわざ』という無法地帯。夏目漱石の『夢十夜』も消えた。
久しぶりに「第一夜」が読みたい。
関連性から考えると、私のお宝『内田百間集成』のコーナー(これだけはまとめてある)にまぎれていそうと考えて、捜索(まとめて押し込んであるだけなので)を開始しました。
本屋さんでかけてくれるカバーがついているのとついていないのが混ざっているので、カバーつきの中身を透視していると、何故か『西瓜糖の日々』の背表紙が透けて見えました。
「こ、こんなところにあった! めでたい! しかし何故?」
諦めてもう一冊買うところでした。良かった。
(『夢十夜』は結局見つからなかった・・・)

さて、物語ははじめから終わりまで極めて静かに展開していきます。
この淡々とした感じは、ひょっとしたら村上春樹と通じるかもしれないと思い付きましたが、私は『ノルウェーの森』しか読んだことがないので、今度村上通の人に聞いてみたいです。
どのへんが特にどうとはっきり言えないのですが、私はとても感銘を受けてしまいました。
和訳の「西瓜糖」という響きも美しいです。
ほかに『東京日記』という詩集もあって、少し前に書店で立ち読みしたところ、詩のひとつひとつに日付けがふってあって、それがちょうど私が存在を始めようとしていた年のようでした。
とは言え当時、私は生れてもいなければ、東京とも何の関わりもありませんでしたが。
ともかく、そんな訳のわかるようなわからないような理由で、私はブローティガンに対して何か特別なつながりを感じています。
勝手に。
物語と出会って起こるこういう片思いというのは、片思いで当たり前とは分かっていますが、今日は何故だか不思議に思えます。

『壁抜け男』

2005年02月19日 | 読書日記ーフランス
マルセル・エイメ 長島良三訳(角川文庫)


《あらすじ》

ある日突然、壁を抜ける能力を
手に入れた、登録省の役人デュ
ティユル。彼は新しい上司と手
紙の書き方をめぐって対立する。
屈辱的な扱いを受けたことを恨
んだデュティユルが、壁から頭
を出してその上司を罵ると、混
乱した上司は精神病院に入院し
てしまう。この件をきっかけに、
パリの街に次々と奇妙な事件を
巻き起こしていくデュティユル。
しかし壁をすり抜け続けていく
彼の行く手のは、思わぬ落とし
穴が待ちかまえていた・・・。
奇抜で幻想的な世界に、人間の
優しさと悲哀、そして残酷さを
巧みに描いた、鬼才エイメの珠
玉の作品集。


《この一文》

” アントワーヌはたやすく自分の屋根裏部屋を見出して、音をたてずに忍び込んだ。母親の小さなベッドの上に一抱えの光を置くと、その光が眠りこんでいる母親の顔を明るく輝かせた。アントワーヌは、母親が少しも疲れていないことを知った。
           --「七里のブーツ」より ”



3、4年前に買ってそのまま読まずに放置してあったのを、今朝ようやく読みました。
予想以上に面白かったです。
どうも私はフランスの短篇(ただし主に幻想小説)とは相性が良いようです。
「壁抜け男」「変身」「サビーヌたち」「死んでいる時間」「七里のブーツ」の5篇を収めていますが、どの物語もそれぞれの設定が興味深いです。
壁を通り抜けることができるとか、一人の人間が同時に何箇所にも存在することができるとか、1日おきにしか存在することができない人間とか、どこかしら異常な状況を設定しています。
その中で、最後の「七里のブーツ」は特に不思議な設定もなく、童話のような内容でした。
普段なら「壁抜け男」のような話に惹かれる私ですが、今回は意外にもこの「七里のブーツ」が一番気に入りました。
とても美しいのです。

『ジョジョの奇妙な冒険Part6 ストーンオーシャン』

2005年02月18日 | 読書日記ー漫画
荒木飛呂彦(集英社)


《この一文》

”FF:あたしを見て徐倫(ジョリーン)
   これがあたしの
   「魂」・・・・
   これが あたしの
   「知性」・・・・
   あたしは生きていた

 徐倫:あの神父から
    あんたのDISCを
    必ず取り戻すッ!
    「フーファイターズ」
    のDISCをよッ!
    そうすれば
    甦れるッ!!

