昨日、名人戦第二局の大盤解説会に行き、その記事を書きました。
言い足りなかった事、あらためて感じた事を少し。
いろいろな解説記事を流し読みして、
いやあ、ほんと、細かい、というか、微妙と言うか、神経戦と言うか、
要は僕らレベルでは、どうにも難解すぎた一局でしたが、将棋の奥深さ、すごさを実感し、茫然自失的な変な感動を覚えた熱戦でした。
今日が25回目の誕生日の方も、
「終盤戦が難しすぎ。いくらプロでも、相当に真剣に見ないと全然分からない、という将棋でした。」
と書かれています。
(おめでとうございます!)
それにしても、あの終盤の△3七歩が、大きな意味を持つ事になっていたとは・・・。
「最後になって疑問と見られていた△3七歩が生きて、即詰みを逃れました。 」と、所司七段が解説されてますし、
「108手目の飛頭単打の歩が最後になって詰まないのに利いていたのが凄かった。飛車が3八にいたままだと、玉が3五の歩を取れないので、詰んでたんですね。 」と書かれたtakodoriさんは、「再現してみて震えた。」、とまとめています。
二転三転。現地控え室も、解説会の解説も、いやあ、予想の当たらないこと甚だしい。
終盤、ここは羽生勝ちだと断言、いくら私でもここはもう間違えません、と言い切った飯島六段。
あまりの当たらなさに対し、聞き手の環那ちゃんは、容赦ない突っ込みの嵐。
「ほんとですか?そんなにはっきり言っちゃって大丈夫ですか?」
「しょうがないので、3回チャンスを上げますので、当ててください。」
とか、ほんと解説者泣かせで可愛そうでした。
会場で配られた、4月4日の朝日新聞の抜き刷り。
「谷川九段に聞く見所」のところに、こんなコメントがありました。
「羽生さんの原動力は好奇心にある。
得意な戦法よりもあまり経験のない形を好んで指す傾向がある。
そうすることで新たな喜びを感じ苦手な戦法もなくなる。
だからオールラウンドプレーヤーとして活躍している。」
そういう羽生名人の特性については、今までいろいろ書きましたが、ほんと、昨日は感じましたね。
なんでここでこう指さないんだろう?
こうしておけば普通にいいのに。
というところで、一般的ないい手は指さない。
それでは自分が許せないのだろうか。
そう、けものみち力ですね。
混沌好きなわけですね。
こういう神経戦の勝負。
勝因も敗因もよくわからない。
快勝と言える勝負ではない。
こういうのって、勝った方も、気持ちのいい晴れやかな勝ち方ではないと思うし、
負けたほうも、そんなに悔しくないのでは、と思ってしまう。
あー、やられたとか、向こうの方が読みが勝っていた、とか、そういうはっきりしたものは何もない。
ほんと微妙なちょっとした積み重ね。
じりじり、ピリピリ、はっきりしないことの寄木細工。
何回振り返ってみても、難解。
相手が行きたいところにわざと駒を打って取らせて行かせる。
何をしてるんだろ。どういう意図なんだろ。
単に損なだけなんじゃないの?
そして、昨日も書いたように、
なんで9七の歩を桂で取るの?
何故に桂で取れる金を取らないの?
▲8三歩の意図は?
などなど、謎が多すぎる。
お城での対局だけに、
まるでわからない。
もう、どうにでもしろよ。
しろーとには難解すぎじゃあ。
言い足りなかった事、あらためて感じた事を少し。
いろいろな解説記事を流し読みして、
いやあ、ほんと、細かい、というか、微妙と言うか、神経戦と言うか、
要は僕らレベルでは、どうにも難解すぎた一局でしたが、将棋の奥深さ、すごさを実感し、茫然自失的な変な感動を覚えた熱戦でした。
今日が25回目の誕生日の方も、
「終盤戦が難しすぎ。いくらプロでも、相当に真剣に見ないと全然分からない、という将棋でした。」
と書かれています。
(おめでとうございます!)
それにしても、あの終盤の△3七歩が、大きな意味を持つ事になっていたとは・・・。
「最後になって疑問と見られていた△3七歩が生きて、即詰みを逃れました。 」と、所司七段が解説されてますし、
「108手目の飛頭単打の歩が最後になって詰まないのに利いていたのが凄かった。飛車が3八にいたままだと、玉が3五の歩を取れないので、詰んでたんですね。 」と書かれたtakodoriさんは、「再現してみて震えた。」、とまとめています。
二転三転。現地控え室も、解説会の解説も、いやあ、予想の当たらないこと甚だしい。
終盤、ここは羽生勝ちだと断言、いくら私でもここはもう間違えません、と言い切った飯島六段。
あまりの当たらなさに対し、聞き手の環那ちゃんは、容赦ない突っ込みの嵐。
「ほんとですか?そんなにはっきり言っちゃって大丈夫ですか?」
「しょうがないので、3回チャンスを上げますので、当ててください。」
とか、ほんと解説者泣かせで可愛そうでした。
会場で配られた、4月4日の朝日新聞の抜き刷り。
「谷川九段に聞く見所」のところに、こんなコメントがありました。
「羽生さんの原動力は好奇心にある。
得意な戦法よりもあまり経験のない形を好んで指す傾向がある。
そうすることで新たな喜びを感じ苦手な戦法もなくなる。
だからオールラウンドプレーヤーとして活躍している。」
そういう羽生名人の特性については、今までいろいろ書きましたが、ほんと、昨日は感じましたね。
なんでここでこう指さないんだろう?
こうしておけば普通にいいのに。
というところで、一般的ないい手は指さない。
それでは自分が許せないのだろうか。
そう、けものみち力ですね。
混沌好きなわけですね。
こういう神経戦の勝負。
勝因も敗因もよくわからない。
快勝と言える勝負ではない。
こういうのって、勝った方も、気持ちのいい晴れやかな勝ち方ではないと思うし、
負けたほうも、そんなに悔しくないのでは、と思ってしまう。
あー、やられたとか、向こうの方が読みが勝っていた、とか、そういうはっきりしたものは何もない。
ほんと微妙なちょっとした積み重ね。
じりじり、ピリピリ、はっきりしないことの寄木細工。
何回振り返ってみても、難解。
相手が行きたいところにわざと駒を打って取らせて行かせる。
何をしてるんだろ。どういう意図なんだろ。
単に損なだけなんじゃないの?
そして、昨日も書いたように、
なんで9七の歩を桂で取るの?
何故に桂で取れる金を取らないの?
▲8三歩の意図は?
などなど、謎が多すぎる。
お城での対局だけに、
まるでわからない。
もう、どうにでもしろよ。
しろーとには難解すぎじゃあ。