福祉センターの会員が来ますので会場も大きな部屋を使えるようになった。今日は久しぶりに第5会議室。
センター関係は5名でした。昨日の雪が解けて凍って歩道がとても歩きにくくなっていました。転ぶ危険が伴いますから休んだ人がいるのでしょう。
センターとは違って、とても楽しそうです。会員の方も思わぬ仲間が増えて練習も張りがあるようです。
碌峭会の組織を一本化する方向で考えてきていましたが、今週には決めなければなないことが分かった。4月の会場申し込みが迫っているのです。金曜日の手稲第二教場で皆様の意見を聞いてまとめたいと思います。
碌峭会は現在三教場に分かれていますが、一本化し、手稲は一つにするということです。規約も作ってあります。これも図らなければなりません。
北詩連に加入した時は4教場に分けていたのでした。それが今一つにまとめなければならなくなったのです。会員の減少、新会員が見つからない。詩吟というとても素晴らしい芸能がやせ細ってきています。
昭和の時代は一寸大きな職場には詩吟のクラブがありました。特に国鉄や道庁職員の中にたくさんのサークルがありました。私が教場を立ち上げたころは、国鉄OBの方が随分いました。
昭和の時代にはまだ詩吟が多くの方に認知されていたのだと思います。それがバブルがはじけたころから様変わりして、詩吟は片隅に追いやられるようになったのだと思います。
手稲文化協会でいろいろな活動をして来ました。そんな中で民謡のサークルの方から「高齢化が進んで会員もいなくなった」という言葉を聞いたとき、高齢化で会員が少なくなると言うのはおかしいと思った。新しい高齢者がどんどん増えているのです。実は在籍している会員が高齢化したということで、新しい会員が入ってこないだけでなく、今までの会員が高齢になってという話だったのです。そのころはまだ私の詩吟はそれほど苦しんでいませんでした。しかし間もなく、気が付きました。新しく高齢者の仲間入りをした人たちは詩吟に接してきていなかったのです。対照的にカラオケがブームになってきました。
手稲文化協会に私がかかわった初めのころはカラオケは2団体だったのが今は9団体にふえ、3月に開催するカラオケフェスティバルは区民ホールが超満員となります。
今や趣味の音楽はカラオケで、民謡も詩吟もおいてきぼりになっている。残念だけどそれか現実だ。ここにも遠い昭和がある。
センター関係は5名でした。昨日の雪が解けて凍って歩道がとても歩きにくくなっていました。転ぶ危険が伴いますから休んだ人がいるのでしょう。
センターとは違って、とても楽しそうです。会員の方も思わぬ仲間が増えて練習も張りがあるようです。
碌峭会の組織を一本化する方向で考えてきていましたが、今週には決めなければなないことが分かった。4月の会場申し込みが迫っているのです。金曜日の手稲第二教場で皆様の意見を聞いてまとめたいと思います。
碌峭会は現在三教場に分かれていますが、一本化し、手稲は一つにするということです。規約も作ってあります。これも図らなければなりません。
北詩連に加入した時は4教場に分けていたのでした。それが今一つにまとめなければならなくなったのです。会員の減少、新会員が見つからない。詩吟というとても素晴らしい芸能がやせ細ってきています。
昭和の時代は一寸大きな職場には詩吟のクラブがありました。特に国鉄や道庁職員の中にたくさんのサークルがありました。私が教場を立ち上げたころは、国鉄OBの方が随分いました。
昭和の時代にはまだ詩吟が多くの方に認知されていたのだと思います。それがバブルがはじけたころから様変わりして、詩吟は片隅に追いやられるようになったのだと思います。
手稲文化協会でいろいろな活動をして来ました。そんな中で民謡のサークルの方から「高齢化が進んで会員もいなくなった」という言葉を聞いたとき、高齢化で会員が少なくなると言うのはおかしいと思った。新しい高齢者がどんどん増えているのです。実は在籍している会員が高齢化したということで、新しい会員が入ってこないだけでなく、今までの会員が高齢になってという話だったのです。そのころはまだ私の詩吟はそれほど苦しんでいませんでした。しかし間もなく、気が付きました。新しく高齢者の仲間入りをした人たちは詩吟に接してきていなかったのです。対照的にカラオケがブームになってきました。
手稲文化協会に私がかかわった初めのころはカラオケは2団体だったのが今は9団体にふえ、3月に開催するカラオケフェスティバルは区民ホールが超満員となります。
今や趣味の音楽はカラオケで、民謡も詩吟もおいてきぼりになっている。残念だけどそれか現実だ。ここにも遠い昭和がある。
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