8月15日 太平洋戦争が終わった日。今から65年前の事だ。
15歳の私は永山農業の一年生で、6月から出ていた援農の終わった日だった。
あの日のことは自分史のなかに書いてある。
戦争が終わった、日本が降参した、何か信じられないものがあり、呆然としていたように思う。
その後、この戦争が極めて無謀な戦争であったことを知り、長い日本の歴史のながれのなかで、行き着く必然のようなものを感じた。
豊臣秀吉の朝鮮出兵。明治新政府の中での征韓論、日清・日露の戦争での勝利、欧米諸国の植民地政策、そんな中での富国強兵策の行き着くところはここだったのだ。
戦争に負けて、しがらみから開放され、新しい国づくりへと進んでいる。日本は憲法9条で戦争放棄を国是とした。是は素晴らしいことだと思う。今日終戦記念の集会があちらこちらで開かれている。そこでは一様に二度と戦争は起こすまいと誓われている。
日本から戦争を仕掛けることはまったくありえないと思う。しかし、戦争を仕掛けられ無い保証はないのだ。現に世界の各地で血なまぐさい戦いが続いている。
各地で起きているテロを聞きながら、どうしてあのような武器が手に入るのかととても不思議だ。陰に武器弾薬を売る国が、商人がいるのだろう。
抑止力として軍備を増強する。軍備もより精鋭化するためには、古いものは廃棄するしかない。だけどそれが売れるなら売りたいと思うだろう。そんな流れの中で、テロ組織にもやすやすと武器が流れていくのだと思う。テロの陰には、そんな利益をむさぼる流れが隠然とあるように思える。
憲法改正、9条の放棄などが取りざたされたりするけれど、決して是はやってならないことでしょう。
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