詩吟の伴奏は琵琶などから始まり、尺八が本流となってきた。そこに電子楽器コンダクターが登場し、今やコンダクターなしでは指導がむつかしいとされるくらいになっている。私はコンダクターの使用では早い方だったと思います。30数年前に岳風流の日裏先生が使っているのをまねをして自分流に弾きこなしてきました。当時はまだ調子笛で音をとるのが主流でした。私はあの調子笛で音をとるのができなくて困っていましたから、コンダクターはとても助かりました。又、吟も下手で音をしっかりとれなかったものですから、コンダクターに助けられて成長したといってよいと思います。
当時はまだアクセントについてそれほどやかましくなく、入りは凡て「ミ ファ」で、高音部を「ド」でとるか「シ」で取るかは、強吟かどうか指導者の判断で取っていて今のように、アクセントで決めるやり方にはなっていなかった。主音、副主音、中高音、高音の違いができていれば、多少のアクセントの違いは問題にならなかった。
それがコンダクターの普及につれて、音階をアクセントで決め、更にアクセントについての指導が厳しくなってきた。
詩吟も音楽芸能ですから、音程を正しくというのは当然のですが、そこにあまり比重がかかりすぎると、詩吟本来の吟調が特に初心者にはむつかしくなる。又、アクセントでも二通りの発声法のある言葉がかなり多いわけで、その聞き分けまでできる人は少ないと思う。新しく指導者になる人は、指導の主眼がアクセントにこだわり、詩吟を嫌いにする指導をとなるきらいがある。あるいは少しオーバーなアクセントの使い方をすると、逆に好印象となって評価されるというおかしなことが起きたりする。
放送のアナウンサーの使っている日本語が最も正しい日本語のはずです。
以前に9線譜の吟譜をつけた教本を出版された方がいる。この譜は今のアクセント重視の方から見れば、全くの間違いの教本になる。私も今はアクセントをかなり意識した教え方をしているけれど、例えば五言の場合の二つ落としなどは、アクセントを無視している。五言の節調の一番の特色はここなのです。
積善流のような、高高音を使う吟法では、無理なところもある。西洋音楽の楽譜のような譜面を作ることが、無理なのが詩吟でないでしょうか。そしてそこに詩吟の面白さもあるように思うのです。詩吟を教えることのむつかしさは、こんな問題に対する柔軟性にあるような気がします。