手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

手稲神社祭典で詩吟を今年も奉納します

2017-09-08 19:26:44 | 詩吟関係

 これで何回目になるのでしょう。手稲神社の祭典に私の詩吟の会「碌峭会」が出演させていただいています。多分6年目だと思うのですが定かではありません。最初は祭典の後祭りの日の午前10時30分から30分をいただいて発表させていただいたのでしたが見学者は何人もいませんでした。2年目は雨になり急遽屋内での発表となりました。この時もほとんど見学者がないままの発表でした。三年目だったと思いますが、伴奏に尺八をお願いしたのでしたが、尺八になれていないこともあり、合吟が何とも無残な吟になってしまいました。それでもこの年は見学者が今までで最高になりました。次の年から又私のコンダクター伴奏に変えました。神社の舞台にも慣れてきて、又稲穂吟友会の仲間とか福祉センターの会員が見に来てくれ、天気にも恵まれて楽しい発表ができるようになりました。更に昨年は時間も11時20分からと遅らせていただけ、会員も身内の人に来てもらったり、仲間に声をかけたりしてくれて50人ほどの見学者がいた。今年は18日11時20分からの発表になります。天気さへ良ければ30人くらいは見てくれると思います。今年は詩舞が一つ入りますがあとは全員独吟を予定しています。

 

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いじめ  

2017-09-07 19:43:36 | 無題

 今「いじめ」が大きな問題なっている。「いじめ」られて、自らの命を絶つ子供もできている。

 私は87年生きてきたのだけれど、「いじめ」とどんな関わり方をしていたのだろう。私の世代は国策として、「生めや増やせや」といわれる時代で、貧しかったが子供は多かった。私は10人兄弟だし、家内は6人兄弟だ。「いじめ」は仲間はずれにされることがそれだと思う。周りに人が多いと嫌な人と付き合わなくても付き合える人はいくらでもいるから仲間はずれということで困るようなことはなかったように思う。

 小学校は田舎の複式小学校で同級生も少なかった。私は今でそうなのだけれど、群れて人の悪口を言ったり、悪ふざけをしたりすることが嫌いで、同期生より一年上の方と友達になって過ごすことが多かった。農業学校に昭和20年に入学し、寮に入った。当時はまだ戦時中だったので、上級生からの「しごき」などがあり随分ひどい目に逢わされた仲間もいた。そんな中で、私は上級生にも同級生にも、一目違った扱いをされていたように思う。一寸大人だったかもしれない。いろんなことがあったけれど、信条として「和して同ぜず」を胸に渡ってきた。どちらかといえば”悪”だったと思うが、悪の仲間からもちょっと違う目でみられ、別のいい友達もいた。

 今までの人生を振り返って、いじめられもしなかったし、いじめることもしなかった。それが「ずる」がしこい生き方にはなっていなかったと思う。柔軟性があったといえばそれまでかもしれない。

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健幸くらぶ 詩吟

2017-09-06 19:33:08 | 詩吟関係

 今日は全員参加。

 前半「秋思 張 籍」「秋風引 劉禹錫」をやる。いつもの通り全員に素読をしてもらい、内容の確認をして最初はコンタクターの伴奏で。二回目は前奏だけで吟じてもらう。二題を終えて休憩。

 休憩後は10月の手稲文化祭の稽古をやる。何とかなるでしょう。

 今、窓越しに十六夜の月が黄色く輝いているのが見える。初秋の月ですね。外に出てゆっくり見たい気もするが、下に降りてゆくのが面倒だから窓からで済まします

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福祉センター詩吟

2017-09-05 18:58:47 | 詩吟関係

 今日はとても良い天気だった。それだけに期待していたけれど、結果14名の参加でした。

 午前中に現在最年長の前川さんから電話があり、腰の状態がよくないので欠席しますという連絡があった。この後も継続がむつかしいのかもしれません。今年に入って男性2人が来られなくなっている。やはり90歳という年齢はおもたいのですね。これからもこの人数くらいで推移するのだと思います。

