また終戦の日がやってきた。
そして多くの国民と同様に私も二度と戦争などないように祈っている。
[第二次対戦の遠因]
日本は第二次世界対戦で、世界的な植民地開放の引き金を引いたが、そのために多大な犠牲を払い、戦争犯罪を冒した国のレッテルは貼られてきた。
このようなことを二度と起こさない様に、今後の日本はどうしたら良いのか歴史を振り返ってみた。
不況・貧困・政治腐敗→2.26事件、5.15事件の勃発→軍の力が増大→軍事政権の成立→軍国主義化→領土の拡張(植民地時代の終わりかけているときに日本が領土の拡張し始めた)→第二次大戦の勃発→敗戦→侵略国のレッテルを貼られる→黄色人種の日本の健闘に刺激された世界的な民族意識の高まり→世界的な植民地の開放(*注1)
参照;二二六事件(Wikipedia)
1936年、2月26日~29日に、青年将校らが約1,500名の兵を率いて起こした2.26事件と言うクーデターがあった。
これは青年将校が国情を憂い、不況・貧困・政治腐敗に対して国家を改造しようとしたことが一番の理由だった。
つまり政治家と財閥系大企業との癒着が代表する政治腐敗や、大恐慌から続く深刻な不況でも、それを統治すべき政党が無益な権力争いに終始していたのに軍の若手将校が業を煮やした行動だった。
[青年日本の歌]
その当時流行していた青年日本の歌、別名、昭和維新の歌を見つけたのでその歌詞の一部を紹介する。
二、権門(けんもん)上(かみ)に傲(おご)れども
国を憂うる誠なし
財閥富を誇れども
社稷*(しゃしょく)を思う心なし (*国家、朝廷)
三、ああ人栄え国亡ぶ
盲(めしい)たる民世に踊る
治乱興亡夢に似て
世は一局の碁なりけり
六、天の怒りか地の声か
そもただならぬ響あり
民永劫(えいごう)の眠りより
醒めよ日本の朝ぼらけ
七、見よ九天の雲は垂れ
四海の水は雄叫(おたけ)びて
革新の機(とき)到りぬと
吹くや日本の夕嵐
九、功名何ぞ夢の跡
消えざるものはただ誠
人生意気に感じては
成否を誰かあげつらう
十、やめよ離騒(りそう)の一悲曲
悲歌慷慨(こうがい)の日は去りぬ
われらが剣(つるぎ)今こそは
廓清*(かくせい)の血に躍るかな (*粛清)
作詞者の三上卓は海軍少尉で、佐世保でこの歌を発表して以来、昭和7年の5.15事件、昭和11年の2.26事件に連座した青年将校などが歌い継がれる一方全国的に広まった。
二つの事件以後この歌を歌う事は固く禁じられたそうだが、当時子供だった私でさえ歌っていた記憶があるので、この歌が当時の世の中で広く深く支持されていたに違いない。
言い換えれば、一般の国民は不況・貧困・政治腐敗に対して決起した彼らを心情では支持したのだろう。
そして政党政治にうんざりしていた国民も(後日第二次世界大戦を引き起こした)軍事政権も同じように支持したのだろう。
[今の政治・経済を見直そう]
今の日本は当時ほどはないにしても、不況、一般国民の所得の減少、社会格差の拡大と閉塞感が拡大している。
そして何よりも問題は日本の政治だ。
国会はねじれ状態で、激変している世界を余所に倒閣一辺倒の野党と防戦に躍起の与党のコップの中の争いで、対応策は遅々としす進まず、与野党とも選挙を前にして耳障りの良い政策を並べている。
そして国民はその政策がいずれも彌縫策で、日本の再生に繋がらない事を皆知っている。
勿論、今の自衛隊の人達が二二六事件の様な無謀なことをすることは絶対にないだろう。
何故なら日本は当時ほどまだ情勢は悪くない(と思う)こと、戦前は国士と自称する人達が居て、自分の信じる国の為に政府や軍とは別に独自に活動する風潮があった。
それがしばしは行き過ぎることもあったが、中には中国建国の父と言われた孫文さんや周恩来さんを匿うなど、積極的に活動していたが、それはとうに昔のことだ。
言うまでもなく終戦の日に平和を願い、生命の尊さを改めて考えることは大切な事だが、二次大戦の遠因の一つになった、そして当面の現実問題である今の政治や経済のあり方をもう一度反省し見直す必要もあると思う。
何故ならどんな思いがけないことが起こっても、日本は絶対に軍国主義に戻ってはならないし、戻る事はないと思うが、とかく目の前のことの処理に追われ、危機感もなく惰性で日々を送りがちな政治家始めマスコミ、国民にとって、戦争の反省に加えて、現実の政治や経済のあり方を見直すのに、終戦の日は年の一度の絶好の機会だと思うからだ。
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*注1:
戦勝国は領土拡張に走った日本を侵略国としてその指導者を戦犯として処罰した。
その事実で戦勝国が日本と同じ他国を侵略して植民地とした正当な理由がないことに改めて思い知らされたのも、世界的な植民地開放の一因となったのだろう。