[楽しい葬式]
昨日娘に車で送って貰って、田舎の納骨堂に納められている叔母へ花をあげに行ってきたときの話だ。
彼女は地域の町内会長の葬式に行った。
本来なら公民館長の夫だけでも良かったのだが、会長が元共産党員と言うのでどんな葬式になるか好奇心に駆られて夫にくっついて行ったそうだ。
少し遅刻して会場についたが、入って驚いた。
会場一杯に拡げられたいくつもの丸いテーブルで、皆が談笑しながら食事している。
まるで結婚の披露宴だった。
二人は式場を間違えたと一瞬思ったそうだが、正面に町内会長の写真が飾られていたこと、知り合いの町内の人達がいたことで、安心して食事の輪に加わった。
最初の挨拶はあったのだろうが、二人が着いた後は一切なし。
ただ二人のテープルに挨拶にきた遺族によると、元会長が生前にお世話になったお礼の気持ちでこの宴を開いたと聞いて、二人はすっかりその気になってご馳走と周囲の人達とのお喋りを楽しんできたそうだ。
この種の式では献花をするのだがと訊いたがそれもなし、共産党から連想される演説もなかったそうだ。
昔人間の私が考えると、これでは式の纏まりがなさそうに思ったが、二人は結構楽しんできたそうだ。
それから私たち夫婦の知人の葬式で、お寺さんから約70万ふんだくられた上に、葬式の後からも色々な寄付を言ってきたが、そんな金があるのならお世話になった人達にお礼の御馳走に回したらどんなに良かったかと言う話。
そんなに皆に楽しんで貰うには、重病で永い間の入院、介護で家族などに迷惑をかけ散らした後死ぬのでなく、元気な人がある日急にぽっくり逝かねばならねばねなどの話になった。
[これからの葬式]
共産党員だから無宗教なのは判るが、それにしても時勢も変わってきたものだ。
私も親もそうだから仏教信者と言うことになるのだろうが、如何にも形式的な仏教式の葬式よりもこのような葬式も悪くないような気がする。
もしそうするなら、山登りの写真を飾り、ギターの「アルファンブラの想い出」の曲を流す式場に私の参加しているグループの人達皆に来て貰ったら---など空想は拡がる。
その一方で全くの平々凡々の私だからどんな葬式でもいいし、引っ込み思案の私らしく参会者は最小限に留めひっそりとした葬式にして貰いたい様な気もする。
なお、私が経験した一番小さな葬式は喪主夫婦、私どもの夫婦のほかにもう一組の夫婦と、喪主の親族の坊さんだけで、静かでとてもしんみりした良い葬式だった。
然し、しきたりを重んじる家内はきっと余所様なみの人達に来て貰い、普通の仏式の葬式にする可能性はきわめて高い。
娘は娘で、葬式には教師仲間が多く来るしきたりがあるので、どうしても大袈裟になると言う。
それに対しては私は、親は最低限の葬儀費用で考えるので、それ以上の必要があるならその分は子供たちで負担しろと言っているのだが。
ああ!!死んだ後何なんてややこしいことが控えているのか。
唯一の明るい希望は、貧乏なお蔭で子供たちの間で(多分)相続争いは起こらないだろうと言うことだけだ。
[私の最後の希望]
最初に断っておきますが、これはあくまでも私自身の気持ちを書いているだけで、余所様にも同じにしてはと言う今までの私の提案とは違いますので、予めご了承下さい。
私はせめて同じ死ぬなら、多くの年寄りが言うように、介護などで家族の人達に迷惑をかけないよう、「ぽっくり逝く」よう祈っているが、この先のことでどうなるか判らない。
家族には脳死状態になったら人口的な生命維持装置など着けないでくれと言っている。
ぽっくり死や尊厳死を希望する理由は、人に迷惑をかけたくないことや、私の哀れな姿を人に見せたくない見栄もあるが、一番大きな理由は、ただでさえ苦しい国の医療費用負担を少しでも減らすと言う消極的な形で少しでも国に貢献したいからだ。
私は現役引退後、80才過ぎまでボランティアをし、それ以後は三つのクラブ活動で裏方の仕事をし、文字通りの一病息災のお蔭で健康保険の給付額の約3倍の保健料を払い続けるなど、非常に些細なことながらも社会や国のお役にたってきたと思っている。
そんな私は最後の最後になって家族や社会、国に余計な負担をかけたくないのだ。
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