 今日は王 昌齢の「出塞行」と「芙蓉楼にて辛漸を送る」をやりました。

 芙蓉楼を素読した後、こんな質問をしてみました。今別れる二人がいるところは、長江のほとりなのか黄河のほとりなのかを判断できるかを聞いてみたかったのです。キーワードは「江」と「呉」「楚」なのです。答えることのできる人がいなかった。そこで「江」は長江を意味し「河」となると黄河なのだということをはなし、「呉」「楚」は長江挟んだ両側の地であることを話してあげました。そのあと、二人が別れて行くのですが、辛漸はどこに向かうのと聞いて「洛陽」を指摘させ、それが黄河流域で長安より下流になり、長安に次ぐ大都市であることを理解させたかった。結局説明することになった。また「一片の氷心玉壺に在り」という詩文をどう理解するかいろいろ質問してみた。中にはそれなりの理解の方もいたかもしれませんが、発表できる状況ではなかったのでしょう。来ている方は70歳以上の方ばかりです。詩文の内容を詠んだだけで理解できる方はいないといっていいのです。しかし、例えば「江」「河」の違いなどはずいぶん触れているはずなのですが 、覚えてくれていない。仕方のないことです。

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手稲教場  詩吟

2017-09-04 19:12:26 | 詩吟関係

 今日も教室に入ったら休暇中の高橋さんを除いた7名全員がそろっていた。

初めに今日も今後の日程を改めて確認し、11月の西支部の集いの申し込みが10日までなので今日吟題を決めてもらうことにする。出吟は全員独吟とすることにしました。休憩時間に確認したところ全員参加で、ただ堤さんが懇親会に出れないということでした。

 稽古ではこの頃みんな素読の練習をしているのがよく分かるようになってきました。とても上手になった方もいます。10日の審査二人受けますが、まずまずの仕上がりです。これは反省ですが、最近二句三息をあまり言わなくなっていることに気が付きました。できなくてもその努力をしなければ吟の流れが悪いのです。細切れ吟になる原因は此処に在るはずなのです。それと吟が一本調子にならないためには息の使い方をこの三息に持ってゆく努力の中で体得してもらわなければならないと思います。そんな点での注文が甘くなっていると反省しています。

 私は吟の稽古の途中に質問をはさむことを時々やります。今日、「天草灘に泊す」の稽古をしているとき、「頼 山陽はいつ頃の人?」と質問してみました。何と誰も答えられない。弟さんの頼三樹三郎は安政の大獄で処刑されたのだということを話して、幕末の勤皇の志士たちとの交遊も深かったことを話してあげました。併せて、天草灘から見えるはずない「呉か越か」といっている点に注目させました。

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久しぶり  浜ちゃんぽんを食べてきた

2017-09-03 19:16:14 | 身辺雑記

 もう40年くらいたったようにおもうのだけれど、当時現職で仲間と夜な夜な飲み歩いていたころ、手稲本町1条1丁目に「浜ちゃんぽん」というラーメン屋ができた。夜中11時ころ飲み終えて帰る前に立ち寄ってよく食べていた。ラーメンの中にイカが一匹、ホタテが一個入っている、とても豪華なラーメンだった。それが数年後現在の稲積公園駅の前の方に引っ越した。其れからは仲間と行くことはなくなったのだけれど、家内と二、三回食べに寄ったことがあった。

