一昨日の北詩連総会の折、同席した久保旭麗先生から頂いた優待券で、標記の大会を見学してきました。これも、北詩連に移籍したからのことなのです。
唯、この主催者元道議で公明党の相沢遙峰先生とは、昔、お付き合いもさせていただいた方なのだが、もう10年くらい離れたままになっている。最初に西区民センターでこの伝統芸能祭を立ち上げた時は、伝統芸能祭なのか、単なる演芸会なのか分らないようなもので、私のお弟子さんに創価学会の方がいて、そのつてで、平和教場が合吟で出演させていただいていました。
その伝統芸能祭が教育文化会館で開催されるようになってからは、声を掛けていただけなくなっていたのでしたが、そのご、山地吟声会の、5周年記念吟詠会に、私も招待され、その折、招待されていた相沢さんとお話したのが最後だったと思う。相沢先生は多分覚えていないと思うが、そんなことがあった。
当時から、自分の吟には、テープを用意していられ、歌謡吟などを取り入れられていて、とても学ぶところの多い方として記憶に留めていました。
あの当時から見ると、内容も充実し、お金を頂いてやれる内容になっていました。こような大きな大会から、外れていましたので、大きく時代が動いているのを感じました。特に、伴奏で、伴奏のテープがかなり多彩になっていて、尺八を必要としない方向が出ているように思いました。
北詩連からも結構多くの方が招待され、また道内の名流が一堂に会していて、面白かった。此処で感じた吟風の変化は、象堂流のぎんぽうに近づいているということで、象堂流の吟はオオソドックスだったということだ。違うことは、象堂流ではアクセントを大事にしていないということだと思った。
唯、この主催者元道議で公明党の相沢遙峰先生とは、昔、お付き合いもさせていただいた方なのだが、もう10年くらい離れたままになっている。最初に西区民センターでこの伝統芸能祭を立ち上げた時は、伝統芸能祭なのか、単なる演芸会なのか分らないようなもので、私のお弟子さんに創価学会の方がいて、そのつてで、平和教場が合吟で出演させていただいていました。
その伝統芸能祭が教育文化会館で開催されるようになってからは、声を掛けていただけなくなっていたのでしたが、そのご、山地吟声会の、5周年記念吟詠会に、私も招待され、その折、招待されていた相沢さんとお話したのが最後だったと思う。相沢先生は多分覚えていないと思うが、そんなことがあった。
当時から、自分の吟には、テープを用意していられ、歌謡吟などを取り入れられていて、とても学ぶところの多い方として記憶に留めていました。
あの当時から見ると、内容も充実し、お金を頂いてやれる内容になっていました。こような大きな大会から、外れていましたので、大きく時代が動いているのを感じました。特に、伴奏で、伴奏のテープがかなり多彩になっていて、尺八を必要としない方向が出ているように思いました。
北詩連からも結構多くの方が招待され、また道内の名流が一堂に会していて、面白かった。此処で感じた吟風の変化は、象堂流のぎんぽうに近づいているということで、象堂流の吟はオオソドックスだったということだ。違うことは、象堂流ではアクセントを大事にしていないということだと思った。
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