 FF:それは きっと別の
   フーファイターズ
   あたしじゃあないと思う
   これがあたしなの
   さよならを
   言う
   あたしなのよ         
               --- 第11(74)巻より ”


とても人気のある漫画です。
私が子供のころからずっと「週間少年ジャンプ」にて連載されていました。
生れてはじめて何かに熱中した、というのがこの作品でした。
これを読んでいなかったなら、私の好みの傾向は随分と違っていたことでしょう。
しかし、荒木氏の作品に対しては好き嫌いが激しく分かれるのも事実のようです。
私は激しく好きなほうです。

さて、「名言」が多いことでも有名なこの『ジョジョの奇妙な冒険』ですが、『ストーンオーシャン』は一応その最後のシリーズです。
第5部までもそれぞれ違った面白さがありますが、この第6部はまた少し雰囲気が変わった気がします。
スケールもとてつもなく大きかったですし。
引用したこの一文は、フーファイターズという知性をもったプランクトン(!)のせりふですが、全シリーズを通して最も美しいせりふのひとつだと思います。
久しぶりに最初から読みたくなってきました。(全80巻・・・長い)

『愛はさだめ、さだめは死』

2005年02月17日 | 読書日記ーSF
ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア 伊藤典夫 浅倉久志訳(早川書房)


《あらすじ》

自然と本能のまえにとまどう異星生物のラ
イフサイクルを、斬新なスタイルで描き、
1973年度ネビュラ賞に輝く表題作ほか、コ
ンピュータによって他人の肉体とつながれ
た女の悲劇を通して、熾烈な未来社会をか
いま見せ、1974年度ヒューゴー賞を獲得し
たサイバーパンクSFの先駆的作品「接続
された女」、ユカタン半島に不時着した飛
行機の乗客が体験した意外な事件を軸に、
男女の性の落差を鋭くえぐった問題作「男
たちの知らない女」など、つねにアメリカ
SF界の話題を独占し、注目をあつめつづ
けたティプトリーが、現代SFの頂点をき
わめた華麗なる傑作中短篇全12篇を結集!



《この一文》

” ただし、実はポールを愛してるのは、八千キロかなたのP・バークなんだ。P・バーク、地下牢につながれ、電極糊の臭いをぷんぷんさせた怪物。真実の愛に燃え、とろけ、とりつかれた女のカリカチュア。往復六万四千キロの大真空を渡り、見えない膜で麻痺させられた娘の肉体をつうじて、恋人に近づこうとする女。彼が彼女のものと信じこんだ体に、彼の腕がまわされるのを感じ、重い影とたたかい、それをかきわけて、恋人に身を捧げようとする女。美しい死んだ鼻孔をつうじて恋人を味わい、嗅ぎ、炎のさなかにも燃えない肉体で、彼の愛にこたえようとする女。
                  --「接続された女」より  ”



ティプトリーという人のことは全然知りませんでした。
が、とてつもない人物であったようです。
作品もそうですが、作者本人も凄まじい経歴の持ち主です。
いやー、すごい。
さて、この人の作品を初めて読んだ感想は、率直にいうと、「難しい!!」
こういうスタイルは経験がありません。
作品によって文体がころころ変わり、最初に収められている「すべての種類のイエス」などは、今誰がしゃべったり行動したりしているのかさっぱりわからない、という極度の混乱に陥り、途中で断念・・・。
初っ端から私の自尊心はいたく傷つけられてしまいました。
これほどまでに読めないなんて、ひさしぶりの屈辱です・・・。
私はまだまだ甘かった・・・!
そうしてハリボテの高い鼻をあっさり折られてしまった私は、気力をふりしぼって、一番面白そうだった「接続された女」を読むことにしました。
あふれる鮮烈なイメージと疾走感、まるで火花を散らすジェットコースター。
ショックでなかなか寝つけませんでした。(またか)
ティプトリー、はまりそうな予感がします。
なんとか「すべての種類のイエス」のような作品も克服したいです。
しかし、SFというのはどうしてこう面白いのでしょうか。

余談ですが、「接続された女」冒頭部分にこんなくだりがありました。

” 娘は人波にもまれながら、魂の憧れを眼玉に託し、背のびしてむこうをのぞく。大好き! おおおォ、大好き!(中略)・・・すてきィ!    ”

このノリ、ちょっとあれに似ています。
久しぶりに読みたくなってきました。
明日は「あれ」を取り上げることにします。