 最近はその存在すら忘れていたのですが、家内がその近くの鍼灸治療院に行くようになり、誰からか話を聞いてきたらしく、一度食べに行こうといわれていた。

 たまたま今日テレビの喉自慢を見ていて、昼食がおそくなった。家内が「浜ちゃんぽん」に行ってみないというので、すぐ出かけた。行ってびっくりした。駐車場が広くてしかも車がいっぱいなのです。入り口の近くに行ったら、何人か待っている人がいる様子なので、家内に確かめに行ってもらった。15分くらい待てば大丈夫ということなので待つことにした。中の様子を見て驚いた。昔とまったく変わってテーブル席の周りが畳の小上がり席になっているのだ。そして満席。テーブル席をお願いしたのでやや時間がかかった。浜ちゃんぽん以外の品もそろっていたけれど、浜ちゃんぽん一つを註文して二人で分けて食べた。今は一人前は大体二人前に作られているみたいだ。昔通りイカが一杯、ホタテが一個入って、若芽がぎっしり入っている。二人で満足してきました。稲積駅からはすぐだけれど、町からはかなり離れている。駐車場が完備しているから全く問題でないのですね。

 久しぶりになつかしい食事、まだ若かった自分を思い出していた。

 

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詩吟コンダクターの功罪

2017-09-02 19:51:15 | 詩吟関係

 詩吟の伴奏は琵琶などから始まり、尺八が本流となってきた。そこに電子楽器コンダクターが登場し、今やコンダクターなしでは指導がむつかしいとされるくらいになっている。私はコンダクターの使用では早い方だったと思います。30数年前に岳風流の日裏先生が使っているのをまねをして自分流に弾きこなしてきました。当時はまだ調子笛で音をとるのが主流でした。私はあの調子笛で音をとるのができなくて困っていましたから、コンダクターはとても助かりました。又、吟も下手で音をしっかりとれなかったものですから、コンダクターに助けられて成長したといってよいと思います。

 当時はまだアクセントについてそれほどやかましくなく、入りは凡て「ミ ファ」で、高音部を「ド」でとるか「シ」で取るかは、強吟かどうか指導者の判断で取っていて今のように、アクセントで決めるやり方にはなっていなかった。主音、副主音、中高音、高音の違いができていれば、多少のアクセントの違いは問題にならなかった。

 それがコンダクターの普及につれて、音階をアクセントで決め、更にアクセントについての指導が厳しくなってきた。

 詩吟も音楽芸能ですから、音程を正しくというのは当然のですが、そこにあまり比重がかかりすぎると、詩吟本来の吟調が特に初心者にはむつかしくなる。又、アクセントでも二通りの発声法のある言葉がかなり多いわけで、その聞き分けまでできる人は少ないと思う。新しく指導者になる人は、指導の主眼がアクセントにこだわり、詩吟を嫌いにする指導をとなるきらいがある。あるいは少しオーバーなアクセントの使い方をすると、逆に好印象となって評価されるというおかしなことが起きたりする。

 放送のアナウンサーの使っている日本語が最も正しい日本語のはずです。

 以前に9線譜の吟譜をつけた教本を出版された方がいる。この譜は今のアクセント重視の方から見れば、全くの間違いの教本になる。私も今はアクセントをかなり意識した教え方をしているけれど、例えば五言の場合の二つ落としなどは、アクセントを無視している。五言の節調の一番の特色はここなのです。

 積善流のような、高高音を使う吟法では、無理なところもある。西洋音楽の楽譜のような譜面を作ることが、無理なのが詩吟でないでしょうか。そしてそこに詩吟の面白さもあるように思うのです。詩吟を教えることのむつかしさは、こんな問題に対する柔軟性にあるような気がします

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平和教場 詩吟

2017-09-01 19:01:31 | 詩吟関係

 天気も良くドライブ日和。いつもの通り車を走らせる。いつもの時間に到着。男性一人、女性三人が出席していた。

 男性2人が遅れてくるとの事。四人で稽古に入る。Aさんの吟調が変わった。はじめ6本でやりたいというのでやらせたが、7本に変更させた。その方が張りもありいい吟調になる。細かい点でかなり問題が多かったのだけれど、今日はかなり良くなっていた。この調子で頑張ってくれると楽しみだ。

 遅れて小田桐・住山両君が来て、西支部の集いの確認をする。全員参加だけれど、懇親会出席3名にとどまった。ちょっと寂しい。

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